政治的なのはどちらか?
World Net Dailyで、編集長ジョセフ・ファーラー氏による興味深いコラムがあったので紹介したい。
Christianity Today? Or Politics Today?
題名を訳すと「クリスチャニティー・トゥデイですか、それともポリティックス・トゥデイですか?」あるいは、「『今日のキリスト教』ですか、それとも『今日の政治』ですか?」となる。このクリスチャニティー・トゥデイ誌は、保守的なキリスト教会が創世記12章3節を取り上げて、イスラエルが行なっている土地拡張政策を支持していることに対して、否定的な見解を述べている。イスラエルが行なっていることを支持することが、そのままユダヤ人を愛することにはならない。愛には厳しさもともなうことを述べている、ということだ。
これに対してジョセフ・ファーラー氏は、第一に、この土地拡張というのが事実に基づかないと反論している。1967年以降、イスラエルは土地を拡張していない。そして、そのイスラエル生存に基づく六日戦争の正当性と、いわゆる「パレスチナ国家」にまつわる神話(パレスチナ人というものは存在せず、そこに住んでいる人は先住民ではなく、周囲のアラブ諸国から移住してきた人々だ、ということ等)を述べている。
ここまでは、聖書を根拠にしてイスラエル国家の正当性を認める保守的クリスチャンに同調する意見だ。しかし、彼はさらに議論を進めている。ここからがこのコラムの主題だ。こう書き始めている。
Christianity Today claims to love the Jews.
I just wonder. Do the magazine's editors
also love the Arab peoples of the region?(クリスチャニティ・トゥデイ誌は、ユダヤ人を愛していると言っている。はたしてそうなのか?この雑誌の編集者は、その地域のアラブの諸民族をも愛しているのか?)
パレスチナの政治形態は、PLOにしろハマスにしろ、全体主義、専制だ。そこのアラブ人は抑圧の中で生きている。この政治の指導者らが、本当にアラブ自決権を代表しているのか、ということだ。
ファーラー氏は、アラブ系アメリカ人のクリスチャンだ。祖父母が、イスラムが支配するアラブの国でジンミー(非イスラム教徒)として生きていたその生活から逃れて、アメリカに移住した。現在、パレスチナによる自治下では、組織的にアラブ人クリスチャンの排除を行なっている。
私たちが言っている「聖地」には、ユダヤ人だけでなくアラブ人クリスチャンも住んでいる。彼らは、「パレスチナ民族主義」という名の下、迫害、強姦、殺人の中に生きている。
ガザ地区ではすでに、ユダヤ人が一掃された。イスラエル国家の下では、アラブ人が他のアラブ諸国では前例のない自由と繁栄が享受している。では、同じようにユダヤ人がパレスチナの支配の中で生きられるのか?否、むしろ民族浄化が行なわれている。そしてこう訴えている。「クリスチャニティ・トゥデイ誌は、ユダヤ人だけで済まないことを理解しているのか?」すでに、今度は自分たちだと思って、アラブ人クリスチャンがそこから逃げているのだ。
以上が、ジョセフ・ファーラー氏の主な主張だが、私も1999年にイスラエルに旅行に行ったとき、ベツレヘムの町で多くのアラブ人クリスチャンを見た。主のご生誕の地にクリスチャンが多く集まるのは、ごく自然のことだと思った。アラブ人といえばイスラムだと思うが、その固定概念そのものが非聖書的である。アラブ人もわれわれ日本人と同じように、キリストがその罪のために死んでくださった、神に愛されている人々である。
けれどもその後、ベツレヘムの町が極端にイスラム化されているニュースを聞いた。彼らがイスラムから脅され、職を失い、その地域から出て行っているという話だ。旅行記でも話したが、ユダヤ教やキリスト教のゆかりの地には、必ずモスクも建てられている。嘆きの壁の上にある神殿の丘の、岩のドームだけではない。ユダヤ教とキリスト教は不完全で、イスラムによって完成するというのがイスラムの神学だから当たり前のことなのだ。
そしてその政治形態は、全体主義、専制である。私たちが空気のように当たり前になっている表現の自由はそこにはない。すべて二重生活であり、本音は家の中で、または友達同士でこそこそ話すが、公には必ず統治者の意見と同一にする。
イスラエル国家の聖書的意義を見出すクリスチャンたちに対して、クリスチャンの中でさえ「政治的」になっているとし反対する人々がいる。しかしその多くの場合、彼らの反対意見の根拠が聖書ではなく、他の人間的な要因である場合がほとんどである。ジョセフ・ファーラー氏が言うように、実は反対意見を言っている人々自身が聖書的ではなく政治的になっている。
