「日本占領と「敗戦革命」の危機」を読んで

 ついに、私の頭の中の戦中、戦後史、情報史学(インテリジェンス・ヒストリー)と呼ばれるものの中で、次の本を完読しました。

「日本占領と「敗戦革命」の危機」江崎道朗 著

 江崎道朗さんの一連の著作、すなわち「アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄」そして「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」が前著にありますが、それは、先の大戦とその後の米国の対日姿勢の中に、ソ連からのコミンテルン(国際共産主義運動)の分断工作があった、というものです。

 ルーズベルト大統領の政権の中枢に、ソ連からのスパイがかなり浸透しており、ルーズベルト自身が誤った政策によって、彼らに利することになりました。日本は日本で、コミンテルンの影響力工作によって、右翼の全体主義化が起こり、中国大陸への深い浸透と拡大を引き起こし、英米をそこに巻き込ませた、また統制経済における失策で、これまたコミンテルンを利する行動をしてしまった、ということです。

 その中で、日本国内では民主主義的な立憲君主制、そして経済の自由主義を奉じる保守自由主義者らの存在を浮き彫りにし、彼らも戦時中は、弾圧の的になり、そして米国では、日本を叩いたら東亜の共産化の歯止めが取れてしまうと懸念する、保守派の存在を浮き彫りにし、しかし、彼らの声は政権内では当時、小さかったことを述べていました。

「敗戦」の処理こそが、最も大きな危機

 そして本書は、非常に刺激的でした。日本は敗戦しました。そして世界には平和が訪れた、と考えがちです。敗戦後、民主化し、経済成長を遂げ、数々の災害には見舞われたものの、交戦することなく今にまで至っているのですから。ことに、日本が東アジアの平和と秩序を破壊する分子として、連合国によって叩かれ、それで敗けたのですから、なおさらのことです。

 しかし、アジアでは、日本の敗戦後、東アジアで、三つの独立国が滅ぼされました。日本が停戦しても、ソ連が千島列島と北方領土へ侵略、中国本土では国共内戦が続き、朝鮮半島では北朝鮮による朝鮮戦争が勃発しました。東南アジアでは、インドネシアが旧宗主国と独立戦争を行い、ベトナム戦争があり、フィリピンとマレーシアは、中国共産党の支援する美装勢力による内戦が続きました。

 「戦後=平和」でないことは、世界の戦争の敗戦処理を見ても明らかです。欧州と中東が顕著であり、第一次世界大戦後のドイツ帝国が、オーストリアとハンガリーに強制分割させられ、さらに細分化され分割させられ、最近ではユーゴスラビア紛争が勃発しました。オスマン帝国は、トルコ、イギリス、フランスの勢力範囲に分割され、今の人工的な国境線によるトルコとその周辺、中東諸国の対立は今にまで続いています。

 それが、ウィルソン大統領の「民族自決」という原則の下で行われているのですが、小国に分割・独立した国々が、国境紛争を抱え、民族対立を煽られて、互いにいがみ合い、争っているという禍根を残しているのです。これは、私自身、トルコとギリシアにある対立、イスラエルとパレスチナの対立など、聖地旅行で肌で感じている分、強く感じています。リベラル的な高邁な理想がが、どれほど理性崇拝の、人間のありのままを受け入れない高慢な思想であるかを、良く思わされます。

 ですから、日本が敗戦して、そのまま民主化、経済成長へと向かったとするならば、それは、本当にぎりぎり、かろうじてそうであったのであり、「ポツダム宣言」など、歴史教科書に載っているような一つ一つの出来事の水面下では、熾烈な政治的駆け引きがあったということです。そして、隣国の中国が共産化し、朝鮮半島の北半分が共産化したのですが、コミンテルンの工作は着実に日本にも及んでいたということです。

日本に「敗戦革命」をもたらす工作

 どのように及んだのか?と言いますと、これが驚くことに、米国のルーズベルト民主党政権の中に既に浸透していた工作員たちによって、そうだったというものです。ソ連から直接ではなく、米国の政権内で、日本の敗戦後に革命を起こそうとさせていた分子が多数、存在していたという暴露です。妄想的と思われるかもしれませんが、著者の江崎さんは、今では公開されている公式の文書によって、次々と明らかにしていきます。

 ルーズベルト米政権は、戦時中から既に、中国共産党と結託していました。そして、中国共産党は、まさに孫子の兵法のごとく、敵を心理的に操作して、日本兵をいつの間にか思想改造して、敗戦後、日本に帰還した後に中国共産党に利する行動をとるように仕向けています。ここで、野坂参三とという、日本のコミンテルン代表が建てられますが、彼は実はソ連のスパイでした。そこで、野中参三内閣構想も練られます。

 しかし、日本国内では、少数の保守自由主義者らが必至の抵抗をします。戦争末期、近衛文麿らが昭和天皇に対して、密かに「敗戦以上にその後の共産革命を恐れるべきだ」とする上奏文を出しました。戦争継続は日本の共産革命の危機に叩き落す危機がある中で、昭和天皇が、しばしば「聖断」と呼ばれますがポツダム宣言を受諾します。そして、降伏文書に署名した重光葵が、無条件降伏という中身において、日本軍の無条件降伏、けれども日本の直接統治という条件を付けての降伏にこぎつけていたことも、本書は明らかにしています。

