LCF活動予定(5月7,8日)

LCFの明日、明後日の活動は以下の通りです。通常土曜2時から行なわれるローマ人への手紙の学びは、ありません。その他はすべて同じです。(第二礼拝後の交わりの時間に、今回の救援旅行の報告をさせていただくかもしれません。)

5月7日(土)
18:00 祈り会(OCC 307号室)
19:00 第一礼拝(OCC 811号室)
(貸室811号室は50名の席があります。お子さんをお持ちの方は、礼拝説教中に307号室で「お世話 兼 教会学校」をさせていただきます。ぜひおいでください。)

御茶ノ水クリスチャンセンター(OCC)の場所

5月8日
14:00 第二礼拝(足立区綾瀬の自宅)
※ 詳しい場所はinfo@logos-ministries.orgにお問い合わせください。

第三回目 東松島牛網旅行 5月5日

私たちとリッチのチームは、湯治宿でいっしょに朝のデボーションを持ちました。それから牛網に戻りました。それぞれが分担を持って、ある人は昨日の家の清掃の続き、ある人はマッサージ、それから瀬谷さんはデザインのある習字(Tシャツ用)を教えました。キャンディスはフラのレッスンを施しました。

そして前日から私たち数人に、千葉さんが「畑に種を植えよう」という話を持ちかけていました。私たちは何かお手伝いをしたいと思っていましたが、いったいどういう意図を持って、という疑問を少し持ちながらいっしょに自転車に乗って行きました。

わかってきたのは、千葉さん宅の隣にある千葉さん所有の小さな畑地を野菜の庭園にしようというアイデアです。私たちがここで蒔いた種が実を結んだらぜひ食べてください、とのことでした。そして津波によって運ばれてきた砂まみれになっているこの畑から実が出ることを願って、「被災地からの豊かな実」という象徴的意味も含まれていたようです!千葉さんはまだ信仰者ではないのに、何と言う発想をするのでしょうか!本当に救われてほしいと願います。

彼の小さなトラクターで耕し、それから肥料を加え、種を蒔きました。とうもろこしと枝豆です。そしてすいかの苗も植えました。そして千葉さんは私に、「砂をこの袋に入れて」といわれて大きな袋に津波で運ばれてきた砂を入れました。そして肥料もそれに加えて混ぜて、避難所に運んでいきます。

そして用意していたのは、石巻の瓦礫から拾ってきた酒樽です。そこに先ほどの砂を入れて、そしてトマトを栽培しようとのことです!

お昼は再びリッチがバーベキューを用意しました。自衛隊の部隊の人は新しく来たばっかりで、私たちが炊き出しをする時には人がたくさん来ることを計算に入れていなかったようで、少しご飯が足りなくなってしまいました。

私は途中で木村さんに、石巻の知り合いの人に会いたいからいっしょに来てくれないかと頼まれました。二人の人がこの牛網の避難所まで来てくださいましたが、なんとその一人が千葉さんと釣り仲間だそうです。世間は狭いです。

そうして私たちは1時半に現地を出発しました。三陸道、仙台東部道、仙台南部道は空いていましたが、東北道に入ると、これまで見たことのない渋滞でした。ニュースにも載っていましたが40キロだったということ。私たちの教会の三人はかろうじて終電に間に合いましたが、私たちが家に到着したのは次の日の12時半です。いつもなら5時間そこそこの移動時間が11時間になってしまいました。今後の平日での旅が、とても楽に感じることになるでしょう。

お三人はいつも笑いを絶やさず、喜んで主に仕えておられました。そして新しい友達トレバーはとってもいい人です。そして何よりも、木村さんと植田さんはご自身が被災者なのに、不平も漏らさずに、一緒に救援活動に携わってくださったことに、とても感動しています。どうかお二人のためにお祈りください。これからもずっと生活がどうなるかわからない状態が続きます。そして何よりも、キリストにある希望と救いを知ることができるようお祈りください。

今、御心なら再び似たような旅程で五月中旬に行くことを考えています。お祈りください。

主に感謝。

第三回目 奥松島・東松島旅行 5月4日

宿泊した湯治宿は、自炊の出来る台所もあるので、女性たちは朝食の準備をしました。電気炊飯器も持っていったので、暖かいご飯が食べられて幸せでした。

そして私たちが始めに向かったのは、奥松島の宮戸島です。松島から27号線の海岸沿いの通りを走ると、しばらくして野蒜が出てきます。その駅の目の前に運河が走っていますが、200名ほど津波で亡くなったそうです。