私たちが国家を見る視点
そして、もう一つの、非常に大切なバロメーターをファーラー氏は提供している。それは、ユダヤ人だけでなく、私たちの兄弟姉妹であるキリスト者がその支配の中でどのように取り扱われているか、ということだ。
黙示録を読むと、そこにはイスラエルに対する悪魔の攻撃(12章)が描かれているだけでなく、それ以上に、主イエスを告白する兄弟たちがいかに迫害され、血を流し、殉教するかが何度も表れる。そして、彼らを迫害する政治体を神が後に激しく裁かれることを描いている。
おお、天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都のことで喜びなさい。神は、あなたがたのために、この都にさばきを宣告されたからです。(18:20)」「また、預言者や聖徒たちの血、および地上で殺されたすべての人々の血が、この都の中に見いだされたからだ。(18:24)」
政治的に中庸になろうとしている人々は、あくまでも政治面において中庸になろうとしているだけであり、依然として政治的なのだ。聖書的になるというのは、第一に神がイスラエルという国と土地とそしてその民族を中心に世界を動かしておられることと、そして第二に、キリストに属する者とされた人々がどのように扱われているか、を視点にしていくことなのだ。
私たち日本人は、遠くの国々を見なくても良い。例えば朝鮮人がそうだ。在日社会の中で、在日朝鮮人にクリスチャンはほとんどいない。一方で在日韓国人には信者は多く、在日韓国人のための教団さえある。在日朝鮮人は、その教育のせいもあるが日本にいながらにして監視があるから、恐れからキリスト者にはなろうとしない。
そして、もちろん北朝鮮本土では、クリスチャンは徹底的な弾圧を受ける。ある人は強制収容所に連れていかれ、ある人は生体実験を受け、指導者は道路工事のローラー車によって押しつぶされたりする。クリスチャンの信仰の自由を監視している団体では、北朝鮮は人々が信仰面で抑圧されている世界でナンバーワンの国になっている。
私たちは近くにいるこの人々が、このような恐怖を日々味わっているのを知っていただろうか?クリスチャニティ・トゥデイ誌の意見のように、政治的に中庸になろうとして、かえって彼らの立場を苦しめるようなことをしていないだろうか?
政治的福音化?
今日の福音的キリスト教会の中に不穏な動きがある。「平和」の意味が、イエス・キリストの福音ではなく政治的、社会的になっていることだ。これまでは政治団体、環境団体、そしてリベラルの教会の専売特許であった活動を、福音派と呼ばれている人々が行ない始めていることだ。
同じジョセフ・ファーラー氏は、サドルバック教会の牧師リック・ウォレン氏がシリアの大統領に会い、その後、シリアでは信仰の自由が守られているという発言をしたことに対して、怒り心頭したコラムを連続的に載せた。シリアの政権下にいるクリスチャンがいかに酷い仕打ちを受けているか、そしてそれら政治的指導者に会うことが、かえって同胞のクリスチャンの迫害に加担していることに怒っているのだ。(参考リンク:The purpose-driven lie Rick Warren on Syria: 'A moderate country' 等)
ウォレン氏は、スーダンの指導者とも会い、また北朝鮮の金正日とも会見しようとしているが、どんな場合でも表舞台で活動することによって、また、政治指導者と会うことによって彼の考える福音化を目指しているようだ。しかしその方法は、聖書の「右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。(マタイ6:3)」という主の命令に真っ向から反対しているのだ。
そのため、本人が意図しているかしていないかに関わらず、政治と一体化した宗教バビロンの一端を担っている。
また、七つの鉢を持つ七人の御使いのひとりが来て、私に話して、こう言った。「ここに来なさい。大水の上にすわっている大淫婦へのさばきを見せましょう。地の王たちは、この女と不品行を行ない、地に住む人々も、この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです。」・・・そして、私はこの女が、聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。私はこの女を見たとき、非常に驚いた。(黙示録17:1-2,6 下線筆者)
本当に、その人たちを愛するとは?