 その時に米国内では、終戦後の対日政策において「ウィーク・ジャパン派」と「ストロング・ジャパン派」に別れて、前者が優勢となります。後者は先に申し上げたように、共産化の防波堤としての日本の力を維持させなければいけないという考えです。しかし前者は、日本を弱体化させなければいけないというもので、それが敗戦革命の多くを担っていくのです。

GHQの占領政策にある解体工作

 その「ウィーク・ジャパン派」が大半となっていたのがGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)です。占領政策という名の下で、天皇制解体、言論の自由の制限、諜報機関の解体、共産党幹部の釈放、大学の軍事研究の禁止、公職追放という名の粛清、神道そのものに対する指令など政策を出していきますが、それらは「民主化」の一環として行われたというのが、私の理解でしたが、ここで巧妙に、極度にこの政策を推し進め、その荒廃と混乱状態の中で、共産革命を起こす素地が作られていった様子が、克明に描かれています。

 そして事実、GHQは日本共産党と蜜月関係だったことに、一章を割いています。これで合点が行きます、今の米国を含め、共産党はかなり抑えられているか、自由民主主義国では非合法化(ドイツ)、また事実上、無効化されているのですが、日本共産党だけがそのマルクス主義綱領を残したまま現在まで生き残っているのは、GHQが産み落としたと言っても過言ではないでしょう。

昭和天皇と少数の保守自由主義者らの抵抗

 この中で、昭和天皇ご自身と、圧倒的な少数派だった保守自由主義者らが踏ん張っている様子を描いています。敗戦革命において、行われた大きなことは、食糧危機を故意に引き起こしていたことです。輸入制限を行ったり、大幅な財閥解体を行ったり、労働組合への取り締まりを禁じて、経済的な荒廃を敢えてもたらすようなことをしていました。現政権に対する不満が、その窮乏から日本中で増していましたが、昭和天皇は全国御巡幸を行われ、首相になる吉田茂は、直接、マッカーサー元帥に直談判する関係を築き、何とかして食糧援助をこぎつけました。石橋湛山蔵相も、GHQの窮乏化政策に必死に対抗したそうです。

GHQの旋回

 そうした中で、GHQの中にある内部対立が浮き彫りにされます。当初、GS(民政局)がGHQの占領政策の中心を担っていましたが、諜報活動や検閲を担当していたG2(参謀第2部)の部長、チャールズ・ウィロビーが、GSにおける左翼主義者の浸透を疑い、調査をし続けます。ついに、彼の発言力が増していき、日本共産党率いる、革命を引き起こしかねないゼネストを、直前にてマッカーサー元帥が中止させるまでこぎつけます。そして、GHQ内にいた、それら左翼分子と疑わしき者たちを一掃していくことになります。それから、GHQの占領政策の方向も展開されていきます。

 ウィロビーのような疑いは、当時も今も、誇大妄想的と思われがちですが、米政府が1995年に後悔した「ヴェノナ文書」によって、あながち間違っていなかったことが明らかにされます。GHQの中心的役割を担っていた人物は、もはや日本には関われなくなっていきます。

 こうした動きは、後のマッカーシ上院議員の「赤狩り」としても有名ですが、その手法が荒削りであったために、誰かをコミンテルンのスパイと疑うこと自体がタブー視されるようになってきました。けれども、同時に、確かにこの赤狩りによって、ソ連の息がかかった工作員が米政府の枢要部から放逐されていったことも確かなようです。それで、今の、反共を国風としている米国がある、と言ってよいでしょう。

 今の日本の、象徴天皇制の自由民主主義体制が、そのようになっているということが、こうした背後の攻防の中で保たれていたということを想いました。

朝鮮戦争時にも危機が

 しかし、これで危機が去ったわけではないことを本書の最後のほうで、少しだけ言及しています。その続きが、「朝鮮戦争と日本・台湾「侵略」工作」であるようです。朝鮮戦争が我が国にとって傍観者だったのではないことを、論じているようです。おそらく、これら合計4冊で、日本の戦時中、戦後の情報史が完結するのでしょう。

本書の解説

 本書について話し合っている動画があります。

世界で起こることに必要な眼力

 世界情勢また日本周辺の情勢を見る時に、つくづく思うのは、こういった水面下の攻防を見極めることだと感じています。日本の戦時中、戦後の歴史を概観しても、どうして日米が戦わなければいけなかったのか、どうしてGHQが社会主義的な政策を占領政策として採用していたのか、なのに反共へと急旋回したのか。当然ながら、そういった複雑怪奇な動きは、現在進行形では出てこないものです。けれども、過去のものであれば、公式文書が公開されていくので、より客観性をもって眺めることができ、その歴史から学び、今を見つめることができます。

 むしろ、表面的にマスコミから流されるものは、不安定な状況になればなるほど、プロパガンダ的な情報が流れます。戦争ともなれば、プロパガンダ戦争も同時に起こります。それを真に受けて、戦争当事者の駒に利用されることさえあります。そしてキリスト者としては、純粋で熱心な人ほど、それを信仰的に解釈して、悪を後押しする事さえあります。

 これは、また別の主題になりますが、かつてヒトラーを真面目なキリスト者たちが支持したということもあるのです。最近では、日本共産党の「国民連合政府」に乗っかっていった、日本の福音派の指導者たちもいたほどで、それが共産党の統一戦線、共産革命の一環だという歴史を知らないために、関わっているということなのです。

 こういうことをしていると、キリストの御名を汚し、人々につまずきを与えることもあるのです。そういった意味で、情報史学と江崎さんが呼ばれる、政治や経済の裏にある、諜報工作的な動きも、知っていく必要があると感じています。

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