「隠された宝」(ヨセフ・シュラム著)

 今、カルバリーチャペル・ロゴス東京では、ローマ書9-11章に入っています。そこは、福音が初めに届けられたはずの、イスラエル人がそれを受け入れず、そうではない異邦人がかえって受け入れているという事実に対して、パウロが心の痛みを覚えて、イスラエルの救いを論じている箇所です。

 その中に出て来るのは、パウロ自身がそうであったように、イスラエル人でイエスが約束のメシアであると信じた、残りの民とも呼ばれる人々でありますが、当時から今に至るまで、綿々と、ユダヤ人でイエスを信じ、生きる人々はいました。ヨセフ・シュラム氏もその一人です。イスラエルにおける、ユダヤ人信者の集まる会衆(教会)の牧会者です。

 現代でこそ、「メシアニック・ジュー」という呼び名があり、ユダヤ性を強調する運動として紹介されていますが、特別な存在ではなく、いわゆるパウロなどが、「割礼を受けた者たちの中の兄弟」、キリストにある兄弟で、ユダヤ人の兄弟たちであります。

解釈学の基本の紹介

 前置きはそのぐらいにして、私が本書を読んだきっかけは、何といっても「聖書解釈」です。毎週、説教のために取り組む聖書本文があり、また日々、目にしている神のことばがありますが、そこに書かれてあることを、いろいろな角度から見ていき、その真意を知っていくことを、しばしば「解釈」と呼び、その体系化されたものを「解釈学」と呼ばれます。

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