この話題について、フェイスブックで書き連ねていったので、こちらに転載したいと思います(一部、編集します)。
ネタニヤフ首相の歓迎の言葉
エルサレム首都宣言についての、私の所感 その1
明日、日本時間で午前三時に、トランプ米大統領が、エルサレムをイスラエルの首都とし、大使館もエルサレムに移すということについて、大きなニュースになっていますね。うちにはテレビがないのですが、旅行先の旅館で、NHKのニュースを見ていました。ああ、こうやって反イスラエル的な流れを醸成しているんだなって思いました。ありきたりな、印象操作っていうところです。
今、騒いでいる人々に、まず知っていただきたいのは、米大統領が大使館をエルサレムに移動する、ということは、1995年から米国議会に提出、承認されていること。今に始まった話では全然ないです。→ エルサレム大使館法
これまで大統領の権限で、それを先送りしてきたけれども、今度は、その先送りの文書に署名しないという、消極的な方法を取るということです。なぜ大統領がそれに署名したかというと、外交や中東の安全保障の配慮からです。
しかし、今、イスラエルの地位と実力が相対的に向上しています。それは、イスラエルの敵性国家である周囲アラブ諸国が、全くパレスチナ問題どころではない、はるかに深刻だと捉えている問題があるからです。イスラム教シーア派のイランの台頭です。そして、その背後にロシアが付いています。そして地域大国として、かつてのオスマン朝の復興を目論むトルコがいます。そして、イスラム国の残党は未だに強い力を持っています。一気に、サウジを中心とするスンニ派のイスラム教の諸国は、イスラエルと利害関係が一致してしまったのです。
それだけの中東における地政学の、地殻大変動が起こっているのですから、それを機に、これまでの米国の親イスラエルの感情を、外交関係にも反映させようという政治的思惑が出て来ても、全く不思議ではありません。
しかし、当然ながら、東エルサレムの象徴的位置は、アラブ世界、そして世界的にイスラム世界においてかなり大きいことは確かです。しかし、今、テロを拡散させるだけの力を、過激派が持っているのか?ということです。パレスチナの大義で、アラブ世界、イスラム世界を動かせるのか?ということです。
私は、池内恵氏の分析に同意しています。
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10208802246292527
追記:BFPの立場と現状報告は一読に値します。
エルサレム首都宣言についての、私の所感 その2
聖書を信じている、キリスト者としての意見をここに書きます。
カナンの地は神のものであり、神がそれをユダヤ人に任せられたと信じています。そしてエルサレムは、神の選ばれたユダヤ人の都であり、神はこよなくこの都を愛しておられると信じています。
しかし、それが必ずしも、世俗国家の主権や帰属に直結するとは限らないと思います。むしろ、それを超えたところに神の主権があると信じています。ですので、米国がエルサレムをイスラエルの首都とするかどうか、なんていうことは、米国は神ではないのだから、「だから何?」という感じです。米国が認めようが認めまいが、エルサレムは神のものであり、当然不可分のものであり、贖われたユダヤ人がいつかそこに住み、異邦人も数多く集うところとして信じています。
それよりも問題は、今のユダヤ人とアラブ人が、本音ではどう思っているか?でありましょう。
新市街(西エルサレム)については、間違いなく誰しも、そこは現代イスラエルの都であり、実際に首都機能を全て備えている町として認められています。アラブ人も、このことは認めています。
しかし旧市街とその東(東エルサレム)は、アラブ人が大半です。旧市街には、ユダヤ人地区があり、そこに代々、ユダヤ教徒が住んでいます。しかし、その東はパレスチナ・アラブ人しか住んでいません。イスラエルが、六日戦争でそこを実質的に支配し、国内法においてもイスラエルのものとなっています。事実、エルサレムに旅行に行けば、ガイドの人に言われなければ、どこから東エルサレムなのかなんて、気づきません。
しかし、その土地に住んでいるアラブ人たちがおり、支配者は英国からイスラエル、すぐにヨルダン、そしてイスラエルと、お上がどんどん変わっているだけで、自分たちは何も変わっていないという意識がそこには横たわっています。
そして決定的なのは、イスラエルのユダヤ人が、「エルサレムは不可分の、永遠の都」と言いながら、実は、東エルサレムに住みたいとは思っていないことです。その代わりに、そこにいるパレスチナ・アラブ人は同等の市民権を持っているべきと考えていることです。「同等の権利を付与すべきだが、パレスチナ人が支配すべきではない」というのが、ユダヤ人側の本音。
そして、東エルサレムの住民、アラブ人側も、実はイスラエルの主権の中にいることを望んでいます。自分たちの職は、ほとんどイスラエル領内でのこと。生活のためには、パレスチナの主権に入るよりもイスラエルの主権に入っているほうが有利です。ましてや、同等の権利が与えらえれるなら、イスラエルにいるほうが優っています。しかし、アラブ人には「恐れの文化」があります。共同体の中に生きているので、口が裂けてもイスラエル側のほうにいたいとは言えない。
