マタイによる福音書9章 「権威に対立する人々」

アウトライン

1A 新しい力 1−17
   1B 罪を赦す力 1−8
   2B 罪人を悔い改めに導く交わり 9−13
   3B 真新しい布切れと新しい皮袋 14−17
2A 増し加わる信仰 18−38
   1B 二人の女の癒し 18−26
   2B 二人の盲人 27−31
   3B 中傷 32−34
   4B 働き手のための祈り 35−38

説教ノート

1A 新しい力 1−17
1B 罪を赦す力 1−8
イエスの御言葉の権威は、罪を赦す力として現れた。それに対して、「神にしかできないものを」という律法学者のつぶやきがある。

2B 罪人を悔い改めに導く交わり 9−13
イエスは悔い改める罪人とともにおられる。問題のある人を教会から追い出すことは、イエスを追い出すことである。反対に、問題のある人が悔い改めないのに受け入れていることも、御心にかなわない。

3B 真新しい布切れと新しい皮袋 14−17
「従来の方法と違う」というのは、常にイエスが新しい働きを始める時に起こることだ。幼子のように、新しい心でイエスの命令を受け入れる必要がある。

2A 増し加わる信仰 18−38
 幼子のように、イエスの力を信じて近づいてくる人々の話し。

1B 二人の女の癒し 18−26
18;「会堂管理者」古い皮袋の人が来た。けれども、娘の死においてはすべてをかなぐり捨てて、イエスの前にひれ伏すことができた。イエスの前では次に出てくる、社会的に疎外されていた長血を患う女と、会堂管理者は同じところに立っている。
「御手を置いてやってください」ここから、信仰による応答がある。イエスが信じたとおりのことをしてくださる。イエスはすることがおできになる。けれども、私たちが具体的にイエスに求めることによって、その力が現れる。
マルコとルカでは、「死にかけている」となっている。
20;「長血をわずらう」レビ記15章にある不浄の女。マルコによれば、医者にかかったが帰って悪くなる一方だ。
21;「お着物」22;「あなたの信仰が」具体的に信仰を働かせる。
→ イエスのところに一人の問題を持っている人が来た。けれども、その働きを妨げるように違う問題を持っている人が来た。しかし、主はそのどちらをも直してくださる。
23;「笛吹く者」プロの泣き屋
24:「あざわらった」この不信仰に対する対価は、奇蹟を見られないこと。
25;「起き上がった」9章の始めの中風の人も起き上がった。ご自身の復活の力。

2B 二人の盲人 27−31
27;「ふたりの盲人」再び、一人ではなく二人。
「ダビデの子よ」マタイ11節。 ルカ718-23節、メシヤ到来のしるし。
28;「そんなことができると信じるのか」イエスにならできる、という信仰。
30;「決して、だれにも知られないように」イエスが御業を行われても、それを介する人がいない。むしろそれを疑心暗鬼に思い、悪意をもってみる。

3B 中傷 32−34
32;「悪霊につかれたおし」耳の聞こえない人。
33;「イスラエルでいまだかつて見たことがない」メシヤであることを示唆している。
34;「悪霊どものかしらを使って」メシヤであることを完全否定。
 → 神の御霊の働きを完全否定することの危険性。

4B 働き手のための祈り 35−38
35;「それから」教会の働きで大切なことは、「妨げられない」こと。黙々と主から命じられていることをしていくこと。
36;「羊飼いのない羊」牧者として切に願っていること。
37−38;収穫のための働き人

次の章から、十二弟子に御国の働きを行なわせる。つまり、祈りの答えというのはそこにいる弟子たちの中からであった!

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