そこから宮戸島に入ります。この一帯は、「奥松島」として知られているところです。松島は日本三景で有名ですが、仙台などの地元民は松島よりも奥松島を好みます。私が幼い時に訪れた月浜海岸は、舟からではないとアクセスのできない小さな浜辺が、プライベートビーチのように点在しているのを見て、感動した覚えがあります。

そこに入り、中央部にある縄文村歴史資料館で避難されている住民の所に行きました。千葉さんの知り合いがたくさんいます。そこに私たちはキムチなどの食糧、またその箱の中にトラクトも入れたものを置かせていただきました。

宮戸島の人たちは、確か一人を除いて全員助かったそうです。聞く所によると、学校の建物の高台に避難したとのこと。また噂では、沖に船を進ませたとも聞いています。「宮戸島の私たちは、津波はすぐに来ると思っていたが、野蒜の人たちは自分たちのところまでまさか、という思いがあったかもしれない。また逃げるために車に乗って渋滞してしまったが、車から降りて逃げるべきだった。」と述懐しておられました。

そして月浜海岸地区に向かいました。そこにも避難している小さな集落があります。少しお話した後に、月浜海岸にある木村家に行きました。木村さんの目的は、趣味で収集しておられる日本刀をはじめとする貴重品を取り出すことです。一階は完全になくなっていますが、二階が残っています。そこから、出るわ出るわ、幕末からの真剣だというものも拝見しました。

そして、私たちは松島で昼食を取ろうとしました。ところが、ゴールデンウィークの松島は観光客でごった返していました。4月初めに来た松島はまだ漂着した車がそのままにされていたり、被災の傷跡が深かったですが、もうこれだけ復旧しています。作業服の私たちはちょっとミスマッチでした。

そして東松島の牛網に行きました。そこでは、リッチたちがたまたま清掃を必要としていた家の人と出会い、そこでずっと作業をしていたそうです。リッチは夕食を取らなければいけないので、二・三人を除いてみながそちらの準備のために戻り、私たちが引き継ぎました。その庭には腐ったお米の臭いが立ち込めています。津波の時にどこかしらか、やってきたそうです。でも、たくさんの人数で行なったのでほぼすべてヘドロを取り除くことができました。

そして夕食は、リッチが再びハワイ風の醤油味のチキンをメインに、サラダを作り、私たちはキムチを用意しました。とてもおいしかったです。

そしてその後、イブニング・ショーを避難所の中で行ないました。リッチの奥さんキャンディスがフラダンスを披露し、被災者の方々二名も参加されました。その後、カルバリー府中から三輪さんというご家族が全員でバンドを組んで、ジャム・セッションをしてくださいました。20歳の息子さん、そして三人の十代の娘さん、そしてお父さんお母さんの構成です。最後に二番目の娘さんが、手品も披露してくれました。

そして私たちは全員、避難所に宿泊する人も含めて、お風呂に入るために湯の原温泉に行きました。他の松島のホテルに泊まっていた女性五人も今晩は同じ宿に泊まります。

第三回目 相馬・東松島旅行 5月3日

今回の旅で最も苦しかったのは、高速道路の渋滞です。予測はしていましたが、こんなに酷いとは思いませんでした。首都高と東北道での混雑は、救援のボランティアの車両よりもほとんどは行楽の自動車でいっぱいでした。

那須辺りでようやく渋滞が解けてきて、急いで福島市で高速から降り、国道で山地を横切り相馬市へ向かいましたが、時は既に5時半です。農家の家の方々は、すでに私たちのために残してくださっていた仕事を片付けておられていました。

けれども、ほぼ完成した掃除の姿を見ることができました。もうこれで三回目ですから、初めからどのようにきれいになったのかをはっきりと見ることができました。そして仰ってくださったのは、「あの時期(4月初め)に、もっとも助けが必要な時にボランティアとして来てくださったのは、「この地域であなたたちだけだった。ほぼ終わったというこの時期に、要約、申請していたボランティアが役所から送られてきた。おかげで、次の家の解体の作業をどの家よりも早くやってもらうことができるようになった。」とのことです。

4月7日に、リッチといっしょに津波の塩水で重くなっていた畳を運んだのを懐かしく思い出しますが、それだけ貴重な助けになっていたのかと思うと、本当に私たちも嬉しいです。後で母に電話をしたら(その農家は母の友人の実家です)、いっしょに東京に行って助けてくれた人たちを訪問してみよう、と誘ったとのことです。実現してほしいなと願います。