だから、実は現地では両者はまとまっています。第一に、東エルサレムはアラブ・パレスチナ人が皆、イスラエルの市民権を持ち、同等な権利を持つということ。第二に、そこはイスラエルの主権に入るということです。
これって、実は聖書的モデルなんですね。そこはイスラエルのものです、けれども在留異国人にはユダヤ人は正義と憐れみを示すということ。ところが、アラブ側とユダヤ側のプライドや面子、国際社会の無知があって、そこを分割しようとしている。ユダヤ人が贖われ、アラブ人も贖われ、そして私たちの主、メシヤが来られることによって、真の平和が来ると信じています。
追記:BFPが、本ブログでもしばしば引用している、ダニー・アヤロン氏によるビデオに日本語訳を付けました。
オリーブ山便りからの報道
いつもながら、石堂さんのイスラエルのニュースは冴えています。私もトランプ大統領の演説、またネタニヤフ首相のコメントも見ましたが、どちらも歴史的な位置付けを強調していました。その歴史的意義とタイミングの良さを上手に説明しておられます。あと、現地ならではの、内情もどんどん報道しておられます。
アメリカの決断:エルサレムはイスラエルの首都 2017.12.7
実は、パレスチナとの二国間交渉に任せているトランプ発言
だんだん、識者の間で、トランプ大統領の発言は、実はイスラエルの話している、「エルサレムは、不可分の永遠の都」ということを言及していない、パレスチナとの交渉の結果に任せる余地が残されている発表であったことが指摘されています。
【米国・イスラエル】イスラエルのエルサレムを支持しながら、トランプはアッバスの要求を排除しない
(イスラエルのオンライン紙”Times of Israel”から)
トランプ氏、エルサレムを首都に その影響は
(イギリスBBCによる解説)
エルサレム問題は何が「問題」なのか
(フォーサイト 池内恵氏の「中東の部屋」)
トランプ発言を”危うい”と懸念しているクリスチャンに対する説明
①トランプ大統領の前に、歴代の大統領は、1995年のエルサレム大使館法が米議会を通過してから、ずっとイスラエルの立場を支持する発言をしてきました。しかし、実際は大統領令で、それを6か月毎に延長する署名をしてきました。(オバマ氏も、はっきりと、トランプ氏以上に突っ込んで発言していました。)ですから、彼が何か特別なことを言ったわけではありません。
②米政府の前に、今年の4月、ロシアが西エルサレムをイスラエルの首都だと認知する発表をしました。トランプ大統領が聖書の預言にあるから、ということではなく、彼が発表で言ったように「事実上」、ずっとエルサレムはイスラエルの首都機能を果たしています。
③トランプ大統領は、イスラエルがいつも使っている「永遠の、不可分の都」という言葉を使っていません。つまり、双方の合意の中で、西エルサレムをイスラエルに、東エルサレムをパレスチナにという結論に至っても、関与しないという余地を持たせています。
トランプ政権にはいつも批判的なイギリスのBBCも、このことについては認めています。
私も、ここの解説者が言っているように、和平の仲介者としての米国の役割が、過去の大統領はできたのか?と言えば、状況は悪くなっていっていますから、それを考慮しないで批判をするのは、不公平だと思います。新しい考え方でアプローチしなければいけないという、トランプ大統領の発言には同意です。けれども、具体案を今回出したわけではない、というのは指摘すべきでしょう。
④そして聖書預言との関係ですが、まず、トランプ氏が聖書預言を信じているのか、また信じている保守的なキリスト者の影響を受けているのか?といえば、副大統領のペンス氏が福音派の信者ですから、可能性はゼロではありません。けれども、大方、トランプ氏のこれまでのやり方、つまり「実際的になる、現実を直視する」というアプローチなのだと思います。それだけ和平交渉は、どん詰まりになっていたのです。
⑤私は、聖書を信じる者として、強くエルサレムは歴史的にも、霊的にも、そして預言的にもそこは、イスラエルの首都であると信じています。しかし、それが世俗国家が決めることと必ずしも合致しないし、むしろ神の主権は世俗の国家を超えています。
ですから、今回のことであまり喜んでいません。むしろ、イスラエルでもない他国が、認めるか認めないかということで、大騒ぎしている世間のほうに驚いています。現地のエルサレム住民も、大方、歓迎ですが、もっと冷静ですし、反対意見も結構聞こえます。何よりも、これから起こるかもしれない騒動で緊張している状況です。
ロシアがエルサレムをイスラエルの首都だとした時に、なぜ大騒ぎしないのか?と私は思いました。みなさんは、いかがでしょうか?なぜトランプ大統領が言うと、間違っているといって、ロシアが言うと、大したことがないと思われるのですか?
