今、トルコ旅行を今年4月に控え、さらに来年3月には、「トルコ・イスラエル旅行」を主催することも控えているので、急ピッチでローマ時代と初代教会の姿を追っています。その中で、どこかで目にした本を図書館で借りてみました。
「キリスト教とローマ帝国 小さなメシア運動が帝国に広がった理由」ロドニー・スターク著 新教出版社
(本書の要約をした記事)
初代教会がローマ社会の中でどのように拡大していったのかを、活き活きと浮かび上がらせていると思います。宗教社会学者ということで、信仰の目で見るのとは違い、社会現象の中で分析しているので、興味を全くそそらない部分もありました。けれども、大方、興味深い点を提供してくれました。
トルコ旅行と古代教会
クリスチャン新聞で、「古代教会に学ぶ異教社会のキリスト教」という題名で、神戸改革派神学校の吉田隆校長が連載記事を書いておられて、何度となくスターク氏の著書に依拠しながら語ってくださっていたので、それも理解に助けになりました。実は、この記事連載が、私に初代教会を調べてみたい強い動機となりました。
私も感じていたことで、2018年4月のトルコ・ギリシア旅行において、キリスト教公認以前の、ローマ社会の古代教会は、本当に今の日本、その都市に住むキリスト者たちの状況と似ているからです。新約聖書に出て来る数多くの小アジアやヨーロッパの町々は、ローマ社会の中で有数の大都市でありました。文明が発達していると同時に、都市化の問題が立ち込めていました。そしてローマは、ギリシア・ローマ神話に基づく異教、そして皇帝崇拝が生活の中で密着しているため、キリスト者はイエスが主であるという告白を固持するために、多大な犠牲を払っていました。彼らは多数派ではなく、少数派だったのです。日本の都市に住むキリスト者が、大いに学び取ることができます。
ローマ社会の問題の中で光る教会
本書では、初めに、統計学を使ってキリスト教の300年間を、持続的な成長の過程として見ています。その成長率は10年でおよそ1.4倍、それほど無茶苦茶な成長ではありません。けれども、350年頃には帝国全体の6割を占めるようになります。
ローマは帝国になり、パクス・ロマーナ(ローマの平和)が保たれていました。したがって、福音を語るのに適切な状況でした。戦争が起こっては、そこに福音が入るのは難しいです。しばしば、帝国主義を全くの悪として見ますが、実は日本が朝鮮統治時代、また中国に侵出していた時代は、日中韓の三国は、今よりも自由なキリスト者の往来が交流がありました。ローマは、「すべての道はローマに通ず」という街道が整備されていましたが、そういった均質な社会で人々が伝道に行くのを大いに助けたのです。
それから、ギリシア語が公用語になっていたおかげで、より広範囲に福音を広げることができましたが、今でいうならば英語でしょう。特に、ギリシア語を話すユダヤ人は、ギリシア文化や思想を持っていたので、彼らが、イエスが、ユダヤ人だけではなくギリシア人にとっても救い主であるという教えを受け入れ、異邦人でも、これまたユダヤ教の神を敬っている「神を畏れる人々」が信仰に至るようになります。
本書では、ローマ時代に度々起こった、「疫病」がキリスト教が広まる大きな機会になったと論じています。その災禍において、多神教は全く解答を持っていませんでした。病人は伝染することを恐れ、避けるのみでした。しかし、キリスト教徒は果敢に病人を愛をもって面倒を見て、自らも感染して死んでも、それでも看病したというのです。それに異教徒であっても、心打たれないことはなかったでしょう。また必死の看病で、根本治療にはならないものの、それでも死亡率がキリスト教徒の中や、その周辺では減っていたそうです。
そして、女性信者の役割を取り上げています。著者のスターク氏は、共同体における人々との関係において、それが自分自身も信仰を持つ大きな動機になる点を取り上げています。女性の場合は、未信者の夫が最終的にキリスト者になることがあった、ということを取り上げています。
そして古代のギリシア・ローマにおける男尊女卑と間引き・中絶の姿はおぞましいものがあります。赤子を殺すことは合法であり、むしろ奨励されていました。文字通り、下水溝に捨てて、遺跡で骨で詰まっているのが見つかったなど、トンデモでした。けれどもキリスト教は、一切、中絶を禁じました。さらに、結婚している者以外の性交渉も禁じました。そのために、出生率があがり、キリスト者も増えて行ったということです。そして女性自身が、そのように人間以下扱いされているところで、教会では尊厳が認められているので、それも魅力的なものであったことを挙げています。
そして、キリスト教と言えば、貧しい者、弱者のものの宗教というイメージを修正されています。地位の高い人、比較的裕福な人たちもいました。むしろ、そういう人たちがいて、それで地位の低い人や貧しい人たちもいて、すべてが一つになって主を礼拝していたというのが特徴です。貧困層のための運動であれば、ローマが徹底弾圧をしていたかもしれません。
