(前記事「国連安保理、イスラエル非難決議を採択 米国棄権」①~⑤からの続き)
Obama Despises Israel Because He Despises the West
八年間のオバマ政権が終わりに近づき、その最後の偉業を米国の対イスラエル外交を根底からぶち壊すようなことをしました。次に、正統派ユダヤ教徒でコラムニストである、ベン・シャピロ氏による記事を紹介します。
「オバマ大統領が、なぜイスラエルを軽蔑しているのか?西洋を軽蔑しているから」という題名の記事です。お見事な指摘であり、私がずっと気になっていた内容でした。オバマ氏はまさに、イラク戦争以後の世界の考え方、特にキリスト界の潮流を象徴しているかのような人でした。彼の根っこの信念には、「宗教左派」というものがあります。いわゆる、リベラルなキリスト教です。
イスラエルに対して、実は今、アラブ諸国との関係は悪くなっていませんでした。
トランプ次期大統領が、あれだけの過激発言をしたにも関わらず、中東諸国はトランプ氏よりも、オバマ氏のほうに不満が溜まっていました。それは、彼は中東政策についていろいろ語り、異常なほど接近するけれども、実際は、全く不関与の態度を取り続けたからです。
その中東政策における無能によって、かえって、イスラエルと敵対関係にあったアラブ諸国がむしろ、イスラエルと便宜上の同盟を結ぶようになっていったのです。サウジアラビアは、イスラエルよりも、イランの核脅威を恐れています。エジプトはイスラエルよりも、ムスリム同胞団を恐れています。ヨルダンは、イスラエルよりもパレスチナで頭を悩ませています。パレスチナ自治政府も、実はイスラエルよりもハマスとイスラム国を懸念していたのです。したがって、最近はパレスチナとの領土問題において譲歩を迫られることは、ほとんど無かったのです。
むしろ、そのイスラエルに敵対的なのは、オバマ政権自体のほうです。
なぜそこまで敵意を抱かせているのか?考えられるのは、「国際主義の左派」の考え方です。イスラエルに対する見方は、「イスラエルは植民地支配の飛び地であり、イスラム教中心の中東で進行している癌だ」という見方です。イスラエルさえ無くなれば、そこの人々は残りの世界を、新鮮な見方で見てくれると思っています。これはちょうど、イスラム教の暴力の問題は西洋にあるとする哲学と同じであり、所得の不平等な分配が、不満とテロを醸成しているという見方です。
しかしオバマ氏は、そのような思想以上の信念を持っています。
根底に、西洋文明の基礎であるユダヤ・キリスト教の伝統的価値観を軽蔑している、ということです。それでイスラエルも軽蔑しているのです。聖書信仰者をオバマ氏は二つに分けています。「愚か者」であり「嘘つき」です。愚かとは、彼らが人種差別や外国人嫌いに陥っている偏屈な奴らで、貧しくて能無しだからそうなるのだ、という軽蔑があります。そして、「嘘つき」とは、自分のしていることを自己正当化するために聖書を引用したがる奴らだ、ということです。
オバマ氏は、「本物のキリスト者は左派だ」と言っています。つまり、聖書を中心にするキリスト教ではなく、反政府の左翼思想を中心に取り換える形のキリスト教を望んでいます。ジェレマイア・ライト氏の牧会する教会に、20年通っていました。
上の記事にもあるように、イスラエルに対する敵愾心をむき出しにする説教をして、「アパルトヘイト国家」と呼び、入植地を「違法な占領」であると呼び、イエス様を「パレスチナ人」とし、「パレスチナ人民にヨーロッパ人が来て、彼らの国を奪った。」として、黒人の共同体とパレスチナ人は連帯していると訴えていました。オバマ氏にとって、聖書を信仰することは、下層階級の人々を抑圧することを隠蔽しているにし、人々を操作しているにしか過ぎないと考えました。
その聖書の中心にイスラエルがあります。ですから、ユダヤ人国家のイスラエルこそが、聖書の記述を抑圧のための道具にしている、聖書を隠れ蓑にして自分たちの利益を求めているとしました。これが、オバマ氏が広島の平和祈念公園において言ったことにつながっています。「どれだけたやすく、私たちは何かより高い大義の名の下に暴力を正当化してきたでしょうか。・・しかし、いかなる宗教も信仰が殺戮の許可証だと主張する信者から免れていません。」
オバマ氏にとって、イスラエルのユダヤ人はまさにこのことを行なっていると、みなしています。ユダヤ人がイスラエルを支配することは、聖書の命題とつながっているので、それに反対しないといけない。そのような聖書の原則ではなく、社会正義の宗教の側に付かないといけない、と考えます。
ですから、ユダヤ人のエルサレムを拒絶し、抑圧と蹂躙の文献である聖書を、オバマ書に書き変えないといけない、と思っているのです。
以上が、私自身の説明も交えた記事の内容ですが、私もオバマ大統領は、今の時流を象徴しているような人だと思っていました。道徳相対主義の台頭、聖書信仰の弱体化、反イスラエルの傾向、社会正義の過度の強調、左翼思想、これらが全てつながっています。その中心に「イスラエル」があり、反イスラエルの姿勢はとどのつまり、聖書中心の価値観に対する挑戦であります。
これまで、いろいろな記事を書いてきましたが、同じテーマをたくさん書いてきたことに気づきました。ここに列挙しておきます。