聖書、預言、イスラエル、そしてカルバリーチャペル 2006/08/01


 ここロゴス・ミニストリーの中で強調している事柄、「聖書」「預言」「イスラエル」について簡潔にまとまっているインタビューが、以下のラジオ番組で聞くことができる。

rtsp://davidhocking.org/radio/ra/2006/hft20060801.rm

 以下は、聖書教師デービットホーキング氏による、カルバリーチャペル・コスタメサの牧師チャック・スミス氏へのインタビューである。上の三つの主題について、カルバリーチャペルとどのような関連があるのかについても聞くことができる。(以下は概要である。会話の細かい部分の多くを省いている。)


預言を強調するわけ

(デービッド)ちょっと興味があるのですが、どうやって始めたのですか?私は、事が始まるその時からいたんですが、― その時私たちはずっと若かったんですが、― メッセージを聞いていました。「この人、本当に預言に傾倒しているな。」と言いました。どのように関わり始めたのですか?

(チャック)そうですね、デービッド。私たち聖書を愛していますね。聖書を愛する者として、預言は聖書の中で主要なテーマになっていると思っています。預言は、聖書が神の御言葉であることの証明になっています。神は、予めこれから起こることを教えることができます。聖書は、神の霊感を受けた言葉であることを確認する、最も強力な弁証となっていると思います。預言がそれを証明しています。

 イザヤ書では、神が預言をご自分の証人として呼んでおられます。他の神々に、証拠を持って来いと挑んでおられます(21−23節参照)。事が起こる前にその事を告げられるのは、驚くべきことです。「わたしが神であり、わたしのような者はいない」と言われて、預言的な事柄に入っています。

 ですから私はずっと、預言に興味を持っていました。終わりの日についてもそうですが、神が既に預言され、これまでの事は完全に正確に成就したのだから、神が仰せになった事柄についてまだ成就していないことも必ず成就するという確信を持つことができます。過去の記録は、実は将来の事柄を預言したものだったのです。

(デービッド)興味深いことがあるんですが、ずっと前、ジーザス・ムーブメント(注:Jesus Movement. ベトナム戦争中・後に体制に反抗的なヒッピーと呼ばれる若者層の中で、イエス・キリストを信じていった動き)の頃から、不信者の人、教会との関わりを何ら持たない人が、これから先に起こることを聞いて、非常に興味を持ちました。時に、パニック状態になることさえありました。

(チャック)そうですね、「地球最後の日」の本がそうでしたね。数多くの人に大きな影響を与えました。私たちが生きている時代に非常に密接に関係ある事柄を聖書が語っていることに気づいたからです。

(デービッド)私たちはあの時、人々を集めてバスに乗せて土曜の晩の集会に行きました。若者たちでその場を満たしましたよ。そして、若者たちが救われなかった時は一度たりともありませんでした。前に出て主を受け入れました。ずっとそうでしたし、今も起こっていますね。

 けれどもとても悲しいことですが、教会がなぜ、預言を宣べ伝え、教えてはいけないと言うのでしょうか?理解に苦しみます。

(チャック)これは、私も理解に苦しむことなんです。私は、これは聖書的な福音から、社会的な福音に乖離したからだと思います。つまり、社会的な必要により多くの興味を示し、実際、霊的な必要よりも大事にしているところがあります。

 私は、聖書は絶対に、預言を教えるように促していると思います。「これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。(ルカ21:28)」逃避的な神学だと言われますが、まあいいですよ。私は用意していますから。

(デービッド)そうですね!私たち出て行く用意をしていますね。

(チャック)イエス様が言われました。「のがれることができるように祈っていなさい。(ルカ21:36参照)」そこでは、大患難のことを話している中でおっしゃられたことです。そして、「人の子の前に立つことができるように」とあります。主がこの事のために祈りなさいと言つけられたのですから、私はこのことのために祈りますよ。


聖書講解と預言との関連

(デービッド)アーメン。私は、Jバーモン・マジー(注:聖書教師の名前)を子供さえもが聞いて聖書通読をしているのは、ずっとわくわくしてします。そして、私は貴方の中にも、似たようなやり方を見ます。聖書を書かれているとおりに、通読しながら教えておられます。今日、非常に稀なことです。これをやっている人を、めったに見かけることができません。