そして、キリスト教はローマの大都市で普及します。アンティオキアの場合を取り上げています。(これが興味深々でした、今年4月の旅ではアンティオキアから旅するからです!)ローマの都市は、その一見した華やかさとは裏腹に、面積が狭く、人口密度がとんでもなく高かったそうです。非常に不衛生で、火事、地震、外部からの襲撃も多く、困難な状況がありました。そのような不安定なところに、家々で礼拝を守っていた教会の存在は、救いとなりました。
また、殉教というものを合理的選択としてスターク氏は取り上げています。これはキリスト教会が迫害されてきた歴史を辿ればおのずと分かることで、その高尚な目的のために犠牲を払って死ぬ姿が光栄なのであって、異教徒の心にも深く刻まれていきます。それだけ信仰が本物であることを示すことができました。
アンティオキアのイグナティオスが、エフェソスやペルガモンを回って信徒たちに手紙を書き、そしてローマに向って殉教しましたし、スミルナのポリュカルポスも栄誉ある殉教を自ら選んだ姿も紹介しています。(アンティオキア、エペソ、ペルガモン、スミルナ・・と、トルコ旅行で訪れる町々が続出します!)日本では、二十六聖人の殉教がさらに信者を増やしたのと似ているでしょう。
そして、競合する宗教が、あまりにも多元主義化した多神教、ローマの神々が多くなりすぎて、食傷気味、心を落ち着けるものではなかったことも言及しています。また多神教はお金がかかりすぎ、民衆への敬意があまりにもないことも挙げています。しかし、キリスト教は初めから共同体に近く、帰属意識を与えることができ、それが成長の力となったと言っています。
最後に、キリスト教の中心教義が、人々をひきつけ、自由にし、社会に効果的に貢献したとのことです。競技場では、人が動物で喰い殺されるのを見るのが娯楽になっていたのですから、そんなの人間ではない!と思います。そこで、教会で教えられていることは人間性の回復でした。その回復こそが救いでありました。
このようなローマ社会の弱体化と疲弊化が、キリスト教の勝利へとつながっていったことを述べています。
こうやってみますと、日本社会にも当てはまると思います。社会が疲弊しています。既存の宗教、特に葬儀仏教が機能しなくなってきました。社会が孤立して、孤独死が急増。引きこもりも多いです。そして、閉塞的な状況、競争で疲れている人、男性が忙しすぎるなど、いろいろな「疲れ」が出ています。けれども、私たちが普通に礼拝し、信仰を持ち、そして愛をもって福音を伝えているその共同体自体が、そうした荒んだ社会の中で「救い」となっています。
キリスト教会が教会として塩気を持っていれば・・
吉田隆氏が、連載記事の中でこのように書いていて、本書のまとめになっているような気がします。(記事)
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以上、7つの要因は、必ずしも成長を積極的に推進するような内容ではないかもしれません。しかし、いずれも古代ローマ社会において教会が実にユニークな存在であったことを示すものばかりです。命が軽んじられ、女性たちがおとしめられ、様々な差別構造が支配している社会において、一人一人を大切にする教会は特異な存在でした。結果として、教会に人が集まり、保護され、キリスト者人口が高い率を占めるようになった。このようにスタークは説明するのです。
決して何か驚くような宣伝をしたからでも、特別な秘訣や方策を持っていたからでもない。彼らが確信していた信仰による価値観に基づいた共同体——イエス・キリストの福音に基づく共同体——に自分の家族や友人や近所の人たちを招き、一人一人を大切にする堅固な共同体を築いていった。10年に1・4倍というスピードで、ゆっくりと成長を続けていった。それが、古代教会の驚異的成長の理由なのでした。
ハルナックという歴史学者は、こうも言っています。「我々が問わねばならないことは〝いかにキリスト教が多くのギリシア人・ローマ人を獲得して数の上で最強の宗教になったか〟ではなく、〝いかに自らを表現することで、キリスト教が必然的に世のための宗教になり、他宗教に代わって人々を磁石のように引き付けるに至ったか〟ということである」と。
つまり、私たちが古代教会から学ぶべきことは、どうすればこんなふうに成長できるのかという、教会成長の秘訣やノウハウではなく、彼らがどのように世に対してキリスト教信仰を表し、「世のための宗教」となり、またそうあり続けることができたのか。初期のキリスト者たちが持っていた信仰とはどのようなものであったのか、彼らが形成しようとしていた教会とはどのような教会であったのか、それを私たちは問わなくてはならないということです。その信仰姿勢と教会形成の在り方にこそ「必然的に」世界の宗教となり得る要素があったのだと言うのです。
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