まずは、次の記事をお読みください。
「ウィキリークス、クリントン陣営のカトリック・福音派侮辱メール暴露、キリスト教指導者ら謝罪求める」
(注:私は、引用元のニュースサイトについて賛否両論のある団体であることは知りつつも、多くの一般記事は、事実を伝えており、日本語に訳されているという点で時々、シェアしております。)
ウィキリークスによって、ヒラリー陣営のスタッフのEメールの内容がハッキングされ、暴露されているニュースが続いています。かなり多くの衝撃的な内容が書いてあります。例えば、
1.ヒラリーは嘘つきだと皆が知っている
2.ヒラリーの同性婚についての「本当の」見解
3.サウジアラビアがイスラム国に資金提供
5.最低賃金は雇用に悪いことを知っている
6.民主党がトランプを推す企みを持っていた。
7.ベンガジ事件は、問題視されるに妥当なこと
8.ヒラリーの弁護人は、司法の介入を阻止したことを認めている
Damning Takeaways from ‘October Surprise’ Email Hack from WikiLeaks–This Looks REALLY Bad
民主党の選挙対策本部自身が、自党の主張を本音では信じていないこと、またヒラリー氏が政治責任を全く取っていないこと、また、犯罪を犯したことを認めていることになっています。これはかなり衝撃的ですが、しかし、私たちキリスト者に直接関わる内容が先の日本語に訳されている記事です。
その中で興味を持ったのが、「キリスト教徒恐怖症(Christianophobia)」と呼ぶべき人々が米国内にいるということです。今は、同性愛恐怖症(ホモフォビア)や、イスラム教恐怖症(イスラムフォビア)という言葉でしばしば使われていますが、実際にこのような人々が政治中枢部にいることが、はっきりと言葉として書かれていることは注目に値します。
キリスト教恐怖症患者は、主に裕福で高学歴かつ非宗教的な白人だとヤンシー氏は言う。
「彼らがキリスト教徒に関して持つ一般的なイメージは、キリスト教徒というのは時代遅れで危機意識が薄く、子どもじみていて科学が嫌いで、他人の生活に干渉したがる人たちだというものです」と、ヤンシー氏はクリスチャンポストに語った。
「しかし、さらに悪いことに、彼らは一般のキリスト教徒は悪いキリスト教指導者に操られており、指導者たちの望むままに投票するものだと考えています。彼らは、キリスト教指導者が神権政治を打ち立て、国民にキリスト教信仰を強要しようとしていると信じています。ですから、キリスト教恐怖症の人たちにとって、これは米国社会が進歩的社会に移行するための闘いなのです。多くの場合、キリスト教徒というのは、米国社会が進歩的な楽園を達成することを妨げる、強大な悪の力として見られているのです」と、ヤンシー氏は付け加えた。
「宗教右派」はキリスト教恐怖症患者による表現
私はこの問題を、90年代、米国に住んでいた時から知っていました。日本では、米国の悪い部分として、特にイラク戦争以後、そのようなリベラルの人々によって「宗教右派」として紹介されてきて、問題の真相がどこにあるかが伝えられてきませんでした。しかし、多くの福音派と呼ばれる日本の教会が、自分たちの信仰そのものが米国内では攻撃されている、という事実に目を向けていないことが、残念です。
もちろん、同じ聖書信仰を持っている者たちの間でも、政治思想については保守とリベラルがあってよいのです。しかし、私たち日本にある教会は、往々にしてアメリカにあるキリスト教の影響を大きく受けています。たとえ、自分の政治信条に合わないことを米国の保守的、福音的キリスト教の指導者が言っていても、その人々の信じていることと自分たちは一致しているのだ、という確認を怠ってはいけません。
しかし、キリスト教の牧師や指導者が、世間一般に流れている報道に乗って、一緒になって米国の福音派の教会を叩いている発言を読む時に心が痛みます。それはまるで、自ら立っている信仰を打ち叩いているような、自傷行為だからです。
アメリカ発のリベラルは、基本的にアメリカの建国思想である「ユダヤ=キリスト教価値観」への対抗です。進化論は、生物の起源を説明するキリスト教の創造論への意識的な対抗であるし、共産主義はユダヤ教とキリスト教の神の国の幻への対抗です。単なる純粋な、生物学の理論、社会・政治理論ではなく、そこでは多分に反キリスト教としての姿勢の中で語られています。
したがって、アメリカにおいて「リベラル」=「反キリスト教」の要素が強い、ということを取り上げないといけません。この公式はリベラル自体が反キリスト教的ということを意味しません。福音的な信仰を持っている兄弟姉妹が、聖書の中で特に明言されていない政策において、リベラルな政策に賛同して、民主党を支持しても、全然おかしくありません。しかし、そうした民主党やリベラル思想を持っている人々の中に、反キリスト教者が多くいるということは、見つめなければいけない現実です。
