オバデヤ書に見る「エドム根性」 - 国際援助に頼り切るパレスチナ人

そして、パレスチナ人にある問題は、闘争もさることながら、国際的な援助に頼り切っていて、自らの力で働くことを放棄してしまっていることがあります。

現実のガザは封鎖下には無い(エジプト人記者による報告 日本語訳)

イスラエルがガザを封鎖していて、それで酷い惨状であると騒がれていますが、上の記事と写真はそれを真っ向から否定しています。

もちろん一般のパレスチナ人には多くの人がまじめに働き、勉強している人もたくさんいると思いますが、パレスチナ人が働かないという不満と嘆きを、現地の人たちから、またパレスチナ援助団体の人たちからしばしば聞きます。

このことと、エドムがボツラの自然要塞、そして同盟者を抱えて安逸を貪っていたことと重なるのです。

あなたの心の高慢は自分自身を欺いた。あなたは岩の裂け目に住み、高い所を住まいとし、「だれが私を地に引きずり降ろせようか。」と心のうちに言っている。(オバデヤ書3節)

つまり、「弱者」であると言いながら、実はその立場を当然の権利として利用し、イスラエルを、そして世界を使い回し、弄んでいるのが現状ではないのでしょうか?オバデヤ書によると、このような生活の行く先は「破滅」しかありません。

私は、ここで反パレスチナの言説流布のために記事に書いているのではありません。今年5月の旅行でパレスチナの人たちに親近感を抱いたし、実際にその姿は好印象でした。けれども、今、世とマスコミが見せるその地域の姿では分からない、根本的な問題を聖書から検証したいのです。

ですからエドム人に見る気質は、パレスチナだけでなく人間全体にも見ることができるもです。次に、他の国々のこと、そして最後に日本人である私たち、そして個々人の生活に踏み込んでいきたいと思います。