(6月15日にフェイスブックに投稿)
ずっとアメリカでの黒人差別抗議運動を見て、タイムラインでもそれに関する投稿をしていましたが、実は英文で多く行っていました。特に、カルバリーチャペルの黒人の牧師で、トニー・クラーク(Tony Clark)さんへのインタビューで、何が問題なのかが分かってきました。
それを一言でいうなら、「命の危険も感じる経験、トラウマ」と言ってもいいと思います。あるいは犯罪人のように見られる目と言ってもいいです。警察に止められたら、「なんか、免許見せないといけないのかな?」というものでは、ありません。警官が、近くで小競り合いなどの事件が起こっているという報告を受けて、疑わしき人(皮膚の色でプロファイリングしているようです)を見つけ、銃を所持していることも想定して、ほとんど「従わなかったら、撃つぞ」的な拘束をしてきます。
確かに「差別なんかない」とまで言い切る黒人の人たちも少しいるけれども、それは、社会制度的に、黒人を例えば雇用で差別するとか、そういったことは全くないという意味で使っています。事実、ないです。
今、Black Lives Matterと呼ばれる運動が世界に広がり、そこでの破壊活動が問題視されていますが、その思想も危険視されるようになっています(参考記事)。しかし、トニーさんは僕に説明してくれました。「私はこの運動を支持しない。しかし、世界で抗議が起こっているのは、数百年も不公平な取り扱いを受けてきて、どうか助けてくれ!という訴えなんだ。メディアは、事の本質を見せないで、その政治運動の話をしているが、そこから目を離して、黒人の人たちの痛みを感じてくれれば、うれしい。」とのことです。
日本にBlack Lives Matterの抗議運動が入ってきているというニュースがありますが、これは、全く的外れです。それよりも、この動画をご覧になるとよいでしょう。(日本語訳の字幕があります。)
日本に住んでいる黒人の人たちへのインタビューです。一様に、とても住み心地が良い話をしています。ブラック・ゴスペルなど、黒人の人たちへのイメージもいいですしね。でも、なぜ住み心地が良いのか、これをよく聞いてください。「安全だから」なのです。
ここにこそ、彼らの叫び声が隠されています。インタビューしているのは大半がアメリカの黒人の人たちです。外出しても、身の危険を感じない、と言っています。お巡りさんたちが、挨拶さえしてくれる。自分が黒人だということで、疑われて拘束される心配がない、とのことなのです。裏を返せば、それだけアメリカでは、外出するときに、警官が自分を守るのではなく、拘束して、危害を与えるのではないか?という恐れがあるとことの裏返しです。
ここに、私は事の深刻さが分かりました。政治運動ではなく、この小さな声をしっかり受け止めて、痛みを感じる。そして、アメリカの中で、その痛みを受容する、寛容な社会になっていくように、互いに抱擁し、和睦する社会となっていくように祈る必要がありますね。それは教会が率先してできることです。
教会のためにも祈る必要があります。黒人の人たちが訴えても、白人の兄弟姉妹が身構えてしまって、その声を聞かず、違う問題に話をずらしてしまう、という辛さがあるようです。黒人の兄弟たちは、別に責めていないんですね。ただ聞いてほしい、という叫びなのだそうです。
カルバリーチャペルの教会で数多く、白人の牧師さんが、仲間の黒人の牧師や、黒人の教会スタッフから話を聞くインタビューが行われています。「どうか、思っていることを話してほしい。聞いている。」として、決して、議論したり、反論するのではなく、彼らの心にあることを打ち明ける時を持つ場面が増えてきました。主は、すばらしい方です。教会の中での癒しが進んでいくように祈ります。