エジプトとイラン、そしてEU・アメリカ

下の投稿にある質問に対する答えは、皆さんお出しになったでしょうか?私は2)を選んでいます。2)の視点からこれまでの流れを見ると、聖書時代、そして聖書に預言されている歴史の流れが、実にイスラエルを取り巻く中東の歴史に符合しているのに気づきます。

1)主がアブラハムに、「土地・国・民族」の約束をされた。
2)その契約がどのように発展するのかを、モーセがレビ記の最後と申命記の最後で預言した。
3)イスラエルは、その預言どおり、神に背き、約束の地から引き抜かれた。
4)異邦人の国々で苦しめられた。
5)神が約束されたように、帰還が始まる。バビロン捕囚からの帰還があったが、再び紀元後70年のローマによる世界離散が起こった。しかし18世紀後半から世界からの帰還が始まる。
6)この帰還と時を同じにして、世界は二つの戦争を行ない、他に大地震など終末の様相を呈し始める。
7)パレスチナの地におけるアラブ人とユダヤ人が衝突。それが周辺アラブ諸国へ波及。
8)1948年5月、イスラエルが建国。同時にアラブ周辺諸国による一斉攻撃が始まる。
9)圧倒的な軍事力の差にも関わらず、イスラエルが勝利。
10)エジプトはナセルによる革命が置き、ナセルが汎アラブ主義をアラブ諸国に伝播。独立戦争時の屈辱を晴らすことが全アラブの優先課題になる。
11)1967年六日戦争勃発。ここで奇跡的な大勝利をイスラエルが収め、a)エルサレムがすべてイスラエルの主権下に置かれ、b)アラブ主義が粉砕される。
12)この大敗によって、エジプトを中心にイスラム原理主義が台頭。
13)イスラム主義テロリストによる世界秩序の不安定化が始まる。
14)エジプトの国そのものは、サダト大統領がヨム・キプール戦争の敗北によって方針を変え、イスラエルとの平和条約を結び、現大統領のムバラクもそれを踏襲、現在に至る。

これが、イスラエルと周辺アラブ諸国の動きですが、今度はさらに周辺の国々であるペルシアつまりイランについて、またヤペテ系のロシア等がエゼキエル書38章の預言に登場します。彼らが、アラブ諸国ではないつながりによってイスラエルを攻撃することが38章と39章で預言されています。

そこで注目しなければいけないのが、ちょうど30年前に起こったイランにおける「イスラム革命」です。こちらはイスラム教のシーア派(アラブ諸国はスンニ派)版の原理主義運動であり、世界初のイスラム主義国家が誕生しました。この国が最近ロシアと軍事協定を結んだことによって、アラブ周辺諸国以外の周辺諸国がエゼキエル38,39章と符合しているのです。

さらにダニエル書の学びをしていると、ギリシヤ・ローマ圏から荒らす忌むべき者が現れ、世界を支配し、ユダヤ人の残りの者を迫害することが預言されています。この西欧の動きもまたEUの台頭があり、従来のユダヤ・キリスト教的価値観を捨てたオバマ政権下のアメリカに見ることができます。

やはり、2)の見方、つまり「今は聖書の時代に入っている」の見方のほうが私には納得できます。

参考)イランの動きについて、ハーベストタイムが取り上げました。
http://www.arkvillage.com/harvestinternettv/wmv/1192.wmv

中東諸国について

先ほど、エレミヤ書の学びが51章まで来ました。あと残り1章です。

これまでイザヤ書も学び、これからエゼキエル書にも入りますが、イスラエルとユダに対する預言の他にも異邦の諸国に対するものも出てきます。このほとんどが現在の中東諸国として残っていることに気づいています。