元来の同性愛者は、キリスト教に中立
例えば同性愛問題ですが、従来から日本には、オカマ文化がありました。美川憲一やおすぎとピーコなど、芸能界でも活躍している人々がいます。彼らには、キリスト者に対する感情はありません、中立です。ところが、欧米で同性愛を推進している人々は、一様に、キリスト者に対する著しい敵愾心があります。なぜなら、欧米では同性愛というものが、「神は男女に造られた」とするキリスト教の秩序に対抗する思想として捉えられているからです。
次は同性愛者による文章です。
このブログで何度もいっていることですが、アメリカの同性愛問題というのは、突き詰めれば宗教問題で、 同性愛は教義に反すると主張するキリスト教右派と、同性愛を認めるべきだと考えるリベラルなキリスト教徒が争っているわけで、そんなキリスト教の宗派間の争いをキリスト教徒が人口の1パーセントか2パーセントしか占めない日本に持ち込んでも日本の国民が反応する筈がありません。
ケネディ大使が嫌う日本神道は、元々、性に対してはおおらかで、同性愛を禁止していませんし、日本の仏教も仏教寺院が長らく同性愛の温床になっていたという歴史的事実もあって同性愛に対して寛容です。」
(「日本でLGBT教の伝道をしている駐日アメリカ大使、キャロライン・ケネディ」から)
私たちは日本で宣教
ですから、問題は同性愛そのものよりも、その行為を正当化すべく聖書神学を再構築する試み、従来の保守的、伝統的キリスト教への挑戦であったりするのです。その他、進化論を取り入れた有神論などもそうです。生命の起源を取り扱っているようで、実は聖書信仰への対抗であるので、真面目に取り組み、下手に反省すると、自分に拠り所を切り崩されていくのです。
私たちは、欧米発の欧米固有の問題を、教会の中にまで持ち込んで議論してしまっている時があります。ある特定の争点について議論したり、敵視する必要はないのです。その反対に、殊更に擁護したり、容認したりする必要もないのです。例えば、今はハロウィーンの時期。これも、異教やオカルトの要素があるという情報がありますが、それを知っていくことは大切でしょう。けれども、殊更に教会で対抗意識を持てば、バレンタインのようなノリでやっている未信者の人たちには、理解困難なものになると思います。彼らにとっては単なる流行であり、商業主義の表れです。だからと言って、容認するのも変です。
現代、欧米は「二極化」という隘路に陥っています。西洋人は、その思想の基になっているキリスト教を退けたために、人と人のつながり、被造物間の調和を失っています。神を敬ってこそ、そのへりくだりの中で生きるからこそ、真理を追究できるのに、その敬虔さがなくなっているので、一方を受け入れれば、他方を徹底的に否定する過ちに陥っています。分裂と党派心がむき出しです。そして、西洋思想は影響力が強いので、日本社会にも、じわじわと浸透していきます。そして、初めは騒がしいなと思っていたものが、意外に、人々が福音を受け入れる時の妨げになるのです。
忘れてはならないのは、日本は反キリスト教ではないのです。「無キリスト教」です。キリスト教には基本的に「無関心、中立」です。反発を抱くとき、それは大抵、欧米から来たリベラル思想に拠るものです。「キリスト教は戦争をするからいけない」・・これ、嘘です。統計的にもキリスト教による戦争は2㌫ぐらいです。欧米のマスコミが、キリスト教を殊更に取り上げて、そう宣伝しているから思い込んでしまっているのです。「天地創造なんてバカバカしい、進化論が正しい」これも、リベラル思想から来ています。ですから、そうした誤ったこと、偏見を正すことも必要ですが、それに必要以上に時間を割いてはいけません。
キリストは日本人のためにも来て、十字架に付いてくださいました。もっともっと、日本の人たちの抱えている深層の部分、暗闇の中で喘いでいる部分に、耳を澄ましたいですね。私の発見するのは、「これまで頑張ってきたのに、うまくいっていない。」といううめきです。神の恵みを知らない、自分で頑張るという哲学。そして、「自分は死にたくない」という強い思い、死というものを考えたくない思い。神に造られた貴い存在なのに、人とのつながり、人がどう見ているかという恐れを絶えず抱き、相対的なものでしか自分を知ることのできない。忙しさの中で、自分を失っていること。物質的なものに囲まれて、それを追及して日々が過ぎ去る。こういったことで、心が渇いている。いろいろあるとここら辺に焦点を合わせていきたいです。