カトリックにしても、イスラム教にしても、ある民族、国家にしても、その宗教や国、民族が持っている考えや成り立ちに妥協点を見出すことが、その人たちを愛することではない。あくまでも、その人たちをキリストへの従順に回心させることが、その人たちを真実に愛することなのだ。
先のパレスチナ国家の話に戻すと、あの「神の密輸証人」の著者であるブラザー・アンドリューが、その模範的な働きをしている。彼の活動は今、イスラムに向けられている。彼の書物「Light Force」には、彼がPLOやハマスの中に入っていき、福音を語る奇跡の証言が載っているということだ。
ハマスは彼のように親身になって援助してくれる人はいないということで、アンドリューに大きな信頼を寄せている。彼のおかげで、ガザ地区にキリスト教書店があるという。彼はPLOの元議長、故アラファトにもアラブ語の聖書を渡し、福音も語ったらしい。
そしてハマスの幹部らが集まるパーティーにて、キリスト教のことについて話してほしいと頼まれた、ということだ。アンドリューは戸惑った。ここに400名ほどのハマス幹部がいる。IDF(イスラエル防衛軍)が彼らを暗殺したいなら、ここにミサイルをぶち込めばよい。今が絶好の機会だ。そしてたとえイスラエル軍が来なくても、自分が福音を語った後に、このイスラム原理主義者らは私の頭をちょん切るのではないか?そういう思いが頭をよぎりながら、キリストについて、私たちの罪のために十字架につけられ、そして三日目によみがえられたことについて語った。しかし彼らの反応は、「キリストの教えについて、もっと話してほしい。」というさらなる依頼だったのだ。
アンドリューにとって、イスラエルにつくか、パレスチナにつくか、そのような政治的なことは一切眼中にない。むしろ、そのようなことを語るのは福音宣教の働きに不必要なことで、邪魔になるだけだ。彼の思いは、このような複雑な政治状況の中で、人々の心に福音の言葉が届いていない、その一点に集中している。(参考リンク: Not a Mindless Terrorist)
クリスチャンは政治的にならず、ぜひ福音的になってほしい。
私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。・・・私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。(ローマ1:14,16)」
次に、このような複雑な政治状況下の中で、いかに純粋に福音を伝えることができるのか、その方法について考察したい。
前回、政治的にならずに福音を伝えることに専念しているブラザー・アンドリューの働きについて紹介したが、このことを先んじて行なわれている方がおられる。私たちの信仰の対象であられる、主ご自身だ。
ヨハネ伝四章に出てくる、サマリヤの女一人に対して主がお語りになった話は、歴史的、民族的、政治的、そして宗教的・神学的に複雑に絡み合った状況の中で、御自分のことを伝えられた記録である。この複雑さの重みを知っていただくため、長くなるがサマリヤ人の成り立ちについて細かく説明する。
サマリヤ人の起源
サマリヤ人の起源は、イスラエルが北イスラエル王国と南ユダ国に分かれていた時にさかのぼる。北イスラエルは、紀元前722年にアッシリヤによって滅ぼされた。アッシリヤは、北イスラエルの首都サマリヤにいる人々を捕え移した。サマリヤ人が現れたのは、ただアッシリヤの拡張政策に因るものであった。
アッシリヤは、他の国や民族を征服した後、その力をそぐためにあえて集団移住をさせた。非征服民は新しい地に移り住むことによって、その日常生活を確立させることによって精一杯になり、アッシリヤから独立したり、反抗しようとするまでの力を持てなかった。そして集団移住させた、その元の土地に別の非征服民を移住させることによって、民族のいわば相互移住を行なっていた。
いわゆる「失われたイスラエル十部族」説では、この時点でイスラエル十部族は失われたと主張するが、実際はアッシリヤが捕え移したのはサマリヤの町とその周囲の住民だけである。残りの北イスラエルの人々の中には主なる神のみに仕えることを決心した人々もおり、エルサレムに移り住んでいる(2歴代30:11、34:9、エレミヤ41:5)。
事実、新約聖書時代には、サマリヤ人の地域だけでなくその北にはガリラヤという広大な地域があり、そこには主にユダヤ人が住んでいた。北イスラエル全体からイスラエル人がいなくなった、ということではない。
したがって北イスラエルには、新しくやってきた他民族がおり、そして周囲の残されたイスラエル人たちがいるという状況ができあがった。そして異邦人とイスラエル人との雑婚が起こった。そこからサマリヤ人という、新しい民族の単位が生まれた。
新しい宗教
しかしサマリヤ人というのは、純粋な血縁的理由によってのみ使われた呼称ではない。宗教的要素が大きく絡んでいる。このことを詳細に描いているのが、列王記第二17章24節から17章最後までの長い部分である。
アッシリヤの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そして、セファルワイムから人々を連れて来て、イスラエルの人々の代わりにサマリヤの町々に住ませた。それで、彼らは、サマリヤを占領して、その町々に住んだ。彼らがそこに住み始めたとき、彼らは主を恐れなかったので、主は彼らのうちに獅子を送られた。獅子は彼らの幾人かを殺した。