アッシリヤ = イラク北部
バビロン = イラク南部
ペルシヤまたエラム = イラン
メディヤ = イラク北部
エジプト → そのまま
ペリシテ = パレスチナのガザ地区
モアブ = ヨルダン南部
アモン = ヨルダン北部
エドム = 死海の南、ヨルダン領
アラビヤ = アラビア半島(サウジアラビア)
ダマスコ = シリアの首都
ツロ = レバノンにある町
クシュ = エチオピアとスーダン
プテ = リビア

このように、今、ニュースで話題になっている国々、世界の秩序を揺るがしかねない国々が名を連ねています。このことを説明するのに二つ方法があります。

1)これは単なる偶然である。聖書の記述はあくまでも古代のものであり、現代の動きは現代の枠組みで考えなければいけない。
2)今は「聖書の時代」に入っている。これまでの進歩主義(宗教は古いものであり、私たちはその時代より進歩した、という考え)は破綻し、神が終末に向けてご自分の計画を収束・完成させようとしている。

みなさんは、どちらを選択するでしょうか?

ご注意 - 上の副題について

ちょっと副題の「最新情報」について、気になったことがあるので付記いたします。

すべての最新情報を、このブログに掲載するわけではありません。

特に聖書の学びは定期的に行なわれており、右の「ロゴス・ミニストリー内」にある「更新履歴」のほうに掲載しています。

よろしくお願いします。

世界統一通貨

これから折を見て、世界で起こっている出来事で聖書預言に関連することを取り上げてみたいと思います。

まず初めに、この前のG8で紹介された世界統一通貨についてのニュースです。

United Future World Currency(将来の世界統一通貨)
http://www.futureworldcurrency.com

Webアドレスを見てのごとく、そのまま世界統一通貨のモデルを紹介しているサイトです。なぜ世界統一通貨が聖書預言に関係しているのかを知りたい方は、旧約聖書の学びにあるダニエル書の学びと、新約聖書の黙示録13章をご覧ください。

「また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。(黙示録13:17) 」

エビスBSのお知らせ – 次回は7月15日

みなさん、お元気ですか?

前回の学んだ箇所は、『イザヤの黙示録』と呼ばれるそうです。
その前半部分が終わりました。
壮大な世界が広がっていました。
次のメッセージで後半部分の26,27章を学びます。

では、今週の学びのお知らせです。
〇7月15日(水)午後7時 ~
〇住区センター三田分室 第2会議室〇聖書箇所 イザヤ書26章~

※ご持参の食事は、メッセージ前もしくは分かち合いのときにお摂り頂けます。

☆7月と8月の学び
7月15日・29日
8月5日・19日・26日
全て水曜日です。

なぜ恵みはすべてを変えるのか

先日「カルバリー・チャペルの特徴」をご紹介しましたが、次の本も牧者チャック・スミスによるものです。

「なぜ恵みはすべてを変えるのか」
(クリックすると、日本語訳がpdfファイルで出てきます)

「神の恵み」という言葉は、教会にいる者でしたら何度も聞き、古臭ささえ感じるものです。けれども、これをやはり本当の意味で知っていない、ということをこの本を読むと気づかされます。

一昨日の夜、礼拝で伝道者の人が、「罪を犯すと死にます。あなたは本当に自分が、死ななければいけない罪人であることを認めていますか。」と説教されました。そして、「このことが分からなければ恵みが分からないし、恵みが分からなければ献身することも分かりません。」と言われました。

私は、ガラテヤ6:14の「主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。」と思い出しました。パウロにとって、毎日が、自分の罪のために十字架に架けられているキリストが実体となって迫っていたのでしょう。伝道者の方も、「ローマ6:23の、『罪から来る報酬は死です』というのは教理ではなく、彼の信仰の表明なのです。」と言われていました。

そして昨夜、ロゴス・ミニストリーのメールアカウントに、ローマ6章を聞いておられる方からの便りがありました。これまで律法主義的な聖書理解をしていた。神の恵みがだんだん分かってきた、というご感想を述べておられました。

