一年を経て - 神の恵みの豊かさ

ちょうど一年前このブログに、「新しく教会を始めます」という題名で、ロゴス・クリスチャン・フェローシップの始まりを発表させていただきました。その時に、決して想像できなかったことが今、存在しています。頻繁に教会の礼拝に集われる方が15名になり、そのうち新しく信仰を持った人は5名です。夫婦たった二人だけでも礼拝を始めようと思って帰国しましたが、本当に神の恵みの豊かさを体験しております。

大きな恵みは、第一に新しい命が与えられたことです。ただイエス様を告白した、というだけではありません。それぞれの生活が変わりました。悩んでいた人がいま顔を輝かせています。祈りも積極的に捧げています。これ以上に喜ばしい知らせはありません。

第二に、すでにクリスチャンの人を含めて、すべてが全く新しく会った人々です。多くが、このロゴス・ミニストリーのウェブサイトを通じていらっしゃいました。そのため、私たちはみな同じ土俵に立っており共に教会を始めているのだ、という意識が強いです。

第三に、御言葉への飢え渇きです。ここまで長い説教に耐えられる教会はそう多くはないと思います。第二礼拝は90分近く費やしています!御言葉をどんどん飲み干している姿を見るにつけ、御霊の力強い働きを見ることができています。

第四に、互いの兄弟の交わりです。みながメールや電話などを通して、平日にも連絡を取り合い、祈りあい、互いに気にかけている姿を見ます。悩みを持っている人がいれば、一生懸命御言葉で励まし、具体的な案も出し合っている姿も見ることができます。

お祈りくださった方々、本当にありがとうございます!

来年への課題は、教会の人々が共に祈り、励ましあいながら、全体の方向性を神に求めていくこどだと思います。さらに加えられる魂に私たちが仕えていく奉仕者となっていくことが必要です。これまでの、愛による交わりをさらに深めながら、主に仕えることでキリスト者としての情熱を燃え立たせることが必要です。

具体的には、お子さんをお持ちの家族などもお迎えすることができるような場所が必要でしょう。礼拝賛美のための奉仕者も必要です。私と同じように聖書を教えることのできる奉仕者もさらに必要でしょう。来年、主が用意してくださっているものを楽しみに待っていきたいと思います。

そして重要なお知らせです。これまで土曜晩に第一礼拝を守っていましたが、それを日曜午前に移します!つまり、日曜日、同じ施設で午前礼拝と午後礼拝を捧げることになります。この予定の初めは、1月15日(日)です。また、改めてここでご連絡を致しますが、足立区の綾瀬駅近くにある施設で日曜日に、午前と午後、礼拝を捧げることになります。詳しいことは、教会案内のページある「活動カレンダー」をご覧ください。

唯物論という敵

前記事の続き)

進化論にとどまらず、今の日本社会、そしてキリスト教内にまで侵入している強い哲学が「唯物論」です。

唯物論とは

唯物論についてウィキペディアで見ますと、「唯物論(ゆいぶつろん、マテリアリズム、英: Materialism、独: Materialismus)とは、 観念や精神、心などの根底には物質があると考え、それを重視する考え方。」とあります。(こちらは、浄土真宗の信者によるブログですが、唯物論についての分かりやすい説明があるので参照してみてください。)

次いで、ウィキペディアはこう説明しています。

世界の理解については、原子論と呼ばれる立場がよく知られている。これは原子などの物質的な構成要素とその要素間の相互作用によって森羅万象が説明できるとする考え方で、場合によっては、森羅万象がそのような構成要素のみから成っているとする考え方である。非物質的な存在を想定し、時にそのような存在が物質や物理現象に影響を与えるとする二元論や、物質の実在について否定したり、物質的な現象を観念の領域に付随するものとする観念論の立場と対立する。

例えば、世界の始まりは神の創造によるものであるという考えは排除し、「ビッグ・バン」によって物質の爆発であると考えます。けれども、ビック・バンでさえ、「宇宙には始まりがある」とする創世記の記述により近づいたのであり、一世紀前には、科学ではなく宗教だと考えられていたのです。ダーウィンが思想的に強い影響を受けたライエルの斉一説(昔も今の自然現象と同じであったとする説)が主流でした。

