ブログ「「史跡・都市を巡る トルコの歴史」」の続きです。
先日、この映画を妻と共に見ました。
「海難1890」
トルコが親日である理由
なぜ、トルコが親日なのか?その理由は、「エルトゥールル号遭難事件」にあると言われます。
そして、その恩返しがなんと95年後に、トルコ人が日本人に行ったのです。イラン・イラク戦争で、テヘラン在住の日本人が、自国の航空機も、自衛隊の航空機も出してもらえない中、なんと、トルコがトルコ航空の救援機を日本人のために送り、トルコ人たちは陸路で自国に避難させた、ということで、その動機が、エルトュール号遭難事件だったのです。
その他、驚くべきことがあります。「山田寅次郎」の存在です。
https://youtu.be/UXa3JZQKMq0
彼は義捐金を集めて、なんと自らトルコに持っていきます。そして皇帝から留まるように頼まれ、彼は日本語や日本について、陸海軍の士官に教えるようになります。その中に、後にトルコ共和国を造る父となった、ムスタファ・ケマル・アタテュルクもいたのです。
トルコと日本、どちらも欧米列強によって押しつぶされそうになっていた時に、むしろ欧米から技術や制度を採り入れる近代化によって独立を保った歴史を持っていて、親和性がめちゃくちゃ、あります。事実、彼らは明治維新から近代化について学んだと言われます。
エルトュルール事件も山田寅次郎のことも、トルコでは教科書に載っているほどだとか。日本はそこまで、教えられていませんね。
親日トルコの歴史(オスマン帝国)を学ぼう!建国の父・アタテュルクに注目だ
2020年3月の聖地旅行では、トルコではガイドのディレクさんに、日本とトルコの関係も話してください、とお頼みしています。
その他のトルコと日本の親和性
その他、私たちはトルコが、とても日本人が行っても安心できる国だと感じました。一つはその人柄がとても優しいこと、気遣いがあります。ヨーロッパでもなく、中東でもなく、やはり「極西のアジア」なのではないか?と思ったことです。
イスラム教はスンニ派なのですが、彼らが中央アジアから来た人々であるということからか、コーランの字句に囚われない精神的、神秘主義的なスーフィー派の影響を受けていることです。聖書のイコニウムは、後にコンヤという町で、スーフィー派が発達するのですが、ガイドのディレクさんもシーフィー派の影響を受け、トルコ人は女性も覆いをすることは少なく、一日の祈りは五回のはずが行わず、金曜日にモスクに行く程度なのだそうです。
オスマン帝国にて、庇護民でありながら、キリスト教徒やユダヤ人が十分に生存できたところからも、良い意味での「いい加減さ」があるように感じました。
そして、言語が日本語に親和性があります。トルコ語も日本語も、「アルタイ諸語」に分類されて、その他、モンゴル語や朝鮮語もそうだし、確かハンガリー語とも同じ特徴を持ちます。2019年4月の旅では、国内線なのにトルコ航空の客室乗務員のお姉さんが、しっかりと私たち夫婦に、日本語で説明をしてくださっていたり、いろんなところで日本人のために日本語の基本を習得している人に出会いましたが、とても上手です。またトルコ人からは、日本人がトルコ語を習うと、発音がきれいだとか、習得が早いのだそうです。
そしてトルコ料理は、日本人だけでなく、万人受けしますが、でも、とにかく美味しかったです。パンが病みつきになりそうですが、ちょうど日本でラーメン屋が競い合って味比べをしておいしくなっているように、美味しさを競っている面があるという話を聞いたことがあります。
2020年3月の「イスラエル・トルコ旅行」を企画しています、ぜひご検討ください!
「「海難1870」から知る、日本とのつながり」への1件のフィードバック