「大航海時代の日本人奴隷-増補新版」

 キリシタン史に詳しい方が、日本人奴隷についてこの本がいいと薦めているコメントを読んだので、図書館で借りて手にしました。

キリシタン史への私の興味

 これまでキリシタン史については、とても興味を持って触れてきました。戦国時代から江戸時代にかけての昔のことであっても、本当に今の宣教について、多くのことを知ることができます。そして迫害史も知ることができます。日本での最大の迫害であるし、世界の教会史においても際立っていると聞いたことがあります。

 しかし、時の為政者がキリシタンを迫害したのは、宣教師の派遣国が日本を宣教師を通して植民地化しようとしているという見方を多く耳にしました。これは、大航海時代以後、キリスト教宣教と、帝国主義的な国の思惑から決して無縁ではないという、とても難しい問題であると感じています。

宣教と奴隷制度の関わり

 中でも、秀吉が伴天連追放令を出したのは、ポルトガル人が日本人を奴隷貿易にしているということを知り、それに激怒していたからだという見方も読みました。果たして、歴史的事実はどうだったのか?というのが、私の大きな疑問であり関心事でした。

 それで出会ったのが本書です。そのまま真っ直ぐに、「大航海時代の日本人奴隷」の歴史を、第一史料から取り扱っています。そして、「増補新版」がとても大切です。「補章」として「イエズス会と奴隷貿易」が追加されており、まさしく、これが宣教師たちが奴隷貿易に関わっていたことに触れている内容だからです。

ユダヤ人への異端審問とキリシタン史が交差した歴史

 本書は、これまでの疑問に答えてくれるだけでなく、私が関心を抱いている、全く異なる分野だと思っていたテーマが、なんと奴隷貿易の歴史の中に突然、入ってきたのです。それは、「ユダヤ人に対する異端審問」の歴史です。ユダヤ人は、ホロコーストだけが迫害を受けた歴史ではなく、むしろそれは結果であり、迫害を受けた長い歴史を持っています。しかも、それは欧州のキリスト教世界の中で起こったものが多く、キリスト者にとっては重い歴史となっています。

 あるイスラエル人が教えてくれましたが、ユダヤ人にとっては、ある意味で、ホロコーストよりも異端審問のほうがインパクトが強い、とのことでした。強制改宗によって、ユダヤ人のアイデンティティーが根こそぎ奪い取られるという衝撃です。

 日本人奴隷自身の証言が記録として残っているとして、「序章」の中に事例として詳述しているのです。題名は以下の通りです。

「交差するディアスポラ
― 日本人奴隷と改宗ユダヤ人商人の物語」

 ポルトガル人商人の中には、キリスト教に改宗したユダヤ人たちがいました。異端審問において、本心からの改宗ではない者たち、つまり隠れユダヤ教徒たちは殺されるのですが、それを逃れるために東アジアの貿易商としてやってきたのです。「布教と侵略」の象徴として見られがちな、キリスト教徒のポルトガル人商人ですが、そうしたユダヤ人にとっては、逃避先の側面があったのです。

 そして、現地のイエズス会などは、本国で異端審問を受けなければいけない人々であることを知りながら、そういった人々の境遇に同情し、見て見ぬ振りをして庇護していた面が大きかったのです。

日本人キリシタンにあった反ユダヤ主義

 ところが、長崎では、逆に日本人キリシタンが、彼らの不信心さを見抜いてイエズス会に訴えているのです。特に熱心なキリシタンが、そのようなことをしていました。ここにも、今にも通じる日本人キリスト者の課題があるでしょう。

 つまり、純粋、純情な面がある一方で、その熱心さから、かえって憐れみや公正など、もっと大事なことを置き去りにしてしまう、という傾向です。西欧キリスト教において、その歴史的経緯や文化的背景があってある神学や教えが起こされますが、それが日本に入ると、そうした背景を無視して、額面通り受け止め、原理主義的になる傾向があります。

 西欧キリスト教には、ユダヤの民はキリストを拒み、神の民ではなくなり、むしろ呪われているという教えが比較的早い時期からありました。公認化、国教化してからはそれが定着、固定化しました。そうした捉え方が、知らず知らず、伴天連(宣教師)たちの教えを聞いて、キリシタンたちが抱いて行ったのでしょう。けれども、彼らにとってユダヤ人は現実に存在している人々であり、ユダヤ人を一人の人間として見ていく素地を身に着けていたのです。それが、日本人キリシタンには備えられていなかった。彼らは純粋に、反ユダヤ主義者になっていたのです。