そこは私自身が話し教えた箇所でありますが、では私自身がそれをいつも体得しているか?・・・これがいつも神様に語られる言葉なのですが・・・キリストの十字架の前に立っている自分であり続けなければいけないことを思わされます。

牙を剥く「民意」

「何を予期すべきか?」の番外編としてお話します。

今、東京都議員選挙期間中で政治的な話をするのは申し訳ないのですが、これまでここで書いてきたことを踏まえると、私は民主党が強くなってきていることに危惧を覚えています。それは、民主党が、「マスコミによって形成された民意」を代表する政党だからです。

小泉首相以後でしょうか、ここ数年のマスコミ(テレビ、インターネット、週刊誌も含めて)の論調を見ていくと、自民・公明党政権が行なう一つ一つの政策について、それを重箱の隅を突くような、内容の乏しい批判をしているような気がしてなりません。日米同盟しかり、定額給付金しかり、また官僚主導政治でさえその歴史と経緯があり、短所だけでなく長所もあるはずです。

自民党は自らの信念を堂々と主張すればよいのですが、情報媒体によって形成されたこれらの「民意」を気にしすぎ、それをそのまま自分たちの主張としていく民主党に対して、自ら守りの姿勢に入っています。けれども自民党が考えなければいけないのは、マスコミと実際の民意(サイレント・マジョリティー)は必ずしも一つになっていない、ということです。

民主党が政権を取れば、日本は弱くなると思います。目の前にある細かいことにだけ注意を引き寄せ(これが一般の人たちの関心事ですから)、他の国々との関係には無関心になり、より孤立化していくでしょう。

私は、同じものをアメリカの大統領選挙でも見ました。共和党のマケイン候補は、もはやイスラム過激派による脅威について語りませんでした。ブッシュ政権の時から、「キリスト教、ユダヤ教、イスラム教」の神は一つであるという合意が暗黙のうちに形成されてしまったからです。そして、アメリカ国民の情感を上手に吸い取ったオバマ候補が勝利を収めたのです。

でも本当にこれで「世界が変わる」とでも思ったのでしょうか?イランも北朝鮮もイスラム過激派も何も変わっていません。アメリカはこれらの国々や団体に対して確固たる対策を持っていません。無力になってしまいました。国内では、企業の活動に対して極端な介入を行ない、アメリカを社会主義化させています。また、覇権主義を認めないとしていたのに、イスラエル国内の個々人の土地の所有権にまで介入し、圧力をかけているのです。

かつて、「一神教的な唯一の正義をふりかざすのではなく、日本社会に根づいている多神教的な価値を生かし」という文言を日本国憲法改正創案の中に盛り込もうとしたのは、他でもない民主党なのです。なぜか?キリスト教のアメリカとイスラム教のテロリストが戦っていたからです。極めて「民意的な」政党は、信仰の自由においても牙をむき出す可能性があります。

もちろん、かつて日本キリスト者を迫害した国体思想を今も持っている人たちの多くは、自民党の中にいます。安倍元首相もその一人です。けれども、彼はその信念や政策ではなく、他の周辺的な事柄でマスコミに叩かれ、首相の座を退きました。

日本人は神道と仏教の宗教観を強固に持っていますから、確かに国粋主義の台頭には気をつけなければいけないとは思いますが、「世相がそのまま国全体を動かす」過去を学べば、民意だけで動く民主党の動きにも注視しなければいけないと感じています。

何を予期すべきか? 5

3)- c) 今を見て

在米の日系の方で、私たちと親交の仲にある姉妹の方がいます。かなり前に米国に移住し、そしてある時、イスラエル旅行を通して救いの確信に至り、それ以来、日本人の霊の救いのために、またイスラエルのために祈る熱心な人となりました。