 おそらくこれが原因で、預言を教えることも十分に行なわれないのではないかと思います。ヘブル人の預言書を読まずして、なぜそれが重要なのかが分かるでしょうか。

(チャック)パウロは、エペソ人の長老たちにこう言いました。「私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。(使徒20:27)」もし、聖書のあっちへ、こっちへ行って主題説教をすれば、神のご計画の全体を把握することはできません。あまり理解できないところ、あまり興味が持てない分野があれば、それを飛ばしてしまう傾向があります。

 黙示録がそうでしょう。この書の中身に、まさに約束が書かれているんですよ。「この預言のことばを朗読する者と心に留める者は幸いである(1:3参照)」と。預言を教えないなら、人々を神の祝福から引き離していることになります。

(デービッド)ユダヤ教のラビが、黙示録について興味深いことを言いましたが、ちょっと引用します。「紀元2世紀から今日まで、黙示録は、新約聖書でユダヤ人が読んでもよい、ただ一つの書物だ。」そして理由は、黙示録は旧約聖書から猛烈に引用しているからです。

(チェック)これが基本的に、ご聖霊がヨハネを通して行なわれたことです。


イスラエル支援

(デービッド)そして、ラジオを聴いている人から多くの質問を受けているのですが、なぜ貴方はイスラエルを支援するのですか?多くのところで、受け入れられていない事です。

(チャック)これもまた聖書に戻るのですが、神はアブラハムに、「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。(創世12:3)」と言われました。これは利己的かもしれませんが、私は神の呪いよりも祝福が欲しいです。

 そしてイスラエルは、聖書預言の鍵になっています。終わりの日の数多くの預言が、イスラエルが国となり、イスラエルがその地にいることを描いています。ですから、イスラエルが帰還し、国家となったこと自体が、私はエゼキエル書37章の成就だと思っています。そしてもちろん、これは38章、39章の序章なわけです。

(デービッド)もう一つ興味深いことは、多くのミニストリーがイスラエルを支援し、そのいくつかはツアーを組んでイスラエルに行きますが、私のユダヤ人の友人は、貴方がイスラエルを支援することが何であるかを示す模範であると言いました。貴方が長年のこと行なわれたことは、あの国を励ましました。彼らは貴方のことをかなり高く評価しています。

(チャック)そうですね、主が私たちを用いて、金銭的・物質的な助けを施すことができました。マトュラで「レバノンの貧しい人のための良きフェンス」と呼ばれることを行ないました。レバノン人のクリスチャンが、門を通って物資を取りに来ることができました。マトゥラ付近に設けた倉庫のために、口座を開設しました。食料を供給し、レバノン人のクリスチャンたちが、門をくぐって取りに来ることができるようにしたのです。

(デービッド)サダド・アハッドはご存知ですか?

(チャック)すごい人ですね。私たちは彼の家にいるとき、砲弾を受けました。

(デービッド)その後起こったことを覚えていますか。1982年にイスラエルがそこから撤退しました。何が起こりましたか?イスラエルのことをよく知っている人たちには恐ろしいことですが、イスラエル政府自体が、主とその御言葉にもう注意を寄せていないかのようです。

(チャック)本当に困惑するようなことです。以前すでに行なわれた軍撤退だけでなく、今現在、彼らが話し合っていることもです。これで和平が成し遂げられるわけでないのです。パレスチナ人のすることを止めることにはならないのです。彼らは、エルサレムの破壊、イスラエルの破壊を望んでいるのです。どんな宥和によっても、彼らは止めることはないのです。

彼らはこれを「弱みを見せた」とみなすのです。弱みを見せてはいけません。力を見せなければいけないのです。私は今イスラエルが、「ちょっと待て。私たちの男(注:イスラエル兵のこと)を誘拐することはできない。」と見ていることは、うれしいことです。

(デービッド)私が驚くのは、一、二週間前、ハマスとファタ派が囚人の文書にしたがって、イスラエルを認知すると言いましたが、その文書を発布した同じ日に、アシュケロンとアシュドトからロケット弾を打ち込んでいるのです。何が起こっているんでしょうね?

