マタイによる福音書27章32−66節 「神の子の処罰」
アウトライン
1A イエスの十字架 32−44
1B 罪 32−38
2B 自分の救い 39−44
2A イエスの死 45−56
1B 神の遺棄 45−50
2B 影響 51−56
3A イエスの埋葬 57−66
1B ヨセフの墓 57−61
2B 番兵 62−66
本文
マタイによる福音書27章をお開きください。今日は、マタイ書後半部分、32節から最後までを学びます。ここでの主題は、「神の子の処罰」です。私たちは、神のひとり子キリストが、処罰を受ける場面を読んでいきます。さっそく、本文に入りましょう。
1A イエスの十字架 32−44
まず最初に、イエスは十字架につけられます。
1B 罪 32−38
そして、彼らが出て行くと、シモンというクレネ人を見つけたので、彼らは、この人にイエスの十字架をむりやりに背負わせた。
「彼ら」とは、総督ピラトの兵士たちです。つまりローマ兵ですね。彼らには、人々に物を強制的に担がせる権威が与えられていました。イエスは、山上の垂訓で、「 あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。(5:41)」と言われましたが1ミリオン、つまり約1500メートル歩かせる権威をローマ兵は持っていたのです。そこで、シモンというクレネ人を見つけたので、この人に無理やりイエスの十字架を背負わせました。このシモンという名前は、マルコとルカによる福音書にも登場します。使徒行伝13章を見ると、彼は、アンティオケの教会の指導者のひとり、「ニゲルと呼ばれるシメオン」として現れます。つまり、彼はキリスト者となったのです。彼は、イエスが十字架に向かう姿を見て、この方こそキリストであるという認識を持ったのかもしれません。もしそうなら、イエスは、十字架への道においても、ご自分のことを証しされていたことがわかります。イエスは、十字架をかつぐことができないほど、体力が衰えていました。むち打ちにあい、ロ−マ兵の暴行をお受けになっていたからです。意識が朦朧(もうろう)としていましたが父のご臨在を意識して歩まれていたのです。同じように、私たちが病やその他のことで苦しんでいるとき、キリストがともにおられます。そして、私たちがその臨在を意識するときに、キリストのかおりが苦しむ私たちから放たれているのです。
ゴルゴタという所(「どくろ」と言われている場所)に来てから、彼らはイエスに、苦味を混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。
イエスが十字架につけられるとこは、「どくろ」と呼ばれていました。そこの岩の輪郭が「どくろ」に似ているから、ということもあったし、そこで、十字架によって殺された者たちの見せしめとしての頭蓋骨があったからなのかもしれません。いずれにしても、ゴルゴタという言葉は不気味な響きをもたらします。十字架につけられることは、まさに不気味なことなのです。十字架と言うと、私はとかく、丘のきれいな教会の上にある白い十字架、または、アクセサリーやネックレスを思い出します。しかし、実際の十字架は、「どくろ」と呼ばれるところにありました。その姿は不気味であり、暗やみのわざのすべてが、イエスの十字架の上にのしかかるのです。そして、彼らは「苦味を混ぜたぶどう酒を」イエスに与えようとしていますがこれは麻酔がわりのものです。手足に釘が打ちつけられるその痛みを少しでも和らげるようににするためのものです。しかし、イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされませんでした。なぜなら、イエスは、十字架の痛みを味わなければならなかったからです。罪の罰としての痛みをイエスは味わう必要がありました。また、この箇所は、タビデによって預言されていました。彼は、「彼らは私の食物の代わりに、苦味を与えた。」と言っています(詩編69:21)。
こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、そこにすわって、イエスの見張りをした。
イエスは十字架につけられています。その刑の苦しみは尋常のものではないとよく言われますが、聖書にそのことが預言されているので、見てみましょう。詩編22篇の14節です。「私は水のように注ぎ出され」 つまり、完全な脱水症状が起こります。「私の骨々はみな、はずれました。」 あらゆる骨の間接がはずれます。筋肉だけで体を押さえるのですから、その痛みの激しさは想像さえできません。「私の心は、ろうのようになり、私の内で溶けました。」 意義が朦朧としている状態を指しています。「私の力は、土器のかけらのようにかわききり、私の舌は、上あごにくっついています。」 土器のように□の中から湿気がなくなってしまいます。こうして、彼らはイエスを十字架につけて、それから、イエスの着物をくじ引きで分けています。ロ−マ兵は、囚人の着物を分けるのが習慣となっていましたが、今読んだ22篇の18節には、「彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。」 とあります。再び、預言の成就です。そして、彼らはそこにすわって、イエスの見張りをはじめましたが、彼らはこの十字架の場面のすべてを見る証人となります。
また、イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである。」と書いた罪状書きを掲げた。