そこで、彼らはアッシリヤの王に報告して言った。「あなたがサマリヤの町々に移した諸国の民は、この国の神に関するならわしを知りません。それで、神が彼らのうちに獅子を送りました。今、獅子が彼らを殺しています。彼らがこの国の神に関するならわしを知らないからです。」そこで、アッシリヤの王は命じて言った。「あなたがたがそこから捕え移した祭司のひとりを、そこに連れて行きなさい。行かせて、そこに住ませ、その国の神に関するならわしを教えさせなさい。」こうして、サマリヤから捕え移された祭司のひとりが来て、ベテルに住み、どのようにして主を礼拝するかを教えた。
しかし、それぞれの民は、めいめい自分たちの神々を造り、サマリヤ人が造った高き所の宮にそれを安置した。それぞれの民は自分たちの住んでいる町々でそのようにした。バビロンの人々はスコテ・ベノテを造り、クテの人々はネレガルを造り、ハマテの人々はアシマを造り、アワ人はニブハズとタルタクを造り、セファルワイム人はセファルワイムの神々アデラメレクとアナメレクとに自分たちの子どもを火で焼いてささげた。
彼らは主を礼拝し、自分たちの中から高き所の祭司たちを自分たちで任命し、この祭司たちが彼らのために高き所の宮で祭儀を行なった。彼らは主を礼拝しながら、同時に、自分たちがそこから移された諸国の民のならわしに従って、自分たちの神々にも仕えていた。
彼らは今日まで、最初のならわしのとおりに行なっている。彼らは主を恐れているのでもなく、主が、その名をイスラエルと名づけたヤコブの子らに命じたおきてや、定めや、律法や、命令のとおりに行なっているのでもない。
主は、イスラエル人と契約を結び、命じて言われた。「ほかの神々を恐れてはならない。これを拝みこれに仕えてはならない。これにいけにえをささげてはならない。大きな力と、差し伸べた腕とをもって、あなたがたをエジプトの地から連れ上った主だけを恐れ、主を礼拝し、主にいけにえをささげなければならない。主があなたがたのために書きしるしたおきてと、定めと、律法と、命令をいつも守り行なわなければならない。ほかの神々を恐れてはならない。わたしがあなたがたと結んだ契約を忘れてはならない。ほかの神々を恐れてはならない。あなたがたの神、主だけを恐れなければならない。主はすべての敵の手からあなたがたを救い出される。」
しかし、彼らは聞かず、先の彼らのならわしのとおりに行なった。このようにして、これらの民は主を恐れ、同時に、彼らの刻んだ像に仕えた。その子たちも、孫たちも、その先祖たちがしたとおりに行なった。今日もそうである。
いわゆる混合宗教が始まった。主をあがめるイスラエルの信仰だけでなく、諸民族の異教も混ぜ合わせてそこにいる人々は宗教生活を守った。
本家本元だと思っていた人たち
しかしその新しい混合宗教の中の主の知識は、サマリヤから捕え移した祭司がまた戻されて教えたものである。つまり、北イスラエルの国を始めた初代の王ヤロブアムが任命した祭司の末裔である。ヤロブアムは、宗教的・神学的理由によるのではなく政治的な理由で、新たな礼拝形態を始めた。
ヤロブアムはエフライムの山地にシェケムを再建し、そこに住んだ。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを再建した。ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」
そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンにまで行った。
それから、彼は高き所の宮を建て、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した。そのうえ、ヤロブアムはユダでの祭りにならって、祭りの日を第八の月の十五日と定め、祭壇でいけにえをささげた。こうして彼は、ベテルで自分が造った子牛にいけにえをささげた。また、彼が任命した高き所の祭司たちをベテルに常住させた。彼は自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえをささげ、イスラエル人のために祭りの日を定め、祭壇でいけにえをささげ、香をたいた。(1列王12:25-33)
主を礼拝するところは、エルサレム、つまりユダ王国にある。イスラエルの住民が祭りの毎にエルサレムに行って礼拝をささげれば、心がユダになびいてしまうという政治的な理由があった。
新しい礼拝形態には、この政治的ないきさつだけでなく、神学的にもこじれが出てきた。
旧約聖書を順番に読めば分かるが、サムエル記において主の礼拝に大きな変化が起こっていることに気づく。かつて幕屋があり、契約の箱が安置されていたのは、北イスラエルのシロという町だ。そこから契約の箱がペリシテ人に奪い取られた。そして長い年月を経て、ユダ族出のダビデが神の箱を自分の町エルサレムに移動させて、そこに安置させた。それから彼の子ソロモンが神殿を建て、そこに主が住まわれるという定住の礼拝場が出来た。
しかしこれはもちろん、神の主権の中で、神の約束の中で決められた事である。主はエルサレムを、御自分の名を住まわせるところと定められ、ダビデの家系を神の国の礎として定められた(2サムエル7:12−16)。
