私たちの教会は日暮里駅と西日暮里駅の間にあり、この地域は在日の人々、韓国人、そして中国の方々が多く住む地域です。私が、「私の予測する日本の迫害」で話したことが、ますます身近になりました。今日、共に同じ場所を礼拝場として使っている中国人系の「東京日暮里国際教会」の姉妹が撮った写真です。
生々しい現実と福音の光
今回の記事は、もっと一般的な「生々しい人間の現実と福音の光」というテーマでお話ししたいと思います。キーワードは、「キリスト者の社会的責任」です。
当事者が聞いている可能性
私が教会開拓を始めて特に、自分が説教をする時の心構えが変わりました。それは、これまで見聞で得た情報で語ったことが、実はその当事者が会衆の中にいるかもしれないという可能性です。例えば、宮清めをイエスがなされた背後の腐敗した祭司制度を説明する時に、仏教の檀家制度や神社のことを言及したことがあります。すると、「聞いている人に伯父に仏僧がいたので、彼女は傷ついた。謝罪して説教の内容を訂正して欲しい。」という要求が来たことがあります。私はご本人には釈明と必要ならば謝罪もするが、説教の内容自体は変えることはできないと答えました。
この出来事は今の教会を開拓する前ですが、当事者がいるということを体感した初めての経験でした。
徐々に、自分が単に知識をまとめて話す聖書教師ではなく、まさに現場にいる人々が神に立ち返るべく呼びかける御霊に応えて語るのだということを感じています。ゆえに、御言葉を曲げて語ってはならないと思っています。実際にそれに該当する人がいるかもしれないと思いつつ、それでも語る逡巡は心に負担がかかり辛いのですが、いや、むしろその負担こそが、預言者が主から与えられた重荷(burden「宣告」と訳されている)なのではないか、と思うのです。
風俗発言&慰安婦問題の参考情報
以下は、二つの投稿記事「慰安婦問題」「『風俗』と男の尊厳」の続きです。
橋下氏の風俗発言に関連して、詳しく論評しているお薦めの記事が二つあります。
まずは、「小さな命を守る会」で長年主事であられ、性や命について、日本のサブカルチャーの視点から論じ、講演等をしておられる水谷潔さんの一連の記事があります。
「公益による弱者人権侵害の正当化」としての橋下市長慰安婦発言
「軍と性」、その基礎知識(1)・(2)・(3)
私は、一連の記事の中にある「綺麗事で済ませてはいけない」という言葉に感銘を受けています。イエス様が遊女や取税人と交わっているという非難を受けられましたが、このような問題を真正面から取り扱うことは、そのような誹りを受けかねません。
恵比寿バイブルスタディのお知らせ(5月22日)
聖書箇所:黙示録7章
「風俗」と男の尊厳
(前記事「慰安婦問題」の続き)
ところで橋下氏の意見は、「米軍は現状に目を向けなければいけない」と言いながら、実はご自身が風俗の実情に目を留めないという点で、非現実的で、夢想的ですらあります。性風俗における性病の問題、そして若い女性たちに、半強制的な状況で働いている者たち多くいるという現状、かつての日本の吉原にあったおぞましい惨状など、こうしたことには目を留めていないのです。そして実際にも、兵士の間に性病が蔓延し、それが兵力にも実際に悪影響を与えるという現実にも目を留めていないのです。
実は橋下氏は、なんと大阪職員の性的不祥事に対して、風俗を利用を勧めている発言を行なっています(記事)。したがって今回の発言は、軍というものを越えた彼の一つの信条に基づいていたものであるようです。彼は基本的に「男の性欲の大きさによって、女性が性犯罪を被ることがないでほしい、だから風俗を。」という歪んだ正義感があります。
そして、昨日の礼拝説教の中で、私は固有名詞を出しませんでしたが、彼の発言に触れました。神が与えれた尊厳の一つに「性」があり、風俗の利用は、女性の尊厳だけでなく、男性の尊厳を台無しにする行為であることを言及しました。
慰安婦問題
慰安婦問題について、このブログで意見を申し上げることはありませんでした。けれども、キリスト者として、また聖書的観点から論じてみたいと思います。安倍首相の歴史認識が、韓国や中国のみならず米国からも問題視されている中で、日本維新の橋下大阪市長が、もっとつっこんだ意見を言いました。
まずは記事の紹介から。
