改めて「戦争」を考える その1

ちょっと重い内容です。けれども昨日は長崎原爆投下記念日、そして、間もなく終戦記念日なので、取り上げてみたいと思います。そして、戦争は信仰を持っていない人がキリスト教に対する疑問として、また信仰を持ってからもその整理をどうすればよいのか分からない、という方が多いかと思いますので、取り上げてみたいと思います。

昨日私は、ある福音派の教会の牧師さんのブログにコメントを入れました。元文は下のリンクに行ってください、ここでは私のコメントのみを転載します。

いま、改めて「聖戦論」を問う

私のコメント

K先生の旧約聖書における、イスラエルの戦争の説明は、私もすべてその通りだと私も強く思います。そして黙示録についての説明は、一点だけ同意できないのは(といっても小さい部分においてですが)、「象徴」と言っても、やはり実体を伴っているからこその表現だ、という点です。ノアの時代の洪水の時の裁きが文字通り物理的な「水」であったように、使徒ペテロは次の裁きは「火」によるものであると言っています(2ペテロ3:6-7)。

それが核ミサイルだ、ということではありません。けれども、その可能性はないとも断言できません。むしろ、核ミサイルを人類が製造したというところに、私は主イエスの再来というキリスト者が抱かなければいけない「目を覚ましなさい」、つまり、キリスト者として慎み深く生きていく、という終末的時代性があると思います(1ペテロ4:7-8)。これを、神からの警告的徴候と受け取るのは、私は充分に霊的に有益であると思います。

それから、アメリカの保守派のクリスチャンについてですが、K先生は、普段からどれだけ実際の人々に触れているでしょうか?私は自分の属しているグループがそうなので、四六時中付き合っているのですが、それゆえに、簡単に「アメリカ人の保守派のクリスチャン」と括られてしまうと、私の心は多少なりとも痛みます。

インターネットの記事や、あるいは政治的論議になれば、それこそ自分自身の意見を表明するかもしれませんが、核武装を聖書で是認するような議論はこれまで20年近く付き合ってきた仲間の間ではほぼ皆無でした。たとえ政治的また軍事的に個人的見解としてそれを是認したとしても、(しかも是認したとしても消極的です)、それはあくまでも個人的見解であり、聖書的見解や信仰的信条として取り上げる人はごくまれです。

ましてや、イスラムのジハード論にある「積極的に核を用いることによって、メシヤの到来を早める」という考えは、強烈に反対する保守的キリスト者のほうが圧倒的に多いでしょう。たとえキリストの名を使っても、コーランを破る牧師が出てきたり、中絶する医師を殺したりする出来事が起こるたびに、激しい嫌悪感を示しています。

したがって私は、簡単に「アメリカ人の福音派クリスチャンは」と括ってしまうことに、私は反対に、日本の福音派の人々の間で、彼らに対する偏見が生まれているのではないかと危惧しています。特に指導者が発する言葉は大きな影響を及ぼします。

普段の彼らは、主イエス・キリストのすばらしさ、罪の力から自分を解放してくださった生ける神を強く信じて、その喜びであふれている姿で満ちています。政治や社会現象に対する見解は横に追いやられています。キリストの弟子たちの間には、ローマの犬であった取税人もいたし、ローマ打倒の武闘派であった熱心党員もいました。この一致を、私は国や民族や、政治的意見を超えて存在しているところに、キリストの福音の醍醐味があるのではないかと思っています。

そして、聖戦論を掲げるのが間違っているのと同じように(私も上に申しあげたとおり、K先生の聖書理解に95パーセント以上同意しています)、絶対的平和論を聖書からどこまで導き出すことができるでしょうか?(今、K先生がそのような意見の持ち主だ、ということではなく)私が申し上げたいのは、「私たちには、すべてを知り尽くすことはできない。」ということです。勧善懲悪は、聖戦論のみならず平和論にも同じように存在します。

戦争については、私の聖書理解では「戦争は起こるもの」という人間の現実、罪に起因する現実としては述べていますが、それを起こしてはならないという「べき」論としては述べられていない、というものです。主イエスは、戦争反対運動を起こされなかったし、ローマの兵士への信仰をほめましした。あらゆる人々にご自身の姿に触れてもらうべく、全ての人々に仕えておられました。むしろ、そのような分派、意見の対立とは無関係のところで、けれども、その間に振り回されながら(イエスご自身も、使徒たちも、パリサイ派、サドカイ派、ヘロデ党などの思惑の中で翻弄されました)、イエス・キリストの福音を伝え、また示したと思います。

それは聖書理解のみならず、私の実体験でもあります。いろいろな国に行って、住んで、やはり、「戦力はいけない」という考えは日本固有のものです。むしろ、軍隊と隣り合わせで生きており、それは生活の一部になっており、それを反対するという発想も起こっていません。(だからといって、それが正しいという判断も下していません。)

お隣の韓国は、男性がみな徴兵です。弾丸を込めるし、実射訓練も受けます。そして老年の方々は、朝鮮戦争を生き抜きました。その彼らに、「共産主義」と「自由」を同列に並べるようなことを話すものなら、顔を赤らめて怒られるだけでしょう。どれほど恐ろしい目に遭ったか、その実体験を持っているからです。

イラク戦争の性悪論も日本の福音派界でも盛んですが、戦争前の状態のほうが戦争による抑圧よりもひどかったことを、フセイン大統領の側近の一人であった福音派信者のジョージス・サダが述べています。

私は「イラク戦争」が正しかったと述べているのではありません。そうではなく、アメリカに存在する「聖戦論」また正戦論に焦点を合わせるうちに、実際に自国が戦場になった人々の声が聞けなくなってしまっているのではないか?という危惧です。

