マタイによる福音書14章 「イエスの祈り」


アウトライン

1A  背景 1−12
  1B  ヘロデの恐れ  1−2
  2B  ヨハネの死  3−12
2A  結果  13−36
  1B  群衆への給食  15−21
  2B  弟子への奇跡  22−33
  3B  病人へのいやし  34−36

本文

 それではマタイによる福音書14章を開いてください。今日、私達がここで学びたいことは、「イエスの祈り」についてです。私達は以前イエスが、「このように祈りなさい。」と言われた主の祈りを読みましたが、それはあくまでも私達が神にささげる祈りの模範でした。しかしここでは、イエスご自身が祈られています。私たちはここで、何故イエスが祈られたのか、祈りに導かれた原因は何だったのかをまず見ていきたいと思います。さらに、イエスが祈られてどのように物事が変わったのか、祈りの結果を見ていきたいと思います。この、祈りにみちびかれた背景と祈りの結果を学ぶことによって、私たち自身がイエスから学ぶべき事を発見し、さらにイエスが私たちにどう関わってくださっているのかを発見しましょう。

1A  背景 1−12
 それではまず最初に、イエスが祈りに導かれた背景を読んでみたいと思います。

1B  ヘロデの恐れ  1−2
 そのころ、国主ヘロデは、イエスのうわさを聞いて、 侍従たちに言った。「あれはバプテスマのヨハネだ。ヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が彼のうちに働いているのだ。」

 イエスが祈りに導かれた第一の原因は、国主ヘロデがイエスを恐れてたことにあります。3節以降を読めばわかりますが、ヨハネを殺すのを命じたのはヘロデでした。そして、イエスが力あるわざを行われているのを耳にして、イエスをヨハネのよみがえりだと思って恐れたのです。したがって、ヘロデはヨハネを殺したように、イエスをも殺したかったのかもしれません。事実、ヘロデの父にあたるヘロデ大王は、はじめ幼子イエスを非常に恐れましたが、その後殺そうとしたことを思い出して下さい。ここでも、同じことが充分考えられたはずです。

 ところで3節から12節までは、ヘロデがイエスをヨハネのよみがえりだと思ったいきさつが書かれています。これは、いわば挿入された部分であって、実際の話の流れは、1、2節から13節へと飛びます。つまり、次のように読むことができます。

 「そのころ、国主ヘロデは、イエスのうわさを聞いて侍従たちに言った。『あれはバプテスマのヨハネだ。ヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が彼のうちに働いているのだ。』イエスはこのことを聞かれると、舟でそこを去り、自分だけで寂しい所へ行かれた。」

 つまりイエスは、バプテスマのヨハネの死を聞いただけでなく、ヘロデがイエスを恐れていることを聞かれたのです。それで、イエスはひとりになって祈るように導かれたのです。私達がマタイの福音書をさらに読み進めますと、イエスはガリラヤ地方から退かれていることを発見します。15章の21節には、イエスがツロとシドンの地方に立ち退かれた、と書かれています。そこは、国主ヘロデの管轄するガリラヤ地方ではありません。16章13節では、イエスがピリポ・カイザリヤに行かれたことが記されています。これは、ガリラヤの北に位置する地方です。それから17章を見ますと、イエスと弟子たちがガリラヤに立ち寄っているのを見ますが、19章1節では、ヨルダンの東側にあるユダヤ地方に行かれたことが書かれています。つまり、イエスはガリラヤ地方を、ある意味で避けるようにして歩かれたことが理解できます。そのきっかけをつくったのが、おそらくこのヘロデの発言だったのだろうと思われます。

 それでは、なぜイエスはヘロデからご自分のいのちを取られる事を拒んだのでしょうか。ヘロデから殺されるのが恐かったからでしょうか。違いますね。イエスはご自分のいのちを与えるためにこの世に来られました。ではなぜご自分の命を捨てる機会が与えられたのに、ヘロデに対面する事をしなかったのでしょうか。それは、いのちを捨てる時と場所が違ったからです。メシヤのいのちが絶たれる時と、その場所は、父なる神によって定められていました。つまり、子羊がほふられる過越しの祭りの時にメシヤは死ななければならず、そのほふられる場所であるエルサレムにおいて死ななければならなかったからです。

