使徒行伝25章 「生きているイエス」


アウトライン

1A エルサレムからローマへ 1−12
   1B ユダヤ人のねたみ 1−5
   2B ユダヤ人への歓心 6−12
2A 人の法律から神の律法へ 13−27
   1B 言い争いの点 13−22
   2B 取り調べの点 23−27


本文

 使徒の働き25章をお開きください。ここでの主題は、「生きているイエス」です。総督フェストは、アグリッパ王に、「死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロが主張しているのです。」と言いました。

1A エルサレムからローマへ 1−12
 それでは、1節から読みましょう。
1B ユダヤ人のねたみ 1−5
 フェストは州総督として着任すると、三日後にカイザリヤからエルサレムに上った。すると、祭司長たちとユダヤ人のおもだった者たちが、パウロのことを訴え出て、パウロを取り調べる件について自分たちに好意を持ってくれるように頼み、パウロをエルサレムに呼び寄せていただきたいと彼に懇願した。彼らはパウロを途中で殺害するために待ち伏せをさせていた。

 
時は、フェストという人が新しくユダヤ地方の総督として着任したときのことです。私たちは前回、総督ペリクスがローマ皇帝によって罷免させられたことを学びました。新しくフェストが就任したのですが、彼はユダヤ人たちに敬意を示すためにエルサレムに上り、そのおもだった人たちにあいさつをしに行きました。自分がこれから治めるところには、ユダヤ人が政治的な勢力であったからです。イスラエルには、ヘロデという王がいましたが、ユダヤ地方を治めていたヘロデ・アラケオの政策がユダヤ人の不評を買い、ローマ皇帝によって追放されました。それからは、ローマが統治者を送りましたが、それが総督です。ですから、ここで治める総督はいつも、ユダヤ人との関係に関わらざるを得なくなりました。だから、ポンテオ・ピラトは、ユダヤ人指導者の圧力によってイエスさまを十字架につける判決を下したのです。前任のペリクスも、ユダヤ人がローマにペリクスの行状を訴えたので、皇帝が彼を罷免しました。ですから、今、着任したばかりのフェストは、エルサレムに行き、政治的な勢力をもつユダヤ人指導者にあいさつに来たのです。

 そのときに、ユダヤ人たちは、パウロの件を持ち出しました。彼らは、パウロがエルサレムに来る途中に彼を殺害する計画を持っていました。パウロは、ペリクスが総督のときにエルサレムから連れて来られた者であり、ペリクスが裁判の判決を延期させ、そのまま二年間が経ってしまいました。神殿において起こった騒動は、もう二年前のことです。その時に起こったことを、このユダヤ人指導者たちは今になっても忘れることはなく、彼を殺してしまいたいと思っていたのです。パウロを訴え出た人が、祭司長たちであることに気づいてください。大祭司アナニヤはもう死んでしまったようです。もう、当時の大祭司がいないのに、それでもパウロを殺したいと思っています。このパウロをユダヤ人たちは取り調べをしたいと、着任したばかりのペリクスに申し出たのです。ですから、ペリクスの最初の仕事は、このパウロという人物をどうすべきか考えることでした。もしユダヤ人がパウロのことを持ち出さなかったら、ペリクスは牢獄にいるパウロをどうすることもしなかったでしょう。けれども、彼らは持ち出したのです。そのために、この章を読み進めると、パウロがカエザルに上訴することができ、そして上訴することができたので、ローマへ行くことができるようになりました。主イエスが、かつてパウロにこう言われました。「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかししなければならない。(使徒23:11)」主が、このユダヤ人たちのねたみをも用いて、ご自分の計画を実行されておられるのを知ります。

 ところが、フェストは、パウロはカイザリヤに拘置されているし、自分はまもなく出発の予定であると答え、「だから、その男に何か不都合なことがあるなら、あなたがたのうちの有力な人たちが、私といっしょに下って行って、彼を告訴しなさい。」と言った。