 こういった問題は、一般化できるものであり、欧米発のキリスト教を額面通り受け入れて、日本とは関係のないことを熱心に議論し、実行に移したりし、その反動として、西欧キリスト教は全くダメだと全否定する動きもあります。

改宗ユダヤ人を告発した、キリシタン奴隷たち

 この歴史物語に出てくる、ユダヤ人改宗者のペレス一家について、父ルイ・ペレスが異端審問にかけられます。一家は日本人、ベンガル人、朝鮮人の奴隷を持っていて(皆が改宗してキリスト教徒になっている)、それぞれが証言台に立ちます。日本人と朝鮮人は、ルイ・ペレスが隠れユダヤ教徒であることを糾弾し、ベンガル人のみが、主人への忠誠心から別の証言をしました。それで、ルイ・ペレスを逮捕します。息子二人は、無事に国外に逃げることができました。

複雑で多様な奴隷制度

 これが序章ですが、第一章から第三章は、各地域における日本人奴隷の存在を、第一史料から説き明かしていくものです。第一章はアジア(マカオ、フィリピン、ゴア)、第二章は、スペイン領中南米地域(メキシコ、ペルー、アルゼンチン)、第三章はヨーロッパ(ポルトガルとスペイン)です。実に広範囲な地域に、すでに日本人たちが存在していたのです。

 この中身については、こちらの書評がよくまとまっています。

 奴隷といっても、本当に複雑でいろいろな事例があり、また制度も、私たちが考えるようなものとは違うようです。著者ご本人の言葉を引用します、「「奴隷」と聞くと一般に思い浮かべるのは、アメリカのプランテーションで働かされるアフリカ系の人びとだと思いますが、この本では日本人をはじめ、主にアジア人奴隷を扱っています。16世紀大航海時代の文献に散見される彼等の足跡を辿っています。想像以上に遥かな旅路です。」
https://www.iii.u-tokyo.ac.jp/research/210423mybookoka

 ここの「散見」がキーワードで、奴隷という暗い歴史を文献で見つけるのはとても難しく、まとまった史料というものはないからです。

 しかし、その中にも、いろいろな小さな物語は散りばめられています。興味深かった、印象に残っているのは二点あり、一点は、アジアの日本人奴隷は傭兵として使われていたということです。戦国時代だけあるのか?と思いました。もう一点は、アジア人は奴隷として重宝されていた、言われた仕事をこなす能力が高いと思われていたということです。アジア人の勤勉さは、昔から変わっていなかったのか、と思いました。

 もちろん、悲惨な話も数多く残っています。ただそれが全てではなかったというのも、事実です。

奴隷制度とキリスト教の関わり

 そして、この中で最も心に重くのしかかったのは、奴隷制度にキリスト教が深く関わっていたことです。奴隷の多くが、キリスト教に改宗させられます。そして、良くも悪くも、キリスト教徒が奴隷を所有する時は、その奴隷を人道的に扱うことによって、一種のステータス、高貴さを示していたということです。確かに、我が子のように家族の一員のように育てることもあります。

 しかし、奴隷制度はいけない、これはあってはならないということは分かっているようで、何度となく禁止令を出している様子も見ることができます。やましいことをやっていることは、良く分かっていたようです。

 やはり、キリスト教と世の制度が結ばれることによる弊害を見ます。日本のキリスト教会は少数派ですから、そのような誘惑は少ないでしょう。しかし、例えば会社の社長がキリスト者で、部下に無理やり教会に行かせるようなことをやっていたとしたらどうでしょうか?現実に起こっているかもしれない、切実な問題となります。それと同時に、そのような弊害の中でも、真実にキリシタンとなる奴隷たちもおり、神の憐れみとして言いようがありません。

日本のイエズス会と奴隷貿易の関わり

 そして「補章 イエズス会と奴隷貿易」です。秀吉の伴天連追放令(1547年)にある、ポルトガル人が日本人を奴隷として連れ去っていることが、伴天連の追放とつながっているのは、「この問題にイエズス会が深く関与していたからに他ならない」としています。

 この関与を、イエズス会の準管区長ガスパール・コエーリョが、長崎市場でどのように売られているのかを詳細に記録しています。彼は、それがいかに痛ましいことかを訴えています。

 しかし、イエズス会の中では、これがキリスト教的に正当化されていました。「正戦」という概念です。つまり、キリシタンの大名が戦って、戦争で捕らえられた人々を「合法的な奴隷」と見なすことにしたそうです。

 しかし、実際が伴っていなかったそうです。ポルトガル人が購入してよいのは、この「合法的な奴隷」に限られていたはずですが、厳しく精査されておらず、ガスパール・コエーリョは、今年の取引では、だれ一人として合法的にされた者はいないと記しています。

