以前、「西洋につながらないアジア宣教」において、話させていただいたことの続きです。また、「宗教改革五百年:福音宣教のパラダイムシフト」でご紹介したように、今年は宗教改革五百周年ですが、今のプロテスタントの趨勢を見ますと、圧倒的に非西洋圏(アフリカ、アジア、中南米、中東の一部)においてキリスト者の急増、教会の発展を見ても、欧米圏は衰退していている中、神によって日本に置かれている我々キリスト者もまた、この趨勢の中にいることを知らないといけないと思いました。
そこで「距離を置きたいような神学論議」において紹介させていただいた、次の書物を改めてご紹介したいと思います。
私たちが手にしている聖書は、西洋の産物ではなく、今のイスラエルから発したものです。それがパウロ等の福音宣教によって、欧州の文化の中に伝えられていきました。既に、ギリシヤの時代にユダヤ人のギリシヤ化が行なわれ、アンティオコス・エピファネス王による迫害は有名です(ダニエル書8章と11章)。その後に、元来のヘブル人の信仰を伝統的に保持したユダヤ人と、ヘレニズム(ギリシヤ)化したユダヤ人へと別れて、言語的にも、文化、ユダヤ教の中でも大きく分かれました。ヘレニズム文化と思想を熟知していながら、元来のユダヤ教の伝統を身に付けていたパウロだからこそ、欧州への宣教のために用いられたと言えるでしょう。
キリスト教というのは、絶えず「ユダヤ人にはユダヤ人のように、ギリシヤ人にはギリシヤ人のように」とパウロが言ったように、福音をその伝えている文化や時代に適用して、伝えられ、定着していきました。今でこそ、カトリック教会などの聖画や像はプロテスタントの人間は偶像礼拝だと言いますが、当時は、全く言語が通じないゲルマン民族に布教する時の手段でありました。
そして、宣教史において米国において教会が大覚醒し、それに伴い多くの宣教師が我が国日本にも遣わされてきました。そして日本の福音主義の教会は、多かれ少なかれ、米国の宣教師からの影響を強く持っています。私の場合、直接、米国での聖書教育を受けましたし、そうでなくても宣教師の始めた教会や教団、神学校を出た人たちが今の日本の牧会していますので、米国の教会の影響を受けているといってよいでしょう。
それで、米国において一般庶民が福音を聞いてそれを悟り、信じていったその福音宣教の良き伝統と遺産があります。それはすばらしいことです。けれども、元を正せば、それは「米国に文脈化された福音」であることが多く、しかし普及させるのが米国文化は長けているので、日本の教会は、その恩恵と共に大きな課題を受け取りました。
「日本人の考え方のほうが、欧米人のより聖書に近い」
結論から申し上げますと、「聖書にあるヘブライ人の考え方、思考法は、西洋の考え方と対照的であり、非西欧である日本人はヘブライ的な考え方のほうに近い」ということであります。私たちは、信仰を持ちたいと思う時、求道する時、また信仰をもってキリスト者の生活を歩みたいと願う時に、実は、「自分が既に持っているもので、聖書と相通じる部分がある」ということを知っておくべき、ということです。
The Hebrew Mind vs The Western Mind
(ヘブル人の思考と西洋人の思考)
– 比較表 –
西洋の思考 | ヘブライ的思考 |
正確な分類化をして生活する | 全ては全てに重なり、曖昧である |
自然と超自然は明確に分けられる | 超自然が全てに影響を与える |
直線で考える論理 | 「固まり」で考える論理 |
荒々しい個人主義 | 仲間の一部であることの大切さ |
人の平等性 | 位置や地位にある価値 |
自由志向 | 安全志向 |
競争の美徳 | 競争は悪(協力のほうが良い) |
人間中心の世界観 | 神/部族/家族中心の世界観 |
金、物、力が人の尊厳の基 | 家族関係から尊厳が出ている |
生物学的な生命が神聖 | 社会生活が最も大切 |
偶然や因果関係で、物事が起こる | 神がご自分の宇宙で全てを起こしている |
科学の自然法則を理解・適用して、人間が自然を支配する | 神が全てを支配しているので、神との関係が物事を決定する |
他者への力は、仕事、政治、人間の組織で成し遂げられる | 他者への力は、神の定めた社会的な枠組みによる |
全て存在しているのは物質だ | 宇宙は力ある霊的存在に満ちている |
時間は直線的で、きちんと時系列にまとめられる。全てのことは新しく起こったこと。 | 循環また螺旋的な時間、似たような出来事は絶えず繰り返し起こっている。 |
歴史は客観的に、時系列的に事実を記録したものだ。 | 歴史は、詳細が客観的なものかどうかに関わらず、重要な真実を意味のある、記憶できるものに保持すること |
近未来を志向 | 歴史の教訓を志向 |
変化は良い=進歩している | 変化は悪い=伝統の破壊 |
宇宙が偶然で進化している | 宇宙は神に創造された |
科学技術によって宇宙は支配されている | 神が人に地上の被造物を管理させた。神に説明責任がある。 |
物は、人間の達成を量るものさし | 物は、神の祝福のものさし |
信仰は盲目的 | 信仰は知識に基づく |
時間は直線(この時点において・・) | 時間は内容で決定する(この日に主がこれをなさった・・) |
沢山のことを語れるのですが、とりあえず、上の記事にある表を大雑把に翻訳してみました。
私たちは西洋人の思考の教育を一杯に受けていますし、日本の社会がかなりグローバル化(つまり欧米化)していますから、その中で生きなければいけないという現実があります。けれども、自然に、素朴に感じていることには、実はヘブル人も同じように感じていた面があります。私たちが完全に異教的、非キリスト教的だと思っていたことが、実は「西洋的」であっても、聖書的とは限らなかったということが分かります。
このことが分かると、日本人にある物事の考え方の多くを「全否定してはいけない」事が分かります。神が造られた形が、残滓として多分に存在しており、聖書にある世界と連続性や類似性がかなりあることを発見します。私は聖書からの説教を、毎週用意しているのですが、もっと自然体で語ることが出来るようになりました。全く異質なものを教会の人々に押し付けているのではなく、既に働いておられる御霊を知っていただく、というアプローチを発見しています。仏式の葬儀やお墓についても、もっと大きな視野で取り組むこともできそうです。
西洋とヘブライ的思考の個々の違いについては、時間を見つけてご紹介できれば、と思います。
「日本宣教と「ヘブライ的思考」」への7件のフィードバック