イスラムに働く霊 2001/09/14

昨日と今日にかけて、イスラム教についてすこし勉強しました。まず、「背後にある霊的存在」のエッセイの中で紹介したAvi Lipkin氏による中東レポートを初め、Robert Morey氏の著作Islamic Invasionそして、いくつか受け取ったエルサレムからのニュースレポートを再読しました。また、日本にあるイスラム教サイトにも立ち寄りました。

最後のイスラム教サイトを除いては、一致している見解があったので、それを私の考えも交えながら紹介させていただきたいと思います。


急成長する宗教

イスラム教は、他のどの宗教よりも早く成長し、世界中で信じられている宗教になっています。アラブ諸国は言うまでもなく、アフリカ諸国、インドネシアなどのアジア諸国、そして近年は西洋諸国において急成長を遂げています。イギリスにおいては、福音的なクリスチャンよりもムスリムが多くなり、北アメリカには、(おそらく10年前ほどには)400万人のムスリムがいるとのことで、キリスト教に次いで、2番目に大きい宗教となります。アメリカ合衆国においては、ここ15年間で、150万人のムスリムの移民が来ました。


世界のテロ活動

冷戦構造が崩壊後、地域紛争が多くなったのですが、テロリストの活動が急増しました。世界地図を広げますと、主なテロ事件はすべて、イスラム教の影響が広まったところで起こっています。フィリピン、インドネシア、Chechnya、バルカン諸国、そして中東、それからケニア、南アフリカ、アルゼンチン、ヨーロッパ、そしてアメリカです。

そして米同時多発テロのレポートでもご紹介したように、イスラム教国においては、同じマスリムに対する殺戮、そしてクリスチャンやユダヤ人の虐殺が行なわれており、それがマスコミには一つも取り上げられていません。例えば、スーダンにおけるクリスチャンへの迫害は、私も以前から聞いていましたが、一般のマスコミで報道されたのを見たことがありません。また、シリアには、アンテオケの教会のときから続く、長い伝統をもった、正統派クリスチャンがいるそうですが、過去50年間で、350万人の人が殺されたそうです。

したがって、今回の、世界貿易センタービルへの攻撃は、このような私たちには知らされていないところで、行なわれているテロ活動や殺戮の延長線上にあるものであり、たまたま世界の中心的都市であるニューヨークで起こったゆえに、目立ったにしか過ぎません。これで、ラビン氏を暗殺しようが、どこかのテロリストグループに攻撃をしようが、どこかのイスラム教国に宣戦布告しようが、この現象を止めることにはならない、と見たほうがよさそうです。


イスラム教の神話

けれども、なぜ、イスラム教の影響下に入ると、そこまで戦闘的になるのでしょうか?一般のマスリムの人々に接したことがある人は、「彼らは攻撃的どころか、とても友好的で、愛情豊かである。」と答えます。そしてイスラム教を紹介するホームページを一瞥しても、そのような印象でした。そして、イスラム教は、弁証として次の五つのことを挙げます。

1.イスラム教は、愛の宗教である。
2.イスラム教は、平和の宗教である。
3.私たちは唯一神アラーを信じており、これは聖書の神である。
4.イエスは、モハメッドと並んで偉大な預言者である。
5.コーランは聖なる書物である。

1つ目の「愛の宗教」ですが、ムスリムが愛情豊かというのは、人間の「肉」から来ているもので、それはヒンズー教徒、仏教徒、その他の宗教を信じている人たちも持っているものです。けれども、イスラム教の信仰の中では、「愛」という概念はありません。

聖書では、主イエスさまが、もっとも大事な戒めとして、「神を愛し、そして自分自身のように隣人を愛する。」と言われました。けれども、コーランの中には、「アラーを愛する」という言葉はいくつかありますが、愛することについては何ら書かれていません。したがって、ここで問題視されなければいけないのは、やはり「霊」であります。

彼らがアメリカやイスラエルに対する憎悪を見ると、尋常ではありません。イスラエル・パレスチナ問題においては、パレスチナ人によるリンチの仕方の野蛮さ、世界貿易センターが崩れ落ちたのを喜び叫ぶ彼らの姿など、悪魔的でさえあります。

2つ目の「平和の宗教」ですが、彼らが基調としているのは、「平和の家」と「戦争の家」の二つであります。「平和の家」は、ムスリム教徒で構成されているものであり、それに戦いを挑む「戦争の家」には、ユダヤ人、クリスチャンなど、非イスラム教徒によって構成されています。したがって、彼らは、非イスラム教徒を平和の家を脅かす集団と位置付けているわけで、「戦争の家」に自分たちが戦いを挑んでも、それは平和のためである、ということになります。

