これはかなり前の出来事になりますが、人の受けた悲劇を見て、大喜びで飛び上がる人たちにある「復讐」の念は恐ろしいものがあります。もうお分かりだと思いますが、彼らの喜びと、バビロンによってエルサレムが破壊された時の喜びは、同じ根なのです。
イスラエル兵をリンチにしたラマラのパレスチナ人
(2000年、第二次インティファーダ勃発直後の事件)
http://en.wikipedia.org/wiki/2000_Ramallah_lynching
「ハマスの子」の著者モサブ・ハサン・ヨーセフ氏は、自分がイスラエルの刑務所に入っていた時に、ハマス同士の虐待、リンチを見ました。これが、彼がイスラエルのFBIであるシンベトに協力しようと思った、大きなきっかけでした。彼がこう言っています。
私は、もしイスラエルが無くなったら、パレスチナ人は何をするのかと考えた。状況が1948年以前に戻り、イスラエル人が聖地を捨てて、また散らされたらどうなるのだろうか?私は解答を得た。パレスチナ人はまだ戦っているだろう。何の意味もないものの為に。スカーフを被っていない女性のことで。誰が一番力持ちで重要なのかを争って。誰が規則を作り、上席に座るのかについて。(124ページ)
この残虐行為は、イスラエルに対する憎しみから初めは生まれましたが、それが発展してうぬぼれ、高慢へと変遷した結果です。これもエドムの辿った道と同じなのです。