オバデヤ書に見る「エドム根性」 - エドム人とパレスチナ人

オバデヤ書」は、現代のヨルダン南部にいたエドム人に対する預言です。彼らの特徴は、次のようなものでした。

1)父祖エサウが弟ヤコブから受けた仕打ちに発している。長子の権利を奪い取られた憎しみと恨みが、その子孫代々に受け継がれた。

2)ヤコブまたその子孫のイスラエルに対して神は、エサウが兄だから争ってはならない、その土地を取ってもいけないと命じられ、イスラエルはそれに従ったが、エドム人は戦争も辞さない態度で対峙した。

3)神が「兄が弟に仕える」と言われたように、エドムは基本的にイスラエルに従属していた。士師の時代から絶えず戦っていたが、ダビデとソロモンによて従属し、そこで劣等感が強くなった。機会のある事にユダを攻撃した。

4)ユダがバビロンに滅ぼされる時に、彼らはエルサレムの破壊を見て喜び、苦しみ逃げる人々を封鎖し、城内の財宝を貪り、またユダの地を我が物にした。

5)エドムは自分の自然要塞ボツラで高慢になっていたが、根こそぎ滅ぼされた。

現在「パレスチナ人」と呼ばれている人々はアラブ人であり、エドム人とは民族的に異なりますが、私が危惧するのは同じ気質をもってイスラエルに対峙しているのではないかと、いうことです。

パレスチナ人は、「自分たちの土地が48年の戦争で奪われた」という強い怨念によって動いています。けれども、そこには47年の国連分割案をアラブ諸国が拒否したことによる悲劇であり、一重にイスラエルのせいではありません。

そしていくつかの戦争を経て、ようやく進んできた和平交渉の席を故アラファト議長が蹴り、第二次インティファーダを引き起こしました。けれども、それをもイスラエルは乗り越えて、現在、直接の和平交渉の場に呼び入れようとしています。ところが、現在のPLOの議長のアッバス氏は、こんなことを言っています(7月6日)。

If all of you [Arab States] will fight Israel, we are in favor. Palestinians will not fight alone because they don’t have the ability.(あなた方みながイスラエルと戦うのであれば、私たちはそれに乗ずる。パレスチナ人は独りだけで戦わない、その能力がないのだから。)
http://www.palwatch.org/main.aspx?fi=157&doc_id=2543

まだ闘争路線を捨てていないのです。

今のパレスチナがこの闘争を行っていないから、イスラエルは経済的支援も惜しみなく行ない、西岸はこれまでになく経済的に発展しているのです。私も実際、そのパレスチナ人の人々の顔を見て、何か希望を見た気持ちでした。

けれどもパレスチナ人の誇り、またアラブ人たちの誇りは、未だ「イスラエル打倒」の考えに依拠しており、イスラエルの国の存在を本質的に認めていません。彼らは実に、「自国の建設に対する情熱よりも、イスラエルを抹殺するという情熱の方が勝っている」のです(「つのぶえ誌」2010年8月号より)。

私はこれまでイスラエル側の記事も追ってきましたが、ユダヤ人が帰還した「シオニズム」から始まり、イスラエルの独立宣言においても、そこの住民を排除するという考えは初めからありませんでした。(右派のイルグンにはありましたが、彼らが主流になることはありませんでした。)そしてこの国是は今でも変わっておらず、パレスチナ人との共存をイスラエルは基本的に望んでいます。

ユダヤ人が絶対に譲れないのは、「ユダヤ人主権の国家」と「その生存権」、また「首都エルサレム」です。それが壊されない限り彼らはパレスチナ人を排除しようという気は毛頭ありません。

このことと、エドム人の領土を、何の害も与えることなく通過だけさせてくださいと申し出たモーセたちと、それに敵愾心を露わにして対峙するエドムと通じるものを見るのです。