 さらにダニエル書9章26節では、メシヤが死なれるのは、エルサレムが再建される命令が出されてから483年後であり、メシヤが死なれる場所は、アブラハムがひとり子イサクをささげるモリヤ山であると定められていました。この14章の時点で、イエスはまだガリラヤ地方にいて、国主ヘロデの手で殺されるかもしれない状況でした。このことから、なぜイエスが祈られたのかが理解できます。イエスは、父なる神のみこころを伺うために祈られたのです。ご自分の栄誉を求めたのではなく、ただ神のみこころが成し遂げられることを願われたのです。

 私は、イエスと似たような状況にいたら、どのような行動をとるかな、と考えました。自分の信仰の故に、自分のいる地方の支配者から殺されるかもしれなかったらどうするだろうか、と思いました。おそらく、殺されるのが恐くて逃げるでしょう。それか、もしかしたら、「殉教する機会が訪れた。今が、その時だ。」と思って、ヘロデと対面したかも知れません。けれども恐くて逃げたにしても、殉教の英雄になろうとして立ち向かったにしても、自分の栄誉を求めているわけです。自分がかわいいのです。

 しかし、イエスはまず父に祈り、みこころを求めました。そして、おそれによっても、誇りによっても左右されず、ただ示されたみこころを行われたのです。そこには、ご自分への栄光はありません。ただ、神ご自身の栄光が現されたのです。イエスを模範として歩んでいる私たちも、同じように、神の栄光が現されるように祈らなければいけません。パウロは、「あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。(1コリント10:31)」と言いました。

2B  ヨハネの死  3−12
 こうしてイエスが祈られたのは、ヘロデがイエスを恐れたことによるとわかりました。それだけでなく、ヨハネが殺されたことも挙げられるでしょう。3節以降を読みましょう。

 
実は、このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕えて縛り、牢に入れたのであった。 それは、ヨハネが彼に、「あなたが彼女をめとるのは不法です。」と言い張ったからである。

 ヘロデは自分の兄弟の妻を誘惑して、自分自身の妻にしていたことがわかります。つまり、ピリポから妻ヘロデヤを引き離して、自分の妾にして、最初の妻と離婚して、そしてヘロデヤをめとったのです。それをバプテスマのヨハネは非難したのです。

 ヘロデはヨハネを殺したかったが、群衆を恐れた。というのは、彼らはヨハネを預言者と認めていたからである。 たまたまヘロデの誕生祝いがあって、ヘロデヤの娘がみなの前で踊りを踊ってヘロデを喜ばせた。

 この娘の踊りはとても卑猥なものだったと言われています。ストリッパーがするような踊りを、母親ヘロデヤは自分の娘にやらせていたのです。

 それで、彼は、その娘に、願う物は何でも必ず上げると、誓って堅い約束をした。

 ヘロデはべろんべろんに酔っぱらっていたのでしょう。酔っぱらっている時、よくこういう約束ごとをするものです。

 ところが、娘は母親にそそのかされて、こう言った。「今ここに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて私に下さい。」 王は心を痛めたが、自分の誓いもあり、また列席の人々の手前もあって、与えるように命令した。

 ヨハネがかわいそうで心を痛めたのではなく、愚かな誓いをしたことを後悔したのでしょう。

 彼は人をやって、牢の中でヨハネの首をはねさせた。 そして、その首は盆に載せて運ばれ、少女に与えられたので、少女はそれを母親のところに持って行った。 それから、ヨハネの弟子たちがやって来て、死体を引き取って葬った。そして、イエスのところに行って報告した。