しかし北にいる人々にとっては、歴史的には自分たちが本家本元だと思いたいのだ。アブラハムがバビロンのウルの町から移り住み、降り立った町々は北イスラエルにある。シェケル、ベテルなどだ。ヤコブは、シェケムにおいて土地を買い取り、それを自分の子ヨセフに与えた(創世48:21−22)。
再びイスラエルがこの地に入ったとき、北イスラエルにある、イスラエル全体の中心に位置するゲリジム山とエバル山のところで、祝福と呪いについてのモーセの律法を読ませた(ヨシュア8:33‐34)それは、モーセがそうしなさいと命じていたからだ。
したがって彼らの頭の中では、ダビデ以降の歴史は元々モーセの律法には存在せず、ユダの者たちが人為的に付け足したというように考えることもできた。もちろん、それは彼らの弁解にしかすぎず、神はダビデとソロモンを通して、多くの証しによってご自分が定めた場所を人々に明らかにしておられた。
だからサマリヤの女はユダヤ人である主に対して、軽蔑した、また困惑している言葉を発しているのだ。
「あなたは、私たちの先祖ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。(ヨハネ4:12)」
「私たちの先祖は、この山(=ゲリジム山)で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(ヨハネ4:20)」
民族的敵愾心の始まり
列王記と歴代誌の記述をそのまま読めば、北イスラエルは主から遠く離れたので滅亡してしまったのであり、またユダも主の道から離れたのでバビロンに捕え移されたことを知ることができる。激しい悲しみと痛みをもって読まずにはいられない。
同じように、これまでの記述をそのまま読み、その通りに生きていかなければならない、悔い改めてやり直そう、というのが、バビロン捕囚後のユダヤ人の歴史だ。
総督ゼルバベル率いるユダヤ人の一行は、エルサレムに帰還して神殿再建を始めた。そしてこのことを聞いたサマリヤ人をたちが、いっしょに神殿を建築したいと申し出た。
「ユダとベニヤミンの敵たちは、捕囚から帰って来た人々が、イスラエルの神、主のために神殿を建てていると聞いて、ゼルバベルと一族のかしらたちのところに近づいて来て、言った。「私たちも、あなたがたといっしょに建てたい。私たちは、あなたがたと同様、あなたがたの神を求めているのです。アッシリヤの王エサル・ハドンが、私たちをここに連れて来た時以来、私たちは、あなたがたの神に、いけにえをささげてきました。」(エズラ4:1-2)」
ところがユダヤ人らは、この申し出をきっぱりと断った。
「私たちの神のために宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない。ペルシヤの王、クロス王が私たちに命じたとおり、私たちだけで、イスラエルの神、主のために宮を建てるつもりだ。(エズラ4:3)」
なぜか?それは、彼らの純潔、ユダヤ人復興の熱情からだ。彼らの系図はしっかりと保たれていた(エズラ8章)。その証明がなく、他の民族と混じり合っているサマリヤ人は彼らにとって論外もいいところだった。
事実、エズラがエルサレムにやって来て間もなくしてから、自分たちの中に国々の民と混じり合っていることを知って、ショック状態になり、呆然とした状態が続いた(9:4)。それからユダヤ人の間からも激しい泣き叫びと悔い改めの声が湧き上がり、その後のエズラ記の記録は雑婚を取り除くことで終わっている。
これは城壁の再建のためにやってきたネヘミヤの時でも同じである(ネヘミヤ13:23−27)。エズラの時もネヘミヤの時も、聖書の言葉をものすごく真剣に受け止めて、同じ過ちを繰り返すことに対して激しく反応した結果だった。
ここがサマリヤ人とユダヤ人との間に反目が起こった始まりだった。
サマリヤ人も、メシヤを求めている。だから、サマリヤの女はメシヤが来られたことに強く反応したのだ。そして主がサマリヤの地を通っておられるのに御顔をエルサレムに向けておられたために、サマリヤ人はこの方を受け入れなかった(ルカ9:53)とある。サマリヤ人は、ユダヤ人や神への礼拝とまったく関係のない存在ではなく、むしろ以上述べたような歴史、民族、宗教、政治、神学、そして感情という多様な要素が複雑に絡み合って生きていた人々なのだ。
それでも通られたサマリヤの地域
以上のことを考えると、ヨハネ伝四章9節の言葉は非常な重みを持つ。
「そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」・・ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。・・」
ユダヤ人である主がサマリヤの女に伝道されようにも、非常に容易に、感情的なもつれから話は脱線しえる。しかし主は、目の前にある井戸の水をきっかけにして、ストレートに御自分のことを紹介された。
「イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」(ヨハネ4:10)」
しかしサマリヤの女は、やはり民族的対立、歴史的対立へと話を動かした。ここは「私たちの先祖ヤコブ」が使った井戸である、と。「あなたは、私たちの先祖ヤコブよりも偉いのでしょうか。(4:11)」
しかし主はぶれなかった。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。(4:13-14)」
