(4月28日にフェイスブックに掲載)
コロナ禍が現代社会に警告する神学的課題:「創造の秩序」と自然界への慎み
こちらの論考、私もずっと、神がコロナを通して、何を語っておられるのか?という問いに、ここ1-2週間、語ってくださった応えでした。それは、「御子にあって神と和解し、自然と和解する」ということです。
きっかけは、自身が企画していた聖地旅行です。3月に、トルコとイスラエルに人々を連れて案内する予定でした。ところが2月終わりに、イスラエルが、韓国人の観光客に陽性反応が出たことから、日本も合わせて入国拒否になったため、断念しました。とても悲しく、悔しかったです。
その涙の心を持っていた時に、段々、これまでも見て親しんでいたイスラエルの自然が、信じられない美しさをもって回復しているのを見ました。ガリラヤ湖の水位が冬季に雨が降ったということもあり、どんどん上がり、ついに溢れるほどになったことです。自分が、ガリラヤ湖に行けなかった悔しさがある一方で、神が鮮やかに、「わたしは、わたしの造ったもので、栄光を受けているのだ」と語られた思いでした。