そして、私たちは常磐道に乗って北上し、そのまま東松島市牛網にある避難所に行きました。そこで千葉さんが待っていてくださいました。すでに消灯時間が過ぎている中、和室で団欒の時を持ちました。木村さんが同じ地元の人なので、かなり地元の話が弾みました。

そしてリッチたちのグループを待ちました。彼らも早く出たのですが、府中の人たちだけでなく所沢の人たちもいて、それで出るのが少し遅れ、なんと到着したのが夜の10時過ぎです。リッチは「こんなに長時間の乗車時間は初めてだった。」と言いました。

私たちは松島にある「湯の原温泉」に向かいました。昔からある典型的な湯治宿です。

そしてリッチは、一部は避難所の和室で、残りは松島の近くのホテルで一泊です。

第三回目 東北救援旅行 5月3-5日

皆さん、こんにちは。

ゴールデンウィークに、東北救援旅行に行ってきました。ボランティアで混むというニュースは聞いていましたが、やはりこの時期でないと休みが取れない人たちのために行くことに決めました。カルバリー府中のリッチも同じことを考えていて、自分の教会から、またカルバリー所沢からのチーム13名で同じ東松島に向かいました。

今回の私たちのメンバーの一番の特徴は、「被災者自身が救援活動に加わった」ということです。私たちの自宅の近くに武道館があります。避難所に使われていましたが、基本的にボランティアを受け付けませんでした。それで困っていたボランティアの方々が、たまたま近くの韓国人教会の人たちと出会い、教会を活動場所に使わせてもらいました。それでそこの避難している人々が教会に来るようになったのです。

4月10日に、私がその教会で説教の奉仕をさせていただきましたが、その時に東松島市の奥松島出身の木村さんという方に出会いました。武道館はほとんど福島原発の避難者なので東松島からということで驚きましたが、相手も、私が仙台出身で、彼の住んでいた月浜海岸に行ったことがあることを聞き、もっと驚いておられました。私たちが12-15日に旅行に行くということで、私はその家の写真を撮ってくると申し出ました。

それで今回、木村さんが車の運転またその他の救援活動に加わることになりました。また、同じく武道館に避難されていた福島県富岡町からの植田さんも運転手として加わってくださいました。

そして私たちのLCFのメンバーである瀬谷さん、久喜さん、新井さんが加わり、さらに沖縄に10年間住み、今は札幌のカルバリーで奉仕しているカナダ人宣教師、トレバーさんも加わりました。私たちを含んで合計八人の旅行です。

2日の午後に、その韓国の教会の人たちが避難所の人たちのためのキムチをこしらえてくださいました。そして3日の早朝に出るので、前日、木村さんと植田さんは、近くに住むボタンティアの方の家に宿泊し、トレバーは私たちの家に泊まりました。彼については、カルバリー宜野湾や沖縄の人たちからたくさん話を聞いていたので、会うのがとても楽しみでした。彼はものすごく日本語が上手です。漢字もかなり読めます!

Arabic Vs. Hebrew(アラブ語 対 ヘブル語)

面白いYoutube Videoを見つけました。

このお二人さんは姉妹のようで、左後ろにいる人は主にアラブ語の先生のようです。アラブ語とヘブル語がどれだけ似ているかを面白く説明してくれています。どちらもセム系の言語ですから、とても似ています。(セムと言ったら、ノアの息子の一人ですね。アラブ人は、イシュマエルを父祖としていますから、イサクを父祖とするユダヤ人の言葉と似ているのは当然のことです。)

この若い先生のサイトをちょっとサーフィングしてみましたが、アラブ系イスラエル人のようです。民族的にはアラブ人ですがイスラエルの国籍を持っているため、学校でもアラブ語と同じぐらいの比重でヘブライ語を習ったのでしょうし、イスラエルにいるので使う機会が非常に多いのでしょう。

そして興味深いのは、イスラム教徒女性のしている頭の覆いはしていません。アラブ系イスラエル人の多くはキリスト教の文化圏の中にいる人たちが多いです(あと女性も高学歴だとも聞いています)。だから最近のこの先生のYoutubeビデオでは、イースターの卵の作り方の説明が載っています。

パレスチナ自治区の首都であるラマラのビデオもあったりして、去年のイスラエル旅行の時に少しだけ訪ねたラマラを思い出しました。

文化と民族、国が交差する中で生きている人々の姿を見るのは興味深いです。彼らは彼らなりの問題、特にアイデンティティーの問題はあるでしょうが、同時に、いろいろな文化、習慣、言語、国を綱渡りできる利点を持っているような気がします。