3つ目の「アラーが聖書の神である」というのは、神話です。これはイスラム教徒だけでなく、一般にも信じられていることですが、まったく異質のものです。

モハメッドが生きていた、7世紀のアラビア地方では、アニミズムが非常に盛んでした。実に360の神がいました。メッカでは、黒い隕石がカーバの中に安置され、これが「アラー」でした。これは月の神として拝まれ、祈られていました。モハメッドは、ユダヤ教やキリスト教(と言っても異端のグノーシス主義)にも触れて、359の神々を排除して、この一つの神「アラー」のみを神としました。

したがって、彼らが信じているアラーは、聖書の神ではありません。これは、ギリシヤ神話に出てくるたくさんの神々から、ゼウス神だけを拝んでいるのと同じです。あるいは、私たち日本人ならば、神道の中にある数々のカミから、天皇を祭り上げて、天皇に対して絶対忠誠を強いさせた国家神道にきわめて似ています。

モスクの中で聞こえることばで、「アラーは、さらに偉大なり」というものがあるそうです。もっとも偉大なのではなく、より偉大(greater)と言っているそうです。これは、ユダヤ人やクリスチャンのカミよりも偉大である、ということが暗示されているそうで、そうすると、イザヤ書14:13−14にある、ルシファーの言葉と同じになっています。

<征服する神>

このアラーの行動について見ると、1.既存のユダヤ信仰、キリスト信仰の「摩り替え」を行ない、そして、2.既存のこれらの信仰を「征服する」、というパターンを見ることが出来ます。

聖書では、ヤハウェなる神は、アブラハム、イサク、ヤコブの神であります。けれども、コーランには、イシュマエルが神によって選ばれたとなっており、イサクではありません。イシュマエルは、「すべての人に逆らい」とあります。つまり、戦争の神、剣の神です。

しかし、このイシュマエルでさえもが、彼らが信じているように、彼らの祖先ではないのです。イシュマエルの子孫は、創世記25:18において上の預言の成就がありますが、その地域に住んでいる人々と、今日のアラブ人をつなげる証拠は何もありません。しかも、仮にアラブ人がイシュマエルの子孫だとしても、今日アラブ人と呼ばれている人たちの多くが、アラブ人ではありません。エジプトは、ハム系のミツライム人(創世記10:6)です。ヨルダンは、モアブ人とアモン人が祖先です。イラクはバビロニア人、そしてイラクはペルシヤ人、シリヤはアッシリヤ人が祖先です。イシュマエルはその国々の祖先ではありません。

今日のイスラエル・パレスチナ問題を考えてみたいと思います。アラブ人たちが叫んでいる「エルサレム返還」「岩のドーム」は、コーランのどこを見ても、エルサレムも神殿の丘も言及されていません。しかし、聖書には、「エルサレムが神の都」であり、神殿にて「わたしは住む」と書かれています。つまり、まことの神を退けて、アラーを置こうとする意図がここにあります。

パレスチナ国家などは、もともと存在しません。ヨルダン国とイスラエル国との間で戦われた結果、イスラエルが勝ち、ヨルダン川西岸がイスラエルのものとなりました。(ちなみに「不法占拠」と呼ばれていますが、安保理決議242号には、なんらイスラエル軍撤退の指示もされておらず、むしろイスラエルによる土地の管理を勧めています。)ところが、なぜか、そこに「パレスチナ国」がもともとあったかのように叫ばれ、ついには、「パレスチナ人の帰還」という言葉を使って、「離散のユダヤ人の祖国への帰還」をもじって、今度はイスラエルの土地を奪い取ろうとしています。

彼らを突き動かすその原動力は、この「アラー」の神概念から来ていると言えます。

四つ目の、「イエスは、モハメッドの前にきた偉大な預言者である」という主張ですが、イエスは、アブラハム、モーセなどと並列される預言者の一人であり、モハメッドが最後の預言者であると信じています。啓示というものは漸次的なものですから、最後の預言者が最終権威となります。

そしてコーランにおいては、アブラハムもモーセも、そしてイエスもすべて「ムスリム」になっています。アラファトも、ベツレヘムの生誕教会において、「イエスは、パレスチナ人ムスリムであった。」と言いました。とんでもないことです!主は、肉によれば、アブラハムの子孫、ダビデの子のユダヤ人です。そして、もちろん、イエスは神のひとり子であり、他の預言者と並列できる方ではありません。

イスラム信仰には、「さばきの日」があることを信じています。そのさばきの日とは、ムスリムがすべてのユダヤ人、クリスチャンを殺して、死に追いやることによって、すべての者がムスリムになったとき、イエスが戻ってくるとします。

なぜこうも、「殺したり」することが頻繁に出てくるかと言いますと、預言者と呼ばれるモハメッドの都合の良い啓示になっているからです。彼は、ユダヤ教の影響を受けて、メッカで偶像を拝む家族に自分の啓示を宣べ伝えましたが、受け入れてくれませんでした。そこで物理的な行使によって、服従させることによって信じさせることを考えました。そこから、「殺して、略奪する」手法を使い始めました。初めは「ナクラの襲撃」があり、ある隊商を略奪しました。三度目には、自分の啓示を受け入れないユダヤ人たちを標的にして、彼らの居住地を次々と略奪しました。そして、最後にメッカに行き、メッカにいる家族に戦いを挑んだのです。条約を結んだのですが、モハメッドがこれを破り、カーバの中にある偶像を取り除きました。