そして、次の説明を読んでみます。

生物や生命の理解に関しては、生命が物質と物理的現象のみによって説明できるとする機械論があり、生気論と対立する。また、生物が神の意志や創造行為によって産み出されたとする創造論を否定し、物質から生命が誕生し、進化を経て多様な生物種へと展開したとする、いわゆる進化論の立場も、唯物論の一種と考えられることがある。

これは、先に説明したとおりです。さらに、次も読んでみます。

歴史や社会の理解に関しては、科学的社会主義(=マルクス主義)の唯物史観(史的唯物論)が特によく知られている。理念や価値観、意味や感受性など精神的、文化現象が経済や科学技術など物質的な側面によって規定(決定ではないことに注意)されるとする立場をとる。また、社会の主な特徴や社会変動の主な要因が経済の形態やその変化によって規定される、とする。

教会に浸透している唯物論

これらの説明を読んで、私は、意外にも、日本や世界のキリスト者は唯物的な考え方にかなり侵されていると思いました。

進化論で言えば、「有神的進化論」という立場を取る人たちがいます。進化の過程に神が介在されていた、とする考えです。しかし、その進化の過程そのものが唯物論に立っているので、両者が成り立つはずがありません。そのような人は、創世記1章と2章の間にある記述に矛盾があると言うのですが、実に基本的な聖書釈義をわきまえていない初歩的なミスを犯しています。

そして教会の中には意外に精神的に病んでいる人たちが多いです。そこで教会の中で、精神医学や心理学が取り入れられて、「鬱は脳の化学物質のアンバランスによって生じているものであるから、薬を飲めば大丈夫だ。」と平気でいう牧師がいます。実に乱暴な意見です。そして、精神的な病に対して、実に簡単に専門家に頼めばよいとする向きがあります。しかし、精神医学の専門家の間で、その危険性や弊害が盛んに議論されているのです。(例えばこちら

そして、例えばアメリカの中東政策に関して、経済格差のために過激派が生じているのだ、その貧しさを引き起こしているのはそのようなアメリカの経済支配のせいである、とするマルクス主義をそのまま信じている教会指導者もいます。イスラムが、ユダヤ教とキリスト教の発生の延長として出てきた、極めて私たちの信仰体系に関わっている宗教であるにも関わらず、その神学と思想体系を学ぼうとせずに、「経済の形態やその変化」によって語るのです。

聖書には、イスラエルの民とその敵が衝突して戦っている姿が、そして中東を中心とする世界が広がっているにも関わらず、「現代は理性によって社会が進展した」、したがって“文明間の対話”によって平和を構築することができるのだ、と考え、事あるごとにイスラエルやアメリカの軍事行動を批判する人も、やはり唯物的な史観に立っているのです。

共産主義・社会主義は唯物論

米国の人たちは共産主義に対して生理的嫌悪感を多かれ少なかれ持っていますが、日本人はそこまでの抵抗感がありません。けれども、これが何をもたらすかは、先ほど参照した唯物論の説明を引用すれば分かります。

もし人間が機械でしかなく、心(感情も含め)は電気信号でしかないなら、愛情も電気信号で何らかのプログラミングの一つでしかないわけですね。その笑顔も、感謝の言葉もつくられたもの。涙流しておわびしているのも全部誰かのシナリオ。こころから 悪いなんてさらさらおもっちゃいない

もしすべての人が機械なら、心からのおわびを期待するのが間違いですね。愛情をもとめるのもおかしい。そんな心はないのだから。あったとしても所詮はつくりものだから。

自分の機械なら(たとえばパソコン)を分解しても文句をいわれる筋あいはないし、違和感も感じません。ではあなたが購入したペット(犬とか猫とか)も同じように分解してもいいことになりますね。人間を殺しても機械を壊したレベルの話しですよね。本当にそれでいいんですか?