 フェストは、着任したばかりなのでパウロのことはよく知らないけれども、ユダヤ人たちの願いはローマの慣例に反することであると判断しました。被告人が弁明する機会が与えられなくて、そのまま引き渡すことはできないのです。そこで、カイザリヤに来て、法廷の中で訴えなさいと言いました。

2B ユダヤ人への歓心 6−12
 フェストは、彼らのところに八日あるいは十日ばかり滞在しただけで、カイザリヤへ下って行き、翌日、裁判の席に着いて、パウロの出廷を命じた。パウロが出て来ると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちは、彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てたが、それを証拠立てることはできなかった。しかしパウロは弁明して、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、またカイザルに対しても、何の罪も犯してはおりません。」と言った。

 
フェストは、カイザリヤに戻ってから、間髪を入れずに裁判を執り行ないました。ユダヤ人たちが告訴し、パウロが弁明しました。おそらく、かなり激しく、困惑した雰囲気の法廷だったでしょう。数多くの重い罪状が突きつけられました。パウロも、それに対してはっきりと無罪を主張しました。それに、証拠がありません。フェストにとっては、いつもとは違う異様な雰囲気を感じたのではないでしょうか。

 ところが、ユダヤ人の歓心を買おうとしたフェストは、パウロに向かって、「あなたはエルサレムに上り、この事件について、私の前で裁判を受けることを願うか。」と尋ねた。


 フェストは、おそらく収拾がつかなくなるのを恐れて、妥協案を提示したものと考えられます。これはどのように判断すべきかが分からなくなり、けれども、ユダヤ人たちに激しい敵意を見て、ここでパウロを無罪にしたら、ユダヤ人からの反感を買うと思ったのでしょう。エルサレムに行って、けれども私の前で裁判を受けたいか、と尋ねました。

 すると、パウロはこう言った。「私はカイザルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。あなたもよくご存じのとおり、私はユダヤ人にどんな悪いこともしませんでした。もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません。しかし、この人たちが私を訴えていることに一つも根拠がないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカイザルに上訴します。」

 
パウロははっきりと主張しました。エルサレムに行く根拠はないと。自分はローマの法廷にいるのであり、ここで裁かれるべきであると。もし、ここで公正な裁判が行なわれないのなら、カイザルに上訴します、と言いました。パウロはローマ市民です。ローマ市民は、皇帝本人に判断を委ねる権利を持っています。皇帝だけが、ローマ市民について最終的な判断を下すことができます。パウロは、ペリクスに続いてまたしても、フェストがユダヤ人に歓心を買おうとして、自分が利用されると思ったのでしょう。政治的な道具に自分が利用されるのに嫌気が指したのです。また、エルサレムに行ったらすぐに殺されることは目に見えています。ここでは、自分の命が奪われる危険にさらされているのです。そこで、ローマ市民としての権利を行使しました。「カイザルに上訴します。」と言いました。

 そのとき、フェストは陪席の者たちと協議したうえで、こう答えた。「あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい。」

 
フェストは意表を付かれました。カイザルに上訴されてしまいました。彼は後ろを振り返って、陪席の者たちに、「もう私は何もすることができない。パウロは、皇帝の保護下に置かれたのだから。」などと説明したでしょう。そこで、法律用語である、「カイザルに上訴したのだから、カイザルへ行きなさい。」という言葉を述べました。

