ヨハネによる福音書9章 「盲目にある神の業」

 1−5節: 盲目にある神の御業
「だれが罪を犯したからですか。(2節)」: 「盲目になるということは、その原因があるからに違いない。罪を犯したからだ。」という考えがユダヤ人にあった。特にここでは「生まれつきの盲人」である。したがって親が罪を犯したからか、あるいは母の胎内にいたときに罪を犯したからか(例:創世25:22)、どちらかだと弟子たちは思った。

「神のわざがこの人に現われるためです。(3節)」: イエスは原因ではなく、目的があることを指し示された。

→ 私たち人間は、不幸な状況の中にいる時にその原因探しをする。しかし、その原因は分からずとも、必ず「神の栄光」という目的があることを私たちは知らなければならない。

例1:病気 すべての病はひとりの人アダムの罪によって世界に入り込んだ。けれども、ある人の病が必ずしも、その人の犯した罪によるのではない。「病」によって、その人が知らなかった世界を知り、イエス・キリストを知ることができるようになる。

例2:地震 ある人々が死ぬのは、その人たちが何か悪いことをしたからなのか、という原因探しをするが、むしろ第一に、いま生きている人々が罪の中から立ち上がるようにという神からの警告であり(ルカ13:15)、第二に、地震を通してイエス・キリストの内にある永遠の命を得ることが起こされるかもしれない。

「わたしは世の光です。(5節)」:イエスはエルサレムにおられる間、ご自分が世の光であることを証しされた(8:12)。つまり罪の中に生きれば暗闇の中にいるが、罪から自由にされれば光の中を歩むことができる。 → イエスがこれからなされることは、単に目を開くことだけではなく、この人がイエスを真に知るようにすることである。

6−12節: 元盲人の告白@「イエスという人」

「私がその人です。(9節)」:自分の目が癒されたことを、周りの人々はいろいろなことを言うが、自分ははっきり分かっている。

「イエスという方が(11節)」: イエスという名前だけは聞いていた。この時の彼のイエスに対する認識は客観的な「人」にしか過ぎなかった。

13−23節: 元盲人の告白A「預言者」

「安息日であった(14節)」:イエスはパリサイ人との対決を避けられなかった。ベテスダの池で安息日に38年間足なえの男を直されたために、ユダヤ人はイエスを殺すことを決めた。ここで、「泥を作る」という行為が、彼らの解釈によると安息日で禁じられている「仕事」に当たる。

「あの方は預言者です(17節)」: 単なる「人」から「預言者」になった。 → 元盲人は、自分の身に起こった奇蹟を、人々の質問に答えながら、心の中で深く考えるようになり、それは発展して口の告白に変わっている。 → これが神の御霊の働き

「信ぜず、両親を呼び出して(18節)」: 証拠があるのにそれに目を背けようとしている。

「ユダヤ人たちを恐れたからであった(22節)」: 「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。(箴言29:25

24−34節: 元盲人の告白B「神から来た人」

「私は盲目であったのに、今は見えるということです。(25節)」: 強烈な事実。否定のしようがない。 → キリスト教の正当性は、数多くの証人である。「私は以前、こうであったが今はこうなりました。」という証しである。

「神は、罪人の言うことはお聞きになりません。(31節)」: 詩篇6618節にある。乞食であった元盲人のほうが、自分たちの解釈に凝り固まったパリサイ人たちよりも、神の御言葉の真理が見えていた。 → 私たちに先入観があると、見えるものが見えなくなる。

「神から出ておられるのでなかったら(33節)」: イエスが何度も主張されたこと(例:8:23)であり、元盲人は、このことを悟った。

35−41節: 元盲人の告白C「神の子」

「彼を追放したことを聞き(35節)」: この元盲人は、二度とユダヤ人共同体の中に入ることができなくなった。けれども、彼は「自分が盲目であったのに、この方によって見えるようになった。」という経験を、ユダヤ人共同体から追放されることよりも大事にした。 → 本当に自分を大切にしている人は、「周りがどのように自分を見ているか」よりも、「自分個人に会ってくださった神」を大事にする。

「あなたは人の子を信じますか(35節)」: ここは、実際は「神の子」である。

「主よ。私は信じます。(38節)」: 彼はついに、イエスが神の子キリストであることを知り、この方を信じて、この方を拝した。 → これがイエスの言われていた「神のわざ(3節)」である!神は、私たちが置かれている状況から、イエスが神の御子キリストであることを知らせ、この方を拝するよう導いておられる。

 ⇒ あなたにとってイエスは今、どのような方ですか?「人」「預言者」「神からの人」「神の子」

「『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。(41節)」: 自分の罪を認め、自分が暗闇の中に生きていたことを認める人は、罪が清められ、光の中に生きることができる。けれども、「自分は物事が見えている」と主張する人は、いつまでも罪の中にいるため、見えるものが見えなくなる。