改めてイスラム教の紹介

(前記事「北大生のイスラム国参加未遂事件」からの続き)

そこで改めてイスラム教についてご紹介したいと思います。それは、キリスト者が近々、迫ってくるであろうムスリム伝道に備えるためです。

2001年の米国同時多発テロ事件の直後、急いでイスラム教について調べて、記事に残しています。

イスラムに働く霊

けれども、この記事はイスラム・テロリズムを踏まえた紹介であり、イスラム教義全般のものではありません。日本語によるものでは、中田考氏の、今は亡き夫人の書いた次のPDFが読み易いでしょう。

『やさしいイスラーム講座』、ムスリム新聞社、2007

『続・やさしいイスラーム講座』、ムスリム新聞社、2007

アッラーの性質

イスラムというのは、「服従、ゆだねる、明け渡す」という意味があり、唯一神アッラーに帰依すること、これがイスラムの信仰の支柱です。中田考氏の旧サイトにて紹介されているイスラムの根本教義から抜粋しましょう。

*************

イスラームの根本教義とは偶像崇拝の禁止に他ならない。
この世界の中に存在するいかなる被造物をも神としないことが、イスラームの大前提であり、その前提の上に全世界の創造主たるアッラーへの絶対帰依、即ちイスラームの教えが帰結する。 続きを読む 改めてイスラム教の紹介

北大生のイスラム国参加未遂事件

ブログでは、イスラム国についての記事をあまり載せていませんでしたが、フェイスブックとツイッター上では連続して載せておりました。ここでまとめたものを載せたいと思います。
中田考
北大生のイスラム国参加未遂の事件が大きなニュースとなりましたが、そこに元大学教授が関わっているという話が入ってきました。彼は中田考という、日本では稀有のイスラム原理主義の法学者です。私は半年ぐらい前から彼のツイッターをフォローしていました。彼はサブカルチャーのような体裁をもって、その教えることはアラブにおけるイスラム過激主義そのものであり、しかし説得力と新鮮さをもって分かり易く語っていること、そしてイスラム国を支持するだけでなく人脈や接触も持っていることから、いつか若者が影響されて、彼を通して参加するのではないかと感じていました。公安が監視していなかったら、よほどの節穴だと思っていました。

その中で、このニュースが流れて驚いたのです。そして、悔い改めに迫られました。「自分も、聖書を信仰の根本と信じる根本主義者だ。彼はイスラム法によるカリフ制を待望しているが、彼のように、私がキリストの御国の福音に献身し、傾倒してきただろうか」と。その時の驚きを次のツイッターとフェイスブックで次のように書きました。

************
(北大生本人について)東日本大震災の救援の時もそうだったが、クリスチャンではない団体の中には(もちろん一部だが)、「自分探し」の人が多かった。クリスチャンは、自分のために他者を愛するのではなく、キリストのゆえに愛するのであり、それしか理由があってはならない。 続きを読む 北大生のイスラム国参加未遂事件

恵比寿バイブル・スタディ(10月8日)

みなさんへ

こんばんは。今日の礼拝はいかがでしたか?台風が近づいていますが、明日のお仕事が守られますように。

今週水曜日に、恵比寿バイブルスタディがあります。

日時:10月8日(水)午後7時から
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:ルカ10章

エルサレムに向かうことを意識して続けて宣教の働きをしているイエス様の姿を見ます。10章全体を網羅できるか分かりませんが、良きサマリヤ人の話、そしてマルタとマリヤの話という大変重要な逸話が二つ出てきます。

お知らせ①
今後の恵比寿の学びについては、教会のカレンダーをご覧になると最も早く、先まで見ることができます。

お知らせ②
12月の予定ですが、10日と17日にしました。17日に、できれば学びの後にどこかで夕食会をしたいと思います。

以上です、よろしくお願いします。

チャック召天一周年

2013年10月3日午前三時(カリフォルニアの時間で)に、牧者チャック・スミスが天に召されました。彼を偲び、まずビデオを紹介します。

http://vimeo.com/80100442

次に、一年前に掲載したブログ記事をリンクします。

牧者チャック・スミス召天

牧者チャック・スミスから受けたもの

チャックへのインタビュー

神学バランスにあるキリスト者の成熟
(チャックの数々の追悼集会)

霊の戦闘隊形

私たちは、教会で新しい信者の学びをしています。それで、この前の日曜日は「霊の戦い」を学びました。代表的な御言葉は、エペソ6章10‐18節です。

Roman Soldier10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。11悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。12私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。13ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。14では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、15足には平和の福音の備えをはきなさい。16これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。 17救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。18すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

パウロがこの言葉を書いたのは、ローマにて牢獄にいた時です。彼をつないでいたのはローマ兵であり、兵士の武具を見ながらこのことを書いていることでしょう。彼は鎖につながれていましたが、かえって看守のローマ兵のほうが、パウロの語る福音につながれていました。そしてピリピ書1章によると、ローマの親衛隊が次々とイエス様を信じていったのです。

新約聖書の手紙には「私たち」という主語が数多く出てきますが、上の言葉もその通りです。私たちはしばしば、信仰生活を個人のものだけで考えてしまいがちで、ややもすると個人修養のように考えます。それで試練や霊の攻撃を受ける時に、それは自分の霊的な力が弱いからだと思ってしまうのです。しかし、パウロが上の言葉を話した時、読んでいるエペソの人々はそのように考えませんでした。戦いにおいて、ローマ兵が個人プレーでやっている姿など一度も見ていなかったからです。ローマ兵は絶えず隊形を組んでおり、完全に一致した行動によって戦いに臨んでいました。霊の戦いも同じなのです。「私たち」とあるように戦闘において隊形を組んで前進します。次のビデオをご覧ください。