 イエズス会はシステム的に関わっていたようです。ポルトガル人は、奴隷をまず、彼らのところに連れて行きます。奴隷に洗礼を受けさせるためです。そして、宣教師は、その場で合法であることの証書を発行したのです。

 そして、新しく長崎の司教となった人が、この関与を目にして、ポルトガル人であっても、日本人キリシタンであっても、非合法の奴隷取引をしている者は、破門を申し渡し、罰金を課しました。破門は、かなり重い処罰ですね。それでも、ポルトガル商人たちが何とかして知己の宣教師に頼ろうとしたりしました。

 また、イエズス会内部にも奴隷がいました。ただ、イメージとしては「奉公人」です。

日本人も奴隷制度の加害者 ― 朝鮮人奴隷

 ここまで見て来ると、秀吉が、日本人を奴隷しているということで伴天連追放をしただけ聞くと、あたかも日本は欧州の奴隷制度に戦ったかのように思われがちですが、全く違います。本書では、長崎に一気に増えたのが、秀吉のしかけた戦争によって、朝鮮で生け捕りにされた者たちだったということです。

 この朝鮮人奴隷について、イエズス会がどのように対処したのかを、本章で詳細に記しています。小西行長などキリシタン大名が戦っていたから、この戦いは「正戦」であるとのこじつけを行ったそうです。それを、欧州の高名な神学者に言わせるようにして、自分たちはその回答を得たという形にしました。しかし、先の司教とは別の日本司教が、その見解に異議を唱え、長崎における状況は凄惨なものであり、これは違法であると強く主張したそうです。

 同じ日本司教(セルケイラと言います)は、キリシタンに朝鮮人奴隷を購入させるように指示しました。これはいわば、奴隷を買い戻す、贖う行為ですね。今でも、宣教団体では、奴隷に売られている人々を高額で買い取り、自由にして、世話して、キリストへの信仰に導く働きをしている人々がいますが、同じ動機でしょう。幸いなことに、多くの朝鮮人が敬虔な信者となっていったそうです。朝鮮人のためのセミナリオ(神学校)も設立したとのこと。

 兵士たちに朝鮮から連れて来られた人々には、女性がかなり多かったとのこと。多く人が遊郭で働かせられることになりました。

 しかし、有名な人では、キリシタン大名で朝鮮で戦った小西行長の下に引き取られた、洗礼名「ジュリア・おたあ」がいます。全く違った人生を歩み、小西が関ヶ原の戦いで敗れた後は、徳川家の侍女に入り、家康にも気に入られたそうです。江戸幕府の禁教令でも信仰を棄てず、伊豆諸島に島送りにされました。

日本で殉教した、黒人奴隷

 それから最後に、「長崎のアフリカ人奴隷」も上げています。有名な人では、信長の家臣となった「弥助」ですね。そして、黒人にはいろいろな奴隷がいましたが、狼藉や窃盗を働く者もいれば、潜伏しているキリシタンを密告する者もいました。逆に、信仰を棄てず、日本人同様に殉教した者もいたとのことです!

あとがきにあった示唆

 あとがきも興味深かったです。著者は、「ルシオ・デ・ソウザ/岡 美穂子」となっていますが、お二人は夫婦のようです。ルシオ・デ・ソウザ氏がポルトガル語で執筆、書き記したものを、日本人に分かるように大幅に、岡美穂子女史が、改稿したそうです。戦国時代に日本人が奴隷として海外に渡った話は、初めは「眉唾物」と見られていたそうですが、次第に周知されるようになっていったそうです。

 岡美穂子さんは、ブログも持っていますが、NHKが製作した「Black Samurai ~信長に仕えたアフリカン侍・弥助~」の感想を漏らしていますが、かなり歴史事実とは違うことが歴史として取り扱われていることに、葛藤を覚えておられるようです。(記事

 まだまだ、分からないことの多い分野ですから、歴史事実に基づかない物語化が容易にされやすいでしょう。テレビ番組や少ない情報だけで、「これが実際だ」などと、性急な結論を出さない方がいいと思いました。

 それから、興味深い一言を書いておられました。「そして海外でコミュニティを作ることもあった彼らは、平和な民ではなく、どちらかと言えば暴動などを起こす、不穏な民であると、各地の当局から見なされていたことも見逃せない。・・江戸幕府が採る「寛永鎖国」のプロセスにも、海外在住日本人の問題が少なからず影響を与えたものと考えている。」(222-223頁)鎖国は、ポルトガルやスペインの野望から自国を守るためという歴史理解でしたが、また別の遠因もあったという指摘は、とても新鮮でした。

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