 こうして、ヨハネは無残な形で殺されてしまいました。ヨハネが殺された事はイエスにとってどのような意味を持っていたのでしょうか。いろいろ可能性はありますが、まず、イエスはヨハネのいとこであり、マリヤの胎内にいる時から、つきあいがありました。ヨハネの母親エリサベツのところにマリヤが来た時、エリサベツのおなかの赤ちゃんが踊ったと書かれています(ルカ1:41)さらに、どちらもおよそ30歳ぐらいになったとき、ヨハネはメシヤの到来を宣ベ伝え、イエスはヨハネからバプテスマをお受けになりました。ヨハネが投獄された時、イエスはヨハネと同じ言葉でもって宣教を開始されています。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。(4:17)」イエスは、ヨハネが最後の旧約の預言者であることを認め、「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。(マタイ11:11)」と評価されました。

 このように、イエスはヨハネとさまざまな関わりを持っていたのですから、ヨハネの死を聞いて、ショックであったに違いありません。そのために、ひとりになることを願われたという可能性があります。さらに、ヨハネが殺されたということは、同じ天の御国を宣ベ伝えるイエスご自身も、まもなく死に渡されることを意識されたのかもしれません。イエスはゲッセマネにおいて熱い祈りをささげられましたが、ご自分の死は、イエスにとっての最重要課題であったのです。

2A  結果  13−36
 ところが見て下さい。13節の後半を読みますと、すると、群衆がそれと聞いて、町々から、歩いてイエスのあとを追った。

 とあります。イエスのひとりの時間が、遮られようとしています。ここは、ガリラヤ湖の北にあたる地域ですが、舟にのっている姿は、岸辺から充分見ることができます。しかも、舟にのるよりも、陸を歩いた方が近い場所でした。群衆がイエスを見て歩き出し、途中でさらに群衆が加えられていったのでしょう。この群衆に対するイエスの反応はどうでしょうか。14節を見てください。

 イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直された。

 イエスはひとりになる時間を遮られたのに対し、いらつくこともせず、不平をもらすこともせずに、むしろ、「深くあわれまれた」のです。イエスはこのような方でした。そして、イエスは見えない神の完全な現れでありますが、父なる神もそのような方なのです。神は非常に長い名前をお持ちでしたが、こうモーセに語られています。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るにおそく、恵みとまことに富、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦すもの、罰すべきものは必ず罰して報いるもの。(出エジプト34:6、7)」

 私達は自分を見て、「私はだめだ。だれにも相手にしてもらえない。」と思ってしまいますが、神はそう見ておられないのです。ご自分の時間を持とうとされるときに私たちが遮ったとしても、あわれんで私達の世話をしてくださる方なのです。「ですから、私達は、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(ヘブル4:16)」とヘブル書にはあります。

1B  群衆への給食  15−21
 イエスの、このあわれみのわざが、次の箇所から大きく現れます。

 夕方になったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここは寂しい所ですし、時刻ももう回っています。ですから群衆を解散させてください。そして村に行ってめいめいで食物を買うようにさせてください。」

 ここの「寂しい」というのは、辺鄙なところという意味ですね。スーパーマーケットも7イレブンもなかったのです。

 しかし、イエスは言われた。「彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」

 イエスは弟子たちに、「あなたがたで」と言われています。ここから、群衆の必要を満たそうとされただけでなく、ご自分のわざに弟子達を加えようとされています。イエスが人々の必要を満たされるのですが、その時に弟子たちがイエスから必要なものを得て、人々に分け与えるというレッスンを、弟子たちに教えたかったのです。

 しかし、弟子たちはイエスに言った。「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません。」 すると、イエスは言われた。「それを、ここに持って来なさい。」 そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。

 見て下さい。イエスは裂かれたパンを弟子達に与えられました。そして、弟子が群衆に配りました。これが私たちの奉仕の方法です。パウロは、「私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。(1コリント11:23)」と言いました。ですから、まず最初に、主から受けなければいけません。

 人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。 食べた者は、女と子どもを除いて、男五千人ほどであった。

