黙示録13章 「獣の国」



アウトライン

1A 海からの獣 1−10
   1B 悪魔礼拝 1−4
   2B 神への冒涜 5−10
      1C 天への暴言 5−6
      2C 聖徒たちへの迫害 7−10
2A もう一匹の獣 11−18
   1B 獣崇拝 11−15
   2B 刻印 16−18

本文

 黙示録13章を開いてください。ここでのテーマは、「獣の国」です。

 黙示録ももう、ここまで進みましたが、6章以降の患難時代における出来事を読むにつけ、気が重くなるような気分になられているかもしれません。あまりにもおぞましいこと、ひどいこと、流血や災害など、人間の罪や暗やみの部分が露わにされ、また悪魔と悪霊の働きをじっくり読んでいかなければいけませんでした。心が痛むところです。そして今日も、その本当に暗い部分、反キリストの世界支配を読んでいきます。

 けれども黙示録は、こうした患難時代を描きながら、必ず再臨の主、また天における光景に戻っていきます。黙示録10章は、力強い御使いが右足を海に、左足を地上につけ、大声で叫びましたが、それはイエス・キリストの再臨を表しています。そして今度学ぶ14章においては、シオンの山で小羊とともにいる14万4千人の神のしもべの話を読みます。このように、私たちは、世の終わりに近づくにつれて、世界で起こる惨状、悲劇を目にしていかねばなりませんが、その時に、再臨の主を見上げてください。キリストの現われは、祝福された望みです。この望みがあるからこそ、私たちは忍耐することができます。

1A 海からの獣 1−10
1B 悪魔礼拝 1−4
 また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。

 前回の学びを思い出してください。前回12章にて、竜が女を追いかけて、女が荒野に逃げたところを読みました。竜は悪魔であり、女はイスラエルです。そして、竜がイスラエルが荒野のところで神によって守られ、養われているので、いきり立ち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行ったとあります。そして12章の最後18節には、「そして、彼は海べの砂の上に立った。」とあります。

 そこで竜が、ここに書かれている「一匹の獣」を通して働きます。彼は「海」から出て来た獣です。これから読む箇所は、ダニエル書7章を読むとすぐに理解できますが、ダニエル書7章には、海が世界の諸国であることが分かります。ダニエルがこう言いました。「私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、四頭の大きな獣が海から上がって来た。(7:2−3)」この四頭の獣が出てきます。この四頭は、バビロン、メディヤ・ペルシヤ、ギリシヤ、ローマを表しており、世界の舞台から現われ出た世界帝国です。

 これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。

 ダニエル書7章の第四の獣は、大きな鉄のきばを持つ、恐ろしく、ものすごく非常に強く、地上に生きている獣では描写できるようなものではありませんでした。この獣が、初めの三頭の獣と異なり、「十本の角」を持っています。この十本の角について、7章後半部分で説明があります。「第四の獣は地に起こる第四の国。これは、他のすべての国と異なり、全土を食い尽し、これを踏みつけ、かみ砕く。十本の角は、この国から立つ十人の王。」十人の王、あるいは十の国、支配権です。全土を食い尽くす国であり、それが十人の王に分けられているということです。ダニエル書2章にある、ネブカデネザル王が見た夢では、人の像の足と足の指の部分が鉄と粘土になっていました。ローマ帝国が鉄であり、すねは鉄ですが、足の部分は粘土が混じっており、それは支配力がそれほど強くないことを表しています。世界に十の国、あるいは地域ブロックができて、それがローマ帝国の影響を受けている、というものです。

 したがって、前世紀、二つの世界大戦があり、イスラエルが建国され、そして世界が平準化される、グローバル化される動きが見えてきました。その初めは、かつてローマ帝国があったヨーロッパです。そこは初めは経済協力を目指すヨーロッパ共同体から始まり、今は経済協力から経済統合へ、そして経済統合から政治統合を目指す、ヨーロッパ連合へと変わりました。彼らの最終目的はヨーロッパ合衆国です。アメリカ合衆国と同じようなヨーロッパ合衆国です。巨大な国が出来上がります。

