友人の牧者が、毎年の秋の合同修養会で話すことは、「修養会の中での言葉のやり取りなどでも、誤解や意見の違いなどで、試みを受けることがある。そういったことも含めて、霊の戦いの側面があることを知って祈ろう。」ということです。
教会においては、何気ない言葉のやり取りで、思いもよらない誤解があります。例えば、興味深いのは、関西出身の人たちの表現が気が利いたもので、関東の人が文字通り受けとめて、傷を受けたり、憤慨したりするとか。その他、本人がちょっと気が逸れて、挨拶することができなかったり、また、その人が一週間、信仰の戦いがあって、それで疲れていたとか、いろいろあるでしょう。
そこから出てくる言動で、自分の気分が害されても、大事なのは次です。
①裁かない
だって、その言葉を正しく自分が理解しているか、大方分からないからです。「こんなこと言われて傷ついた」という言葉をしばしば聞きますが、そう言っている時に「自分が、早まった判断をしてしまっていることはないか?」と心の中で戒めてみませんか。
「あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。(1コリント4:5)」 続きを読む 教会での会話にある霊の戦い