 こうして、群衆は辺鄙なところでもひもじい思いをせずにすみました。

2B  弟子への奇跡  22−33
 このようにイエスはひとりになる時間を犠牲にし、群衆をあわれみ、弟子たちを教えられました。ところが次の節を見てください。

 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。 群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。

 イエスは、弟子たちを舟にのせてしまい、群衆たちを帰してしまいました。なぜでしょうか。まず、群衆を帰してしまった理由を考えてみたいと思います。この22節の一番最初には、「それからすぐ」と書かれています。つまり、人々がみな満腹した後にすぐ返されてました。ヨハネ書6章には同じ奇跡が載っていますが、15節には、「そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやり連れて行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた。」とあります。つまり群衆は、食欲が満たされて勢いづいて、イエスを王、つまりメシヤに仕立て上げようとしたのです。群衆は、誤った動機でイエスをメシヤにしようとしました。御使いはヨセフにこう告げました。「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスと名づけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。(1:21)」

 私達は、イエスを罪から救ってくださる方として見るときに、この方をメシヤとして認めています。ところが群衆は、抑圧しているローマ帝国を倒して、ユダヤ人の国を治める人物としてメシヤをとらえていました。それは、当時の時勢に従ったメシヤ像です。私たちも、しばしば、世の流れにしたがったキリスト像を造ってしまいます。例えば、現代は心の豊かさを求めていますが、イエスを心を豊かにする方としてだけ見てしまいます。確かに罪から救われた結果としての心の豊かさは訪れますが、自分の罪深さに気づいて心を貧しくしなければ、天の御国に入れないのです。したがって、イエスは群衆たちから離れて、父のみこころを求めるためにひとりになって祈られました。

 次になぜ弟子たちを強いて舟にのせられたのかを考えてみたいと思います。24節から読んでいきましょう。しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。

 イエスは先ほど、群衆たちの必要を満たすために、給食の奇跡を行われました。ここでは、弟子たちの必要を満たされるために、水の上を歩く奇跡を行われようとされています。弟子たちののっていた舟は波に悩まされていました。そのために夜まで祈られていたイエスは、彼らの所に行かれ ようとされています。

 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。

 自分の愛する方を幽霊呼ばわりしてしまいました。私が小学生のときに、校門の前で、イエスさまの絵の紙芝居を誰かがしていたのをかすかに憶えています。そこで、イエスさまの絵が出ているトラクトを見ました。ふつう、最初から読めばいいのに、最後の方に出てくる神のさばきの御座の絵を見て、それからイエス様の絵を見たんです。私はその頃、テレビ番組などで心霊写真特集とかを見たり、オカルトっぽい漫画を読んでいたので、それを見てものすごく怖くなりました。私たちの勝手な思い込みで、イエスの姿は随分変わるようです。

 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。

 ここに、「すぐに」とありますね。イエスが弟子たちを安心させたい気持ちが現れています。

 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」

 ペテロは常に一歩踏み出していたい人でした。その後にへまをするのですが、それでも失敗を通して、彼は成長したのです。ですから、失敗を恐れる事無く、主の命じられることに従うことは大切なのです。

 イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。

 ペテロの失敗は、イエスから目を離して、状況を見てしまったことです。そして、こわくなったら沈みかけたのです。これも、私たちに対する教訓です。悪魔は、私たちが状況に目を止め続けるように仕向けます。そうすると、恐れが私たちの心に入ってくるので、信仰を失ってしまうのです。恐れと信仰は相容れないものだからです。しかし、私たちがキリストを見つめる時、その信仰によって、私たちには出来ないことが出来るようになります。パウロは、「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ4:13)」と言いました。逆にイエスは、「私を離れては、あなたがたは何もする事ができないからです。(ヨハネ15:5)」と言いました。要は、イエスを見つめ続けることです。

 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」

 イエスはペテロを責めておられるのではなく、くすくす笑っておられます。この失敗からペテロが学んで欲しいと願われているので、このような質問をされました。

 そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。 そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。