いつも、マスコミではアメリカが取り上げられるのですが、聖書預言のことを言うならば、アメリカは聖書に出てきません。ロシアは思いっきりでてきます、しかも、イスラエルを侵略しようとする国として。そして事実、中東戦争で隠然行動を取り続けて、今もかなり大胆に介入していますから。
中東専門家による、「人知」による解決不可能発言
次の文章はよくまとめています。
ここには、エルサレムの歴史をダビデの時代から遡り、現代にまで至るまでを綴っています。そして、イスラエルとエルサレムに旅行に行ったものであれば耳にする「ステイタス・クオ」の言葉の意味が書かれています。そして、次の題名があっぱれでした。
「神殿の丘の「上」と「側面」の分割不可能性」
神殿の丘の上にイスラム教の岩のドームとアル・アクーサ寺院が、そしてその神殿の丘の擁壁こそが、ユダヤ教の聖地になっているということ。だから、しばしば分割とか、上手に話していますが、所詮無理なのだということです。例えるなら、稀に、頭部や体の一部が一体となって生まれる双子がいて分離手術をしますが、一部というより、ほとんど一つの体に二つの頭があって、その体を二等分するようなものと考えてよいでしょう。それゆえ、筆者は「人知では解決がほぼ不可能」と結論付けています。
イスラエル・パレスチナ問題の「唯一の解決策」とされる「二国家解決」は、神殿の丘の「上」と「側面」という分割や分配が不可能なものを分有しなければならないという、人知によってはまず解決不能と諦めてしまいたくなる課題を抱えている。この問題の解決の困難さから、トランプのエルサレム首都宣言は、つかの間だけ、目を背けるためのものと言えよう。
私は、次のようにツイートでコメントしたら、池内先生、いいね!を押してくださいました。
七回、嘆きの壁と神殿の丘に行ったことあるけれども、「神殿の丘の「上」と「側面」の分割不可能性」の説明はあっぱれ。「人知によってはまず解決不能と諦めてしまいたくなる課題」とまとめていますが、これもその通り。ただ、私は神を信じている人間なので、諦めなくて済んでいます。 https://t.co/0kQK4uiDdL
— Logos Ministries (@Kiyomasa70) 2017年12月8日
心からの呻きの投稿
最後に、次の投稿をご紹介します。今回のことで、喜びよりも、執り成しの気持ちが湧いてきました。このままだと危険だ、という思いです。
「シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために、黙りこまない。その義が朝日のように光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは。」(イザヤ62章1節)
エルサレムがイスラエルの首都であると、トランプ米大統領が認知したことで、フェイスブックのタイムラインには、私の友達は親イスラエルの人たちが多いので、それを大歓迎し、歓喜に満ちている投稿を多く見かけます。
けれども、独立戦争を中心に描いたノン・フィクション小説「おお!エルサレム」には、1947年11月、国連でパレスチナ分割決議案が通過した時、エルサレムの通りで歓喜に満ちて踊っている若者たちを横目で見ながら、非常に重苦しく立ち上がった人物がいました。初代首相、ベングリオンです。すでに、英国委任統治下のパレスチナではユダヤ人に対するアラブ人の暴動が長い事、続いていました。これまでにない、大いなる試練、これらのユダヤ人の若者が多く殺されるかもしれない戦いに突入する、その戦いの準備を彼は指導者として準備しなければならなかったからです。
私の心は、重い気持ちになっています。
それは、パレスチナ人やアラブ諸国が一斉にイスラエルを攻めて来ると思っているからではありません。そのような力は、パレスチナはもちろんのこと、周囲の国々にはないからです。そして、パレスチナに同情しているからではありません。正直、パレスチナ国家は現実的ではない、産業基盤も何も無く、イスラエルに過剰に依存している今、国として体裁さえも整えることはできないだろうと思っているからです。
