僕は米国の教会で育てられ、今も深い関係を持ち、そこが霊的故郷だと思っています。そこには、一人ひとりの兄弟が、御言葉を大事にし、そこから霊の糧を得て生きている姿を見ます。その純粋な姿に倣っていきたいし、受け継いでいきたいと願っています。
それと同時に、余計なこともあります。これは日本の教会も例外ではなく、米国に限ったことではないのですが、米国の福音派の教会にある悪い傾向を日本に持ち込んでいるという意味で、深刻です。イエス・キリストに対する信仰の一致において一つになっているのに、意見の違い、見方の違いをまるで異端であるかのところまで引き上げ、分裂していく問題です。
米国の場合は、西欧の思考、思想にある、二元論的な考え方、理念的なところでの分裂と言っていいでしょう、日本の場合は、自分の立場や他者の目が気になるような自己保身から来ている分裂、自分に不安があるために他者を排除するような分裂、村社会的な分裂です。
米国のほうでは、分裂の次に見えてくる、終わりの兆しがあります。 続きを読む 米国福音派教会から見る、分裂、背教の時代