 弟子たちは、一連の奇跡を見て、イエスを神の御子として拝みました。イエスが水上を歩かれたこと、ペテロが信仰によって同じく水上を歩いたこと、そして、2人が舟にのったら風がやんだこと、これらを目の当たりにして、イエスを単なる人間ではなく、肉の形をとられた神であることがわかったのです。ところが、思い出して下さい、弟子たちは、5千人への給食の奇跡も目の前で見ていました。そこには、弟子たちの驚きは特に記されていません。むしろ、16章の時点において弟子たちは、この奇跡のことをうっかり忘れてしまっています。それほど印象が薄かったようです。したがって、その奇跡を通して学ばなければいけないことを学んでいなかったことがわかります。そのため、イエスは弟子たちをむりやり舟にのせる事によって、彼らに別の奇跡を見せられたのです。

 弟子たちの問題は、イエスの奇跡を見ていたけれども、自分の必要に直接関係のないことなので、関心がなかったことでした。群衆はお腹をすかすかもしれないけれど、弟子たちが食べる分はもともとあったのでしょう。それに、弟子たちが群衆に食べ物を持っていかなければなりませんでした。特に自分には関係のないことをやらされている、という気持ちもあったかもしれません。それとは対照的に、舟が波に悩まされることは、自分に直接関係のある必要でした。吐き気をおぼえたり、もしかしたら舟が転覆してしまうかもしれない、そしたら死んでしまう、と思ったかもしれません。そういう経験をして、初めて彼らは、イエスの奇跡を奇跡として認めて、イエスを神の御子として拝んだのです。

 この弟子たちのように、私たちは神の奇跡や現実を人ごとのように考えてしますことがよくあります。けれども、いつの間にか見過ごされている神のわざは、以外にたくさんあるのです。そして、そうしたみわざは、実は私たち一人一人に深く関わっているのです。たとえば、イスラエルの民は、荒野で40年間さまよっていたのに、着物は擦り切れず、足ははれませんでした。しかも、天からのマナが与えられて、彼らは飢え死にする事もなかったのです。彼らはそれらを空気のように当たり前のように感じていましたが、そこに神の現実を見いだすことはできませんでした。けれども、そうであってはいけないのです。イエスは、神の栄光、神の力あるわざ、すばらしい働きを見て、私たちが喜び、神を礼拝して欲しいと強く願われています。そして、それらの奇跡が私たちのものとなるように、切に願っておられます。最後に、私たちが応答して、イエスを神の御子としてあがめるようにするためです。

3B  病人へのいやし  34−36
 こうして、イエスは祈られた結果、弟子たちに水上歩行の奇跡を示されました。最後は、病人をいやす奇跡を行われます。

 彼らは湖を渡ってゲネサレの地に着いた。 すると、その地の人々は、イエスと気がついて、付近の地域にくまなく知らせ、病人という病人をみな、みもとに連れて来た。 そして、せめて彼らに、着物のふさにでもさわらせてやってくださいと、イエスにお願いした。そして、さわった人々はみな、いやされた。

 
ゲネサレの地にいる人々は、イエスにあるいやしの力を信じていました。その信仰は、病人がイエスの着物にでもさわったら、いやされるというものでした。このように、彼らは信仰を働かせて、キリストの奇跡を自分のものにしたのです。したがって、奇跡を自分のものにするためには、具体的な形で信仰を働かせることが必要です。キリストにあって神から私たちに与えられている祝福は、はかり知れないものです。それらを自分の実際の生活の中に、さらに自分の将来の希望に当てはめていかなければなリません。ヤコブは言いました。「神に近づきなさい。そうすれば、神があなたに近づいてくださいます。(4:8)」

 それでは、14章の最後の文をもう一度読んでください。「さわった人々はみな、いやされた。」イエスは、今、私たちの間におられます。「ふたりでも3人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもそのなかにいるからです。(マタイ18:20)」とイエスは言われました。どうぞ、この方にさわってください。そうすればいやされます。


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