4月30日、5月1日のLCF礼拝

昨年末に日本に帰国して、LCFが立ち上がり、目まぐるしくいろいろな出来事が過ぎていきましたが、3月11日の東日本大地震以後はさらに加速しました。けれども、昨年末に信仰を持たれた方や、比較的最近救われた人々が、こんなにも早く、御言葉に親しみ、信仰面でも行動面でも、主に忠実にお仕えしている姿を見るにつけ、自分自身新米の牧者も幸せです。

4月29日と30日に、日本全体のカルバリーチャペル・カンファレンスが行なわれます(残念ながら、申込は締切日を過ぎました)。30日のカンファレンスは午後5時近くまで続くため、次回の「ローマ人への手紙の学び」は中止となります。予定は次の通りです。

4月30日(土)
18:00 祈り会(OCC 307号室)
19:00 第一礼拝(OCC 811号室)

(貸室811号室は50名の席があります。お子さんをお持ちの方は、礼拝説教中に307号室で「お世話 兼 教会学校」をさせていただきます。ぜひおいでください。)

御茶ノ水クリスチャンセンター(OCC)の場所

5月1日
14:00 第二礼拝(足立区綾瀬の自宅)

お祈りのお願い
5月3-5日に、再び東北救援旅行に行ってきます。今回はLCFのメンバーといっしょに行きます。そして何と、東京在住の被災者の方も二名加わりました!さらに、札幌で教会を開拓しているカルバリーの宣教師トレバーさんもいらっしゃいます。

現地・東松島で、CC府中のリッチのグループと合流します。どうか、再び主の愛を伝えることができるようお祈りください。

次回の恵比寿バイブルスタディ: 5月11日

次回の恵比寿バイブルスタディは、5月11日(水)になります。また日が近づいてから、改めてお知らせします。

その後は5月18日、25日と予約していますが、極力どちらの日も学びを行ないたいと願っていますが、万が一救援旅行と重なった場合は、一回だけお休みさせていただくかもしれません。

そして6月は8日と22日を予約しました。以前は一ヶ月に一回だけのお休みを考えていましたが、これから長期的な救援活動を考えていますので、隔週にさせていただきます。

感謝。

「礼儀と敬意」伝道者ビリー・グラハム氏

以下のインタビュー映像は、ABCの記者が伝道者ビリー・グラハム氏の息子フランクリン氏に対して行なったものです。

主題は「神と政府」というもので、イースター(復活祭)の時にフランクリン氏の信仰を尋ね、また今の米国の政治的状況や、次期大統領選の候補者、オバマ現大統領に対する意見などが盛り込まれています。フランクリンさんは、父ビリーと同じく、単純明快で、大胆な福音伝道の熱意がこのインタビューでも感じ取れました。私も未信者の人たちには、こんな感じで接することができれば、と願いました。

話が、「お父様は、今のアメリカをどのように見ておられますか?」と政治面において尋ねられた時、最近の会話で出てきた言葉を紹介しました。

私が生まれた世界は、今や認知することができない。」つまり、「当時は、一般の人々は互いに礼儀があった。政治家は、たとえ同意できないとしても、互いに敬意を払い、共に働いた。今日の国では、これらが全て変わってしまった。」とのこと。

私も、これを感じています。アメリカもさることながら、日本でも相手に対する敬意と礼儀が失われているように感じます。確かに私たちは、民主主義国家に生きている中で権威のある人々に対して監視を行なわなければいけません。それ相当の批判を加えねばなりません。けれども、もはや二項対立(英語ではpolarization)になるざるを得ないほど、相手をけなし、こき下ろすという雰囲気が満ちています。

私は今回の地震・津波はある意味、幸いに感じます。これまでの豊かな日本、けれども何かを失い、向かうべき方向を失って閉塞的になっていた時に、突然、生活基盤が崩れたことにより、これまで埋もれていた協働の精神や助け合いの精神が生まれてきたからです。物がなくなったからこそ発揮できるようになったのです。このことによって、これまでは自分自身に壁を作り、相手と距離を置いていた人々、重箱の隅をつつくようにして相手の短所をあげつらう態度が、少なくなってきました。

申し訳ありませんが、私は民主党の中に相変わらずその悪い部分がたくさんあるのを見ます。私は政権としての民主党、この有事に際して果敢に取り組んでいる政府には応援したいと思いますが、党内で起こっている引きずり降ろそうとしている姿を見るに付け、「この災難をもってしてもまだ気づかないのか。」とあきれてしまいます。以前「民意の恐ろしさ」についての一連のブログ記事を書きましたが、今の民主党がまさに、最近の日本全体の悪しき部分の縮図であったのではないかと感じています。