(チャック)二枚舌ですよ。彼らの方で和平を結ぶ意図は何もないのです。優勢になりたいとか、彼らだけの特別な枠組みでもあるとでも思っているのでしょうが、彼らはイスラエルを破壊するようもともと計画しているのです。

(デービッド)まったくその通りです。現首相エフド・オルメルト氏は6月に議会で話したのですが、C-SPANについての演説をみな聞きました。私が非常に気になったのは、小さなスクリーンに聖句を何度も引用したことです。それで議会から熱烈な拍手を受けたのですが、けれども実際は、彼は何もそれらを信じておらず、今起こっていることに責任を持っていないのです。


イスラエル旅行の意義

 貴方はイスラエルへのツアー旅行を長年されてきたわけですが、これの最も大きな意義は何ですか?

(チャック)大きな意味が、実に多くの人にありました。旅行に行った人たちの多くが、それを通して神に新たな決意を持ちました。そこに行き、その国を見ることによって、聖書が生きてきます。鮮明な色彩になります。もはや白黒ではありません。新たな命を与えます。なぜなら、イエス様が歩かれたガリラヤ湖を実際に見るからです。主は、反対側に網を下ろしなさいと言われました。また、嵐を静められました。ガリラヤ湖を見ると、これらのことが現実味を帯びます。

 そして私たちの教会のように大きい教会だと、小さなグループ単位で行動することができ、基本的に24時間ずっと行動を共にできます。ずっと食事をいっしょに取り、ずっと一緒にバスに乗り、各所をいっしょに訪問します。教会ですと多くの人に会いますが、個人的に知り合うことができなかった人たちとすばらしい交わりの時を持つことができます。

 聖書を開き、そして理解するのにイスラエル旅行は大きな助けになります。

 イスラエルの遺跡は推測でしかない所が多くあります。けばけばしいところも多いです。

(デービッド)聖墳墓教会とか。入ると気持ち悪くなります。

(チャック)そうです。本当に礼拝や畏敬の思いが殺がれてしまいます。そこで私たちは基本的に、一般の、平坦で開放された場所を探します。伝統的な羊飼いの丘(注:主の聖誕のとき羊飼いが天使に会った野原)ではなく、むしろ私たちだけの場所があります。

(デービッド)この前の私のツアーのとき、ガイドが私に教えてくれたことですが、1万4千箇所の遺跡があるそうです。私たちは本当にわずかしか行ってないことに気づきました。もちろんその半分はまだ発掘さえされていないのですが。KOTEL周りの丘など、その下に何かがあるでしょう。


教会の携挙

(デービッド)あと一つ、二つ、別のことをお伺いしたいことがあります。教会の携挙の教えに対して攻撃があります。その多くがプレテリスト(preterist)と自称する人々からのものですが、すべてのものは成就したと考えています。私たちに対して、ほとんど敵意さえ抱いています。

 貴方は教会の携挙について、どのように信じておられますか?いつ来るとお思いですか?

(チャック)私は、今晩来ることを期待しています。

(デービッド)アーメン!(二人とも笑)

(チャック)もし私がサタンだったら、人々の目を携挙から逸らせようとします。何も変わりなく日々は過ぎていくから、心配することはない。自分の事をやって、自分のために生きなさい。携挙については何の考慮もしなくてもよい、と思わせます。

 この攻撃はサタンの非常に巧妙な戦略だと思いますし、実際にうまくいっています。そしてこれは悲劇です。なぜなら、用意のできていた者が入っていったからです(注:マタイ25:10)。イエス様は、「だから、目をさましていなさい。(マルコ13:35)」「あなたがたも用心していなさい。(マタイ24:44)」

(デービッド)「その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。(マタイ24:36)」

(チャック)その通りです。主が来られることについてお語りになっていたとき、その警告は何度も何度も、目を覚まして、用心していることでした。その時に語られた例えの数々は、私たちが目を覚まし、用心するように促すものでした。ですから、その時について目を覚まさなくてよいというのは、実は主が言いつけられたことに反対するのです。

(デービッド)大患難の最後に主が再臨される時、同時に携挙があると言う人たちもいますが。でも、それは信じていませんね。

(チャック)信じていませんよ!なぜなら、エレベーターにでも乗っているかのようになってしまいます。引き上げられて、またすぐに戻ってくるのだから。実際的ではありません。