「そんなことを思うはずないではないか?」と思われるかもしれませんが、事実、スターリン、毛沢東、ポルポト、そして昨日死んだことが発表された金正日は、みなこのことを平気で行ってきたのです!アメリカのCIAが、ちょっとテロリストに拷問をしてしまった、という領域の話では全然ないのです。そして社会主義国にありがちな、平気で嘘をつくこと、環境破壊、子供を人身売買で売ることなど、これらはみな唯物的な考えから来ているのです。

偶像崇拝より悪い唯物論

私は幼い時の原体験として、神社があり、年越しや元旦参りがあり、その反動として神社や仏教の伝統行事に対して強い反応をしますが、唯物論は、神道的価値観、多神教よりも悪いものだと思っています。

(=反キリスト)は、先祖の神々を心にかけず、女たちの慕うものも、どんな神々も心にかけない。すべてにまさって自分を大きいものとするからだ。その代わりに、彼はとりでの神をあがめ、金、銀、宝石、宝物で、彼の先祖たちの知らなかった神をあがめる。(ダニエル11:38)」

キリスト者は、もちろん宗教に関わる伝統行事には参加しません。けれども、それはあくまでも自分自身が天地を創造された神を愛しているからであり、その背後にある共同体の意識や、自然を超越したところに何かがあるとする考えそのものを否定しているのではありません。むしろそれらを大切にしない人々の中には、自分自身が神となっています。自分しか信じていないのです。そして何をあがめるかというと、「とりでの神」つまり、武力という物質を崇めているのです。これこそ唯物論でなくて何なのでしょうか?

しばしば、米国内を中心にして、「私たち教会はキリスト教原理主義にある反知性に陥ってはならない」という意見がありますが、むしろ逆に、「私たちは、物質を絶対化する価値観に対抗しなければならない。」というのが真実ではないのでしょうか?

科学は検証可能なものだからこそ成り立つものであり、その理論が絶対真理ではないことを、科学の健全化のためにも訴えるべきです。科学を相対化していかねばなりません。そして、精神病や深刻な人間関係の問題の時に、専門家に委ねる時があるでしょうが、専門家の見識や力を過大視してはいけません。長血を患った女は、医者にかかってますます悪くなりました。

私たちはもっともっと、キリストの御霊に、その愛の御霊により頼まなければいけません。心傷ついた人に必要なのは、カウンセリングの専門知識以上に兄弟姉妹にある愛と祈りであります。専門家がどんなに分析しても、それを全きものにする実体は専門家には存在せず、私たちの間におられるキリストなのです。

そして、信仰をまだ持っていない方へ - 神は、人間が作り出したものだとお考えでしょうか?そうではなく、神がおられて、その中に人間が生かされている、と考えたほうが自然ではないでしょうか?なぜ、机上の空論ではなく人間の根源が問われる時、つまり苦しむ時に「神様」と叫ぶのでしょうか?美しい絵を見たときの感動は実在しないのでしょうか?唯物論的にいえば、それは単なる色彩を持つ化学物質にしか過ぎないのです。薬が本当に人の心を癒すのでしょうか?今は、精神科医の出す薬の依存症という病まであるのです!「物」というのは、目に見えない価値に服従してこそ存在目的があるのではないでしょうか?

後記:「社会主義も唯物論だが、資本主義もそうではないか」という、資本主義の中にある危険性を指摘してくださった意見を頂戴しましたが、私もその通りだと思います。

進化論の発表から社会進化論なるものが出て、それから「自然淘汰」という言葉が社会的にも使われるようになりました。産業発展の中にある、弱者切り捨てていく土台になり、その問題は今にまで続いています。ただ、その対抗として社会主義思想が出てきたのですが、それもやはり唯物論思想に基づくものであり、どちらも私は唯物的発想だと思います。

ただ、マックスウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で指摘されているように、「正直であること」「勤勉であること」などの聖書的価値観が、市場経済の中で生かされうることは確かです。

そして弱者救済においても、私は日本の社会福祉制度は優れていると思っていますが、「国」の果たす役割もありますが、「教会」が主体的に関わっていく自発的な救済がもっと強調されていいのではないか、と思っています。(今回の、キリスト教団体の主体による被災者救援はその良い例です。)国はその性質から官僚主義に陥りやすいし、それに頼ることも神への信頼を疎外することにもなっています。

