異端の教会の経験 2001/02/14

私がクリスチャンになって二年ぐらい経ってからのことでしょうか、MS(Morning Star)という異端の教会に、知らずに一ヶ月ほど通っていたことがありました。これは韓国で元統一協会員が始めた教会で、日本では、大学生を中心にかなり活発に活動していたのを覚えています。

そこには「三十講」という30のレッスンがありますが、その一つに「予定論」というのがあります。そこでこのように教えられました。「神の主権は人間の責任を排除するものではない。神の主権は、95パーセントの部分を占めているが、人間の責任は5パーセントある。」これは、まさにパウロがガラテヤ書で警告している「異なる福音」であり、「のろわれよ(アナテマ)」とパウロが呼んだ異端の教えです。

その5パーセントの人間の責任を果たそうとするときに、実は100%、神が要求しておられることを自分で果たさなければいけないことに気づきます。そして、がんじがらめの奴隷状態になっている自分を発見します。「イエス・キリストを信じる信仰+α」という教えは、福音に付け加えたところの教えではなく、福音の中身をまったく変質してしまうところの教えなのです。

パウロは1章7節で、「ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。(ガラテヤ1:7)」と言っていますが、彼が使っている「ほかの(another)」というのは、ヘテロスというギリシヤ語です。「異なる」にはもう一つ、「アロス」というギリシヤ語がありますが、これは、「同じ性質のもので異なるもの」という意味があります。例えば、イエスさまが、ご聖霊を「もう一人の助け主」と呼ばれましたが、そこの「もう一人」はアロスです。つまり、イエスさまのご性質と聖霊は同じ、ということになります。しかし、ヘテロスは性質が異なるところの「別の」という意味であり、イエス・キリストを信じることに何か付け加えるとき、そのメッセージは、まるで、化学変化を起こして、まったく異なる物体に変化するようになってしまいます。

キリストを信じる信仰か、あるいは、神の律法をすべて守り行なわなければいけないという状態を選ぶか、この二つに一つしかないというのが、ガラテヤ書に貫かれているテーマの一つです。


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