話がそれそうになっても、主はご自分が伝えたいメッセージへと牽引しておられた。
ここまで読んで、ブラザー・アンドリューの宣教がいかに主のスタイルに倣ったものか、よくお分かりになるだろう。イスラエルとパレスチナも、かつてのユダヤ人とサマリヤ人のようにいろいろな要素が複雑に絡み合っている関係を持っているが、福音を伝えることからぶれないのだ。また、クリスチャニティー・トゥデイ誌の意見等が、いかに福音とは関係のない議論に彷徨ってしまっているかがお分かりになるだろう。
物質的な必要という壁
そして次にサマリヤの女は、再び話をずらしているが、まだ新生していない人であれば当たり前の反応をしている。
「女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」(4:15)」
福音宣教をしていると、多くの場合、物質的な必要を満たしながら霊的な必要を満たす方法を取る。しかしそこで、相手が物質的な必要のみ求めてくる葛藤にぶち当たる。物質的な助けの背後にある霊的要素、つまり神の恵みであるとか愛を見ることなく、相手はただ「もっと助けてほしい」と願うのだ。このような脱線からも、私たちは本質へと引き戻さなければいけない。
そこで主は、話をサマリヤの女個人が抱えている問題へと移された。彼女は男との関係で、自分の孤独を埋めようとしていたのだ。自分のことを言い当てられた彼女は、すぐに主を「あなたは預言者だと思います。(ヨハネ4:19)」と認めている。これは、彼女がすでに捕えられているから言える発言だ。
神学的な純正
しかし彼女は最後の脱線を行なっている。それが神学的な混乱である。
「私たちの先祖は、この山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(4:20)」
神学的に間違っていると、私たちは思わず矯正したくなる。そして矯正しているうちに、本質である霊の救いからも離れてしまう。
しかし主は再び牽引された。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。(4:21-23)」
ここで気をつけていただきたいのは、主は決してサマリヤの女が持っていた誤った神学に妥協されなかったことだ。「救いはユダヤ人から出て、ユダヤ人は知って礼拝している。」という事実に主は言及されていることだ。
カトリックとプロテスタントの対話が福音派の指導者の中で行なわれている。また、イスラム教徒への宣教のためと言って、イスラム教とキリスト教の共通点を考えるキリスト教番組も見たことがある。しかしこのような妥協点を見出したところで、その教えの下にいる人々は真理に至ることはないのだ。
そしてもちろん、神学を超えて、その人の霊の救いである「霊とまことによって父を礼拝する」ことを主は最後に訴えられた。そしてサマリヤの女は、「いっさいのことを知らせるメシヤが来られるはずだ」と言い、主は「それはこのわたしです。」と答えられた。
逸れて欲しくない
以上が主の宣教方法であり、私たちが倣うべき方法である。第一に、主は、非常に複雑な状況の中にいる人々に対しても、真っ直ぐに福音を語られた。第二に、話がそらされそうになったら、すぐ牽引して話を本質に戻しておられた。第三に、事実や真理について妥協されなかった、ということだ。
今年、ある大きな韓国の教会が、日本の各地で文化的祭典とともに伝道集会を催した。私はその牧師を尊敬しているし、その教会の宣教への情熱に感銘を受けているが、それでもちょっと残念だと思ったことがあった。ある集会でのメッセージに、韓国人と日本人の間にある歴史的問題、感情的もつれについてかなり話しておられたことだ。
私は、「ただ福音だけ語ってくれればよかったのに・・・」と思った。「日本人は勤勉で、物事をしっかりとこなす人々です。」とほめても、日本人は救われない。「私たち韓国人は、これまで日本を憎んでいたことを悔い改めました。」と言っても、罪の中に生きている日本人が新たに生まれることはない。「あなたは罪人です。神がキリストを遣わし、あなたの罪のために十字架の死に引き渡されました。そして三日目によみがえられました。あなたがキリストを信じれば、罪が赦され、神の子になります。永遠のいのちが与えられます。」と聞いて、そして信じて、それで初めて救われるのだ。
このように容易に私たちは、ずれてしまう。ポイントに絞った宣教が必要だ。
次に、主が、福音に敵対的な状況の中で、どのように宣教を行ない、また死んで御自分の使命を果たされたかを考察してみたい。
アフガニスタン拉致事件について思うこと
韓国の宣教グループがアフガニスタンでタリバンに人質に捕えられ、牧師を含む二人が殺されたというニュースが今年話題になった。
私はいくつかの思いが交差し、複雑な思いになった。しかし一言でいうならば「起こるべくして起こった事件だ」ということだ。
私が聖書とイラクの関係について一連のエッセイを書いたとき、イラクへの宣教の可能性について論じた。実際にその先駆者的働きを行なっていたのは、アメリカ人並びに韓国人であった。イラクにおいても、イスラム教テロリストによって、韓国人の兄弟が斬首になったことを覚えておられるだろうか?彼は表立って宣教師とは言っていなかったが、まぎれもなくその思いでかの地に行っていた。