以上のことを申し上げましたが、それでも、日本国のみが戦争行為の中での被爆の体験をしています。そして、平和憲法も与えられています。その日本という国にいるからこそ発信できる、キリスト者から見た戦争というのもあります。こうした「自分を神はこの国に生まれさせてくださり、この国に生きているからこそ、発信できるものがあるのだ。」という慎み深さや謙虚さを持っているのであれば、実に有意義なことだと思います。そうすれば、日本国の慎ましい希望もあります。けれども、それをすべての戦争行為の事象に恣意的に当てはめるところに無理があるのでは・・・と思わざるを得ません。

私は広島に行ったことはありませんが、長崎には行った事があります。その本島市長はかつて広島に対して「広島よ、おごるなかれ」という題名の論文を出しました。

また被爆したカトリック信者永井隆は、敵であるアメリカに対して、徹底して「愛して、愛して、赦し抜け!」と攻撃的なまでに、赦しを説いています。

お互いに許し合おう…お互いに不完全な人間だからお互いに愛し合おう…お互いにさみしい人間だから
けんかにせよ、闘争にせよ、戦争にせよ、あとに残るのは後悔だけだ。  (「平和塔」より)
敵も愛しなさい。愛し愛し愛し抜いて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。愛すれば愛される。
愛されたら、滅ぼされない。愛の世界には敵はない。敵がなければ戦争も起こらない。
http://isidatami.sakura.ne.jp/heiwa3.html

カトリック信仰に支えられた発言ではありますが、それでも私は、こちらのほうに日本の希望、キリストにある希望に近いものを感じます。

そして、国家と宗教の分離についてですが、私の知っているアメリカ人保守派クリスチャンは、K先生のご意見とまったく同じです。「キリスト教が政府公認の宗教になることに対しても、私は断固たる反対を表明します。」まさに、英国から逃げてきたのがその自由を得るためであり、その伝統を守りたいと願っているのが、アメリカ保守キリスト教の流れです。

私たちが辿ってきた国家神道の歴史については、完全に同意します。けれども、その目線でアメリカという国を見てしまえば、とまどうばかりです。米国にはこのキリスト教の流れがあると同時に、リベラリズムの流れがあります。これは自由主義というよりも、キリスト教への対抗、反キリスト教の色彩が強いです。

多くの欧州・北米からの宣教師は、「日本は自由があっていい。」と言います。例えば、カナダではラジオにてキリスト教の番組は禁止されています。なぜなら、「同性愛は罪である」という信条が、政治的公正から外れるからです!ですから米国には「文化戦争」というのが繰り広げられているのであって、唯一、ユダヤ・キリスト教の価値観を保持しているのが福音派の人々です。彼らが力を失えば、そうした反キリスト教的な制度や法律が次々とできてしまうのであり、それこそ、日本の国家神道によるキリスト者が受けた抑圧を彼らが受けてしまいます。

こうした全体的背景を見なければ、それこそ「公正」という神のご性質から外れてしまうのではないでしょうか?

以前にも、「オサマ・ビン・ラディンの殺害」について米国人が喜ぶ姿を批判されていましたが、在米日系のクリスチャンで、日頃はアメリカの好戦的な姿、自由を標榜する姿に非常に批判的な方でも、「意外に私の周りでは冷静であり、意見が二手に分かれた。そして遺族のことを思えば、やみくもに喜んでしまう姿を批判することはできない。」と吐露しておられました。

以上です、文章が長くなり失礼しました。

(コメントはここまで)

この牧師さんは、私はあることでとてもお世話になっている方であり、信仰においても実践においても優れている評判を聞いています。他にも日本の福音派の牧師さんには、すばらしい方がたくさんおられる、ということをここで申し上げたいと思います。ですから、私がここで取り上げた異論は、決して個人や福音派の教会を引き落としたいのではない、ということを付け加えさせてください。

先のコメントに書き損じた部分がありますが、大きな疑問点は、「では、どうするのですか?」ということです。アメリカの聖戦論がおかしいのは分かった、けれども、では日本にいるキリスト者が何を、どうすればよいのでしょうか?

彼は、「キリストはむしろ平和の使者、愛の使者として来られた」と言われます。まさしくその通りです。でも、それは単に米軍の行っていることをブログにおいて批判することが、平和のキリストを伝えることなのか?米国人クリスチャンの戦争についての考えを批判することなのか?それとも反戦運動を展開するのか?在日米国大使館に陳述書を出すのか?ここの「手段」の辺りが、私はどうしてもわからないのです。

そして、もう一つの大きな疑問点は、米国の軍事行動を批判するキリスト者の行っている「平和」の意味も理解できません。いわゆる戦闘行為のない状態が、聖書の行っている平和なのか?・・・実際に、数多く旧約聖書には武器を持たず平和な状態が続く神の国を描いているが、それは王の王、主の主であられるメシヤが絶対的権力をもって君臨されている、再臨後の話です。それを再臨の主が来られていないのに、恣意的に持ち込もうと試みるのは、それこそ聖戦論を批判している「神がなさること」を「人間の行為」で行っていることではないでしょうか?

そして聖戦論を掲げる人の「罪の定義」を批判しているが、「平和」の意味もはき違えてはいないか?罪とは「人の自己中心性であり高慢」であるとおっしゃっているが、平和は、その罪に対する神の怒りが取り去られた状態、罪が取り除かれ、神との平和を私たち個々人が持っている状態なのではないか?「信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。(ローマ5:1)」国の戦闘行為がない状態を言っているのではありません。

私には、どうしてもいわゆる「平和論」も「聖戦論」と同類項に見えてしまうのです。

(「その2」に続く)

礼拝の心構え

来週の日曜日の夜から、水曜日のお昼まで、静岡城北教会の牧師、見城さんが主催する、有志の仲間たちによる「マラナサ・バイブル・フェローシップ」の集会に参加しに行きます。場所は「富士山麓の村」です。テーマはそのまま「再臨」で、私はテサロニケ人への手紙から二回に渡ってお話ししようと思っています。

そして、私たちが初めて南カリフォルニアのカルバリー聖書学校を訪問した時(1994年)、そこにに通われていた学生の一人が菊地一徳さん(Kaz カズ)でした。彼は今回、もう一人のスピーカーとして招かれています。また久しぶりにお会いできるので楽しみです。

彼は長野県で教会をしていて、「マラナサ・グレース・フェローシップ」と言います。そこにある内容は盛りだくさんで、読んでいてとても楽しいです。そこにある教会の紹介のページに、以下の礼拝の心構えについての言葉がありました。辛口ですが、私たちの心にちっくっと来るところがあるのではないでしょうか(私はありました!)。どうしても形式的になりがちな礼拝です。一度読んでみましょう!

