神の建物 2000/11/20

「私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。」(2コリント5:1)

昨日は、コリント書第二5章全体を学びました。パウロはここで、地上の肉体と、復活のからだについて話しています。地上の肉体を幕屋、すなわちテントにたとえて、復活のからだを神の建物にたとえています。

コリント書第一15章には、復活のからだの姿について書かれています。復活のからだは決して死ぬことはなく、朽ちないものであり、栄光があり、天国で住む環境に適したからだです。一方、この地上のからだは、やがて衰え、朽ち、アダムから引き継いだ罪を宿しています。パウロはこの違いを、テントと建物にたとえています。テントに住むのは一時的であります。登山に行ったとき、キャンプをするとき、テントがなければ寝泊りができませんから、これはとても大切です。けれども、このテント生活が2週間、3週間続いたらどうなるでしょうか?不便極まりない生活ですね。もろいし、激しく雨風が吹いてきたら、吹き飛ばされてしまいます。パウロは、コリント書第二において、これまで肉体に受ける苦しみについて話してきましたが、肉体の中で生きる生活はまさに、テント生活であるとたとえているのです。

けれども、建てられた家に住むことはどうでしょうか。電気・ガス・水道があり、食べること寝ること、すべてにおいて快適であります。同じように、復活のからだは、私たちにもっとも適したからだであると言えます。イエスさまが弟子たちに言われました。「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。(ヨハネ14:2)」イエスさまが用意してくださる住まいとは、まさにこの新しいからだ、復活のからだなのです。天において永遠を過ごすのにもっとも適したからだを、受け取ります。

私たちが、この神からの住まいをしっかりと確信しているときに、パウロのように、この地上にあって「心強い(5:6,8)」生活をすることができます。


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