現在、宣教師を送り出している国として韓国が第一に挙げられる。しかも、まだ福音が届いていないこれらのアジア・中東地域においては、韓国人がダントツだ。政治的な理由からアメリカ人が行くのが難しくても、韓国人なら行ける場合が多い。彼らの中に、これからの宣教は私たちアジア人が担うと考えている人が多い。
絶対数として宣教に送り出している人が多い(聞くところによると、アメリカに次いで世界二番目の宣教国になったらしい)のだから、世間の目に留まるような形でこのような事件が起こっても不思議ではない、と私は思った。
そしてこの事件によって、韓国内で鬱積していた不満が噴出したこととなった。それは、韓国のキリスト教会がその外にいる人々から嫌われている、ということだ。韓国人クリスチャン自身の中で多く語られていることだが、教会がビジネス化していること。自分たちだけで満足して、世に対して証しとなっていないこと。そして教会とそうでないものを鮮明に分けて、壁を築いてしまっていることなどの問題がある。そこで世間の人はキリスト教会に反発し、不満を抱いていた。
今回アフガニスタンに宣教に行った人たち必ずしも受けなくてもよかった非難が、一斉にその矛先を向けられた状態になった。
しかし私が一番気になったのは、彼らが一緒に、バスに乗って移動していたことだ。イスラムの影響が非常に強いアフガニスタンにおいて、目立つような形での行動をしていたことについて、私は違和感を抱いた。日本への短期宣教ではあるまいし、二、三人に分かれて個人行動に装っていかなければ危険だ、と思ったのである。
韓国の人やアメリカなど自由な国のクリスチャンたちが抱いている宣教スタイルが、これから行かなければいけない、宣教の必要が大きい地域には合わないのではないか?という思いを抱いている。いや、もっとはっきり言えば、主ご自身が行なっておられた宣教スタイルと異なっているのではないか?と思っている。
一般に福音に敵対しているなら・・・
主は、イスラエルの失われた羊を探すために来られたことを話しておられる。ユダヤ人のために来られたが、ユダヤ人に拒まれることをご存知であった。ご自分を受け入れる人々はいるが、最後はご自分が捨てられた礎石になることをご存知であった。初めから、福音を受け入れない敵対的な地にご自分が遣わされているのを知っておられた。
そこでまず主は、御自分のことをはっきりと明かさなかった。語弊を恐れずに言うならば、主は御自分のことを「ぼかして」語られた。主は「人の子」という呼称を御自分のことを話すのにたくさん用いられた。これはダニエル書によればメシヤを意味する単語であるが、他の箇所ではそのまま「人間の子」つまり単なる人間を指す言葉として使われている。
だからといって、ご自分をひたすら隠しておられたのではない。「わたしはキリストである。」と、やたらに御自分の正体を披露することはなかったが、例えば「あなたの罪は赦されました。(マルコ3:5)」など、聞いたら分かる人は分かる形でご自分が神の子であることを明らかにしておられた。罪を赦すのは神しかいないのを知っていた律法学者は、主がご自分を神と同等にしていることをすぐに察知したのだ。
このような二重の宣教の側面は、山上の垂訓の中で明確に教えられている。二つの命令を比べてみよう。
「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイ5:16)」
「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。(マタイ6:3)」
人々の前で輝かせなさい、という命令と、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい、という命令には矛盾があるのではないか、と思われるかもしれない。しかし、福音に対して敵対的な状況で宣教を行なうことを考えるならば、実はこの命令は合点が行くのだ。
「いついつ、何々の集会があります・・・」
韓国の教会でも、アメリカの教会でも、そしてもちろんその影響を受けている日本の教会でも、前者「あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい」という命令には敏感である。周りの人々に、「私たちはクリスチャンです。キリストを信じてください。教会に来てください。」と表立って言うことには慣れている。
そして宣教活動においても、人々に自分たちのことを訴える。そして支援金や祈りを募る。企業の展示会のようにブースに宣教地における自分たちの写真を掲載して、なるべくたくさんの人々に知らせようとする。これが度を過ぎると、ただ支援金を集めるだけの目的で、宣教地で写真ばっかり撮るようになる。実質的な、目に見えない地道な活動はないがしろして、派手なことだけを行なおうとする。
商業ベースに自分たちの存在を載せ、知らせることは、資本主義社会の自由市場の原理では当たり前であり、情報公開しなければ人々は購買の選択ができない。しかし上で見たように、私たちはやたらに「私たちはクリスチャンです。私たちはこのような活動をしています。」と宣伝しない。自分たちの良い行ないを見て、神をあがめるようにすることはあっても、目の前にいる他人が、自分たちがしていることを知らないぐらい、自分たちの正体や使命を隠密にしている側面もあるのだ。