日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は13日夕、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を視察し同飛行場の司令官と面会した際に「もっと日本の風俗業を活用してほしい」と促していたことを明らかにした。米兵による性犯罪などの事件が後を絶たない状況を踏まえての発言だが、司令官は「米軍では禁止されている」などと取り合わなかったという。
橋下氏は今月1日、同飛行場を視察。その際、司令官に「合法的に性的なエネルギーを解消できる場所が日本にはある。真っ正面から風俗業を活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーをコントロールできない」と述べたという。
橋下氏によると、司令官は凍り付いたような表情をみせ、「米軍では禁止の通達を出している。これ以上、この話はやめよう」と打ち切った。
橋下氏は記者団に対して「事件が収まる因果関係があるようなものではないが、活用を真っ正面から認めないとダメ。兵士は命を落としかねない極限状況に追い込まれており、そのエネルギーを発散させることを考えないといけない」と述べた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130513-00000589-san-soci
日本カルバリーチャペル・カンファレンス
無事に日本カルバリーチャペル・カンファレンスが、昨日と今日で終わりました。今回の主題は「神の愛に応答する」ということで、ヨハネ第一の手紙を六人の話者が教えつつ、主への礼拝を捧げました。いつも親しくしている兄弟姉妹と会うことができ、また、私たちの教会から13人も参加することができました。その中でも求道者の方が決心をされて、主の御霊の働きを見させていただきました。
私個人も、とても強く主から語りかけられました。
映画「自殺者一万人を救う戦い」
今週はゴールデンウィーク。金曜日と土曜日には、日本カルバリーチャペルのカンファレンスを控え、私は数多くの聖書説教の準備でぶっ倒れそうになっています。(笑)そんなことをやっていながら、なおやはり心に残っていることをここに書き記したいと思います。
アイルランド人の監督による、一時間弱のドキュメンタリー映画です。上のサイトの【作品概要】から一部を抜粋します。 続きを読む 映画「自殺者一万人を救う戦い」
私の予測する日本の迫害
次のニュースについてお話します。
安倍首相になってから、国の流れが閉塞感から不気味な安堵感へと変わっていると感じています。私は彼、また保守系議員の動きは典型的な復古主義がその根底にあると見ていますが、しかしながらこのことに単に批判を加え、反対することが真の霊的な戦いだと思っていません。なぜなら、彼らのしていることは、日本という国の成り立ちに関わる深い宗教的、そして霊的流れを、正直に言い表しているものだからです。すなわち、神仏一体や先祖供養など、日本人のあり方の根底をなす部分を、国の制度として表明しようとする試みに過ぎないからです。
私たちがキリスト者になるときに、親がクリスチャンでなければ、徹底的な自己の死が必要です。家族や周囲からの圧力があります。それを、「いや、それでも私は主に従う」と決断したからこそキリスト者であることができます。日本は政治的には自由を享受している国ですが、霊的には他の迫害国と変わりない抑圧を受けています。したがって、単に政治的に抑圧を受けている国であれば、そのまま目に見える形で迫害に耐えているキリスト者としての生き方をすることができるのですが、政治的、また社会的自由があるがゆえに、かえって霊的な抑圧があることを見失い、妥協をする、あるいは黙ることによって、また積極的に自らの信仰告白や証ししないことによって、霊的成長を阻んでいる、ということです。
恵比寿バイブルスタディのお知らせ(4月24日)
こんにちは、お元気ですか?次回のバイブルスタディのお知らせです
日時:4月24日(水)午後7時から
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:黙示録6章
*次回の学びは5月22日になります。
ついに内容は患難時代(ダニエルの第七十週)に入ります。ダニエル書の後半部分の背景知識が随時出てきます。7-9章をまずお読みになると良いと思います。
よろしくお願いします。