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礼拝のようで礼拝にあらざるもの・・・

   日曜日だけクリスチャンになる事。  

   日曜日だけが礼拝日だと考える。

   特に用事がない時の余暇としての礼拝。

   クリスチャンは何処でも、いつ何時でも礼拝できるので、教会にわざわざ足を運ばなくてもよいと言い訳する事。

   親睦目的、ご利益目的等、神をほめたたえる事以外の他目的礼拝。

   礼拝に遅刻しそうになって慌てて苛立つ事。

   教会に着ていく服装のことで口論する事。

   礼拝に向かう車中で喧嘩し、教会に到着すると何もなかったかのように敬虔なフリをする事。

   礼拝に堂々と遅刻して人目をはばからない事。

   教会の椅子を他人の礼拝を観覧する為の客席とする事。

   礼拝厳守しない人を蔑視し、さばく事。

   賛美を説教前の前座、ウォーミングアップ程度だと考える事。

   何も考えずに国歌や校歌のように賛美を習慣的に口ずさむ事。

   カラオケのように賛美を歌い自分の歌声に酔いしれる事。

   自分に引きつけるような賛美のリード、発表会のような賛美演奏。

   人に聞かせる、作文のように読み上げる祈り。

   あたかも神が何も知らないかのように情報を並べ立てる祈り。

   念仏を唱えるような主の祈り。

   長い祈り、美辞麗句のオンパレードが立派な祈りだと考える事。

   退屈な決り文句を繰り返す、実のない無味乾燥な祈り。

   人の祈りの最中、別のことを考える事。

   祈りの課題を他人事として聞き流す事。

   礼拝中、時計をチラチラ見る事。

   礼拝前に遊び疲れて説教中に居眠りする事。

   説教を興味のない講義のように散漫な心で耐え忍ぶ事。

   先週の説教内容を忘れる事。

   説教を聖書によって吟味せず鵜呑みにする事。

   説教をいわゆるお説教として個人攻撃の場とする事。

   説教を寄席の興業、独演会のような小劇場だと考える事。

   説教を仕込みや下ごしらえを要する手の込んだ料理ではなく、レトルトやインスタント食品のように提供する事。

   説教後に説教のポイントを確認するような説教じみた祈りをする事。

   神が貧乏であるかのように献金のアピールをする事。

   献金を搾り取るような礼拝集金プログラム。

   神ではなく、人目を気にしながら献金する事。

   会費のように支払う献金。

   税金のように嫌々渋々支払う献金。

   プレッシャーの伴う献金、プライドの伴う献金。

   献金に見返りを求めるご利益主義。

   献金で牧師を食わしてやっているという思い上がり。

   献金を地域清掃に参加しない出不足金のように考える事。

   当番だから、他にやる人がいないから否応なしに機械的にする奉仕。

   奉仕に気を取られ、奉仕にかまけて礼拝どころではなくなる事。

   主の晩餐よりも今夜の晩餐の方が気になる事。

   キリストの裂かれた体と血を象徴するパンとぶどう液をスーパーの試食の如く軽率に口にする事。

   同じ礼典でも聖餐式を自分の洗礼式の時のように新鮮な気持ちで受けていない事。

   究めつけは、礼拝後が礼拝前よりもキリストの似姿に変えられていない事。

 これら全ては礼拝にあらざるもの。私たちは礼拝中に自分が礼拝していない瞬間を断続的に持つ。これら一つ一つを改めていけば、私たちの礼拝はより一層、神に喜ばれるものとなる。礼拝は自分や人を喜ばせるものではなく、神を喜ばせ、主の栄光を現わすもの。天のまことの教会における礼拝者は全てキリストに似た者とされている。そこで私たちは完全な礼拝をほふられた小羊に永続的に捧げるのだ。MGFは地上で礼拝を捧げながら携挙を待ち望みつつ、天の礼拝を目指す。
(http://www.mgf-jc.com/mgf-churchより)
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恵比寿バイブルスタディ8月10日

こんにちは!
みなさん、お元気ですか?

私たちは先週の月曜日から水曜日まで再び東松島に行ってきました。8月2日に、ハワイアン祭りを盛大に行うことができ、そして3日には、6月に清掃した月浜海岸で私たちの教会の初穂の一人である瀬谷さんが、バプテスマ式を受けられました!思えば、12月22日に、恵比寿バイブルスタディに初めて来られて、それは日本においてキリスト教関連の集会に参加した初めての時でした。

主の御名をほめたたえます。

また前回の学び(7月27日)に、一人の方が初めて学びに来られました。感謝です。また久しぶりにお会いできた方もいました、とても嬉しかったです。次回の学びは次の通りです。

日時:8月10日(水)19:00~
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:詩篇107篇以降
※ 食事は学びの前と後で持参ですることもできます。

次々回は8月31日を予定しています。

主に感謝。

本日のLCF第一礼拝の部屋変更

こんにちは。急遽、LCFの第一礼拝(19:00)の部屋の変更をお知らせいたします。

御茶ノ水クリスチャンセンター 811号室

祈り会(17:45)も、そこで行います。

今日、礼拝讃美をカルバリー所沢のピーターさんが導いてくださいますが、今、彼の母教会である、カルバリーチャペル・ウィンドワードから宣教チームが日本に来ています。それでその七名が、礼拝に参加するとの連絡を今日受けたため、急遽、部屋を変更しました。

宜しくお願いします。

東松島救援旅行 8月3日

私たちの初穂

私たちLCFにとって、8月2日に続き、3日はとても重要な日です。LCFは、今年2月に礼拝が始まったばかりのほやほやの教会ですが、12月29日に私たちの家に来てくださった瀬谷さん、そして教会には通っていたものの救いの確信がないと言われる久喜さんが、イエス様を自分の心に救い主として受け入れる祈りを捧げました。そして一月に新井さんが、そしてその他、ロゴス・ミニストリーのサイトを通して来られた、互いに全く新しい間柄で始めました。

その初穂である瀬谷さんが、バプテスマ式を受けられます。教会というものが初めてなので、勇気がいるのではないかと気にしていましたが、「えっ、特に緊張していません。」とのことで、そんな心配もまったく要らないことが分かりました!