十字架は、犯罪を犯した者が受ける罰であります。したがって、十字架の上には罪状書きが掲げられました。イエスの罪状は、「ユダヤ人の王」です。この言葉が初めて出てくる時のことを思い出せますか。東方の博士たちが、幼子イエスを「ユダヤ人の王」と呼びました。その時、イエスは礼拝を受けました。そうです、王なのですから礼拝を受けて当然なのです。しかし、今は、ユダヤ人の王として辱めを受けておられます。イエスは、上から下へとまっさかさまに落とされました。いや、ご自身で落ちていかれたのです。イエスは、十字架の死に至るまで、ご自分を卑しくされた、とパウロは言いました(ピリピ2:6−8)。
そのとき、イエスといっしょに、ふたりの強盗が、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。
イエスは、ふたりの強盗の真ん中で十字架につけられました。イザヤ書53章12節には、「 彼が・・・そむいた人たちとともに数えられたからである。 」とあります。つまり、罪人として数えられた、犯罪人として数えられたということです。しかし、私たちが学びましたように、イエスは罪人ではなく、正しい方でした。しかし、罪人として認められなければなりませんでした。なぜなら、私たちの罪を代わりに引き受けてくださっているからです。パウロは言いました。「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(2コリント5:21)」 私たちが正しい者と認められるために、イエスが代わりに罪人と認められたのです。
2B 自分の救い 39−44
道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿をこわして、3日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみる。十字架からおりて来い。」同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。「彼は他人を救ったが、自分は敷救えない。イスラ工ルの王さまなら、今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ。』と言っているのだから。」イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。
イエスは、十字架の上で、その痛みだけでなく、人々の罵りとあざけりも受けられました。ここでは、道を行く人々と、祭司長・律法学者・長老と、強盗という3つのグループがイ工スに悪口を浴びせていますが、いずれも共通するのは、「神の子なら、自分を救ってみろ。」ということです。神の子とは、全能の神ご自身であることを彼らは理解していたのです。また、彼らにとっての「救い」は、この十字架という束縛から解放されることを意味しました。
さて、イエスは、彼らの言うとおり、いとも簡単に十字架から降りることはできました。そして事実、全能の神の御子でした。しかし、イエスはご自分の意思で、十字架につけられていることを選ばれたのです。なぜなら、もしイエスがご自分を救ったなら、全人類は失われることになるからです。イエスがご自分を救わないで、いのちを失ったなら、他の者が救われて、永遠のいのちを得ることができるのです。イエスはあえて、身代わりに十字架られたままでいることを選ばれたのです。
ところで、彼らの、罵りに注目すると、2種類に分かれます。道を行く人々と、強盗は、イエスを罵りましたが、祭司長・律法学者・長老はイエスをあざけっています。また、道を行く人々と強盗は、イエスに直接、悪口を浴びせていますが、祭司長・律法学者・長老は、イエスに直接は話していません。「彼は他人を救ったが、自分は救えない。」と「彼」という言葉が使われているのです。この違いは何でしょうか。一言で言うと、前者はイエスに面と向かって話しているが、後者は横目でイエスを見ていたと言うことです。道行く人々は、過越の祭りで世界中から集まっているユダヤ人が大ぜい含まれていたと思います。イエスの十字架刑があってから50日くらい経ったとき、つまり五旬節のときに、再びユダヤ人は世界中から集まりました。そのときに、営に集まって祈っていた弟子たちの上に聖霊が下り、彼らは異言で語りはじめたのです。それを聞いて、大ぜいのユダヤ人がそこに集まってきました。ペテロは、彼らにイエスを宣べ伝えはじめました。そして最後に、「すなわち、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」とはっきりと言いました。人々はこれを聞いて心を刺され、「私たちはどうしたらよいでしょうか。」と聞きました。ペテロは、「悔い改めなさい。そして、罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。」と言いました。世界中から集まってきたユダヤ人は、自分がイエスを十字架につけたことを悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けたのです。
彼らは、自分たちが十字架につけたことを認めました。それでは、祭司長たちはどうでしょうか。使徒行伝5章27節から、こう書かれています。「 彼らが使徒たちを連れて来て議会の中に立たせると、大祭司は使徒たちを問いただして、言った。「あの名によって教えてはならないときびしく命じておいたのに、何ということだ。エルサレム中にあなたがたの教えを広めてしまい、そのうえ、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしているではないか。(5:27、28)」 彼らは、自分たちがイエスを十字架につけた責任を回避しています。