 そしてもちろん私は、大患難の時に教会がここにあるとは信じていません。「神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく・・・(1テサロニケ5:9)」黙示録が、鍵になると思います。「あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書き記せ。(1:19)」1章では、七つの金の燭台の間を歩かれるイエス・キリストの幻があり、2,3章には教会の事があり、4章に、まさに同じギリシヤ語「メタ・タウタ」があります。「この後に」と。「この後に、天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。「ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。」 (4:1)」

(デービッド)それに教会についての言及がありませんね。

(チャック)私は、そこは携挙のことを話していると思います。「ここに上れ」と。私は、これがラッパの声が言う言葉だと思います。そしてもちろん、黙示録6章にならないと患難は始まりません。そこで巻き物の封印が解かれます。そして教会は、5章において天にいます。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、・・・贖い・・・(9-10節)」

(デービッド)このことに関連して興味深いのは、イスラエルのイェシュア(注:「イエス」のヘブル語読み)のことです。患難前の携挙を信じていない人は、多くの場合、教会がイスラエルに置き換わったと思っています。

(チャック)その置換神学というのは、聖書を拡大解釈しています。

(デービッド)以前はこんなに置換神学が強くなかったと思います。増加していると思います。

(チャック)そうです。再び増加しています。そしてこれは、世界で今日増えている、全般的な反ユダヤ主義と共に動いています。

(デービッド)まったくその通りです。そして、「イスラエルの子ら」を「教会」と同等に扱うなら、とどのつまり無千年王国説を信じるようになり、地上にメシヤの国が到来することを否定することになります。

(チャック)その通りです。


カルバリー・チャペルとは?

(デービッド)また別の質問をしたいのですが・・・貴方の知らない人が貴方のところに来て、「カルバリーチャペルって何ですか。」と聞いたら、何とおっしゃいますか?

(チャック)神の御言葉を愛し、創世記から黙示録まで体系的に教えられている信者たちの交わりです。主が望まれているような生活をするために、神の御霊の必要性と力を信じている人々です。(原文:It is a fellowship of believers who love the word of God and who are taught the word of God in a systematic way from Genesis to Revelation. (It is) people who believe in the necessity and power of the Spirit of God in their lives in order to live the kind of life the Lord wants us to live.)ですから、神の御言葉を通して、神の御霊によって変えられた人々です。

(デービッド)すばらしい回答です。尋ねてくる人は、まるで私たちがカルトではないかと思っています。あの人たち大丈夫か?と。

 けれども、私自身の観察では、― 私は長年、カルバリーチャペルの外からカルバリーチャペルを見てきたのですが、― ジーザス・ムーブメントの当初から魅力を感じていたことがあります。貴方がテレビに出たり、インタビューに答えられるのを見ましたが、それは、貴方の言われることが単純であることです。貴方は物事を難解にすることはありません。

(チャック)「淡々と、単純に御言葉を教えなさい。(Simply teach the word of God simply.)」が、私が人々に勧めることです。

(デービッド)貴方が何度も言われたことで忘れないものがあるのですが、「神の御言葉を教えないなら、(教会の)戸に他の名前を付けなさい。」と言われましたね。

(チャック)その通りです。

(デービッド)人々から、「私が住んでいる地域に、聖書を教えている教会を知りませんか。」と聞かれたとき、一部は違うのですが・・・。

(チャック)残念ながら(笑)そうです。

(デービッド)ほとんどの場合は、「御言葉の教えを聞きたかったら、カルバリーチャペルに行ってください。」と答えます。

 もう一つ私がとても喜んでいるのは、カルバリーチャペルでは聖霊の力が教えられていることです。カリスマ派であろうと非カリスマ派であろうと関係なく、私は初めから、イエス様が「聖霊を受けなさい。(ヨハネ20:22)」と言われた時、何も起こらなかったと信じるのには問題を感じます。私はいつも思いました、「ちょっと待てよ。神の御子が何かを与えるとおっしゃられているのなら、何かを受け取ったでしょ。」と。

(チャック)その通りです。そしてイエス様は、息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言われたんですよ。

(デービッド)ずっと長い間、カルバリーチャペルではなかった者として観察してきましたが、過度に飾り立てた、変てこな教会がいろいろある中で、単純で、多くの場合、崇高で、平穏な雰囲気がカルバリーチャペルにはあります。

(チャック)再び戻るのですが、聖霊の賜物の用い方についてその指針は聖書に記されています。その指針に従えばちゃんとできますよ。



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