本日は、イスラエルの建国70周年記念日です。1948年5月14日に、イスラエルが誕生しました。Happy 70th anniversary of Israel!
先日、下のリンク先にあるセミナーに参加しました。
イスラエル建国70周年を記念して、イスラエル唯一の日本人クリスチャン・ジャーナリスト石堂ゆみ師による特別セミナーを開催いたします。「ホロコーストと建国・日本・これから」と題して、ユダヤ人と神さまとの壮絶な関係、ユダヤ人の迫力ある生き残りと復活をイスラエルの歴史を通して学び、その時日本がどのように関わってきたのかを振り返ります。この春、ホロコースト記念館公認ガイド試験に合格された石堂師ならではの貴重な学びです。ぜひお越しください。
セミナー内容(変更の可能性もあります)
セッション1 聖書終了から近代:ホロコースト
セッション2 イスラエル建国の道のり
セッション3 建国から今:イスラエル・世界時事情勢と終末
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ということでしたが、本当に多くのことを学び、キリスト者としての姿勢を点検する時となりました。古来から始まり、ホロコーストで頂点に達した反ユダヤ主義を説明する内容は、濃厚でした。参加者に配布された冊子は、日本も含めたイスラエル、中東を中心とする世界史の年表で、あまりにも内容がいっぱいで凝縮されており、その小さな文字を凝視しても見えず、自分が老眼が始まっていることを実感してしまった次第です。(汗)
ちなみに石堂さんの、ジャーナリストとしての主な発信源は次のサイトです。
「オリーブ山便り」
http://mtolive.blog.fc2.com/
http://mtolive.net/
このセミナーの様子は、CGNTVが後日、インターネット配信をしてくださるようで、7月までにはアップするようにするとのこと。
苦しみへの正しい対応
私がずっと思っていたのは、ユダヤ人の選びと召しの確かさです。彼らにとって神は苦しみの中にいるかいないか、という選択など微塵たりともなく、その苦しみの中でどのようにして神の律法を守るか?ということ。そしてゲットーの中でも劇団を作ってしまうなど、肉体の生存だけでなく、精神的、文化的にも生きる力を維持していました。(「ゲットーでの生活」「ゲットーの文化」)
そして、ホロコーストが終わり解放されますが、自分の住居は全て財産が没収されているし、余波が残っているので危害が加えられるかもしれません。それで難民化した大勢のユダヤ人を、いろいろな機関が難民キャンプを作り保護しました。それをDP(displaced persons)キャンプと呼びます。(「ホロコーストの余波」)
その後、相手を恨まず、一日にしてふっきれて前に向かう姿には驚きました。つい最近まで死体が群がっていた、強制収容所を更地にして、その上に難民キャンプを造ったところもあるとのこと。そして、彼らはまたたく間に文化的、精神的生活を開始し、そこでの出生率はとんでもなく高く、それまで骸骨のように痩せていた人々だと思えないと思いました。自分は苦しみに会うと、じくじく考え、恨みさえ抱きかねない誘惑を受けるのに、本当にみみっちい心だなと大きく反省しました。これだけ大きな苦難が何度も波のように押し寄せると、もはやこの苦しみは人間がもたらしたものということを飛び越えてしまって、その中でいかに生きるのかという忍従へと変えられることが分かりました。
キリスト者は、こうしたイスラエルに対する選びと召命を、キリストにあっておこぼれを頂いた者です。ですから、自分がキリスト者として苦しみを耐え忍ぶ、神の召しと選びの力がどういうものかを、深く反省できました。創造主を信じているとしても、「都合が悪ければ、そんなの捨てるよ」というあさましい考えは、実に偶像礼拝的な発想だと気づきます。
「彼らは、福音に関して言えば、あなたがたのゆえに、神に敵対しているものですが、選びに関して言えば、父祖たちのゆえに、神に愛されているものです。神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。」(ローマ11:28‐20)
反ユダヤ主義は、古来から受け継がれてしまったDNA
あと、反ユダヤ主義は、ローマ帝国によってキリスト教が公認された前後から既に始まっていたことで、日本では古墳時代にもなっているかな?そのようなことからあったので、それはヨーロッパのDNAのようになってしまっているので、根深いということも学びました。今、ヨーロッパで反ユダヤ主義が再燃しています。それから、中世のころまでは神学的反ユダヤ主義だったところが、人種的反ユダヤ主義(つまり、キリストを拒絶したから呪われた民ではなく、ただユダヤ人という人種だという理由で差別、迫害を受ける)に発展したことなど、です。
私は、反ユダヤ主義について、ホロコーストについて学べば学ぶほど、人間の社会現象のどれにも当てはまらない、それこそ「神の所在」を明らかにする、神からの大きな教材なのだと感じています。