そして社会主義国家の中では、政治的自由や信教の自由は制限されますが、霊的自由については、神の主権によってかえって守られている、という部分があります。教会が迫害によってかえって清められ、前進するという神の原則です。信教の自由のある国ほうが、しなくてもよいことを行ってしまう、肉が働きやすい余地が多く残されており、私たちは彼らにはない克服すべき課題を持っています。

The Voyage That Shook The World (世界を震撼させた航海)

最近、私たちの教会に、創造論とイスラエルについて強い関心を持っておられる兄弟が加えられました。彼の祈りを聞いても、教会内の事柄を超えた、神の創造や中東に対する神の御心を求めるものが多く、とても励まされます。

私も進化論についての記事を最近、書きましたので、その兄弟がいくつかDVDを貸してくださいました。私が進化論について調べていたとき非常に興味を持ったのは「ダーウィンという人物はどのような人なのか」というものでしたが、そのDVDの一つがすばらしいドキュメンタリーでした。

DARWIN: The Voyage That Shook The World(ダーウィン: 世界を震えさせた航海)
日本語の字幕もあるので、ぜひおすすめです。(Amazon.co.jp)


Watch The Voyage That Shook The World in 信仰・ライフスタイル | View More Free Videos Online at Veoh.com

ダーウィンの生涯の研究家は、「ダーウィンという人物をどんなに調べても、何か不思議な部分がある」というようなことを言っていましたが、やはりそうだったか、と思いました。このドキュメンタリーの話の全体の流れは、「彼が聖書の天地創造以外の、生命の起源の説明を求めた思索と思想の葛藤と追及」と言ったらよいでしょうか。当時は、あまりにも当たり前に神の創造が受け入れられていましたから、そこからの脱皮が彼の意識下にあった叫びであったような気がしました。

彼の時代に横たわっていた、キリスト教的世界観に対抗していた思想が「唯物論」でした。彼はそれを使って進化論を構築し始めました。そして専門家の一人が、「宗教と科学の対立、というけれども、実際は、宗教と唯物的科学思想との対立である。」と言っていますが、私は大きくうなずきました。

そこで次に、私がずっとこれまで気になっていた「唯物論」について述べてみたいと思います。

次記事へ)

新しい学び - 【ダビデの生涯】

とうとう12月も後半に差し掛かり、クリスマスそして年末と続きますね。イエス様のご降誕を祝いつつ、新年に向けての主に対する新たな思いも抱かれているかと思います。

恵比寿バイブルスタディも、私たちが日本に帰国してから早一年が経ちました。主がここまで守り導いてくださったことを感謝しています。

明後日、21日から学びはサムエル記第一・第二となります。サムエル記第一1-3章辺りを読んでいてください。この前分かち合いましたように、キリストを表し示すもの代表的人物は、アブラハムそしてダビデです。イエス様の系図に二人の名前が載っていることには、大きな意味があります。アブラハムについては信仰と恵みについて、その具体的例を見ることができます。

そしてダビデについては、神の国についての幻、そして神の国に生きるための、神を王とする礼拝者としてのダビデの姿を見ることができます。

日時:12月21日(水)
19:00~20:00 聖書の学び
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
20:15- 年末食事会
場所:筑紫樓 恵比寿店

<食事会について>
これまで、出席することを伝えてくださった人は十名で定員が12名なのであと二人参加することができます。行きたい方はご連絡ください。

<来年1月の学び>
18日(水)・25日(水)の予定です。

感謝。

明日(12月17日)のLCF学び会

土曜2時の弟子訓練の聖書学び会は、通常、足立区こども家庭支援センターで行われますが、明日は足立区の私たちの自宅で行います。詳しい行き方は、下のメールにお問い合わせください。

info@ logos-ministries.org

その他の活動は通常通りです。

17:45 祈り会 御茶ノ水クリスチャンセンター307号室
19:00 第一礼拝 同上

12月18日(日)13:30 足立区こども家庭支援センター 別館三階

未来へのキオク


私たちはインターネットで、被災地で同じ場所の震災前と震災後を並べた写真というのを見たことがあると思います。Googleが、「ストリートビュー」の機能を使って、すぐに震災前後の写真を見ることができるようにしたそうです。