 こうして、パウロは、囚人としてローマに行くことになりました。パウロはローマに行くとは思っていましたが、まさかこのようなかたちで行くとは思わなかったでしょう。彼はもちろん、この時点で釈放されて、ローマへ向かうことを願ったことでしょう。しかし、パウロが、ユダヤ人に殺される危険を感じて、政治的道具として利用されることに嫌気がさしたときに取った行動を主が用いられたのです。私は、なぜ、エルサレムからローマに至るまでの道のりを、ルカがこのように詳しく記録しているのかが分かりませんでした。福音が宣べ伝えられて、多くの人が信じていくというパウロの働きは、13章から20章までに記されていました。パウロがエルサレムに来てから、ローマに行くまでのパウロの姿も21章から28章まで記されています。福音宣教と同じ8章が使われているのです。なぜ、ユダヤ人に誤解され、殺されそうになり、総督の好きなように利用され、次に登場するアグリッパは興味本位でパウロの話しを聞くことに同意しているのですが、なぜこのようなことをルカは詳しく記したのかが分からなかったのです。けれども、ルカが伝えたかったのは、やはり、「あなたがたは地の果てにまで、わたしの証人となります。」という主イエスのことばであったと思います。一見、本来の目的とは脱線しているような出来事が起こっているときでも、むしろ、その目的を阻むような状況が起こっていても、主のみことばは確実に実現されることを知らせたかったのではないでしょうか。このことは、とても大切なことです。私たちもパウロと同じように、自分の思うようにいかない不自由な状況の中に入れられることがあります。そのなかでもがいて、そのなかで自分ができることだけを行なうという葛藤を経験するときがあります。けれども、その葛藤の中にも主がいてくださいます。主は、その葛藤のなかで生きて働いてくださり、ご自分の目的を実現されます。このカイザルへの上訴を主が用いられて、彼をローマへと導いてくださいます。

2A 人の法律から神の律法へ 13−27
 こうして、総督フェストはパウロをカイザルに送ることになりますが、彼には大きな問題がありました。第一に、この裁判の内容を判事である自分自身が把握していなかったことです。第二に、パウロをカイザルに送るときに、彼への訴状を見出すことができなかったことです。訴状がないのにカイザリヤで一人の囚人を二年間も監禁していたのですから、そのことが皇帝に知られたら、フェリクスの立場も危うくなります。けれども、この問題を解決してくれそうな人物にフェリクスは会うことができました。ヘロデ・アグリッパ二世です。

1B 言い争いの点 13−22
 数日たってから、アグリッパ王とベルニケが、フェストに敬意を表するためにカイザリヤに来た。

 
先ほども説明しましたが、ローマ帝国はイスラエルを支配していたとき、ヘロデをユダヤ人の王として認めていました。ヘロデ大王をはじめとして、その息子、孫たちがこの地域を支配しましたが、彼ら自身はユダヤ人ではなく、エサウの子孫のエドム人、またはイドマヤ人であります。けれども、自分が支配しているユダヤ人に受け入れられたいために、自分がユダヤ教徒として生きていること、ユダヤ人の味方であることを示そうとしました。ヘロデ大王が建てた神殿が、その典型的な事業です。むろん、ユダヤ人は、ヘロデを自分たちの仲間であるとは最後まで思いませんでした。ですから、ヘロデはユダヤ人の王としてローマから認められていましたが、イエスさまがお生まれになったときは、ヘロデ大王が支配していました。ヘロデ大王が紀元前4年に死んでから、イスラエルの領土は息子たちに分けられて、ガリラヤ地方を支配していたのがヘロデ・アンティパスです。このヘロデがバプテスマのヨハネを殺し、イエスさまが十字架につけられるとき、ピラトはこのヘロデのところに送られました。そして、アンティパスの甥がヘロデ・アグリッパ一世です。つまり、ヘロデ大王の孫になります。アグリッパ一世は、ユダヤ人に気に入られようとして使徒ヤコブを殺し、ペテロも殺そうとした人物です。彼は、カイザリヤで演説をしているとき、御使いに打たれて死んでしまいました。そして、このアグリッパ一世の息子が、ここに登場しているヘロデ・アグリッパ二世です。したがって、アグリッパは、ユダヤ人の王であり、ユダヤ教に精通していました。大祭司を任命する役割も担っていました。

 そして妻のベルニケが登場していますが、前回出てきた総督ペリクスの妻ドルシラと同様、非常に美しく、かつ不道徳な女でした。彼女は、このアグリッパ二世の妹でした。合計4人の男と結婚し、アグリッパは4番目の男です。最後は、後に皇帝となったティトスのめかけでした。ティトスがユダヤ人の反乱を制圧するとき、ベルニケがユダヤ人に説得するという重要な役割を果たしました。アグリッパはガリラヤ地方を支配していたのですが、ユダヤ・サマリヤ地方で新しく総督となったフェストにあいさつするために、やって来ました。