モハメッドには、二つの弱さがありました。一つは貪欲です。上にあったように、収奪を繰り返して、富を蓄えていました。もう一つは肉欲です。彼には22人の女がいました。16人は妻、2人はめかけ、あるいは奴隷、そして残りの4人は、どちらでもなくムスリムとしてモハメッドに自分の体をささげた女たちです。その中には、その中には8歳か9歳の女の子がいました。また他人の妻を欲しがって、それに基づく啓示も受けています。スラ33:36−38です。アラーが預言者に女を与えるように命じている、と書いてあります。

また、モハメッドが啓示を受けたと言われていますが、その時の彼の様子を、多くの専門家は癲癇ではなかったと言っています。当時、癲癇にかかると、それは悪霊にとりつかれたか、神からの啓示かのどちらかであるとされており、モハメッドは悪霊にとりつかれたものと思って、自殺を試みました。けれども、妻が励まして、これは神からのものであると言いました。

このように、モハメッドには、さまざまな問題があった人間であり、主イエス・キリストとは、まったく異なる存在です。

最後、5つ目の「コーラン」ですが、イスラム教が語る「啓示」は、キリスト教が理解する啓示とは異なります。聖書は、神の霊感を受けた人間が記したものであり、神と人との共同作品であります。けれども、コーランは、モハメッドにアラーから啓示が与えられたのですが、コーランそのものは天において、完全なアラビア語によって記された書物であると考えられています。そしてその原書は存在しており、すべてのコーランはそこから写されている、と考えています。

モハメッド自身はコーランを書いていません。彼の死後に、その弟子が書いたと言われています。(Lipkin氏は、ラビが書いたと言っています。)パピルスの破片、動物の骨、平石などに刻まれたものをかき集め、書かれていないものはモハメッドが話していたことを思い出して書きました。

聖書を読んでいる人が、コーランに何が書いてあるか見てみようとして開くと、その異様さに驚くそうです。聖書では、歴史の初めから終わりまで順番に書かれており、体系的に、筋道立てて編集されている一方、コーランは、内容があっちに飛んだり、戻ったりと、そうとうの気力をもって読まなければ読めないそうです。

そして、その表現には、いろいろな資料から取り寄せたものがあります。聖書からも取っていますが、アブラハムがささげようとしたのがイシュマエルであるということを初めとし、聖書的にも、また考古学的にも誤った記述が多いそうです。キリスト教グノーシス主義の「バルナバの福音書」からの引用もあり、その影響からか、アラーは、聖書の神と異なり、人からは遠く離れた、人格のない存在と受けとめられています。

そして、コーラン自体にも矛盾があり、天地創造が6日と書いているところもあれば、合計すると8日と書いてあるところもあります。


米国に対するイスラム教

今日のイスラム教には、米国について、主に二つの流れがあります。一つは、revolutionary Islam(革命的イスラム)です。これはラディン氏に代表される、「アメリカを破壊することによって、世界をイスラム化する。」という考えです。けれども、これは少数派であり大多数は、evolutionary Islam(進化的イスラム)であります。アメリカを破壊するのではなく「乗っ取る(take over)」することによってイスラム化する、という考えです。これが、いわゆる「友好的なムスリム教徒」という印象を抱く人々です。彼らの多くは、大学や大学院における留学生として来て、そして結婚をするなどして定住する人々です。

サダム・フセイン氏に注目してみたいと思います。彼がナンバー1のアメリカの敵であると言えます。イラン・イラク戦争のときは、彼はアメリカを同盟を結んでいましたが、アメリカに対するテロの背景には、彼が黒幕として存在しつづけていました。「サダムの復讐」であります。オクラホマの爆破テロはマクベイ氏の単独犯行であるとされ、彼が死刑にされましたが、サダムが後ろ盾になっていたのではないか、という疑惑があります。さらに、TWAの飛行機が空中爆破したのも、ミサイル攻撃ではなかったと疑われます。そして、今回の事件もサダムの仕業ではないかと見ている人もいます。

サダムかラディンが分かりませんが、いずれにしてもイスラムの勢力であることには変わりません。イスラムが、今日、米国にとって大きな脅威となっており、世界でも不安定要因となっています。


あとがき

いろいろなところから情報を集めましたが、Morey氏はモルモン教やエホバの証人についての本も書いています。Lipkin氏は、元イスラエル諜報顧問の人です。そして、メールは、主にイスラエルに住むアメリカ人あるいはユダヤ人からのものであり、そうした「裏の裏」を知っている人たちからの情報で出来上がっています。


(参考文献:「イスラム教白書」(日本語訳) by チャック・ミスラー)


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