※ この頃は、フェイスブックでの投稿が多くなっていて、ブログでは少なっています。けれども、そこで書いたもので他の方々にも分かち合いたいものを、掲載していこうと思います。
テルアビブにあるメシアニック・ジューの集会(教会)の指導者、ロン・カンターさんが、一般の報道局であるi24newsにて、なんとメシアニック・ジューのことについて、インタビューを受けています。すごいことですね、画期的です。インタビューをしている方も、素朴な疑問を投げかけてくださっているので、ロンさんも、明快に答えることができたのではないかと思います。
メシアニック・ジューについて、どれだけユダヤ人で、どれだけクリスチャンなのですか? ⇒ どちらもです。イエスご自身も、使徒たちもユダヤ人でした。約束のメシアがイエスなのだということを、弟子たちは知ったのです。
メシアニック・ジューは、イスラエルの中で受け入れられていませんが、いかがですか? ⇒ 時に困難がありますが、特にテルアビブではありません。エルサレムの正統派ユダヤ教徒の多い中では状況は違いますが、けれども、私たちは自分たちを列記としたイスラエル人、ユダヤ人と考えており、息子、娘はIDFに行っていますし、シオニズムを支持、イスラエルを愛しています。
安息日、食物規定、祭りは守りますか? ⇒ はい、しっかり守ります。意味合いが変わり、イエスのなされたことを思い起こします。
過越の祭りは? ⇒ まさにキリストが死んで甦られたのは、その時季でありました。聖餐式は、過越の食事でした。
イースターやクリスマスは祝いますか? ⇒ 初期のキリスト者はイースターではなく、過越の祭りを祝っていました。コンスタンチヌスがローマ皇帝になって、過越の祭りを四世紀に非合法化したのです。そして、これらの祝いを私はしませんが、異文化を背景に持っている配偶者を持っているご夫婦の中には、います。
両親は? ⇒ イエスを信じた時、発達障害の症状だと思ったそうです。けれども、私がユダヤ人として生きていたのを見たので、クリスチャンがユダヤを隠れ蓑にしているのでなく、真正なユダヤ人だと見てくれました。
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以上ですが、イスラエルでは、信仰を保つのが大変だと思います。
アメリカでは少し事情が違います。私は、アメリカのユダヤ人信者とはたくさんの知り合いがいて、彼らの証しは聞いてきました。その信じている人の数は、おそらくキリスト教が公認されて四世紀、ユダヤ人が排除されて以降、最も多い人数になっているのではないでしょうか?
Ground-breaking study reveals 871,000 Jewish believers in Jesus in the U.S.
・87万1千人の福音的信仰を持つ米国人は、(過去の推定より三倍になっている。)片親あるいは祖父母のどちらかにユダヤ人がいる。
在米のユダヤ系アメリカ人は、600万人ぐらいいると言われていますが、つまり10㌫以上が、福音的信仰を持っているということなのです!まるで、無神論を掲げる政府の国、中国で、キリスト者が全体の人口の10㌫ぐらいいるのと似ているような驚異的出来事です!
そしてこちらの記事には、イエスに従うユダヤ人の一人、ジョエル・ローゼンバーグさんが信仰に至った証しをしているのですが、ここには、「世界で大体100万人のユダヤ人信者がいる」と書いてあります。世界におけるユダヤ人が1400万人程度いると思われますが、驚異的な数字です。
「ユダヤ人であれば非クリスチャンで、クリスチャンであれば非ユダヤ人」というのは、長く信じられてきた公式ですが、それが成り立たなくなってきているのが現状でしょう。
明石清正先生に質問があります、私は受洗はしたものの三位一体が全く分かりません。ですがイエス様を救い主であることは信じております。下の明石先生の記述で三位一体について少しだけ分かった気がするのですが、まだはっきりとは分かりません。
https://www.logos-ministries.org/blog/?p=6002
しかし、もし神が人格神であれば、人格というのは対人があってこそ存在するのであり(例えば、愛する他の人格がなくて、どうやって慈悲深いと言えるのでしょうか)、神ご自身の中に複数の人格がなければ、真実な意味で成り立たないのです。
以上が明石清正先生からの引用です。中田考氏は作品社のナーブルスィーの神秘哲学集成の監訳で神以外に存在するものはないと書いてあります。神は人格神であり、遍在する神でもあるといったところでしょうか。しかし、結局はイスラーム法に従うところにこそ救いがあるといった主張なのかなと思います。
個人的にはイエスが人間の体として受肉したところにキリスト教の極意があると思っているのですが、もしよろしければお答え頂ければと思います。
返事が遅れてすみません。
三位一体についてですが、そうですね、仰っている「神が肉を取られた」という受肉と同様に、神の領域にあるもので、神秘的なものであり、理解ができるものではないと思います。むしろ、「神の啓示」としてそのまま受けとめることなのだと思います。
それを捉えようとして、いろいろな試みがなされていますが、十分であるとは言えないでしょう。私はこうした理解を持っています。
神(父なる神)は、当然、神である。
子なるキリストは、聖書によれば、神である。
聖霊も、神である。
そして、「神は唯一」である。
このような単純なことだと思います。ある人は、「1+1+1=3」ではなくて、「1×1×1=1」と説明しました。もちろん、これも完全な説明ではないです。
「「”牧師・教役者対象”トルコ研修旅行(2019年)」を終えて」で少し言及しましたが、人が神を把握しようと試みるのが、ヘレニズム的で、神が我々に啓示することを受け入れるのがヘブライ的と言われます。この後者の領域ではないか?と思います。
お忙しい中お返事ありがとうございます。
明石清正先生のような専門家の方でも解釈が難しい教義があるのですね、それでは一信徒に過ぎない私が理解出来ないのも仕方がないですね。
それでも聖書の言葉には、人の傷を癒やしてくれる力があることは実感出来るので自分なりにキリスト教と向き合っていきたいと思います。
また機会があれば質問させて頂きたいと思っております、丁寧に答えて頂きありがとうございます。明石清正先生のゴールデンウィークが実りの多い時間になるように祈りながら筆を置きたいと思います。