そして6月20-22日に月浜海岸の掃除をした時に、「ここでバプテスマ式をするのはどうか?」というアイデアが私の頭に浮かびまして、復旧しつつある被災地で新しい命をお祝いするという、斬新な出来事にあずかることができました。

今回は、私の両親が来てくれました。両親には第一回、第二回の救援旅行で大変お世話になっています。その時に近所の方が、不思議にも両親と同じ教会に通い始め、そして主イエス様を信じたばかりでした。その娘さんも同時に訪問してくださり、私たち(トラビス、リッチ、山東さんを含め)はその父子とも知り合いです。さらに、両親は、福島県相馬市を実家に持つご夫婦も誘ってくれました。このブログ記事にも書きましたが、私たちは三回そこに訪問し、畳出しや泥出しを手伝わせていただきました。

このようにして、続けてキリストの証しを立てる機会を与えてくださった主に感謝しています。

海岸の案内

朝のデボーションの箇所は、続けてエリシャの話で、らい病にかかったナアマン将軍の話でした。彼がヨルダン川に七度水に浸かったら、幼子のような皮膚になったところから、あらゆる誇りを捨てて、主の命令に従うなら、幼子のようになる新しい心が与えられることを分かち合いました。

この話をしているうちに、仙台から両親のグループが来てしまいました。少し待たせてしまいましたが、瀬谷さんと私で月浜海岸の紹介をし、それから月浜地区で全壊した家々をお見せしました。海水の温度が気になっていましたが、最初はひんやりするものの、十分に入ることができる程度でした。雨も降らず、だからといってかんかん照りにならず曇りで、昨日の祭りもそうでしたが主に天候のことも感謝しました。

バプテスマ式

そうこうしているうちに、松島のホテル大松荘に宿泊しているチームが到着し始めました。私は、アメリカからのチームに、市が重機で解体した木村さん宅の跡地を見せながら、主がしてくださったことの経過をお話ししました。

私は、讃美は見城さん、そしてバプテスマ式は山東さんにお手伝いをお願いしていました。セットアップも終わり、開始です。この後は、下の二つのビデオをお楽しみください。

讃美と祈り

御言葉とバプテスマ

マルコ3章31-35節から、バプテスマとは、キリストの十字架と復活にあずかる者になったことだけでなく、肉の家族から神の家族に入ったことを分かち合いました。そしてなぜ、ハワイからわざわざこの地に来て救援活動をしているのかというと、神の家族になったことの証しだから、ということを話しました。

そしてビデオでご覧になれば分かりますが、瀬谷さんが本当に喜んでいる姿を見ることができますが、彼女から後で聞くと、水から上がった瞬間に、バプテスマの大きな意味を初めて知ったとおっしゃっていました。水から上がると、砂浜には数多くの兄弟姉妹が祝福しています。自分がまさに、神の家族の中に招き入れられた祝福を感じ取られたそうです!

そして、砂浜のところでしばらく互いの交わりの時間を持ちました。昨日は奉仕で忙しかったけれども、余裕をもって交わりができたのではないかと思います。

そして、トラビスたちはおそらくその後、石巻に行き、初めて来た人たちにその被災地を見せて回ったのだと思います。私たちは、車の運転の安全のために、日が暮れる前に東京に到着したいと思っていたので、すぐに帰りました。事故もなく無事、昨日、7時頃到着できました。

全てのことを主に栄光をおかえしします!

東松島救援旅行 8月2日 その2

祭りの開始

私たちが戻ると準備はすべて終わり、すでに参加者が集っていました。昨日であった、能面作りの方も、面を持っていらしてくださいました。まったく新しい人々はもちろんのこと、牛網の人々もたくさんいました。牛網学習等のリーダーである千葉さんはこの日のために仕事を一日休んで、ずっといっしょにいてくださいました。彼は、石巻で壁紙を貼る仕事を再開していますが、車にはしっかりとハワイ祭りのちらしを貼っておられます。

食事を受け取る、途絶えることのない長い行列に、食事は足りるのか心配しましたが、案の定、4時ぐらいには、かき氷を除いてほぼすべてなくなっていました。用意していた人数を鑑みると、参加者は千人を超していたと思います。

月浜避難所の掃除

そしてLCFのメンバーは、奉仕を切り上げて月浜海岸の避難所に向かいました。ここはすでに、誰一人も残ることなくすべてが仮設住宅に移れたことを知りました。物の取り出しと、床拭きです。

そして実は、宜野湾カルバリーのチャックさんも来て、掃除しています。彼らは前回(6月20-22日)、東松島の奉仕の後、サマリタン・パースと、コミッティド・リリーフでの奉仕もして、そして帰路の途中、再び月浜に立ち寄ってスパムおむすびと、庭の掃除のお手伝いをしました。今回も似たようなスケジュールで、3日からサマリンタン・パースを手伝い、8日に月浜で何かをしたいと私に尋ねていたのです。それで、月浜避難所の担当の方に聞いたら、道の向かい側に室浜公民館があるからどうか?との提案でした。その事務室に行ったら、すぐに快諾です。チャックさんたちが用意したポスターとチラシに、日程と場所を手書きしてお渡しすることができました。