なぜでしょうか。彼らがイエスをあざけって、「彼は自分は救ったが・・・」と、イエスを赤の他人のように扱っていました。彼らは、神の栄誉よりも、人の栄誉を好んだ、とあります。神を恐れるのではなくて、人の目を気にして人を恐れていたのです。だから、彼らは悔い改めることをしなかったのです。
イエス・キリストを他人事のように見る、これがー番大きな罪です。自分自身を直接イエス・キリストに照らし合わせるときに、私たちは罪が示されて、悔い改めに導かれます。しかし、イエスを自分とは直接、関係のないことだという態度を取り続けるかぎり、悔い改めの機会は失われています。
2A イエスの死 45−56
こうして、イエスの十字架を見てきました。それは、罪人として数えられることであり、ご自身のいのちを失うことでした。次は、イエスの死を見ていきたいと思います。
1B 神の遺棄 45−50
さて、12時から、全地が暗くなって、3時まで続いた。3時ごろ、イエスは大声で、「工リ、工リ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
全地が暗くなりました。これは、アモス書8章9節にある預言の成就です。「その日には、――神である主の御告げ。――わたしは真昼に太陽を沈ませ、日盛りに地を暗く」する、とあります。そして、その意義が、次の節に書かれています。「 あなたがたの祭りを喪に変え、・・・ その日を、ひとり子を失ったときの喪のようにし、その終わりを苦い日のようにする。(8:10)」12時から全地が暗くなったのは、神のひとり子キリストが失われるので、喪に伏すためでした。自然界が衰に伏しています。それは、イスラ工ルがエジプトから救い出された喜びの祭り、過越の祭りに行われましたが、神は、「あなたがたの祭りを喪に変え」たとおっしゃっているのです。
実際には12時から何が起こったのでしようか。イエスは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と叫んでおられます。イエスは父なる神から引き離されることを体験されたのです。イエスは罪人として数えられましたが、その結果として父なる神から離れたのです。罪は、人を神から引き離します。イザヤ書59章1節には、「 見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとな」るとあります。このイエスの叫びは、詩編22篇の1節にあります。その詩編を読み進めると、5節に、「あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。」とあります。イエスが見捨てられたのは、父なる神が聖であることを示すためです。つまり、人間はみな罪のために、神から離れ、見捨てられます。しかし、このイエスの悲痛な叫びによって、見捨てられることがないようになりました。むしろ、私たちは、キリストによって、神から決して見捨てられないようになっています。申命記31章には、「主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」とあります。イエスは、御父に見捨てられるという体験を、私たちの身代わりになって受けておられるのです。
すると、それを聞いて、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、「この人は工リヤを呼んでいる。」と言った。
イエスの先ほどのことば、「エロイ、エロイ」を彼らは聞き間違っています。それはヘブル語で、「神よ」という意味なのですが、それを工リヤと聞き間違っています。また、彼らの頭の中には、主の日が来る前に預言者エリヤを遣わす、と言われたマラキ書の預言があったので、自分の期待するように聞き間違っていたのです。私たちのコミュニケーションにもよく起こることですね。自分の期待通りに、話相手の言葉を聞き間違えることが起こります。
また、彼らのひとりがすぐ走って行って、海綿をとり、それに酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。
イエスの舌は、土器のように乾ききっていたので、その言葉が明瞭に聞こえなかったのでしょうか、ある人は、イエスの舌に湿気をもたらすために、酸いぶどう酒を差し出しています。これも預言の成就であり、「わたしが渇いたときには、酢を飲ませました。(69:11)」とあります。
ほかの者たちは、「私たちは工リヤが助けに来るかどうか見ることにしよう。」と言った。
彼らは、いささかの恐れをもっていながら、好奇心に駆り立てられていました。先ほどまでイエスをののしっていましたが、今は全地が暗くなったので何か劇的なことが起こるのだろうと思って、じっと見ているのです。しかし、工リヤは助けに来ませんでした。その代わり、
イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。
とあります。この「息を引き取られた」は、「霊をお渡しになった」と他の福音書で言い換えられています。つまり、イエスはご自分の意思で、息を引き取られたのです。イエスは、無力であったから十字架につけられ、死ぬことになったのではなく、すべてご自分の意思で行われたのです。
2B 影響 51−56
イエスが息を引き取られた後、3つの大きな出来事が起こっています。すると、見よ。神段の幕が上から下まで真二つに裂けた。