彼女が久しぶりに日本に帰ってきた時、東京の街中で、イラク戦争募金をお願いしている人が立っているのを見たので(おそらく統一協会の人でしょう)、彼女は熱くイラク戦争の正当性を語り始めました。それを見た弟さんが、「お姉さん、何をやっているんだよ!」と言って、手を引っ張ってその場から引き離した、とのことです。私は、「私も彼だったら、同じことしていると思います。」と答えました。

おそらくそのままにしていたら、暴力傷害沙汰になっていたかもしれません。それほど当時、イラク戦争を支持することを公にすれば、身の危険を感じるほどの反米感情が日本にはあったからです。

これは政治的な事だから信仰とは関係がないと片付けることはできません。なぜなら、マスコミは米国におけるイラク戦争支持は、キリスト教右派の福音主義の支援によるものと宣伝(煽動?)していたからです。

そして福音主義が何かについて議論がありました。「聖書を文字通り信じ・・・」という文句も覚えています。イラク戦争を契機に、「イエス・キリストの福音こそ人を救う力がある。」と信じる者たちへの圧迫が始まったのです。

そして、イスラエルやユダヤ人に対する陰謀的な話も流布しました。聖書預言を信じ、キリストの再臨を固く信じる人々は、インターネットや新聞上で、イスラエルを支援するアメリカの福音派と一括りにして批判の的になったのです。

この議論がキリスト教会の中でも展開されました。クリスチャンと呼ばれる人々が、到底クリスチャンとは呼べない汚い言葉を使って責め立てます。そして指導的な立場にいる人までがそれを後押しします。

私の知り合いの牧師さんは、礼拝中に暴言を吐く人が現れたとのこと。彼の親イスラエル的な立場の為でした。

私も個人伝道をしている時、また兄弟姉妹の相談を受けていた時に苦労しました。「ブッシュはクリスチャンなのに、なんで戦争するの?」という質問が必ず出てくるからです。ブッシュ大統領ではなく、イエス・キリストについて話したかったのに、そこで話が途切れてしまうのです。

このように、アメリカが戦争を行なっていた時のかつての日本と、今が重なり合うのです。

米国のキリスト教会の反応も同じでした。私が、当時のブッシュ大統領が明治神宮参拝をした時、私は必死になって、米国のクリスチャンにそれを止めさせるよう嘆願のメールを出してほしいとお願いしました。ところが、彼らの多くは無関心で、逆に批判する人もいました。そしてあるキリスト教系ニュース・サイトは「神道は宗教ではなく日本の伝統であるという意見もある」などという、戦前と変わらない論評まで出していました!

在日の米国宣教師もほぼ同じ態度でした。日本のキリスト教会の精神構造が変わっていないだけでなく、米国キリスト教会も変わっていないのです。

以上が、私はこの薄い「何を予期すべきか?」の冊子を読むと、魂が動かされる所以です。あまりにも身近で、個人的な問題を、一つの教会のグループに起こった事件の中に見てしまうからです。

まあ、だからとって今しなければならないことは何も変わりません。主にあって忠実に働き、福音を言い広めるのに専念することですから。:)

何を予期すべきか? 4

3)- b) キリスト教が世相に乗ずる時

当時の日本キリスト教は、完全に時流の中にいました。日本基督教団の由来やその初代の長、富田満の話を読めば、教会が当時、神社参拝を拒まないどころか、積極的に行なっていたことを知ることができます。

その中で、ワイドナー女史が、聖書信仰、キリストの再臨信仰のゆえに、神社参拝は偶像礼拝としてそれを拒否する立場を取ったことで、教会は迷惑に感じ、指導者らは新聞の投稿などで美濃ミッションを批判をしていきました。

その批判の内容の一つを引用しましょう。

一部の宣教師や欧米心酔の一部の信者を持ってきて、キリスト教全体のごとく言われるのは、我々日本主義キリスト信者にとって迷惑千万。キリスト教と国体思想は何ら違反するものではない。・・・聖書を一字一句信ずべしという者は、ユダヤ教か美濃ミッション一派のみであろう。
(www.cty-net.ne.jp/~mmi/pdf_minojiken.pdfから抜粋)