 ふたりがそこに長く滞在していたので、フェストはパウロの一件を王に持ち出してこう言った。ここからフェストは、自分がパウロの件について処理できないことを告白し、相談を持ち掛けます。「ペリクスが囚人として残して行ったひとりの男がおります。私がエルサレムに行ったとき、祭司たちとユダヤ人の長老たちとが、その男のことを私に訴え出て、罪に定めるように要求しました。そのとき私は、『被告が、彼を訴えた者の面前で訴えに対して弁明する機会を与えられないで、そのまま引き渡されるということはローマの慣例ではない。』と答えておきました。そういうわけで、訴える者たちがここに集まったとき、私は時を移さず、その翌日、裁判の席に着いて、その男を出廷させました。訴えた者たちは立ち上がりましたが、私が予期していたような犯罪についての訴えは何一つ申し立てませんでした。

 パウロの件についてよく知らなかったフェストは、パウロが何か重大な罪を犯していると思っていましたが、裁判をしてみて、そのようなものは何一つなかったことに気づきました。けれども問題があります。

 ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのでした。

 フェストは、彼らの言い争っている点について理解できなかったのです。それは、自分には理解できない宗教に関することででした。ローマの法律に関することではなく、神についてのことであることを知ったのです。だから、この言い争いは裁判の中で行なわれていましたが、本当は宗教論争だったのです。人の法律ではなく、神の律法によって図られなければいけないものだと思ったのです。そして、フェストは、ユダヤ教のことについて知らなかったにも関わらず、彼らの論点を実に的確につかんでいました。死んでしまったイエスという者を、パウロが生きていると主張しているから、ユダヤ人が訴えていることを知ったのです。ここがとても大事な点です。

 なぜイエスさまが生きておられることについて、ユダヤ人は激しく反対したのでしょうか。二年間も経っているのに、彼らはパウロを訴え、殺したいと願ったのです。これは単なる衝動的な殺意ではなく、もっと本質にかかわるものだからです。ガラテヤ書4章において、パウロは、「かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。(4:29)」と言いました。主ご自身も、パリサイ人や律法学者にこう言われました。「だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。(マタイ23:34」パウロが御霊によって生まれた者と呼んでいる人たち、また、主が、ご自分が遣わされた者たちと言われている人たちが迫害されます。一言で言うならば、信仰によって生きた人たちが迫害されているのです。自分の律法の行ないによって義と認められるのではなく、神ご自身を義として生きていく人が、自分の義を神に持っていこうとする人に迫害されるのです。

 聖書の中には、私たちがしなければならないことは一つしかないと教えています。それは信じることです。神がしてくださることを受け入れて生きなければいけません。さもなければ自分が神の行なっておられることを全て行なわなければいけないかのどちらかなのです。神には完全のみを要求します。ですから、私たちが神に受け入れられる方法は、唯一、神ご自身が私たちのために行なってくださることを受け入れるだけであり、それによって神は私たちを受け入れてくださいます。けれども、自分の義を神の前に立てようとする者にとっては、この神の取り扱いは、あまりにもむごいものになります。どんなに自分が努力しても、それは決して神に受け入れられないからです。自分のしているあらゆることは受け入れられません。すべてどぶの中に流されてしまいます。そこで、激しくいかり、神に受け入れられている者をはげしくねたむのです。これが、はるか昔にカインがアベルに行なったことであり、歴史を通じて起こったことであり、今ユダヤ人がパウロにしようとしていることなのです。パウロは、ユダヤ人のしていることを決して否定しているのではありませんでした。律法をやぶりなさい、などとは決して教えていませんでした。むしろ、律法をかえりみないで生きている人々を、「彼らの神は彼らの腹なのです(ピリピ3:19)」と言って悲しんでいます。しかし、パウロは、主イエスが生きていると主張しました。私は十字架につけられて、生きているのは主イエスであり、このイエスを信じる信仰によって生きているのだと言いました。こう主張したので、彼らの律法が否定されているように聞こえ、宮がけがされていると感じたのです。

