(4月28日にフェイスブックに掲載)
コロナ禍が現代社会に警告する神学的課題:「創造の秩序」と自然界への慎み
こちらの論考、私もずっと、神がコロナを通して、何を語っておられるのか?という問いに、ここ1-2週間、語ってくださった応えでした。それは、「御子にあって神と和解し、自然と和解する」ということです。
きっかけは、自身が企画していた聖地旅行です。3月に、トルコとイスラエルに人々を連れて案内する予定でした。ところが2月終わりに、イスラエルが、韓国人の観光客に陽性反応が出たことから、日本も合わせて入国拒否になったため、断念しました。とても悲しく、悔しかったです。
その涙の心を持っていた時に、段々、これまでも見て親しんでいたイスラエルの自然が、信じられない美しさをもって回復しているのを見ました。ガリラヤ湖の水位が冬季に雨が降ったということもあり、どんどん上がり、ついに溢れるほどになったことです。自分が、ガリラヤ湖に行けなかった悔しさがある一方で、神が鮮やかに、「わたしは、わたしの造ったもので、栄光を受けているのだ」と語られた思いでした。
詩篇96篇11-12節
天は喜び 地は小躍りし
海とそこに満ちているものは 鳴りとどろけ。
野とそこにあるものは みな喜び躍れ。
そのとき森の木々も みな喜び歌う。
【主】の御前で。
詩篇には、自然がまるで口、手足があるかのように、主の前で、喜び踊っている姿が出てきます。その他、希少動物が、南端のエイラットの街路に現れたりと、一気に被造物が主を高らかに喜び、踊っている姿を見たのです。
ずっと、何を悔い改めるべきなのか、祈っていました。
Ⅱ歴代誌7章13-14節
13 わたしが天を閉ざして雨が降らなくなったり、あるいはわたしがバッタに命じてこの地を食い尽くさせたりして、わたしがわたしの民に対して疫病を送ったときには、
14 わたしの名で呼ばれているわたしの民が、自らへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求めてその悪の道から立ち返るなら、わたしは親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地を癒やす。
これほど明らかな徴はありません、昨年の豪州などの大火事、イナゴの大群、そしてコロナ、三つ巴です。へりくだり、悪の道から立ち返り、罪を赦していただき、地を癒していただかなければいけないと思っていました。けれども、何が悪なのか?が分かりませんでした。
自分たちで、自分の生活を支配しているのだという強い思い、頑張りが、それら自然の美しさと驚異を見て、あぶりだされてきました。4年近くかけて準備した旅行が突然、延期を余儀なくされた時、まったく、無力さを抱きましたが、ここで主をほめたたえないといけない、神の被造物が神に栄光を帰しているのだから、と分かりました。
明石さん、だいすけの思いっきり聖書ブログを書いていただいすけです。お久しぶりです。
僕も下記の映像を見て同じようなことを考えさせられました。
インドに「澄んだ青空戻る」
https://www.afpbb.com/articles/-/3280159
人間が自分たちのゆるされた範囲を越えて、すべてを支配出来ると思っていたことが今回のコロナ禍で一番大きく否定されていますよね。
僕もこの頃よく、今回のコロナの件で神さまは何を伝えようとされているのか考えていました。
僕たちはクリスチャンであっても全ての思考がニュースや「マスクがどこで手に入るか」(それら自体はいいことですが)ということに神経を配りすぎて近視眼的になり、天から見られている神さまの視点を考えてみることが僕自身も含めて少なくなってきているように思います。
今一度神さまに目を向けることを励ます記事を書いてもらったことを感謝します。だいすけ
だいすけさん、ご無沙汰しています。同じことを感じておられたんですね、大切なコメント感謝!