オリンピックに見るアラブの病気

卓球をしていた私は、いつも卓球の試合の動画を見るのが好きですが、リオ・オリンピックにおける卓球選手の活躍はずっと見ています。特に、水谷隼選手のオールラウンドのフォームは本当に美しいです。

そんな中、話題になったニュースで、そうだよなと分かりつつも、げんなりさせられたニュースがありました。柔道の試合で、イスラエル選手の握手をエジプトの選手が拒んで、大きな非難が起こり、ついに帰国処分にさせられたというものです。(ブログ記事

柔道男子100キロ超級1回戦でオル・サッソン選手(イスラエル)からの握手を拒むイスラム・エルシェハビ選手(エジプト)Photo: Associated Press
柔道男子100キロ超級1回戦でオル・サッソン選手(イスラエル)からの握手を拒むイスラム・エルシェハビ選手(エジプト)Photo: Associated Press

そこで、この問題に真正面から取り組んだ、非常に良質な記事を読みました。

【オピニオン】五輪柔道での非礼が映し出す「アラブの病気」アラブ世界の問題はアラブ人の心の問題だ(The Wall Street Journal)
(記事全体をコメント欄に転載させていただきます。)

「アラブの病気」・・これは辛辣ですが、非常に的確な言葉です。アラブ人への偏見は持たないでいただきたいですが(こんな小論文でアラブ人の全てというイメージを持たないでほしいですね)、けれども、これは直視しないといけないと思います。そしてアラブのみならず、イスラム教の国々でも蔓延している病原菌です。ここに書かれている論考は、真っ直ぐに反ユダヤ主義と、その国の衰退とを連結させています。そして、アラブ社会にそれが顕著であることを教えています。最近のイスラム国の台頭でアラブの数か国とイスラエルとの連携は見られるものの、一般社会におけるイスラエルとユダヤへの敵愾心は全く変わっておらず、これによって彼ら自身が多くのものを失っています。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。(創世12章3節)

これは、神学の問題ではなく、実際に存在する現実、リアリティーなのです。

キリスト教における置換神学

ちなみにキリスト教会にも、「イスラエル」をキリスト者の「物語」の中に押し込めて、矮小化して、そこに現に存在するものとしてのイスラエルは等閑視する神学が流行っています。日本にもそうした神学者の著書が邦訳されて入り込み、人気を得ています。しかし現に、神の存在証明として、イスラエルという人々、国、土地が存在します。現存する彼らを”一種のイデオロギー”として退けてしまう、その立場は果たして大丈夫でしょうか?これを、教会は歴史を通じて行なってきたのではないでしょうか?そして教会がユダヤ人を退けながら、実は根底に、非キリスト的な思想が蝕んでおり、それが単に反イスラエル・反ユダヤ的姿勢として表出しているだけでありましょう。

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「オリンピックに見るアラブの病気」への1件のフィードバック

  1.  12日に行われたリオ五輪柔道男子100キロ超級1回戦でイスラエルのオル・サッソン選手がエジプトのイスラム・エルシェハビ選手を破った。試合後、サッソンはエルシェハビに手を差し出したが、エルシェハビが握手を拒んだことで会場からはブーイングが起こった。サッソンは100キロ超級で銅メダルを獲得した。

     アラブ世界が奈落に落ちている理由を知りたければ、このささいな出来事を見るだけで十分だ。アラブ世界はイスラエル、そしてユダヤ人に対する永続的で強烈な嫌悪感を通じ、自らを苦境に陥れているのだ。

     このポイントをスコット・アンダーソン氏の記事に見いだすことはできないだろう。先週末のニューヨーク・タイムズ・マガジンには、アラブの崩壊について書かれたアンダーソン氏の長文記事が掲載された。記事によると、アラブ世界ではイスラエルに対する嫌悪感が「砂」、つまり日常風景のように扱われているという。また、記事では中東における植民地の遺産について書かれた幅広い著作にあまり触れられていなかった。さらに石油の呪縛、統治格差、民主主義の欠如、若者の興隆、宗派分裂、正統性の危機など、アラブの衰退を説明するあらゆる側面が抜けていた。

    ユダヤ人排除で致命的な損失

     ただ、アラブ世界はこうした嫌悪感を持ち続けながら、70年かけて90万人ほどのユダヤ人を排除してきたという事実は残っている。次第に、その結果が致命的であることが分かってきた。つまり、人的資本の喪失、破滅をもたらす高額な戦争、誤ったイデオロギー的強迫観念、陰謀説によってゆがめられた知の世界、あくなきスケープゴート(身代わり)の探索がもたらされたのだ。アラブ世界の問題はアラブ人の心の問題で、その問題は「反ユダヤ主義」と呼ばれている。

