一週間後に、参院選の投票期日になりますが、民主主義の国に生きているキリスト者は、選挙に関わることによって、ローマ13章やペテロ第一2章が教えている、「人間の制度に従う」ことができると思います。どの党やどの候補者に投票したらよいかということについては、教会として、一切、言うべきではないと思っています。(関連記事:「教会は政府ではない」)
LGBTの法的権利
しかし、各党がどのような方針を持っているかについて、キリスト者の信条に抵触するような方向性や法案を持っているかどうかは、確かめるべきでしょう。「LGBTの法的な権利を与えるのか」という質問に対して新聞記者が各党首に挙手させています。挙手しなかったのは、自公の与党のみでした。
今の日本の政治状況はこうなってしまっています。アメリカでも、10数年前は、民主党でさえ同性婚は論外でした。そして日本国憲法でも、結婚は両性の合意によって成り立つことを明言しており、男女の結婚しか眼中にありませんでした。野党はみな改憲勢力なんですね、実は。そして、この論点については、与党が護憲なのです。
同性愛者には当然、国民・市民としての権利が同等にあります。けれども、結婚をするという前提なのが、LGBT運動の基なのです。そして、日本は西洋とは異なり、歴史的に長いこと同性愛者を文化の中で許容しています。ただ、「結婚」とは人間の歴史が始まって以来の制度であり、契約です。同性愛者の結びつきを「結婚」とは呼ばないのです。これを、キリスト教圏の中で既存の秩序からの解放、反キリスト教運動として、西欧では、同性愛行為を、近代国家の「権利」や「契約」の中に恣意的に組み込んだのです。
これは恐ろしい、文化帝国主義です。今は軍隊によって他国を侵略する帝国主義の時代ではありませんが、文化として既存のものを破壊せしめる、歪んだ「自由や平等、人権思想」が世界を凌駕しています。世では常に「最も美しく見えるもの」が、実は「偽りの父が最も強く働いている領域」と言えるのです。
興味深いことに、同じキリスト教でも西方教会ではなく、東方教会の影響の強い、東欧やロシアでは、そしてもちろん中東の東方教会でも、根強い同性愛への抵抗があります。同性愛を認めないことは非寛容だと思われたら、そういった地域にいかれて見るといいでしょう。どちらが正常であるか、確かめて見ることができると思います。
Most Central and Eastern Europeans oppose same-sex marriage, while most Western Europeans favor it. And this East-West gap is large even among young people. https://t.co/EQtjJugB7O #strikingfindings pic.twitter.com/BusPWPnKXm
— Pew Research Center (@pewresearch) 2018年12月15日
こう言った大きな潮流が、世界で起こっています。世の終わりの徴と言っても良いでしょう。アジアでも同性婚を合法化した隣国、台湾があります。韓国でもそういった動きは強くあります。教会の中でさえ割れています。
欧米でも、米国には良い意味の反知性主義があります。知的、進歩的と呼ばれるものに対する徹底的な不信があります。福音派のクリスチャンが、どうして、言動に問題を感じていたにもかかわらず、トランプ大統領候補に多く投票したか、ご理解できるかと思います。単に「宗教右派」と片づけられない問題なのです。
民主主義における苦渋の選択
各政党のマニフェストの比較がこちらにあります。
参院選2019の各政党の公約を一覧で比較!政策・マニフェストから投票先を選ぼう|第25回参議院選挙 政党公約比較表
キリスト者としてどのように投票すればよいのか?幸いなことに、クリスチャンで現役の政治記者の方がこのことに関してブログ記事を書いています。
記事の内容を読むと、民主主義の国のジレンマがあります。どの政党にも、反キリスト教的な要素があります。クリスチャンとして満足できる政党があったとしたら、それはイエス様が再臨して神の国が建てられない限り、ないですね。米国の福音派の人たちがが、オバマ大統領候補に入れるのか、それとも、モルモン教徒の共和党候補に入れるのか、みたいな選択もしなければいけませんでした。
そもそも、民主主義の価値観が聖書のそれと、必ずしも合致しません。
当時、新約聖書が書かれた時のローマ帝政は、今の民主主義とは相異なり、似てるとすれば中国みたいな法体制の整えられているけれども、独裁的で、人権もないようなところだったと思います。なので、民主主義の政体の中に生きる指針というのは、むしろそういった独裁的な国々に生きるクリスチャンよりも、悩んでいきないといけないかもしれない、と思っています。