さらに、米国からの宣教師もこの件についてはワイドナー女史に懐疑的だったのです。小冊子はもともと英文で書かれたものですから、編者フィエル女史による痛烈な、アメリカ人宣教師批判が行なわれています。宣教師たちやアメリカにある宣教団支部は、「内心ではワイドナー女史に賛成だが、これは日本人の問題であり、沈黙すべきである。」というものでした。

けれども、フィエル女史は、これら妥協する宣教師たちは結局、国外追放され、日本は以前にもまして異教崇拝に陥り、真珠湾攻撃しかり、米兵捕虜の酷い取り扱いしかり、幾千人もの米兵の命を失うなど、妥協によって高い代価を支払わされていると非難しています。

また、外地の朝鮮では、宣教師たちは朝鮮人信仰者らと神社参拝拒否を行なっていることを後に聞くことになり、宣教師らは大恥をかくことになります。

この美濃ミッションは、激しい圧迫を受けながら耐え忍んだ結果、迫害は下火になり、妨害を受けることなく宣教が可能になりました。宣教師たちも続けていることができました。ワイドナー女史の死後、美濃ミッションの牧師たちは投獄されましたが、そのまま敗戦を迎えました。

まさに、主が言われた、「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。(マルコ8:35)」との御言葉通りになったのです。

(「何を予期すべきか? 5」に続く)

何を予期すべきか? 3

3)世に組み込まれたキリスト教会

「美濃ミッション事件」というのは、簡単に言えば「マスコミによる市民騒動」ということができます。これが他の迫害と異なる大きな特徴について、美濃ミッションのホームページがこう説明しています。

1929年~1933年 児童の「神社参拝拒否」に端を発して、その保護者、教会、美濃ミッションを排撃する運動が、大垣市から日本全国に広がった事件。
信仰の「迫害・弾圧事件」は、国家によるものが多いが、「美濃ミッション事件」は学校・住民といった地域が行ったものに、国家・警察、教育関係者、軍隊までを巻き込んで拡大していったのである。

a)「民」による迫害

新聞報道などの媒体が、これらの騒動に大きな役を演じたことが、「何を予期すべきか?」に克明に記されています。私がこの歴史的事件を思い起こすにあたって身震いするのは、この故です。

他の国もそうですが、殊に日本ではその世相がそのまま国全体を動かす力を持っています。非常にまとまりのある民なのです。悪く言えば、国全体が変な方向に行くのを国民こぞって行なう素質を持っています。

それが日本を戦争へ駆り立てた大きな理由の一つであり、新聞とラジオによる煽動と、それに乗ずる大衆の圧力があって、決断がなかなかできなかった東条内閣を動かした、とも言えるのです。この部分で、ドイツのヒットラーの独裁とは異なっていました。

その証拠に、戦争に敗れるやいなや、国民総動員で懺悔を行ない、自分たちが行なっていたことをすっかり忘れたかのように、今度は戦後民主主義の中で、世界で類をみない平和国家としての自負を持っているのです。他の国々で戦争があるときに「なんと後進的なことをしているのだ。」と見下げる態度を取るのは、その為です。

マスコミというのは、非常に恐ろしい凶器となります。最近も「松本サリン事件」についてのドラマを見ましたが、誰かに非難の矛先が向けば、ものすごい攻撃をマスコミを通して一般人らは行います。

「国家主義は恐ろしい」ということを人々は言いますが、私はそれ以上に「大衆主義」の恐ろしさを感じます。今は媒体に、テレビとインターネットが加えられ、その勢いはさらに増しています。

これが「世の流れ」としてあり、キリスト者を迫害する潜在的な要因となっていますが、美濃ミッション事件において、迫害の一端を担っていたのが他ならぬキリスト教会であったという、恐ろしい事実があるのです。

(「何を予期すべきか? 4」に続く)