未来へのキオク ストリートビュー

このグーグルのブログ記事に説明が書いてあります。

ちなみにメインページには、写真保存プロジェクトを行っています。これはヤフーでも行っているプロジェクトですが、こちらも紹介します。

東日本大震災 写真保存プロジェクト

東松島救援旅行12月12-14日 その④

その③の続き)

木村さんは、私たちの救援活動でイエス様を信じた初めての人です。

息子の一美さんとお母さんのこなみさんと、4月10日、綾瀬東部教会で初めて会いました。お二人は、地震の時、仙台市内の病院にいました。自宅は津波に流されているだろうとのことで、他の家族や親戚のいる東京へ向かって避難を開始しました。途中で原発事故の知らせを聞いて、南下がさらに切実なものとなりました。そして、足立区の武道館に他の福島の被災者の人々と避難生活を始められました。

東京都はボランティアの武道館内での活動を許しませんでした。路頭に迷ったボランティアの人々は、近所の教会の人が活動場所を提供するという申し出を喜んで受け入れ、それでそこで活動を開始するようになりました。

私は、4月10日にそこの韓国系教会で説教の奉仕を頼まれていました。牧師さんとは1997年以来の知り合いですが、普通は同じ韓国人の牧師に不在の時は説教を頼むものです。けれども原発事故で牧師も含めて本国に帰ってしまって、見つからなかったのこと。自分自身も教会を始めているのに・・・という不満を持っていましたが、妻が「困った時にはお互い様でしょ!」と喝破し、合同礼拝にして自分の教会の人々にはその教会に来るようにお願いしました。

その礼拝が終わって交わりを持っている時に、木村さん母子に会ったのです。

その時に私たちは既に、4月4-7日の第一回救援旅行を終えています。導かれたのは東松島の牛網避難所でした。そして12-15日に第二回を計画していたのですが、出身を聞くとなんと東松島の月浜だとのこと!「月浜」は、仙台出身の私にとって思い出深い海岸であり、それも驚きでしたが、相手も私が仙台出身だとのことで非常に驚いていました。そして私は、「今、どうなっているかお宅の写真を撮ってきますよ。」と申し出ました。

その後の話は、本ブログの記事をご覧ください。(検索に「月浜」と入力すれば一連の記事を読むことができます。)

東北の被災者であられながら、東京に被災しているということで、私たちはいっしょに救援旅行に行ったのを含めて、ものすごいたくさんの時間を共に過ごしました。その中でたくさん福音を語り、お二人は私たちがただ親切にしているというだけでなく、その背後にキリストがおられることを認めるようになってきました。

そして仮設住宅が八月に月浜に与えられて以来、私たちは木村さんのお宅に宿泊させていただいて活動をしてきた次第です。

そして十月に、綾瀬東部教会で魯牧師や、同じく木村さんをお世話している同教会の石原さん親子といっしょに何時間もキリストについてのお話をし、ついに聖書の学び会を始めることに同意してくださいました!それから基本的に週に一回、学びを始めることができたのです。

そして、お母さんがイエス様を心に受け入れて、はっきりと信仰告白をなさいました!息子の一美さんも、「まだ信じられない」と言いながら、かなり自分自身がイエス様の世界に入っていることを告白しておられます。そして一美さんの妹さんもおられますが、月浜の人々に挨拶をするために、14日の午前二時頃、仮設住宅に到着しました。

14日の朝に挨拶をしました。睡眠時間が少ないはずなのに、かなりお元気です。そして、いっしょにご飯を食べて、朴牧師と姪さんとも一緒に、聖書の学びの時間を持ちました。箇所はヨハネ3章、有名なニコデモの話です。

上の写真はとてもまじめな顔をされていますが、三人は冗談がいつまでもとまらない面白いご家族です。今回は一美さんの妹さんも初めて福音を聞くことが出来、いろいろな質問をしてくださいました。ご三人はクリスマス前には帰ってくる予定です。それまで、月浜の人々に対して、特にこなみさんを通してキリストのことが伝えられていけば、と祈っています。

そして、私たち四人は松島に立ち寄り、そして帰途に着きました。朴牧師と姪さんとは、充実した主にある交わりを持つことができました。彼は韓国人でありながら、在日中国人に対して牧会をしておられます。世界宣教への想いがとても強い方です。大きな励ましを受けました。

