身近なところにある霊の戦い 08/03/2001

「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ6:12)」

パウロは、この聖書個所に入る前に、私たちの日常生活についての勧めを行なっていました。夫婦関係についての勧め、親子関係、また職場についてのことを話していました。このような分野は、いわば「血肉」とパウロがここで言っている部分ですが、しかし、本質的には、このような日常生活も、霊的な戦場の場であることを知らなければいけません。

パウロが、この手紙を書き始めるとき、「神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。(1:3)」と言いました。キリストによる、天における霊的祝福なのです。ですから、キリストにあって、私たちはこの地上の歩みを天的な力によって歩むことができます。

けれども、私たちは、日常生活において問題が、悪魔と悪霊どもによってもたらされていることを見失って、それらの問題を、目に見える物理的な方法で解決しようとしてしまうのです。そこでパウロは、「私たちの格闘は、血肉に対するものではない」と言っているのです。

私たちの戦いは、どんな苦境にあっても、「私を強くしてくださる方によって、何でもできるのです。(ピリピ4:13)」と宣言することができるほどの、キリストによる天にある霊的祝福を、何とかして見えなくさせ、歪んだ情報を送り、嘘を信じさせる、天にいるもろもろの諸霊に対して立ち向かわなければいけないのです。慌てふためいて、物理的な方法で立ち向かおうとしてはいけません。

もう一つ付け加えなければいけない事は、悪魔はまだ「天にいる」ということです。悪魔は神の御座の周りからは追い出されましたが、まだ地獄に落ちてはおらず、底なしの所に鎖でつながれてもいません。聖書には「空中」という言葉が出てきますが、その天に悪魔はいます。そして、黙示録12章7節をご覧になると、天においてミカエルとその使いたちと、悪魔とその使いたちの戦いが起こって、悪魔が地上に投げ落とされることが書かれていますが、それが起こるのは大患難時代の半ばであります。つまり、将来の先のことです。

したがって、悪魔は天において活発的に動いています。聖書信仰を持っていると言っているクリスチャンの中にも、悪魔のことをあまり意識しないで、悪魔があたかも存在していないか、どこかで鎖につながれているかのように考える人たちがたくさんいます。霊の戦いの現実を見ていない人が多いのです。しかし、ここに書かれているように、事実悪魔は、私たちクリスチャンに戦いを挑んでおり、私たちの霊的祝福がある天において、その祝福を奪い去ろうと躍起になっていることを知ってください。

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