掃除が思ったよりも早く終わりましたが、皆さんが集まった時にチラシを渡しました。けれども、「小野地区のことですよね。」という言外の反応を感じ取りました。・・・この地域全体に言えることですが、地域の方々はとても暖かく私たちを迎え入れてくださるのですが、町ごと、地区ごとに地域意識が細分化しており、なかなか地区を超えたこのようなイベントに所属意識が芽生えにくいようです。けれども、月浜の方々に私たちがいつもいっしょにいますよ、というメッセージを掃除の手伝いを通してお伝えすることができたと思います。

祭りも終盤

そして私たちが戻ったら、食べ物はほとんどなくなっていました。そしてハワイの女性たちによるフラダンスが行われていました。

唯一、日本語による福音が語られる場は静岡城北教会の見城さんによるカントリー・ゴスペルとyoshiyaさんによる讃美のみです。もう終わったとのことですが、yoshiyaさんは、はっきりと神の愛、イエス・キリストの十字架も語ることができた と言っていました。ハレルヤ!

そして、時間に余裕ができたので、私たち奉仕者も他の人と語り合う時間もできました。私は牛網の千葉さんと話すことができました。彼が突然、「今がら、どうもろごし、とってくっからしゃ」と言って席を立ちました。「えっ、とうもろこしって、あの5月初めに津波の砂に覆われたところに植えた、とうもろこし?」と思ったらそのとおりで、20分ぐらいしたら戻ってきました。すごい、生でもものすごく甘くておいしいです!植えた時に千葉さんは、「あなたたちが、この実を食べるのだ。」と言っていましたが、はたしてそのとおり私たちが食べることができました。今度は、「来年は、もっどおおぎくづくるがら」と、来年までの付き合いをほのめかしていました!

他にもいろいろな人と話しましたが、時間が来たのでみなで急いで片付けを始めました。人数も多いので、時間がかからず済みました。

それから小野市民センターの担当の方が、「お礼の言葉」ということで話してくださいました。私たちのほうがこの施設をお借りすることができ大変うれしいのに、かえって来てくださり、ありがとうございましたとの言葉をいただきました。そして撮った写真を加工して印刷した紙をトラビスに贈呈しました。ブログがあるので、記事をアップしますとのこと。今見たらありました、ご覧ください!

こまちちゃんの四季物語 ①
こまちちゃんの四季物語 ②

イーオン利府で夕食

みなで主をほめたたえながら、帰途に付きました。山東さんによると、これだけ大人数が食べられる場所があるとのこと。私たちLCFは、万一にそなえて自分たちの昼食を朝に用意していましたが、彼らは余ったものを食べる予定でした。ところが足りないぐらいで、彼らは昼から何も食べていません。けれども、たまたま宣教師の一人がトイレに行きたいと言って高速から降りたところに見つけたのが、イーオン利府とのことです。

私はいつも利府町に住む姉のことを、利府を通過するたびに思い出していました。それで今回は、久しぶりに電話しました。元気そうで何よりでした!

そしてイーオンでは、寿司一パックが498円など、非常に安いものがたくさん売られていて、フードコートでは、マックなど他のお店もあって、確かに大人数が一緒にしかも安く食べられるところで助かりました!LCFの仲間もおなかが空いていて、たくさん食べてしまいました。

東松島救援旅行8月2日 その1

東松島市の当日の最低気温は摂氏20度ぐらいで、涼しい夜を過ごすことができました。私たちは六時に起床し、いっしょに持ち寄りの朝ごはんを食べ、それからデボーション(御言葉と祈りの時)を持ちました。

「空の器を持ってきなさい」

私がずっと主から示されているのは、エリシャという預言者です。彼はエリヤがこの地を離れる時に、彼の霊の二倍の分け前を欲しいという願いをしました。はたして、彼の働きは神の御霊の現れが、エリヤ以上に見ることのできるものでした。

エリヤはかつて、食べ物がなくて死にそうになっている母子の所に行き、そしてつぼの油がつきないという奇蹟を行ないましたが、エリシャは、家賃の滞納で取り立て屋に脅されていた、やもめに、近所にある空の器をかたっぱしから持ってきなさい、と命じました。子どもたちが持ってきましたが、もう器がなくなってしまった時に油も止まったのです。その油を売って、滞納金を支払いなさいとエリシャが勧めました。

同じように、御霊の働きでは、自分たちが片っ端から自分の手を伸ばして、人々に働きかける時があることを話しました。そうしたら、主がその手を、ご自分の御霊の働きで満たしてくださいます。

また私たちは、周囲に住んでいる月浜地区の住民に声をかけはじめました。歩いてみると、以前、避難所で水餃子を作った時にお会いした人たちに何人か出会うことができました。向かいの人も顔見知りの人でしたが、なんと午後二時から、その避難所の後片付けをするとのこと。すべての人が既に仮設に移動できていたのでした。私は、「ああ、月浜の方々には来ていただけないな。」とあきらめかけたところ、妻は「では、私たちも手伝います。」と申し出ました。祭りを抜け出して、お手伝いすることにしたのです!そして掃除をなるべく早めに終わらせて、祭りにお誘いしようと言う計画に変えました。

ドミノの一押し

そして私たちは、小野市民センターに向かいました。この市民センターに主が導いてくださったきっかけも不思議です。私はトラビスから、前回の旅(6月20-22日)の後に、「ハワイの祭りをしたいという思いがあるが、祈ってくれないか。」と頼まれました。それから、「今度は大きな規模で行いたいので、牛網の避難所ではなく、他の避難所の人々も来ることができるように、中立のところが良い。できたら、市にかけあってくれないか。」とのこと。

私たちはこれまで、避難所の人々に対して直に接してきて活動をしていたので、私は、役所の人がどう反応するのかちょっと不安でした。宗教団体の人たちは断られるのではなか、と思っていました。ところが、反応は「どちらの場所が良いですか?」とのこと!許可というよりも、斡旋しているような口調でもあります。それで、私はグーグルの地図で避難所の一つとして上がっていた、牛網地区の東隣、そして浜市地区の北隣にある「小野市民センター」をダメ元で言ってみました。そうしたら、「そこは大きい駐車場がありますし、残された避難民の人たちがそこに集められることになっています。」とのこと!