 さらに二つの世界大戦が起こって後、国際連合が出来ました。それは先の世界大戦が、それぞれが自国孤立主義になったために世界紛争が起こったという反省から、国どおしがこれまた協力し合っていく、というものですが、国連そのものが政府のように権限を持ち、地域紛争に対して軍隊を派遣したり、国際裁判所のようなものを設けて、国を超えたところの裁判を行なったり、世界政府的な動きを見せています。興味深いことに、国連はイスラエルに対して非常に敵対的な姿勢を見せています。

 そして今、世界中で地域ブロックが語られています。北米ブロック、そして、日本では東・東南アジアブロックが語られ、地域ごとの通貨を統合しようとする動きがあります。このように世界は均一化され、国々が一つにまとめられ、いくつかのブロックに分けられるという動きの中にあり、私たちはここ黙示録13章の姿に似通った世界の中に生きているのです。

 さて、この獣には十本の角だけでなく、「七つの頭」がありますが、これは黙示録17章で詳しく出てきますので、そのときに説明したいと思います。

 私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口はししの口のようであった。

 ダニエル書7章では、第一の獣がしし、ライオンでありバビロンを表していました。第二の獣は熊でありメディヤ・ペルシヤを表していました。そして第三の獣はひょうであり、ギリシヤを表していました。この獣は、十の角があるので第四の獣のようですが、それだけではなくこれまでの超大国の特徴もある国であるようです。

 竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。

 先ほど出てきた竜が、この獣に自分の力と位と大きな権威を与えました。悪魔はこれから、この獣を通して働きます。次の節から、その悪魔の仕業を見ることになります。

 その頭のうちの一つは打ち殺されたかと思われたが、その致命的な傷も直ってしまった。

 七つの頭のうちの一つ、これは黙示録17章によると、反キリスト本人です。十の王による世界が出来たあと、反キリスト一人による世界帝国が始まります。ダニエル書7章によると、10本の角のうちの一本から小さな角が生え出て、他の三本の角を倒して、非常に大きな角になります。この角が、大きなことを話し、神をののしり、聖徒に対して戦うとあります。反キリストは、一つの地域また国から、政治的指導者として現われ、彼への人気が急速に広まり、彼はしだいに重要なポストへと移り、最後は世界全体を支配する総統になります。結局違う人でしたが、当時ヒトラーが反キリストではないかと囁かれました。エリートでもなんでもないたいした人物ではありませんでしたが、次第に勢力を増し、ナチ党の党首となり、だれもが馬鹿にして、こんな偏狭的で変態的な考えの持ち主が力を持つはずがないと思っていましたが、ついにドイツの総統となり、世界支配を目論みました。似たような、いやこれよりさらに巧みに、さらに大きな規模で反キリストが現われます。

 この彼が、打ち殺されたようになりましたが、生き返りました。ここに悪魔の力が現われています。悪魔が行なうことは偽りです。彼は偽りの父であり、彼にできないことは真実を語ることであり、偽ることは彼の一番自然な姿です。悪魔が行なうことは、この反キリストを通して、本物のキリストに似せた業を行なうことです。イエス・キリストは死に渡されましたが、三日目によみがえられました。同じようなことを悪魔は反キリストを通してして見せて、それで彼こそが救世主でありキリストであると思わせるのです。

 実は、イエスさまご自身が、悪魔によってすべての権威を与えられそうになる誘惑を受けられました。荒野で40日間断食された後、悪魔が彼にやってきて誘惑しましたが、彼はイエスさまを高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。(マタイ4:8)」と言いました。そうです、確かに世界の国々は父なる神のものであり、子なるキリストに授けられるものです。ですから、この世の君である悪魔の申し出は受けるに価するものなのです。けれども、イエスさまは世界をご自分のものとするために、十字架の道を歩まなければいけませんでした。その苦しみを通られて、その流される血を代価として、全世界をご自分のものとし、そして父なる神のものとするのです。ですから、イエスさまが、十字架に行かれるのをいさめたペテロに対して、「下がれ、サタン。(マタイ16:23)」と言われたのは、そのためです。