     これは歴史現象としては珍しくない。歴史家のポール・ジョンソン氏は、2005年に月刊誌「コメンタリー」に寄稿した論文で、反ユダヤ主義が定着するあらゆる場所では社会的、政治的衰退がほぼ避けられなくなると指摘した。

     スペインでは1492年、アルハンブラ宮殿の落城と共にユダヤ人が追放された。ジョンソン氏によると、その結果、「スペイン(と同国の植民地)からは、金融の扱いにたけていることですでに名をはせていた(ユダヤ人の市民)階層がはぎ取られた」という。帝政時代のロシアでは、反ユダヤ法の成立で大量のユダヤ人が流出すると同時に「制限の多い制度によって生み出された官僚腐敗が急増」していった。ヒトラーがアルベルト・アインシュタイン、レオ・シラード、エンリコ・フェルミ、エドワード・テラーを米国に亡命させていなければ、ドイツが核爆弾の開発競争に勝利していた可能性は十分にある。

     こうしたパターンはアラブ世界にも当てはまる。神話と異なり、その原因はイスラエル建国ではない。1929年にはパレスチナで、1941年にはイラクで、1945年にはレバノンで残酷なユダヤ人虐殺が発生した。

     また、和平と引き替えに土地を手放すのを拒むことで反ユダヤ主義をあおっているとして、イスラエル政府を責めるのも正しくない。イスラエルのベギン元首相がエジプトのサダト元大統領にシナイ半島を返還して以降も、エジプト人の間でイスラエルへの嫌悪感が薄まることはめったになかった。パレスチナ人の間では、オスロ和平協議が進められた数年間に反ユダヤ主義が著しく高まった。

    「伝染性の高い」病気

     ジョンソン氏は論文で、反ユダヤ主義を「伝染性の高い」病気だと呼んだ。それは「ある土地や社会では特異性を持つ」ようになり、「知性の弱さ、薄弱さ、凡庸さに限定されることは決してない」ものだという。同氏によると、反ユダヤ主義は合理的でないかもしれないが、その有効性は個人的で直観的な不合理さを政治や制度上の不合理さに変換させるところにある。反ユダヤ主義者にとって、あらゆる犯罪には同一の犯人がおり、あらゆる問題には同一の解決策がある。

     反ユダヤ主義は世界を単純に見せてしまう。そうすることで、反ユダヤ主義者を永遠の暗闇に追いやってしまうのだ。

    文芸文化が発達しない理由

     今日、アラブ世界には有名大学がないし、その土地固有の重要な科学基盤もない。文芸文化が発達していないのだ。米特許商標庁は2015年、イスラエルから3804件の特許が登録されたと発表。一方、サウジアラビアからは364件、アラブ首長国連邦(UAE)からは56件、エジプトからは30件だった。ユダヤ人を虐待し、迫害することは、キリスト教徒やヤジディ教徒、バハーイ教徒という他の宗教的少数派を迫害し、排除するためのテンプレートとして利用されてきた。

     イスラエルとユダヤ人を嫌悪することで、アラブ世界は資源を失っただけでなく、隣国の手本となる行動も見えなくなった。イスラエルはひそかにヨルダンに水を供給し、シリア難民の負担を軽減させている。また、ひそかに監視・偵察能力をエジプトに提供し、シナイ半島における過激派組織「イスラム国(IS)」との戦闘を支援している。ただ、これらはアラブ人にほとんど知られていない。アラブ人にとって唯一認められるイスラエルのイメージは、暴動を起こし、パレスチナ人を虐待するイスラエル兵の姿なのだ。

     成功する国家は決まって周辺国から学ぼうとする。アラブ世界は数世代にわたり、周辺国を嫌悪するよう教えられてきたのだ。

    変化の兆候

     これは変化し始めているのかもしれない。過去5年間、アラブ世界は簡単にイスラエルを非難することができない方法で、自らの失敗に立ち向かうよう強いられてきた。こうした変化はイスラエルと3カ国(エジプト、サウジアラビア、UAE)との雪解けの兆候に見て取れる。ただ、特にISとイランという共通の敵に対して、これが両陣営に戦術的・戦略的利益を生み出すことはまだないかもしれない。

     これだけでは十分でない。アラブのアスリートがイスラエルの対戦相手と握手して礼儀をつくすことができない限り、アラブ人の心の病、そしてアラブ世界の不幸は継続するだろう。これはイスラエルにとって残念なこと、アラブにとっては災難だ。嫌悪する人は常に、嫌悪される人よりも多くの被害を受ける。

     (筆者のブレット・スティーブンスはWSJ論説室の副委員長)

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