1つめは、宗教において変化がもたらされました。神殿の幕とは、聖所と至聖所を隔てる幕のことです。至聖所は神ご自身が宿られる場所であり、年に一回、贖いの日に大祭司だけが入ることができました。彼は入念に罪を告白し、自分をきよめてからそこに入り、祭司の務めを果たします。 彼の着物には、鈴とロープが付いていました。外側にいる人々は、鈴が鳴っているのを聞いて彼がまだ生きていること知りました。しかし、鈴が鳴らなくなると、彼は神に打たれて死んでいることがわかります。人々はその死体を引きずり出すためにロープを付けていたのです。それほど、聖なる神と罪ある人との間には、大きな隔たりがありました。それが、イエスが死なれた後に、上から下まで真二つに裂けました。下から上ではなく、上から下になっています。つまり、天におられる神ご自身が、その幕を破られたのです。イエスの死によって、罪に対する神の怒りが完全におさまりました。それで、罪ある人間が、キリストによって、大胆に神に近づくことができるようになったのです。ヘブル書10章19節には、「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。」 聖なる神に、イエスの血によって、大胆に近づくことができます。遠慮をする必要はありません。なぜなら、私たちの罪は、キリストの血によって完全に取り除かれているからです。このように、イエスの死は、神と人との隔たりを完全に取り除きました。
そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。
2つめの出来事は、天変地異です。イエスの死は、単なる歴史的な出来事ではありません。それは、死んだイエスが、すべてを造られて、すべてを保っておられる創造主であることを意味します。これは、地球規模、宇宙規模の出来事だったのです。したがって、私たちに安定をもたらしている地が、そして岩が揺れたり、こわれたりすることによって、イエスこそがより頼むべきお方、イエスこそが安定した岩であることを示しています。また、イエスの死は、人の贖いだけでなく、被造物全体も贖われる保証となりました。アダムが罪を犯したとき以来、土地はのろわれたものとなりました。そのため、天災が起こり、自然界は弱肉強食によって支配されています。しかし、イエスはこの死亡よって、悪魔からこの天地をも取り戻されました。イエスが再び来られるとき、被造物は、神が本来、意図されたような状態に戻ります。
また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが、生き返った。そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都にはいって多くの人に現われた。
3つめの出来事は、人の死に終止符をもたらされたことです。人が死ぬことはだれもが避けることができません。聖徒でさえも、イエスが来られるまでは、天の御国に入ることができませんでした。彼らは、アブラハムのふところである陰府、あるいはハデスにいたのです。しかし、イエスの死亡よって、人の死そのものが滅ぼされたのです。ホセアは告げています。「 わたしはよみの力から、彼らを解き放ち、彼らを死から贖おう。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。よみよ。おまえの針はどこにあるのか。(13:14) 」イザヤは、「主は、・・・永久に死を滅ぼされる。(25:8)」と言っています。イエスの死によって、人の死が滅ぼされました。
百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常なおそれを感じ、「この方はまことに神の子であった。」と言った。
見張りをしていた者たちは、ロ−マの兵士です。他の人は、やみが広がったり、地震が起こっ たりしたので、いろいろなところに逃げたかもしれませんが、彼らは飯を食わなきゃいけないので、仕事から離れることはできませんでした。彼らは、聖書のことは知りもしないし、信じてもいませんでした。しかし、彼らは兵士ですから、目に見える力は信じていたのです。ただ、問題なのは、「この方はまことに神の子であった。」と過去形になっていることです。イエスを過去の方としています。 彼らにとって、当然ながらイエスは過去の存在となっていました。しかし、「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。(ヘブル13:8) 」 現在の私たちにとっても、イエスは神の子です。
そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちである。その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベタイの子らの母がいた。
女たちが、イエスをながめています。ただ、遠くからながめています。なせでしょうか。彼女たちは、イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちです。ガリラヤは、イエスが生き生きと宣教のみわざを行われた場所です。数多くのみことばを語られ、病を治し、悪霊を追い出されました。彼女たちには、自分自身もイエスに助けられた人が多かったのです。その生き生きと働くイエス、大きな、驚くべきみわざを行われたイ工ス、愛とあわれみに満ちたイエスが、今は、のけものにされ、罵られ、十字架につけられ、そして死んでいます。彼女は、その苦しみを近くで見聞きするのは耐えられないことだったに違いありません。私たちも、日々の生活の中で十字架に遭遇します。神が生きて働かれているのを見て喜んでいるとき、突如として妨げられたり、止まってしまうことがあります。予期できぬ事だったので、「なぜ、そんなことが・・・」という驚きを隠すことはできません。