 しかし、悪魔はある人物に同じようにして、すべての国々を与えるようにさせ、その人物はそれを受け取ります。彼が反キリストです。今見ましたように、世界の諸国の興亡の背後には悪魔が働いています。権力があるところにつけばつくほど、悪魔が差し出す支配を欲する誘惑の中におかれます。国々の指導者にはそのような誘惑がありますが、悪魔は神によって定められたときに、そのすべての権威を、不法の人、罪の人に与えることが許されるのです。したがって、父なる神がおられ、その権威と力のすべてを子が受け取っておられるように、反キリストも悪魔の力と権威と位を受け取ります。

 そこで、全地は驚いて、その獣に従い、そして、竜を拝んだ。獣に権威を与えたのが竜だからである。また彼らは獣をも拝んで、「だれがこの獣に比べられよう。だれがこれと戦うことができよう。」と言った。

 テサロニケ人への手紙第二を開いてください。テサロニケ人への手紙は、主の再臨についての基本的な教理が書かれていますが、第一の手紙は信者に対して、つまり携挙について、第二の手紙は地上に残された不信者たちに対して、つまり主の日について書かれています。第二の手紙2章9節から読みます。「不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。(9−12節)

 先ほど、反キリストが悪魔からの権威と位と力を受け取ることを話しましたが、同じように、キリストの真理を受け入れない人々も、悪魔の惑わしの中に入れられてしまいます。私たち人間は、神のかたちに造られて、神のものを相続するために造られました。けれども、それを得るためには、キリストを受け入れ、またキリストに倣って、自分を否み、自分の十字架を負うことによってであります。本当の満たしは、罪に支配された古い人ではなく、御霊の支配を受けた新しい人によってです。けれども、自分を否む道を拒む人は、キリストのところに来ません。ヨハネの福音書にこう書かれています。「御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである。(3:18−19)」そして、彼らはキリストを拒んだ結果、偽物を選び取るのです。

 今、私たちは、ある意味で、イエスさまが初めに地上に来られた時と似たような時代に生きています。米同時多発テロがあってから、私たちは政治的圧迫感を受けています。世界がめまぐるしく変わり、いったいどうなっているのか分からないでいます。そこで人々は、平和を求めています。この世が救われることを願います。けれども、平和も救いも、すべてキリストから来ます。まず自分が万物を造られた神に反抗していたことを認め、悔い改め、へりくだって、キリストが行なわれたわざを受け入れなければいけません。けれども、それができないので、キリストではない代わりのもの、カリスマ的政治的指導者を求めているのです。当時のユダヤ人が犯した過ちを、今、世界中の人々が犯そうとしています。偽りの平和の君を受け入れてしまいます。

2B 神への冒涜 5−10
1C 天への暴言 5−6
 この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。

 獣は世界平和をもたらす英雄的存在としてあがめられますが、その正体は傲慢の塊であり、大言壮語する者です。カルト宗教の指導者の発言を聞くとこのことが少し理解できるのですが、表面的には非常に心地よい言葉をかけ、心励ますようなことを語りますが、仮面をはずすと、「私のところに来なさい。そうすれば問題は解決されます。」とか、「私が神に選ばれたキリストである」とか、非常に高慢なことを言い始めます。

 そして、反キリストは、42ヶ月間、つまり三年半の間、活動する権威が与えられます。覚えていますか、ひと時、ふた時、半時の間、イスラエルが荒野で養われますが、同じ患難時代の三年半です。悪魔は、反キリストを通してイスラエルに迫害を加えはじめます。

 そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。

 テサロニケ第二2章4章には、「彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ」ると書いてあります。まことの神が邪魔になるので、神に対して汚れのことばを言い始めます。これもダニエル書7章に書いてあることです。25節に、「彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き」とあります。

 興味深いのは、「神の幕屋、すなわち、天に住む者たち」とあるところです。これは、私たちのことです。天に携え挙げられた教会です。私たちを反キリストはののしります。

2C 聖徒たちへの迫害 7−10
 彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、

 ここに出てくる聖徒たちは、患難時代の信者たちです。教会に対しては、「ハデスの門もそれには打ち勝てません。(マタイ16:18)」という約束があります。ですから、キリスト教会は、世からの迫害を受けても、なおのこと生き残り、福音は広まり、信じる者も増えていきました。けれども、艱難時代においては、主は、反キリストが聖徒たちに勝利することを許されます。そのため、イエス・キリストを信じたらそのまま殺される運命を彼らは辿ります。このこともダニエル書7章に預言されています。「彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。(25節)