ウィキリークスによるヒラリー陣営やオバマ政権からの漏洩メールですが、
「オバマ政権は、上位の職務にアラブ系キリスト者は排除し、ムスリムの起用を優先」としています。こう書いてあります。
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上位の職務の候補者で、私は、ムスリムではないアラブ系アメリカ人を排除しました。レバノン系アメリカ人は、例えばクリスチャンです。最後のリスト・・では、ほとんどがムスリム系アメリカ人のように見えます。僅かに、宗教のはっきりしない(特にクリスチャンの)アラブ系アメリカ人がいますが。
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その他、ムスリムの候補者としては、容疑がかけられそうな人たちは批判の対象になるけれども、綿密に調べて(vet)から起用するように、ということも書いてあります。
覚えていますか、トランプ氏がムスリムの移民入国を、その背景を調べる(vet)システムができるまでは禁止すべきだ、という発言に対して、それがヘイトクライムとされました。フランクリン・グラハムも同じ意見を述べたので、日本のキリスト教関係者も強い批判を述べました。
私は、トランプ氏やフランクリン・グラハム氏の意見には同意しません。アメリカ国内のテロは、入国してきたばかりのムスリムではなく、生まれ育ちがアメリカという二世のムスリムによって行われており、入国する者たちの背景を検査したどころで、効果がないと思うからです。
しかし、私は非常に不正だと思うのは、「こういう差別是正に取り組んでいるのが、オバマ政権であり、民主党だ」という嘘を、日本のキリスト教関係者が鵜呑みにしていることです。これはアメリカのリベラル陣営が長年のこと作り出した虚構なのです。彼らも、いや保守陣営以上に、人種や宗教などによって政治的公正を図ろうとプロファイリング(身元調査)しており、その人の素質や能力や視覚で図らない、非常に強い差別意識があるということです。
リベラル派は、「少数者はいつも多数派に差別されている。だからそれを是正することが正義」と考えています。果たしてそうなのか?いいえ、少数派も多数派も神の前に等しく罪人であり、また等しく神に愛されている存在です。
アメリカで、とても温和で敬虔なクリスチャンの、アメリカン・フットボール選手で、自身は黒人のベンジャミン・ワトソン(Benjamin Watson)さんがいます。彼は人種差別問題について、白人警察の黒人への不当逮捕や銃殺、そして黒人の暴動などを考えて、彼はこう言いました。
「これは、肌(Skin)の問題ではない、罪(Sin)の問題です。」
肌の色に人の属性があるのではなく、その内にある罪があるからだ、と彼は指摘します。
もう一つ、アメリカのリベラルの全てを私は否定するのではないのですが(その中で、真面目に政策立案をしている人々はいると思います)、「アメリカのリベラルは、キリスト教嫌い」ということを、日本のキリスト教左派の人たちは気づいていないことです。これは上で述べた通りです。
キリスト教徒以外救われない自己中な宗教では不快感を持たれてもしかたないでしょうね
キリスト教徒だから救われるのではありません、キリストのみが人を救います。
全国民が義務教育を受けている日本で前時代的なキリスト教は無理でしょう。
ちょっと理解不能でした。
近代日本は、キリスト教の宣教師が入って来たことは多く、当時の指導的役割を担っていた人々は、ほとんどと言っていいぐらい宣教師に触れています。その基礎的学問も彼らの影響があり、明治維新は欧州に学び、そのキリスト教文明から拝借して、国家体制を整えています。皇室ほど、キリスト教関係者に触れている所もないと言われています。
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三笠宮 崇仁殿下(大正天皇第四皇子、今上陛下の叔父上)
私は戦時中に敵を知ろうと、キリスト教を調べ聖書にぶつかった。
初めは文明を誇る白人がなぜこんなものを信じるのかと笑ったが、聖書が歴史的事実と知ったとき、聖書から離れられなくなった。
※ 三笠宮殿下は、古代オリエントを専門とする歴史学者として有名です。
この言葉は殿下がなぜ歴史を学ぶようになったかについて述べたときのものです。
WHAT’S BIBLE?? 著名人の聖書観
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義務教育を受けているからキリスト教は不要という論理も、理解不能でした。