次のご紹介したい本はこれです。
「何を予期すべきか?」(ミス・フィウェル編集 美濃ミッション出版)
これは、美濃ミッションという、戦前に米国からのワイドナー女史が開拓し、起こされた教会のグループが受けた迫害の記録です。リンク先を見ていただければ簡略とpdfファイルがあるので、クリックしてみてください。「美濃ミッション事件」という日本全体を巻き込む、神社参拝拒否の記録です。
これはもともと”What to Expect”という題名で英文で発表されたものです。
この小冊子を読む度に、自分の魂が揺り動かされます。非常に短い文章の中に、数多く学べる所があるからです。
1)信仰の純粋性
現在、日本の国家主義化についての問題を教会内で聞くとしたら、いわゆる主流派からのものです。天皇制であるとか、日の丸・君が代問題、靖国参拝など、日本基督教会などの教団から出たものです。
けれども、この小冊子を読みますと、迫害されていた団体や個人はほとんど、今でいう「根本主義(ファンダメンタリズム)」「聖書主義」の範疇に入る人たちばかりです。美濃ミッションの子弟は、キリストの地上再臨、そして教会の携挙を堅く信じています。神学的には、千年王国前の再臨、大患難前携挙を信じています。牧師らが逮捕・投獄されたホーリネス教団も同じ立場です。個人でプリマス・ブレザレンの医師も投獄されましたが、その団体も聖書主義です。
迫害に耐え、信仰を保ち続けることのできた人たちは、皆、聖書の言葉を文字通り信じ、主イエスの再来、地上の神の国に強い待望を抱いていたのです。
表向き「神社参拝」の問題を取り上げているのですが、現在と当時ではその意図に大きな差があるのです。
この冊子の最後のところに、取調べを受けている美濃ミッションのある母親の記録が載っています。彼女は文字を読むことのできない料理人だったようです。にも関わらず、静かに、取調官の脅しに弁明し、明確に信仰の表明をしています。
刑事:「手前は参拝したらどうなるか。」
大井:「神様に罪を犯します」(永遠の滅亡と御再臨について話す)
刑事:「(嘲笑的態度にて)へえ、とんだ事になるな、それは本当か。」
大井:「私は信じます、キリスト様御再臨の時、信者は天に携え挙げられ、そのあと大患難の時代になります。」
(注:漢字は今のものに直しました)
ここで非常に驚くのは、一般の信徒の人が、しかも文字が読めないという人が、ここまで明確に、筋道立てて、警察権力の前で信仰表明が出来ていることです。
今の日本であれば、また世界の教会の今の流れであれば、主の再臨は「終末論」という小難しい神学議論、神学論争の中で埋没し、どこかの遠い話になってしまいます。一般の信仰者たちが生活の拠り所とするなど、程遠い話です。
さらに教役者らの間でさえ、聖書を純粋に信じる信仰から離れ、今の流れに合わせて行こうと言う動きが、日本だけでなく世界中で見られます。
私がこの前米国を訪問した時、恒例の聖書預言の学び会を行ない、また、ある人から教会の中の聖書の学びに招かれました。けれどもそのことを知ったその教会にいる韓国の宣教師夫婦が、私たちの聖書預言学び会に立ち入り、私に神学的試問(?)を行い、さらにはもう一つの教会の中での学びを中止させ、仕方がなく他の場所に移して行なった家庭集会の中にまで入ってきて、私を危険なカルト的教師であることを延々と語りました。
びっくりしたのはおそらく周りの人々だったでしょう。その家の主は「これまで黙示録など分からない書物だったのに、チャック・スミスの本を読んで、こんなに分かりすく、身近に感じたことはなかった。」と言うことをおっしゃっていました。
後で、「教会による迫害」について述べたいと思いますが、このように昔も今もまったく変わりなく起こる現象なのです。
大事なのは「実」です。イエス様の今すぐにでも来られるという信仰を抱いて、はたしてどのような実が結ばれているでしょうか?「いつ来るか分からない。だから再臨については話すべきではない。」とする人々からどのような実が結ばれているでしょうか?
本当に試練が来たときに、神学論争の中にある「教理」が私たちを救うでしょうか?いや、私たちの血肉となった御言葉が、信仰による希望が救うんでしょう!
(「何を予期すべきか? 2」に続く)
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