そして、私は11日から22日まで海外にいたのですが、カルバリー所沢とカルバリー府中のトラビスとリッチが、11日に下見に行ったところ、小野市民センターの担当の方が全面的に協力してくださり、また私自身も彼らの二度目の25日の下見に一緒に行きましたが、その立地や空き地の大きさなど、祭りをするのに最適な所でした。

思えば、牛網学習等の避難所に導かれたのも、石巻に行こうとしていたところ、「ここら辺で何か救援の必要はないのか。」と思いながら、壊れて営業停止になっていたサンクスに頭を突っ込んで聞いたところ、その店長が牛網学習等の避難者の一人でした。私がしたのは、「首を店内に突っ込む」だけだったのですが、それからドミノ倒しのように、たちまち主の素晴らしい働きを見ることができたのです。「グーグルの地図を見る」のも同じでした。

「主の御霊のあるところには自由があります。(2コリント3:17)」
「一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。(1コリント12:13)」

キリストにあってまとまったチーム

小野市民センターに9時半頃到着し、そして10時にはほぼ全員が集まりました。総勢70名ぐらいいます!まず、カルバリーチャペル所沢と府中が、教会員の多くの人々を今回、連れてきたことがあります。それから、彼らが遣わされているカルバリーチャペル・ホノルルから、また同じくオアフ島にあるカルバリーチャペル・ウィンドワードのチームが来ています。それから、山東さんのカルバリーチャペル西東京が、yoshiya君も含めて来てくれて、見城さんの静岡城北教会の仲間も四名いらっしゃいました。そして、この夏、交替で小さなチームを送り続けているカルバリーチャペル宜野湾の人々もいます。

また、今回、カルバリーチャペル沖縄から、写真撮影だけに特化して奉仕に来てくださったアメリカ人の姉妹が一人と、同じく沖縄カルバリーから、完全に引っ越して、仙台市若林区にある一軒家から主の新しい働きのために専念する、ロイさんもお手伝いにいらっしゃいました。

この姿を山東さんが、ツイッターでこのように記しておられます。

朔日の東北、東松島ハワイ祭りで見たキリストの体が主によって機能する姿は見事でした。これは主がされていると。同じ群れとは言え特に会議を重ねたわけでもなく自然に色々な所から集まって祭りをし、みんなの思いは一つ。『この愛を伝えたい』。誰一人自分を主張しないで仕える者となっていた各リーダーは友達だから。これは教団とか組織というのではなく、主にある友達。そこに利害関係も、上下も、力関係も、お金もない。そんな事を実感させらせた一日でした。私たちが互いに愛し合ってるのを見て、周りの人々は私たちがキリストの弟子である事をしるでしょう。

準備開始

2トントラックから降りて来たのはトラビスで、彼が簡単に仕事分担を割り振りました。ハワイ風かき氷、醤油チキンとホットドック、ハワイの工作、子供たちの遊び場(ボール投げゲーム、ジャンピングハウス)、フラダンスとゴスペルコンサートのためのステージ、椅子並べ、そして聖書やトラクトを置く台です。

私たちLCFはその時に、最後の聖書・トラクトの台係りになっていたのを知りました。けれども、それはただ文書を置くだけですから手が有り余っています。数人は山東さんが仕切る料理を手伝いに行きました。

牛網地区を広報車で廻る
そして私は山東さんに「広報や宣伝はどうなっていますか。」と聞いたところ、「職員の方が車を出してくださることになっている。」とのこと。そこで、西東京の若い姉妹二名が鶯嬢になり、私たち夫婦も乗り込みました。そして道を歩いている人がいれば停車してチラシを渡します。

私は運転手の方に「牛網全域をお願いします」と頼みました。牛網地区と行っても、私たちは実は仙台と気仙沼の間を走っている国道45号線の南側(海沿い)の牛網地区においてのみしか活動していませんでした。その内陸側の牛網地区も周りました。新築の一軒家が立ち並んでいます。けれどもその一部は、市営住宅だそうです。ネットでは拝見したことがありましたが、もう一つの牛網地区にある避難所も立ち寄ることができました。(この避難所のラジオ番組の取材を見つけました。)

そしてしばらく走ると、仮設住宅が見えてきました。すると、なんとそこに牛網学習等にいた、元気なショウ君がいるではありませんか!私は嬉しくて、嬉しくて、彼に抱きつき、いっしょに喜びました。

それから、45号線の海沿いに回ります。職員の運転手の方は舐めるようにして、牛網地区を廻ってくださいました。牛網学習等にいた方々にも何人か出会いました。そして午後は、市民センターのある小野地区を廻ってくださいました。ただひたすら感謝。

東松島救援旅行8月1日

先日お伝えした東松島救援旅行は、豊かに主に祝福されるものとなりました!