どうか、続けて牛網地区、そして月浜地区の働きのためにお祈りください。チャックさんと由美さんが東松島に引っ越すことになると思いますが、その手続きがすべて守られるようにお祈りください。月浜に、東松島の被災の平地となった地にキリストの香りを放つ花が咲き乱れるよう、お祈りください。

東松島救援旅行12月12-14日 その③

その②の続き)

そしてすぐに炊き出しの時間になりました。談話室に動いたら、ほぼ準備が整えられていました。メニューは「醤油チキン」です。これはハワイの料理で、カルバリー所沢の牧師トラビスさんが牛網などの避難所でずっと作り続けていたものですが、いつも人気がありました。ジョエルさんのもとってもおいしく、みなさん大変おいしかったと喜んでおられました。また、私たちが近所で知り合った、信者ではないですがボランティアの人が送ってくださった古着の箱も置きました。そしてもちろん、伝道文書も並べています。

食べ物を出した後に私たちも食べ始めたら、しばらくしてコーヒーを飲みにおばさん、おばあさんたちが来てくださいました。これまでに増して、心を大きく開き、たくさんのことを話してくださり、私は時間をかけて接しつづけていったことがどれだけ大切かを実感しました。

私自身気になっていたことは、どうして月浜や宮戸島の住民がほとんど死者を出すことがなかったのか、ということです。率直に質問してみたところ、まず一年に一回訓練を受けていた、ということがあります。そして次に、これだけ大きな地震であれば、「津波は必ず来る」という危機意識です。

ある奥さんは、神社が避難所になっていたけれども、大きな機械が作動しているようなものすごい音が聞こえ、津波が接近してくると知るとその裏手にある、先ほど私たちが上った小山へと逃げたそうです。またたくまに山は水で取り囲まれましたが、水が引いた後に他の人々が避難した宮戸小学校へ動いたそうですが、大浜にあるペンションが道を塞ぎ、数十センチしかない隙間を、恐る恐る歩いたそうです。他のYoutubeの動画には三月末には、そのペンションが道を塞いでいたことを教えてくれます。


(ペンションは30秒ぐらいのところに出てきます。)

そして、もちろん警報が鳴り響きました。それにそのまま聞き従った、ということもあります。そして、お年寄りの方々は、マイクロバスがその時駐車してあったので、それに乗って宮戸小学校に逃げたそうです。その時に、いくつもの要因が良い方向で連結して流れた結果、月浜地区からは誰一人死者が出なかった、とのことです。

宮戸島は唯一の陸路をつなぐ橋が壊れたため分断された孤島となったことで有名ですが、自衛隊が橋を復旧する数日間は、ヘリコプターが救援物資等を宮戸小学校に運んだそうです。そして患者など治療の必要な人は、船が往復したそうですが、その船も海に浮かぶ瓦礫の中を恐る恐る運行したそうです。(参照記事

そしてチャックさん&由美さん、また宜野湾チームとお別れしました。彼らは、仙台市若林区にあるロイ&ナンシーさんの家に泊まっています。私たちは、仮設住宅の木村さんの家に泊まりました。

そして次の早朝、私は朴牧師といっしょに散歩にでかけました。前から気になっていた月浜海岸の右手にある小山に登ってみたいと思っていました。階段から上がると昨日見た景色よりもずっと見渡せる全景を楽しむことができました。

その④に続く)

東松島救援旅行12月12-14日 その②

その①の続き)

月浜での活動は、クリスマス・コンサートに加えて炊き出しもあります。今回、宜野湾カルバリーのチームには、沖縄バイブル・カレッジで学生の毎食の食事を用意するジョエルさんがいらっしゃいました。彼は、到着すると仮設住宅の談話室にある小さな台所を使って、夕食の準備を始めました。1時過ぎから4時半頃に出すまで、延々とそこで働き続けました。

仮設住宅には、談話室の他に隣接する小さな公民館があります。どこかのボランティアの方々が建ててくださったと聞きました。談話室は炊き出しの準備があるので、公民館を借りることにしました。