これは、テストゥドラテン語で「亀」という意味)という、ローマの歩兵戦術で有名な隊形です。 続きを読む 霊の戦闘隊形

戦争より力ある武器

米国が、有志のアラブ諸国と共にイスラム国に対して戦争を開始しました。それで、いくつか映像や拙記事を紹介したいと思います。

ムスリムの人たちが回心する証しは、数多く聞いてきましたが、だいたい一様に劇的なイエス様との出会いをしています。幻や夢の手段によって、そして聖書からの言葉によって聖霊にはっきりと語られます。彼らは真剣です、だからキリスト者も主の愛によって真剣に付き合わないといけません。そして次に、以前にも紹介したことのある、ジェイ・スミス(Jay Smith)によるISISの台頭について、そしてキリスト者の応答についての勧めです。 続きを読む 戦争より力ある武器

恵比寿バイブル・スタディ(9月24日)

みなさんへ

こんにちは。また新しい一週間が始まりましたね。

明後日、恵比寿バイブルスタディがあります。

日時:9月24日(水)午後7時から
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第二会議室
聖書箇所:ルカ9章後半
※次回は、2014年10月8日です。

9章後半から、ついにイエス様がガリラヤを離れて、エルサレムに向かう道を読んでいきます。ルカによる福音書のみが、これだけ多くのページを、ガリラヤからエルサレムまでの旅に費やしています。イエス様に従う、弟子としての道の教えをたくさん読むことができます。

また、お会いできるのを楽しみにしています。

牧師の「先生」という呼び名について

フェイスブックにおける投稿をこちらにもご紹介します。

*************
ある牧師さんが、FBでとてもすばらしい投稿をされていました。

牧師になると先生と呼ばれることが多くなりますが、それは同じ信仰者が尊敬を払っているわけでいちいち否定していくことを止めました。

日本人の良いところである謙遜と敬愛ですので「先生=さん」と思っています。さんと呼ばれるのが社会通念ですから当たり前のことです。先生と呼ばれる牧師は高慢になりますと堕落していくか、神様から手痛いお仕置きがありますので重々私は気をつけています。もともと職業的な犯罪者のヤクザでしたから本来、先生なんて呼ばれてはいけない存在です。ですがこうして勝手に皆さんが先生と呼んで下さることこそが神の仕業なのではないでしょうか。どこまで行ってもへりくだりです。

どこまでも聖書の精神で!

このことについて、「先生」と呼ばれることがマタイ23章8節でイエス様がしてはいけない、という戒めに反することなのかどうかを考えてみたいと思います。主はこう言われました。「しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがはみな兄弟だからです。」そのまま読めば、確かに呼ばれてはいけない事になります。

しかし私は、そうではないと考えます。文脈が大事です。パリサイ人が教える立場にいて、人々から敬われることを好んでいることをイエス様は語られました。2節から語られていますが、7節だけ引用しますと「広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。」つまり、人に持ち上げられることを好んでいるという態度について、「先生と呼ばれてはいけない」とイエス様は言われています。 続きを読む 牧師の「先生」という呼び名について

律法主義の弊害

今朝、妻と共にデボーションをしていて、読んだ箇所の一部が次です。

しかし、王の娘エホシェバが、殺される王の子たちの中から、アハズヤの子ヨアシュを盗み出し、彼とそのうばとを寝具をしまう小部屋に入れた。こうして、ヨラムの王の娘、祭司エホヤダの妻、エホシェバは、・・彼女がアハズヤの妹であったので・・ヨアシュをアタルヤから隠した。アタルヤはこの子を殺さなかった。こうして、彼はこの人々とともに、神の宮に六年の間、身を隠していた。その間、アタルヤがこの国の王であった。(2歴代誌22:11-12)」

アタルヤから守るために、ヨアシュを神の宮の中に隠しておきました。けれども、ヨアシュは王族であって神の宮の中にいてはならない人物であるということです。神殿は祭壇から聖所のほうは、基本的に祭司の奉仕の場であり、聖所の中は厳しく、祭司のみしか仕えることができません。

事実、ウジヤは聖所の中で香の壇で香を焚こうとして、らい病に冒されました。

ではヨアシュは、なぜ主に打たれることはなかったのか?幼いヨアシュに、祭司の務めをさせることはなかったということはありますが、おそらく他の祭司の家の幼子といっしょに敷地内で遊んだり、祭司の子として紛れていたのではないかと思われます。 続きを読む 律法主義の弊害

陰謀論と神の主権

今日、米同時多発テロが起こり、世界が「対テロ戦」の時代に入って早13年経ちます。初めはアルカイーダ掃討のため、アフガニスタンを占拠するタリバンとの戦いから始まり、テロを支援する大量破壊兵器を持っているということで戦ったイラク戦争(第二次湾岸戦争)と続き、イスラム過激派との戦いは実に、ISとの戦いで再び大規模に始まろうとしています。

アメリカがイラク戦争を始めて数日後から、下のページで多くの記事を書いてきました。

聖書の中のイラク

そして当ブログでも、9月11日になると書いてきました。

日本キリスト者が試される9・11
911と311

米同時多発テロも陰謀論のネタに

世界貿易センター炎上13年経つこの日、「陰謀論と神の主権」という題名で書き残したいと思います。私は、ユダヤ人国際資本、フリーメイソン、イルミナティ、ロスチャイルド云々という陰謀論についてはトンデモであると思っていたので、基本的に無視していたのですが、真面目に経済界で受け入れられ、キリスト教界でも一部に信じられていることが分かってきました。9・11の後に、あるキリスト教の月刊誌に米国の自作自演説が堂々と書き記されているのです。 続きを読む 陰謀論と神の主権