主に三つの祝福がありました。
① LCFのメンバー六名が、月浜の仮設住宅で寝食を共にできた。
② 海外と国内のカルバリーやその他の兄弟姉妹たち70名近くが、1000名以上の東松島市民に祭りを通してキリストの愛を伝えることができた。
③ LCFの初穂の一人、瀬谷さんがバプテスマを受ける恵みにあずかった。

今回は、一台、綾瀬東部教会のワゴン車をお借りして、LCFのメンバー6名で乗車し、出発しました。1時頃、私たちの家を出発し、車の運転に慣れていない三人が交替で運転しました。祈りに守られ、怖い思いもすることなく、無事に戻ってくることができました。

そして、今回の恵みは、私たちの愛する奥松島の木村さんが、ご自分の仮設住宅を私たちの宿泊に貸してくださったことです。他の大勢のメンバーは、松島のホテル大松荘に泊まりましたが、既に60名以上になっていたので、素泊まりで宴会場で寝ました。私たちがいないため、それだけスペースができたと思います。

そして、何よりもLCFのメンバーだけの時間をじっくりと持つことができ、大変うれしかったです。部屋は3DKで、冷蔵庫、電子レンジ、炊飯器など文化的生活をするのに必要なものはすべて揃えられていました。私たちは少し自炊をすることができました。

1日は午後7時頃に到着しました。鍵の受け渡しを、東松島に住んでおられる木村さんの友人の方が室内で孫娘さんと待ってくださっていて、その後、2時間近く団欒の時を共に持ちました。彼は能の面を二十年もの間作っておられる方です。寂しかったのか、私たちにご自分のことをいろいろ話してくださいました。娘さんと孫さんを津波で亡くした話もしてくださいました。私たちからも、少しイエス様のことをお話しすることができました。

【補足】複合的視点の例

下の記事、「二項対立という罠」の補足として、原発問題や軍縮問題についての冷静な議論の例を引用します。

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http://diamond.jp/articles/-/13160?page=3

反原発vs.原発維持
単線的な2項対立を乗り越え、
社会の「総リスク」を減らす視点で議論をしよう
――ジャーナリスト(恵泉女学園大学教授) 武田徹

 例えば、原発事故が起きたときの避難地域の設定です。最初に行われた同心円的設定は、ずいぶん批判されました。確かにそれはその通りで、同心円的に距離に反比例して危険性が小さくなっていくことはない。風向きなどが関係しますから。SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータも、もっと早く公表すべきだった。その点では危険性を指摘する人たちの言い分にも一理ある。

 その一方で、たとえ現実の放射性物質の飛散状況に合わせて、危険性の分布を表す地図が描けたとしても、その先には避難することのリスクと避難しないことのリスクを比較するような視点があってしかるべきで、さらに年齢的なリスクも考えた上で、適切な避難のあり方を、もう少し議論してもよかったと思います。

 あるいは子どもたちに関しても、田舎の小学校というのは同調圧力が強い。例えば、原子力関係で働いている人の奥さんがPTAの有力な人であれば、彼女に逆らって避難しにくいという状況が生まれがちになる。

 そういった社会的な背景があって、事はそう簡単でないにもかかわらず、都市部の反原発の運動家は「なぜ避難させないのか」と、すごく簡単に議論しています。そうすると避難=反原発運動というようなイメージができて、電力関係者はかえって頑なになるかもしれないので、むしろ反対に、避難するという道をふさいでしまいかねない。だから、何が問題なのかを丁寧に見ていって、解決できるところは解決する。避難するか、しないかという乱暴な議論では、問題は解決できないと思います。

 私は最近、高坂正堯さんの言説をよく引きます。彼は絶対平和論者、絶対中立論者を批判しているのですが、その主旨は次のようなものです。目的としては尊いが議論がない。絶対中立のために、アメリカ軍は日本から撤退すべきであるというけれども、そのとき過渡的には東アジアの軍事的緊張は高まらざるを得ない。そういう議論がないのは問題で、手段の話をしたうえで、時間をかけて目的を達成していくか、目的自体を修正していくのか、そういうことをすべきで、目的と手段の「対話」が必要だと言っている。
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「二項対立」という罠

これまで、皆さんがこのブログ記事を読まれている時に、私が必死になって書いている話題の共通点が、「相反する主張、議題をどのように対処するか」ということだと気づかれているかもしれません。

以前はイラク戦争についてでした。私は、米国と米国内の福音派教会に対する過度な批判に疑問を呈し、「米国が中心なのではない。神の預言の計画が一歩進んだだけなのだ。」「神は、このような戦争(善悪を判断せず)をも用いて、ご自分の栄光のために用いてくださる。」「米国を批判する人たちは、そこには生身の人間がいることを知るべきだ。米国人は聖人ではない、怒ることもするし、間違いもする。憐れむべきだ。」ところがこのようなことを書いたら、大変な目に遭いました。教会関係の人であろう人からも、一般人でも決して書くことはない脅しのようなメールも受け取りました。

そして、今は原発問題です。私は一度も原発を推進すべきという立場で書いたことはありません。それよりも、その大きな動きに対して、あえて牽引して、冷静になるべき多角的な見方を提供しようとしたつもりでした。「神の主権の中で政府と東電には感謝すべきだ。(支持するということではなく。)」「これまで事故が起こっていなかったこと、私たちが死んでいないこと、これも神の憐れみの中にある。」「たとえ危険があっても、主が守ってくださる。そうでなくても、被爆するよりも、さらに失ってはならない健康、すなわち霊的健康(平和、愛、寛容)がある。」けれども、どうしても政府や東電を支持しているように受け止められます。これはいったいどうしてでしょうか?

二項対立を楽しむディベート

私は、救われる前後は大学で英語ディベートを行なっていました。その討論は日本国の政策を主題としており、当時(1990年前後)から原発問題は大きな話題でした。民事裁判で、弁護人がどちら側の顧客につくか分からないように、ディベーターは肯定側につくか、否定側につくか直前まで分かりません。ですから両サイドの主張を用意するのです。これは完全に思考ゲームであり、相手を叩き潰すのが目的ではなく、第三者である審判にいかに説得力のある主張をすることができるかの訓練の場です。

ちなみにアメリカでは、ディベートで良い成績を収めた人たちは法廷で働いたり、弁護士や政治家になる人が多いです。福音派のキリスト教大学リバティはこの部門に力を入れており、良い成績を収めています。世の光、地の塩となるべく、世においてキリスト者の立場を弁明することができるようにする、というのが目的です。(CBN News)