これは、宣教の本質的な部分、つまりその人が真実にキリストに触れられるためには必要なことだ。霊的に弱った人、病んでいる人が福音に触れるのだから、伝える者たちも、「葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない(マタイ12:20)」繊細さが必要なのだ。
身の危険を感じて
そして主はご自分が行なわれる奇蹟について、細心の注意を払われた。らい病人を癒された後に、「気をつけて、だれにも何も言わないようにしなさい。(マルコ1:44)」と言われている。弟子たちが、ご自分がキリストであると告白したときも、「自分のことをだれにも言わないようにと、彼らを戒められた。(マルコ9:30)」どうしてか?次に主がこう言われた。
「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえなければならないと、弟子たちに教え始められた。(マルコ9:31)」
主は、ご自分がキリストであることをはっきり言えば、ユダヤ人指導者に殺されることを知っておられたから、ご自分がキリストであることを誰にも言わないようにと戒められたのだ。
御自分のことを明らかにするのには、時がある。主は何度も、「わたしの時はまだ来ていません。」と言われたが、最後の週には公にエルサレムに入城され、公にメシヤとしての称賛を受けられ、そしてユダヤ人法廷の場でははっきりご自分が神の子キリストであることを証言された。その時が来るまでは、主は最大限、ご自分の身を守り、かつご自分が最大限、効果的に人々に伝わるように、思慮深く行動されたのだ。
思慮深さ
聖書の中に「思慮深い」という言葉が多く出てくる。または「慎み深い」という言葉としても出てくる。英語にはdiscretionという言葉がある。これは、何か、あることをするにしても、心の中でかなり自制して、周囲の様子も見ながら知恵をもってその目的を遂行していく、という意味を持つ。周囲の人々は、一目ではその人がしていることが何かを認めることはできない。しかしいつの間にか、確実にその人の行動に実が結ばれていることが分かってくるという特徴を持つ。
これは大胆でないことを意味しない。主は、ある時には、回心した人に言い広めなさいと命じられた。「それでイエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人が、お供をしたいとイエスに願った。しかし、お許しにならないで、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」(マルコ5:18-19)」
また、主は御自分の身の危険を感じて、エルサレムに入られなかったことがある。「その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。それは、ユダヤ人たちがイエスを殺そうとしていたので、ユダヤを巡りたいとは思われなかったからである。(ヨハネ7:1)」そして兄弟たちが、「自分から公の場に出たいと思いながら、隠れたところで事を行なう者はありません。あなたがこれらの事を行なうのなら、自分を世に現わしなさい。(7:4)」と言われても、主は拒まれた。
けれども主は、公にではなく内密に行かれたのだ。そしてその仮庵の祭りの最後の日に、人々の前で、大声で叫んで言われた。「「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(7:37-38)」
主は、時と場所を随時、見ておられるのだ。そして福音が最大限に、効果的に伝わるにはどのように行動すればよいか、何を発言すればよいか、よくお考えになった上で判断されていたのだ。
殺された人は殉教者、しかし・・・
アフガニスタンでタリバンに殺された二人は、私は立派な殉教者だと思っている。パウロが皇帝ネロによって殺されるが、義の冠が用意されていたように(2テモテ4:8)、彼らにも大いなる報いが今、天において与えられていると思っている。
しかしこの地上に残っている私たちは、向こう見ずにこの道を選んでよいだろうか?殉教は栄誉なのに、何を隠密に行動する必要があるのか、と思う人がいるかもしれない。しかし韓国政府は、アフガニスタンにいるキリスト教関係者全員に帰国命令を出した。結局、その地で福音が十分に伝えられる前に引き返さなければいけないという結果を、拉致されることによって被らなければならなかったのだ。
殉教は栄誉なことだ。しかし、くまなく十分に福音が伝えられるまで、時が来るまで賢く行動し死なないことも私たちの責務なのだ。主はご自分が殺されることを知っておりながら、決してその死を早めたりなさらなかった。主の弟子である私たちが、この方にまさることはない。
今の時代は、このような地域に宣教していく時代になっている。前から開かれている所では教会がどんどん振るいにかけられている。クリスチャン人口は減り、教会は世的になっている。しかし、これまで誰も行くことができなかったような所の戸が開かれ、また、閉じられている所でも神が奇跡的な方法でそこにいる人々をお救いになっている。だから私たちの目を、困難だと言われている地域に向けなければいけない。
だが、知恵が必要だ。自由主義社会にありがちな、商業主義的な宣教方法を捨てなければいけない。主が示された、見えないようでいて著しい働きに、隠れているようで大胆な、本来の宣教の姿に戻らなければいけない。そうすることによって初めて主の最後の命令を守っていくことができる。