そうではなく、エルサレムが、真実や憐れみではなく、「その形」だけが整えられてしまっているからです。
形は着実に進展しています。イスラエルは、これまでになく地位と力を持ってきました。アラブ諸国にはイスラエルと戦う力はありません。米国には、現実や本音を言える指導者が出て、その本音でイスラエルに付き合ってくれるようになりました。「大エルサレムの構想」も、右派の間で広がっています。そしてユダヤ教の中では、オスマン朝のイスラム勢力の名残がある神殿の丘の敷地に、ヘロデ神殿以後の第三神殿を建てる動きもあります。
着実に、ユダヤ人の町も整えられ、ユダヤ教の神殿も整えられつつあります。しかし、主が戻って来られる時のエルサレムはそのようなものではないのです。
「わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住もう。エルサレムは真実な町と呼ばれ、万軍の主は聖なる山と呼ばれよう。(ゼカリヤ8章3節)」
民の間に、主の真実と聖、そして正義や平和があってこそ、その主のご臨在があってこそのエルサレムであり、そのご臨在こそが、目に見えぬ最大の安全保障(2:3‐4)なのです。
ユダヤ人の間に真実があるでしょうか?正義があるでしょうか?憐れみは?国内の貧富の差は大きくなっていきます。社会問題、個人的問題は山積しています。「正しいさばきを行ない、互いに誠実を尽くし、あわれみ合え。やもめ、みなしご、在留異国人、貧しいものをしいたげるな。互いに心の中に悪をたくらむな。(ゼカリヤ7:10)」内実が伴わずに、形だけが先行し、前のめりになっていないでしょうか?
参考記事:イスラエルにとって本当に必要なもの
エゼキエル書36‐39章において、36章は土地の回復、37章は国の回復が書かれています。確かに、ユダヤ人の世界離散からの帰還、イスラエル建国は聖書預言の大いなる成就の一部でありました。しかし、そこがエゼキエルの預言の中心ではありません。それぞれの幻の終わりに、「御霊が注がれる」という言葉があるのです。御霊が注がれて、汚れが清められて、新たな心、肉の心を持って、主の命令に聞き従うようになって、それで初めて、「あなたがたは、わたしが主であることを知ろう」となります。
38‐39章は、まだ来ていないのです。
むしろ、これから大きな試練がユダヤ人に待っています。
「今は人の住むようになった廃墟や、国々から集められ、その国の中心に住み、家畜と財産を持っている民に向かって、あなた(マゴグの地のゴグ)の腕力をふるおうとする。」(エゼキエル38章12節)
着実に今、家畜や財産、そして物理的な平和が整えられつつあるイスラエルになっています。そこにゴグが、やってきます。他の勢力、ペルシヤやベテ・ドガルマやゴメル、クシュとプテ、軍隊がやって来ます。
そして最後は、ゼカリヤ書14章にあるように、エルサレムは、地上にすべての国々が集まって来て、攻め込んで来る「重い石」となると、主は言われるからです。そして、エルサレムが攻められる時に初めて、主が来られて、恵みと哀願の霊が注がれて、彼らの内に、罪と汚れがきよめられる泉が開かれる、つまり御霊によって新生します。彼らが、「自分たちが突き刺した者、わたし」(12:10)を見た時に、罪を嘆き、悔い改めます。
現実的なこととして、超大国アメリカの認知は世界における地歩固めのために、大きな前進となったでしょう。もしかしたら、かつての英国のバルフォア宣言にも近い、歴史的意義があるのかもしれません。しかし、異邦人の王が彼らに贖いを与えるのでしょうか?ペルシヤの王クロスによってエルサレムに帰還したユダヤ人はなおのこと、奴隷の身を嘆き、祈りを捧げていました(ネヘミヤ9章)。しかも、そのペルシヤは無くなりました。そしてギリシヤ時代に入り、ギリシヤ王による大試練を通りました。アメリカもいつか、無くなります。そして、その後に大きな試練が待っています。
アメリカが認知してくれることを喜ぶのではなく、メシヤに知られるようになることこそが、究極の喜びです。この「主は救い」である方しか、天下に救われるべき名は与えられていません。
「トランプ大統領の「エルサレムはイスラエルの首都」認知」への1件のフィードバック