そして、私の記憶では、「原発全面廃棄」の政策主張は非常に強固でした。「廃棄すべきである」という議題に対して、肯定側が数多く勝っていました。理論構築が非常に優れているからです。「放射能の被害」の甚大さを示し、かつ、原発放射能漏れの要因を列挙すれば、その要因がどんなに可能性が低くとも、否定側は、時間内にすべての要因を潰さない限り、負けてしまうのです。そして、肯定側にとってアキレス腱である「政策実効性」のところを否定側が叩いても、「原発全面廃棄しても、他の発電方法で十分に賄える」という議論で肯定側は対抗します。

けれども、ディベーターはその結果を見て、反原発になることはありません。なぜなら、「一つの事象には常に二つの視点があり、その対立する項目を擦り合わせることによって、本質が見えるから。」とわきまえているからです。肯定側・否定側のどちらにも付ける利点は、「物事を複眼的に、多角的に見なければいけない。」と思えることです。

二項対立に必要な慎み深さ

したがって、「反原発 対 原発推進」という二項対立は、専門家が議論している相対する論点を自分が第三者として、審判として聞き、自分の頭の中で判定を下せばよい内容のものです。どちら側に付かなければいけない、というものではありません。あるいは、付いても良いのですが、「自分がすべてを知っているのではない。」という慎み深さを持っている必要があるのです。

けれども、反原発運動をしていること自体が間違っているのではありません。あらゆる市民運動には、その達成すべき目的があり、社会において一定の役割を果たします。けれども、やはり、政府があり、行政があり、世論があり、その他の社会構成要素の一部に市民運動があるからこそ、その運動に意味を持つと言う「慎み」が必要です。しかし、運動は先鋭化しやすいです。あたかも万能であるかのように、酔いしれやすいのです。そして、少しでも異見を耳にすると排除し、排斥し、酷いときは粛清するのです。

「反キリスト」の霊

共産主義運動によって死んだ人々は、ナチスが殺したユダヤ人やその他の少数派の人々の人数を超えます。なぜそうなってしまったのか?理論構築をした後に、その理論を実践しようと言う純粋さがあったからです。頭の良い人ほど、そして純粋な人ほど、その過ちに陥りました。

聖書的に話すならば、それは「反キリスト」の霊です。ダニエル書7章8節をご覧ください。反キリストは「人間の目」として登場します。その目は知性を表します。そして小さな角として登場します。「角」は権力を表します。そして「大きな口」があります。それは口がうまいのです。

この口は大きなことを言って、そして角はどんどん多くなり、他の角を切り倒します。そして、ついに既存の法則を変えようとします(25節)。さらに、神ご自身に言い逆らう言葉を吐きます。そして先代ものを一切否定します(11章37節)。我こそが神であると宣言するのです。

要は「高慢になってはならない」という戒めです。

反原発の人たちからの批判

もしこれまでの私の一連の意見を、推進派の人たちが読むならば少し拍子抜けするでしょう。大いに賛同する人はいないと思います。けれども、反原発の人は批判または非難するでしょう。「あなたは政府のこと、東電のこと、放射能のことを何も知らない。」と言って。私はただ、多角的に、総合的に、キリスト者として今の出来事を判断しようと努力しているだけなのに、なぜか推進派のレッテルを貼るのです。これが題名で書いている「二項対立という罠」です。

キリスト教神学にある二項対立

キリスト教の神学の中では、「人間の選択」と「神の主権」の間で、「アルミニウス主義 対 カルビン主義」の議論が盛んです。神は救いを選ばれたのに、信じると言う選択によって救われるのか?という疑問です。事実は、人間の知性では相矛盾するその二つを隣り合わせに神はしておられます。

けれども、アルミニウス主義の人よりも、カルビン主義者のほうが先鋭化しやすいです。それ関連の本を読むと、何か覚醒したような気分になり、そして理論構築のために時間を費やします。そして、反対意見に対する弁証法も身に付け、自分の信仰をその理論で要塞化してしまうのです。そしてむろん、このような極端なカルビン主義に対する反カルビン主義論も盛んです。

イエス様は?

イエス様は、どちらにも当てはまらない方でした。イエス様は「バランス」の中におられました。エルサレムにて律法学者らに試しを受けた時に、例えば、税を支払うことは律法にかなっているのかどうかと試した時に、「神のものは神に、カエザルのものはカエザルに。」と語られました。

サドカイ人が復活について試した時には、「あなたは聖書も神の力も知らないからです。」と言われました。それはパリサイ派の意見と一致していました。だからパリサイ派なのかと言えばそうではなく、むしろパリサイ派の安息日の解釈に真っ向から対立し、それゆえ十字架刑に処せられたのです。

けれども、主はよみがえられました。復活後、そして聖霊によって教会が誕生した後の迫害者は、むしろサドカイ派でした。なぜなら、サドカイ派は復活を信じないからです。そしてパリサイ派の人から信者になる人が多く出ました(使徒21章)。しかし、また他の問題が起こりました。「ユダヤ主義」というものです。異邦人も割礼を受けなければ救われないと主張したのです。

とらえどころのない真理

人間はどうしても極端になります。なぜか?それは私たちの肉を喜ばすからです。「自分」に理解しやすくなります。「自分」で全てを判断できると思ってしまいます。「自分」が正しくなります。肉の働きの中には、「党派心、分裂、分派」があることに注目してください(ガラテヤ5:20)。

真理はとらえどころのないところにあります。真理は、自分で理解・掌握することができないようにし、それに自らがひれ伏し、服従するようにさせます。へりくだって信じ、受け入れることによってのみしか悟れないようにさせます。知性を増幅させることができないようにさせます。

けれども、人間の理解を超えて、思いもつかないような偉大なことを行ないます。良い実を、真理を受け入れた人から見ることができるようにします。その人が無知でも、多くの知識人を賢くします。逆に私たちが人間的に賢くなる時、むしろ神の知恵を失うことになるのです。

日本が今、放射能汚染の危機にある時にこそ、より冷静になり、今、起こっている目の前の現象を見ると同時に、キリスト者であれば、神の視点から見る余裕、複眼的要素が必要なのです。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。(出エジプト記14章13節)