 また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。

 世界はすべて反キリストの支配の中に入ります。その時に、彼を拝むことのない者は、「世の初めから、小羊のいのちの書にその名の書きしるされている者」だけです。エペソ人への手紙1章4節に、こう書かれています。「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」これから聖徒たちは、とてつもない迫害を受けます。殉教のみが選択肢となります。悪魔を拝み、反キリストを拝むとてつもない圧力を受けます。けれども、その圧力にさえ屈することなく、死を選び取ることができるのは、自分の力ではなく、キリストのうちに自分を選んでくださった、神の主権によるのです。世の初めから永遠のいのちに定めておられる、その神の選びの力が、人々を死に至るまで忠実でいさせることができます。キリスト教は、自分で頑張って神にしがみつく宗教ではなく、神が自分をキリストにあって保ってくださるところの宗教です。

 耳のある者は聞きなさい。とりこになるべき者は、とりこにされて行く。剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある。

 これは、「復讐をしてはならない」という勧めです。イエスさまが十字架につけられるときに、ペテロに対して主が言われた言葉でもあります。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。(マタイ26:52)」世界が反キリスト体制の中に入ります。そこで抵抗勢力として、ゲリラ戦を開始しても、絶対に勝つことはできない、剣で滅んでしまいますよという警告です。

 そして、「ここに聖徒の忍耐と信仰がある」とありますが、苦しみを受けているとき忍耐をします。患難時代だけでなく、その前にもイエスさまが「世には患難があります」と言われたように、苦しみがあります。その時に必要なのは忍耐です。自暴自棄にならない、肉に反応しない、耐え忍ぶことです。その忍耐には信仰が必要です。この苦しみは永続するのではなく、終わりがある。そして、それは輝かしい主の来臨によって訪れる。主が支配されている、という信仰です。

2A もう一匹の獣 11−18
 こうして反キリストによる聖徒たちへの迫害がありますが、これは具体的には、もう一人の人物、偽預言者によって実行されます。11節から、この偽預言者の姿と活動について書かれています。

1B 獣崇拝 11−15
 また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。

 「もう一匹の獣」が出てきました。先ほどの獣は海から出てきましたが、これは「」から出ています。彼は「小羊のような二本の角」があると書かれています。小羊と言えば、思い出すのが、再びイエス・キリストです。この方がほふられたと見える小羊として、黙示録5章で登場されていました。そして、「竜のようにものを言った」とあります。悪魔からの言葉、預言を語ります。

 この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。

 反キリストは、悪魔から権威と力と位が与えられたため、人々は悪魔を拝みましたが、ここでは、偽預言者なる獣が、反キリストを拝ませるように導きます。ここに、「偽の三位一体」を見ます。父なる神の権威と位と力が子に委託され、子の栄光を聖霊が現わすように、ここでは反キリストが悪魔の力を委託され、偽預言者が反キリストに人々を仕向けます。聖霊は、「もうひとりの助け主」と呼ばれ、イエスさまと属性は同じですが、主が天に座しておられる間、私たちのそばにいて助けてくださる方です。この方は、イエス・キリストを証しして、イエスの栄光を現わします。偽預言者が、ちょうど聖霊のような働きを、偽の働きを行ないます。

 また、人々の前で、火を天から地に降らせるような大きなしるしを行なった。

 黙示録11章にて、ふたりの証人が口から火を吹いていましたが、彼も火を天から地に降らせるようなことを行ないます。終わりの時は、しるしや不思議をもって悪魔は人々をだましますが、私たちも、しるしがあるからと言ってだまされてはいけません。

 また、あの獣の前で行なうことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。

 獣の拝ませ方は、その像を造ってそれを拝ませるようにさせます。覚えていますか、ネブカデネザルが金の像を造って、世界中の諸国、諸民、諸国語の人々をそこに集めさせ、その前でひれ伏し拝ませることをしました。過去に日本は、天皇のご真影といわれたもの、写真の前で深くおじぎをすることが強制的に行なわれましたし、現代の北朝鮮では、観光にいったら、巨大な金日成像に献花しなければいけません。終わりの時に、偽預言者がそれを世界のすべての人にそれを強要するのです。

 それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。

 イエスさまが、オリーブ山にて世の終わりの時に、「荒らす憎むべき者が聖なる所に立つ(マタイ24:15参照)」と言われました。そしてテサロニケ第二2章に、「神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。(4節)」と書いてあります。具体的には、ここに書かれているとおりに、偽預言者が獣の像を神殿の至聖所に据えて、これを拝むようにさせます。

2B 刻印 16−18
 そして、「拝まない者をみな殺させた」とありますが、その方法が次に書かれています。

 また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。

 刻印を受けさせます。覚えていますか?刻印は、神のしもべに、その額の上に押されていました。そして底知れぬ所から出てきたいなごの害は、神の印を押された者たちは受けませんでした。けれども今ここで、悪の三位一体は、同じような刻印という手段によって、人々を自分たちの支配下に置きます。

 ここに、「小さい者にも、大きい者にも」と、無差別に、均一的に刻印を受けさせることが書かれています。ローマ人への手紙には、あからさまな罪を犯す異教徒だけでなく、道徳的な人も、宗教的な人も、すべての人が有罪となっているとパウロが言っていますが、無差別に、だれでも罪に定められており、そして無差別に、すべての人にキリストの贖いが用意されているという話でした。そして、ここでもだれに対しても、すべての人に刻印が押されるのです。

 また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。

 この刻印が押されると、経済活動ができなくなります。したがって、食べることができなくなり、餓死してしまいます。小羊のいのちの書に記されている人たちは、たくさんの人が飢え死にで死ぬことでしょう。

 ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。

 「7」という数字が完全を意味しており、神の数字であるということを以前学びましたが、ここでは人間の数字「6」が出てきます。獣の国は人間のもの、地上のもの、そして悪魔に属するものです。そして、「666」という数字ですが、これはいったい何を意味しているのでしょうか?

 もっとも妥当な解釈は、「名前」です。「獣の名」とありますから、名前が印として押されると思われます。ギリシヤ語にも、ヘブル語にも、それぞれのアルファベットに数字があてがわれています。名前のアルファベットに対応する数字を足し算した合計が666になるという解釈です。これによると例えばイエスさまは、ヘブル語では749になります。反キリストの名前が666である可能性があります。

 ですから、すべての人に、額か右手にコンピューター・チップでも埋め込まれるのでしょうか、刻印が押され、その刻印にしたがって経済活動を行なうのですから、現在進行している、バーコードによるレジ、現金ではなくクレジットカードによる売買、人間の皮膚に埋め込めることができるチップなど、ここに書かれているようなことが可能にする状況になりつつあります。

 
このように、患難時代の後半部分にて、反キリストが復活のわざを全世界に見せて、それで人々が悪魔と自分を拝ませるように仕向け、聖徒たちを迫害し、さらに偽預言者によって、聖所に反キリストの像が安置され、それを拝まないものには刻印を押さずに、売り買いができないようにさせる、という体制が敷かれます。多くのものがだまされて、偽りを信じるようになるのですが、その理由は、真理への愛がないことでした。その真理とは、イエス・キリストご自身です。

 第一ヨハネ4章を開いてください。私たちがどのようにして、偽物と本物を見分けることができるのか、今、めまぐるしく動いている世界の中で、自分をしっかりと保っているにはどうしていればよいのか。反キリストの霊がすでに働いており、世界が反キリストの現われがいつ起こっても良いような準備をしている今、自分はどのように生きれば良いのか、その回答が第一ヨハネ4章に書かれています。「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。(4:1−3)」偽物と本物を見分けるリトマス紙は、イエス・キリストを告白しているかどうかです。しかも肉をもって来られたキリスト、つまり神が肉体を取られて来られた、受肉されたことを受け入れているかどうかです。

 私たちが告白した、信仰告白、バプテスマを受ける時に告白した信仰告白は、単なる発言ではなく、全世界を相手にし、世界の政治、経済、宗教などあらゆるものを相手にするような力のあるものです。このキリストの告白にしっかりと立ってください。この告白によって、私たちは悪い者に打ち勝つことができます。


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