そして、その突然の出来事を直視しつづけることは、あまりにも耐え難いことでしょう。この女たちと同じように、遠くからながめることしかできないのです。ここに、女たちしかいないのは不思議ですね。彼女たちは、イエスに仕えてきた人たちです。食事をつくったり、弟子たちの着物を洗ったりして、イエスと弟子たちの世話をしていたのでしょう。イエスが死んだら、その後の始末、つまり、死体を埋葬することが必要です。弟子たちは、そそくさと自分たちのところに戻りましたが、女たちは現実的ですね。男と女の違いがここに見事に出ています。
3A イエスの埋葬 57−66
こうして、イエスは死なれました。死なれる直前に、父なる神から見捨てられることを経験し、死なれた直後に、さまざまな出来事が起こりました。次は、イエスの埋葬がのっています。
1B ヨセフの墓 57−61
夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。
時は、夕方でした。ユダヤ人の間では日没から新しい日がはじまり、次の日は安息日です。日が暮れたら、イエスのからだについて、何もすることができません。そのような時に、男の中で勇気ある行動をとる人物が現われました。金持ちのヨセフです。彼はまた、イエスの弟子でした。
この人は、ピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。そこでピラトは、渡すように命じた。ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。
ヨセフは、自分の出来ることを速やかに行ないました。ピラトに下げ渡しを要求し、きれいな亜麻布に包み、そして、自分の墓に納めました。彼はおそらく、晩年に差しかかっていたのでしょう。自分のために新しい墓をつくっていましたが、そこにイエスを納めました。このように、ヨセフは、イエスの弟子として、自分の出来る最善のことをしています。弟子としてのイエスに対する敬意と尊敬が、このヨセフの行動に示されています。そして、最も大切なことに、このことも旧約聖書で預言されていました。イザヤ書53章には、「彼は富む者とともに葬られた。(53:9)」とあります。
2B 番兵 62−66
これと対照的なのが、次に出てくる祭司長とパリサイ人たちです。
さて、次の日、すなわち備えの日の翌日、祭司長、パリサイ人たちはピラトのところに集まって、こう言った。「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、「自分は3日の後によみがえる。」と言っていたのを思い出しました。ですから、三日日まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して、「死人の中からよみがえった。」と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしの方が、前のばあいより、もっとひどいことになります。」
備えの日の翌日、つまりもう安息日に入っているのに、彼らはピラトのところに来ました。自ら作り出した安息日の伝統を犯しています。そして、ここにパリサイ人が登場していることは、興味深いです。彼らは、死者の復活を信じていました。それで、3日目によみがえるというイエスのみことばを真に受けていたのです。弟子たちが来て、彼を盗み出すから、とは言っていますが、心の奥底では、イエスが復活したら、何としてでも食い止めなければいけないという恐れもあったでしょう。
さらに興味深いことは、弟子たちはそのイエスのみことばを信じていなかったことです。不信者が信じていて、信者が信じていないという、奇妙なことがここで起こっています。でも、私たちの中でもよくありえることです。聖書のことばを、信者は信じていない部分を不信者の人が信じていることがよく起こります。イエスの復活は、祭司長・パリサイ人は聞いていましたが、弟子たちは聞いていませんでした。
ピラトは、「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい。」と彼らに言った。
新共同訳だと、「あなたたちには、番兵がいるはずだ。」となっています。この番兵は、ユダヤ人たちがあてがう番兵です。ピラトは、祭司長たちの行なっていることに、いい加減、嫌気がさしてきました。この腐った、愚かな者たちめ、勝手にしろ、と言っているわけです。
そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。
こうして、イエスの墓には番兵がつきました。これが、ユダヤ人の指導者たちがすることのできた、イエスを滅ぼすための最善の努力でした。彼らは、イエスを捕らえ、でっちあげの告訴状を作り出しました。そしてピラトに引き渡し、群衆を煽動させて死刑にまで追い込みました。イエスをあざけり、イエスの死ぬ姿を見て、墓に葬られたイエスに番兵をつけました。やれるところまで、とことんやったという感じです。普通に考えたら、イエスは死んでいる。生き帰るわけがない。しかし、万がーの場合を考えて番兵を置きました。それでも、彼らの不安は残ったことでしょう。
私たちの住む社会も、同じように番兵をつけています。イエスを、とことんまでやみに葬り去っています。進化論、ヒューマニズム、因習、伝統などと言うものによって、イエス・キリストをつぶしにかかっています。しかし、それで根絶はされないのです。次回は、その部分を学びます。こうして私たちは、イエスの十字架と、死と、埋葬を見ました。 それらは、それぞれイエスが罪人と数えられ、御父から切り離され、罪が葬られたことを意味します。こうした暗やみの部分が、神の子の処罰にはあります。しかし、「やみは光に打ち勝たなかった。(ヨハネ1:5)」とあるように、光が打ち勝ちます。次回に、期待してください。
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