 フェストは、彼らが言い争っている点が何であるかを知りました。イエスという者が生きているとパウロが主張しているから、言い争いになっているのです。このイエスさまの復活が、福音の核心であり、私たちはこの福音によって生きています。

 このような問題をどう取り調べたらよいか、私には見当がつかないので、彼に『エルサレムに上り、そこで、この事件について裁判を受けたいのか。』と尋ねたところが、パウロは、皇帝の判決を受けるまで保護してほしいと願い出たので、彼をカイザルのもとに送る時まで守っておくように、命じておきました。」こうして、フェストはアグリッパに自分の問題を分かち合いました。すると、アグリッパがフェストに、「私も、その男の話を聞きたいものです。」と言ったので、フェストは、「では、明日お聞きください。」と言った。

 アグリッパにとっては、これはとても興味のあることでした。自分はユダヤ教に通じているし、また、イエスという者についても知っていました。

2B 取り調べの点 23−27
 こういうわけで、翌日、アグリッパとベルニケは、大いに威儀を整えて到着し、千人隊長たちや市の首脳者たちにつき添われて講堂にはいった。そのとき、フェストの命令によってパウロが連れて来られた。

 
ルカは、アグリッパたちとパウロを対比しているようです。大いに威儀を整え、千人隊長や首脳者が来ているのに対し、パウロは鎖つながれた囚人です。

 そこで、フェストはこう言った。「アグリッパ王、ならびに、ここに同席の方々。ご覧ください。ユダヤ人がこぞって、一刻も生かしてはおけないと呼ばわり、エルサレムでも、ここでも、私に訴えて来たのは、この人のことです。


 フェストは、ユダヤ人たちの意図をきちんと汲んでいました。彼らがパウロを一刻も生かしておいてはいけない、けれども、なぜそう思うのかが分からない。イエスが生きているという主張にあるようだが、それがなぜだか分からなかったのです。けれども、それが後で明らかにされたとき、フェストはパウロに大声で、「おまえは、気が狂っている。おまえの博学が、気を狂わせたのだ。」と叫んでいます。

 私としては、彼は死に当たることは何一つしていないと思います。しかし、彼自身が皇帝に上訴しましたので、彼をそちらに送ることに決めました。ところが、彼について、わが君に書き送るべき確かな事がらが一つもないのです。それで皆さんの前に、わけてもアグリッパ王よ、あなたの前に、彼を連れてまいりました。取り調べをしてみたら、何か書き送るべきことが得られましょう。囚人を送るのに、その訴えの個条を示さないのは、理に合わないと思うのです。

 
こうフェストが言って、これからアグリッパがパウロに弁明の機会を与えます。フェストは、アグリッパにパウロを取り調べてもらい、何か訴状となる理由でも見つければと期待していましたが、次の
26章を読みますと、なにも見つからなかったのです。「こりゃ、だめだな。」とフェストに言い残しました。けれども、アグリッパがもう少しで自分もイエスさまを信じそうになりました。パウロは、このときに、主イエス・キリストの復活を大胆に宣べ伝えました。そのことは次回、詳しく学びますが、パウロが捕えられていたのは、この復活の希望のためであり、ローマの法律に抵触することは何一つしておらず、取り調べをしても何も出て来ないのです。これは、人の法律に関わることではなく、神の律法に関わることであり、私たち人間が生きるための根幹となっている問題が取り扱われていたからです。

 イエスという者が生きている、この主張を私たちも持っているでしょうか。パウロの人生を眺めると、すべての出来事において主イエスさまが生きておられるのを見ることができます。ユダヤ人のねたみと総督の政治的な思惑の狭間のなかにいた中にも、主は確かに生きておられ、彼をローマへの旅に導いておられました。パウロは復活を信じていただけではなく、復活の中に生きていたのです。また、宗教について知識がなかったフェストでさえも、パウロが主張している論点を知ることができました。私たちが周りの人々は、私たちが何を信じているのか知っているでしょうか。主イエスが生きておられる、これが私たちの主張であり、生き方です。


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