※以下は、主に既に牧師の方に対して、サポートする目的で分かち合わせていただく記事です。信徒の方も、牧師をサポートするには、どういう視点があればよいのかに関心があれば、読んでみてください。参考情報にしていただければ幸いです。
牧師のメンタルヘルス 牧師が”壊れる前”に信徒ができること信徒がかかわる「牧師のメンタルヘルス」
牧師のあり方を手軽にネットやリアルな場で論じたり、批判するようになってから久しいです。また、最近では、従来の牧師が立てられた教会ではなく、信徒中心の教会形成の話までが出てきています。私は、そういった流れの中に、とても大事な点が置き去りにされてしまっているのではないか?と感じています。上の記事は、その大事な点をしっかりと押さえているので、ぜひおすすめです。
一見”強い者”に対する依存
「1.信徒の自由と責任が増す時代」にあるように、確かに自由に思考することのできる時代になったと思いますが、自由があるということは責任が伴います。ますます、人との触れ合いが希薄になっている時代、人間関係を上手に持つことのできない人々が多くなっている中で、もしそのままこの流れで進んでいったら、信徒中心の教会形成どころか、孤立した個々人の最小単位にまで分裂してしまうと思いますし、事実、そうなってしまっている人々が多く出てきています。
こちらに、リンク先の同内容の記事に対する、水谷潔氏によるブログ記事があります。
依存的になりがちな現代人です。どうしても「牧師が信徒に果たすべき責任や配慮」ばかりが肥大し、「信徒が牧師対して果たすべき責任と配慮」が顧みられないのは残念です。
無意識の中に、心のどこかで、普通の人たちには期待しないようなことを期待して、「牧師や牧師夫人には何をやってもよい」という例外的な項目を設けてはいないでしょうか?ちょっと冷静になり、「こんなことを、一般の人にしたらどうなるか?」ということ、やっていけないことをやっていることがないか、期待していないか?を考え直す時間を取られたらよいと思います。
教会は、イエス様を礼拝するために来るところです。牧師はイエス様を礼拝するのを手助けする人であり、それ以上でもそれ以下でもありません。その役割を、しっかりと覚えていてほしいと願います。
牧者たちの対等な付き合い
最初のリンク記事に書かれている内容は、牧者間ではよく知られた話です。けれども、あまり知られていないのは、牧者の立場として、ネットや公の場ではなかなか出せるものではないからです。しかし本当に、牧師は「壊れます」。そして信徒が、牧師がおかしいということを言っているのは、それがたとえ正しいことを言っていたとしても、「なんでそうなっちゃうの?」ということを議論しないと、状況は、全然助けになるどころか悪化していくと思います。
この問題については、「同じ牧者の友達を作る」ということが、これが一番大事な要素の一つと感じています。信者の方も、言いずらいことを言うことは辛いという気持ちもあるでしょう、しかし、サポートしたいというお気持ちもあるでしょう。でも、それは「牧者 対 信徒」ではなくて、実は「牧者 対 牧者」の関係の中に改善の鍵があるということを知れば、信者の方々も個人的に受けとめなくても良いと思えて、気持ちが楽になれるのではないでしょうか?