私は、「感謝の力」という話題でも一連のブログ記事を書きました。普段なら、在日米軍と自衛隊のことを批判的に見ていた人も、また警察の不祥事などよく思っていなかった人々も、彼らの犠牲的な救援活動に敬意を払わない人がどれだけいるでしょうか?「平和」や「正義」という名を借りた権威や権力に対する謗りを私は以前から感じていましたが、それが少なくなってきました。

行政に対しても、私も昨日足立区役所に赴きましたが、今の危機に際して、最大限、柔軟な対応をしてくださいました。道路会社や鉄道会社の活躍ぶりも世界では賞賛の的になっています。「税金の無駄遣い」とマスコミで非難されていた人々による、その復旧工事のすばやさには誰もが驚いています。

そして今、ものすごく袋叩きにされている東電ですが、私は必要以上に批判したくありません。この災難で彼らは十分に懲らしめられています。まず、千年に一度の未曾有の地震に対して、福島第一以外の太平洋側の原発がきちんと冷却等の機能が働いたことに対して、神に感謝しています。そして「第一」においてでさえ、チェルノブイリのような全面拡散に陥ることなく、東北自動車道を通行止めにする必要の無いほど放射線量が抑えられていることを、神に感謝したいと思います。

そして現に、このようにインターネットを使って意思疎通ができるような電力を今も供給し続けてくれている、大勢の東電職員と下請けの会社の人々に感謝しています。もちろん彼らは営利活動で行なっているわけですが、その労働に対する感謝をなくして、ただ文句ばかり言っているのでは、「モンスター・カスタマー」の何者でもありません。

その上で、これからの原発政策をどのようにすべきか、エネルギー政策はどうすべきか、具体的な、展望的な構想の議論をすべきでしょう。建設的な批判はどんどんすべきでしょう。

この前、近所の武道館の福島原発の被災者への働きかけをしていたボランティアの方々と食事を共にすることができました。いろいろな“変な”人がいたようです。ある市民団体は、被災者の人たちの事はそっちのけで、武道館の前で政府批判を繰り返していたそうです。またあるマスコミの人たちは、ボランティアの人に「被災者の人たちで、何か行政に対する非難、苦情はないですか?」とインタビューします。初めから「行政批判」の記事を書くための裏取りをしているだけです(誠実なマスコミの人もおられたそうです)。

私たちは、二項対立になりそうになったとき、へりくだって、歩み寄りをする努力が必要だと思います。ピリピ人への手紙を思い出すのですが、一致すること、相手を自分より尊いと思う態度、これらが自分自身ではなくキリストを求めることに等しいことを使徒パウロは教えました。

「私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。(ピリピ2:2-3)」

この時期に忘れてはいけない中東

一つ、ブログ記事をご紹介します。

「今、中東で何が起こっているのか」

中川健一師のエジプトの民主革命についての評論です。ぜひご一読を。私が同感だったのは、この言葉です。

さて、東日本大震災(3/11)以降、私たちの関心は被災地と原発事故のその後の状況に向けられてきた。いわば、今日に至るまでのおよそひと月間、「海外情報の空白期間」が生じているのである(本稿を4/15に執筆している)。久しぶりに中東情勢に目を転じてみると、余りの変化に仰天せざるを得ない。かつて10年かかったことが、たったひと月、あるいは数日で起こってしまう。これが今の中東情勢である。

東日本大震災は、空襲、原爆投下、敗戦という歴史的転換を余儀なくされた出来事に匹敵するぐらいの、現在進行中の大きな出来事です。したがって、多くの関心と祈りが注ぎ込まれてしかるべきですが、かつて日本が通ったところを繰り返してはならないと思います。

日本が終戦した1945年の3年後にイスラエル国が成立しました。それは、中東において十数世紀以来の大きな出来事、聖書預言的に極めて重要な出来事であり、まさに激変です。ところが、日本自身はその戦争の加担者であり、その戦後処理の真っ最中だったため「空白期間」になってしましました。

そのため、イスラエルを取り囲む中東情勢において、最も基本的な共通認識において日本は欠けて出発し、ハンディを負っています。

同じように、今、中東で激変が起こっています。日本の復興も大事ですが、世界情勢の枠組みの中での日本をわきまえ、その視野での復興を願うばかりです。

後記:ちょうどタイムリーに、NHK BS1番組で中東の民衆革命の特集番組のお知らせを見ました。

Project Wisdom(プロジェクト ウィズダム)

中東革命2回シリーズ
第一回 5月1日 20:00-21:50 チュニジア
第二回 5月8日 20:00-21:50 エジプト