以下のページは、ゴードン・コンウェル神学校の中にある研究所が発表した、「プロテスタントの五百年」というものです。クリックしますと、PDFファイルで図表として、1517年以後のプロテスタント教会の世界的趨勢の変化を見ることができます。
昨日まで、私は小説・映画の「沈黙」に集中して、そこにある「泥沼論」に対する反論をしていました。とても嫌なことわざで、「日本は宣教師の墓場」があります。カトリックによる宣教以後、四百年が経っているのに、キリスト者の人口は新旧教合わせて1パーセントしかいない、というものがあります。日本は、だからキリスト教が根付かない泥沼なのだ、というのが、ロドリゴを棄教せしめるために使われた、背教宣教師フェレイラが語った言葉です。彼の言葉は、今の状況を見るとそのように見えるのかもしれません。
アフリカとアジアがキリスト教の中心地
しかし、この五百年の趨勢の変化を見ますと、日本の教会には知られていない統計事実がどんどん出て来ます。まず、今、最もプロテスタント人口が多いのは世界でどこか?圧倒的に「アフリカ」です。そして次は「アジア」であり、それから「ヨーロッパ」ですが、これは聖公会を含めているためであります。そして「ラテン・アメリカ(中南米)」です。そして「北米」「オセアニア」と続きます。
あれっ、宗教改革はドイツから始まって、西欧の宗教ではかったの?というのは、もう古い話なのです。日本の教会までが、欧米しか向いておらず、今年の五百年記念行事で、どれほどアフリカ、アジア、中南米の教会に目を向けるものはどれだけあるでしょうか?
激変は世界情勢だけでない、教会も
そして五百年間の間に、五大陸においてどれだけプロテスタントの信者数が増えたのかが、その下の表にあります。アフリカが最大になっていますが、それが起こったのは1950年辺りからです。つまりたったの60年そこそこの話なのです。同じくアジアとラテン・アメリカも1950年辺りからであり、ヨーロッパは宗教改革発祥の地だけあってなだらかな上昇、北米は1800年辺りからです。つまり、世界が第二次大戦後、植民地であった国々が独立した辺りから新しい時代を迎えましたが、キリスト教にとっても同じだったと言えます。
そして国毎としてトップ10の推移を見ている野が、三番目の図なのですが、1910年と2015年を比べています。プロテスタント人口が多いのは、アメリカが一番であることは変わりないのですが、二位以降は、ヨーロッパであったところが、今は「ナイジェリア、ブラジル、英国、中国、ドイツ、インド、ケニア、インドネシア、エチオピア」と、アジアとアフリカの国々が勢ぞろいです。そして、増加率で言えば、アフリカとアジアの国々が断トツです。体制を見ても、シンガポールの民主国もあれば、イランのようなイスラム原理主義国、ベトナムのような社会主義国など、体制に関係なく増加しています。
こうやってみていくと、次の見立てができるそうです。「ヨーロッパは宗教改革の発祥地であるにも関わらず、2050年までには10㌫以下になるだろう。今日、アフリカがプロテスタント全体の41㌫を占めており、2050年までには53㌫になるだろう。」なんと、プロテスタント全人口の半数以上がアフリカ大陸に住んでいるということなのです!