準備が終わり、まだ開始まで時間があるので、トミー牧師はザック、オーストラリア人のトムを連れて散歩しようと持ちかけました。私が案内を申し出ました。月浜海岸の説明をし、そこで8月にバプテスマ式を行ったことも話しました。月浜集落が、ニ・三軒を除いて全壊していますが、当時は瓦礫の山であったことも説明しました。そのまだ立っている家屋は、興味深いことにすべて岩の上に建っています。イエス様による、岩の上と砂の上の家の例えを思い出しました。

そしてトミーさんが、集落の奥にある神社の裏手に小道を見つけたので、行ってみました。その小山からは、月浜の裏手(西)にある海岸も見ることができました。そして、下の写真はその小山から撮った月浜集落です。

ちなみに私は改めて、津波直後の集落の姿と比べてみたいと思ってYoutubeで調べたら、上の写真の左手にある「かみの家」と呼ばれる民宿(避難所にも使われた)から三月末に撮影された動画があったので、比べてみてください。

そして私たちは、直前に家々を一軒ずつ挨拶していって、コンサートの案内をしました。

小さな公民館にたくさんの方々が来られました。小野駅前と同じように、チャックさんの日本語の挨拶、ザックのクリスマスの歌、それからクリスマス・メッセージです。

小野駅前仮設の方々よりも、熱心に、耳を澄まして聞いてくださった感じがします。前者の多くが初めて会う人々であるのに対して、こちらは何度もお会いして、掃除のお手伝いや炊き出しを続けてきました。その中で信頼関係が作られていったような気がします。

チャックさんと由美さんが、ついに東松島に引っ越すことができそうになったことを発表しました!そうしたら、みなさんがとても喜んでくださいました。もし、津波もなく普通の時にこのような引越しを話したら、決して簡単には受け入れられなかったでしょう。津波によって、むしろ結ばれている絆というものがあります。そして私たちの願いは、福音によってキリストとの絆が結ばれることです。

その③に続く)

東松島救援旅行12月12-14日 その①

みなさん、お祈りありがとうございます。今年最後になる救援旅行から昨日無事に帰ってきました。

いつもの通り、運転手のいない私たちの旅行は運転手探しから始まるのですが、今回は主催が既に仙台に引越ししたチャック&由美・ロブさんで、そしてお二人を送り出している沖縄のカルバリーチャペル宜野湾のチームによる、クリスマス慰問コンサートが主体です。私はただそこに独りで付いていこうと思って始めは同乗をお願いしていましたが、最近、妻が知り合った韓国人の牧師さん夫婦の旦那さま(朴牧師)が同行したいと申し出てくださいました。そして今、日本に旅行に来ている姪の方もいっしょに四人で足立区を出発しました。

12日午後4時頃に到着しましたが、特にその人はすることがありません。月浜を少し見た後に松島に戻って、以前、宿泊に使った湯の原温泉の隣にある500円温泉に入りました。食事もそこで取りましたが、私と妻は松島では名産のカキフライを食べましたが、かなりおいしかったです。

そして13日は午前9時に、牛網の隣にある「小野駅前仮設住宅」に到着しました。ここが牛網の避難所の人たちが数家族住んでいるところで、そのつてで、談話室でクリスマスコンサートをすることになりました。

初めに、チャックさんが全部日本語で、挨拶の言葉と自己紹介の言葉を話してくださいました!それから、ザック・ルイスさんがクリスマスの歌をうたい、そしてチャックさんによるクリスマスの話が始まりました。単純に、しっかりとキリストの受肉、そして十字架と復活の福音を語りました。そしてザック・ルイスさんのお父さんで、カルバリー宜野湾の牧師のトミーさんが、何曲か日本語で讃美を導き、それからお茶の時間になりました。

私たちにとっては、牛網の今泉さんの他はほとんどが顔の知らない方々でした。野蒜地区や浜市の人々もこの仮設には住んでいるからです。けれども、やはり津波の時のお話を分かち合ってくださりました。辛かったのは、近所で寝たきりのおじいさんかおばあさんを助けようとした方は、「私は構わないから、あなたは逃げなさい。」と言われて、逃げて助かったという話でした。仕方がなかったとは言えども、助けられなかったという心の傷は大変深いものがあります。

そして、私たちはそこでお弁当を食べてすぐに月浜の仮設住宅へ動きました。

その②へ続く)