プロテスタントの大御所「中国」
そして二ページ目は、他の教派と比べた趨勢があり、全体的にはカトリックが半数ですが、プロテスタントの急増が目立ちます。そして教団として、どこがトップ10なのか?が左下にあります。第一位は、そう「中国三自愛教会」です!人口が凄いですし、中国政府の公表ですからどうなのかな?というのはありますが、しかし、教団になっていない非公認教会(家の教会)のほうが圧倒的に多いですから、どれだけ多いか分かるでしょう。そして次にブラジルの「アッセンブリーズ・オブ・ゴッド」が二位に来ています。ドイツの福音主義が三位、英国教会が世に、そしてナイジェリアの聖公会、アメリカの南部バプテスト連盟、ウガンダ教会、エチオピアの福音教会・・と続きます。欧米の最大教団の中に、南米、アフリカが喰い込んでいる形です。
どう呼ぼうとも霊的覚醒は「聖霊」の働き
そして「福音派」の趨勢の中における、ペンテコステ・カリスマ派(聖霊派とも日本では呼ばれる)の割合が、二ページ目の右下に円で描かれています。どこが一番大きいか?薄黄色のペンテコステ・カリスマ派なのです。
日本では、「聖霊派 対 福音派」と区別されて語られているのに、違和感を覚えます。図を見れば分かるように、これは重なり合っているのであり、どの部分をより強調しているかの違いにしか過ぎません。だれも、教会が聖霊によるものであるという聖書の教理の上に立っているからです。どの時代の霊的覚醒が起こっていても、聖霊の働きは強調されてきました。英国のジョン・ウェスレー、スポルジョン、そして近年のロイド・ジョーンズも、キリスト者が生きた、キリストとの交わりを保つために聖霊の体験が絶対に必要であることは、誰もが語っています。ただそれが、聖霊の働きのどの側面を強調しているかの違いだけであり、清め派と言われているところは「聖化」に、ペンテコステ・カリスマ派と呼ばれているところは、「聖霊の賜物」に重きを置いているだけです。
※ ちなみに、私たちの群れカルバリーチャペルは、60‐70年代のベトナム戦争後のヒッピーたちの間で起こった聖霊の目覚ましい働き「イエス革命」の中から、誕生しました。元々、フォースクウェア―というペンテコステ派の教団出身のチャック・スミスの牧会から始まっており、御言葉のバランスの中で聖霊の賜物を用いるという、「神学のバランス」が特徴となっていきました。大抵、保守福音派からはカリスマ的、カリスマ派からは保守的と見られています。
欧米キリスト教ばかり見ている日本キリスト教
世界のキリスト教の中心はこのように、欧米ではなく、アフリカ、アジア、中南米、中東になってしまっているのです。ところが、日本の福音派の教会の目は、どこを向いているでしょうか?私はフェイスブック友達の牧師さんに、次のようにメッセージを送ったことがあります。
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ところで今の世界のキリスト教を俯瞰しますと、欧米は徹底的に脱キリスト教化されており、キリスト教が西洋のものであるという概念が根底から壊れつつあります。そして今、ロシアと中国が台頭し、欧州との境目のトルコが注目されてきており、本当にすごい時代になっていると感じています。世界宣教が、中国が宣教をしていく中心になっているというのは、宣教界の常識になっており、中東での大リバイバル、中南米やアフリカでのリバイバルと、どんどんシフトしています。聖地旅行に行けば、圧倒数で、アジアやアフリカからの兄弟姉妹が急増しています。
それが、日本のキリスト教会がいつも欧米を向いているので、「一緒にタイタニックにように沈まないでくれ。」という叫びはあります。
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数百年単位の種まき
私が今回、「沈黙」の映画鑑賞を通して、その時の切支丹弾圧の江戸幕府の体制が、今も日本人の心奥深くに入り込んでいることを否応なく感じました。しかし、絶対に失望したり、日本が特殊なのだと思ってはいけないと自戒しています。先ほどの統計、アフリカ大陸にプロテスタント信者の半数近くがいるという霊的大覚醒は、何もないところに起こったのではありません。日本と同じように、何百年も開墾してその後に起こった聖霊の働きなのだそうです。フェイスブック友達の方が、次のコメントを残されていました。
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・・宣教には農地開拓と同じように「開墾期」「種蒔期」「収穫期」があることを学びました。北アフリカのある地域で教会開拓した方が言ってましたが、その方が赴任した時は、たまたま宣教の収穫期だったということです。収穫が多かったのは、それ以前のクリスチャンらが命を懸けて数百年も開墾し種を撒いた結果だ、と。こういう視点が日本時代の私にはなかったな、と感じました。そう思うと、日本は実はまだまだ開墾期なのかな、と思う時があります。
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そう、「戦国時代と江戸時代から、日本は四百年も経ったのに、まだ結果が見えない」ではなく、「まだ四百年しか経っていない」という、超・長期的視野に立たなければいけないのです。まだ開墾期であるという見方は正しいかもしれません。四百年もではなく、四百年しかなのです。これが世界の福音宣教を見る時の視座であれば、我々日本も、同じ視座で開墾を続けていこうではありませんか!
「宗教改革五百年:福音宣教のパラダイムシフト」への1件のフィードバック