1サムエル記4−7章 「成熟した霊的復興」

アウトライン

1A イスラエルへの裁き 4
   1B 奪い取られた神の箱 1−11
   2B 去っていった神の栄光 12−21
2A ペリシテへの裁き 5
   1B 倒れるダゴン 1−5
   2B 腫物の恐怖 6−12
3A ペリシテの応答 6
   1B 異教の知識の贖い 1−18
   2B 心備えのないイスラエル 19−21
4A イスラエルの応答 7
   1B 自分の所にある偶像 1−4
   2B 必死の祈り 5−11
   3B 預言の奉仕 12−17

本文

 サムエル記第一4章を開いてください。私たちは前回、イスラエルが士師の時代にあって、霊的復興が必要であることの話をしました。めいめいが自分の目に正しいと思って行ったところから、主なる神のみに従う民となるべく、神は指導者を起こそうとされています。そこで主は、ハンナの胎を閉じられました。彼女は切羽詰まった祈りの中で、自分に主が男の子を授けてくださるなら、その子を一生涯、主に捧げると誓ったのです。そこでこの子を両親は祭司エリの下にあずけ、サムエルはそこで幼い時から主に仕えることになりました。

 それとは対照的に、エリの家では息子が大きな問題を引き起こしていました。息子は祭司であるにも関わらず、なんと主を知りませんでした。そして主にささげるいけにえを自分のものとしていました。この大きな罪のゆえに、主はエリの家から祭司の務めを断ち切ると宣言なさいました。そしてそのしるしとして、息子ホフニとピネハスを一日のうちに殺すことを宣言なさいました。

 そして今から見ていく物語は、このイスラエルの裁きから始まり、そして二十年もかけて主がイスラエルを、サムエルを通して立ち返らせてくださるところを読みます。二十年というのは長い道のりです。けれども、霊的に成熟するには多くの時間を必要とします。即席は存在せず、まさに熟成だけが本物です。

1A イスラエルへの裁き 4
1B 奪い取られた神の箱 1−11
4:1 サムエルのことばが全イスラエルに行き渡ったころ、イスラエルはペリシテ人を迎え撃つために戦いに出て、エベン・エゼルのあたりに陣を敷いた。ペリシテ人はアフェクに陣を敷いた。

 午前礼拝で話しましたが、サムエルは幼子の時に主からの語りかけをうけ、その時から彼は預言を始めました。彼の言葉は神からのものだったので、すべてがその通りになりました。これまで地域的にさばきを行なっていた士師とは異なり、彼の言葉は全イスラエルに広がっていきました。サムエルはこの時は若者だったことでしょう。

 その時にペリシテ人と対峙しました。ペリシテ人について、おさらいしましょう。彼らは地中海に浮かぶクレテ島から出てきた海洋民族であると考えられています。そこから周囲の地域に移住を始めましたが、イスラエルの地域には主に二回大きな移住がありました。一つは紀元前二千年頃で、アブラハムの時代です。アブラハムがペリシテ人と井戸のことで誓いを立てたことを思い出してください。そしてもう一つは1200年頃で、その時に彼らは五つの町を持ち、内陸へと勢力を伸ばしていきました。ヨシュアがカナンの地に入っても、彼の生前にはペリシテ人の領地は取れませんでした。そこでイスラエルが主の前に悪を行ない、周囲の民の神に仕え始めたので、ペリシテ人にも任され、支配されていったのです。

 ダン族とペリシテ人の領土においては、主はサムソンを用いられました。大きな打撃を与えましたが、もちろん全ての人が死んだわけではありません。彼らは今、アフェクまで陣を進めています。ペリシテの地よりもはるか北東の部分でイスラエルの地に食い込んでいます。

4:2 ペリシテ人はイスラエルを迎え撃つ陣ぞなえをした。戦いが始まると、イスラエルはペリシテ人に打ち負かされ、約四千人が野の陣地で打たれた。4:3 民が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「なぜ主は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。シロから主の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、それがわれわれの真中に来て、われわれを敵の手から救おう。」4:4 そこで民はシロに人を送った。彼らはそこから、ケルビムに座しておられる万軍の主の契約の箱をかついで来た。エリのふたりの息子、ホフニとピネハスも、神の契約の箱といっしょにそこに来た。

 ここにある話の何がおかしいのか、午前礼拝で学びました。彼らは表面的には、主に従っているように見えるのです。ペリシテ人と戦うことは、主の御心のはずです。けれども負けています。では、どうすればよいのか?

 同じように、イスラエルの中で内乱が起こった時、ベニヤミンに対して他のイスラエル部族が戦った時のことを思い出してください。彼らは、二度もベニヤミンによって大勢が戦死しました。そしてついに彼はベテルに行き、(当時はベテルに神の箱がありました)、祭司ピネハスの指導の下、主の前で泣き、断食をして、全焼のいけにえと和解のいけにえを主の前にささげているのです。そして、「ベニヤミンと戦うべきでしょうか?」と主に伺っています。この態度が、イスラエルの長老たちに全く欠けているのです。第一に、主の前で泣いている時間がありません。自分たちの罪の悔恨がないのです。第二に、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげる、つまり主の前にでて礼拝を捧げていません。第三に、祭司の指導の下で行なっていません。むしろ、祭司を自分たちの用のために動かしているのです。第四に、主に伺いを立てる、つまり御心を祈り求めていません。

 一言でいうならば、主との時間を取っていないということに付きます。目に見えるところに従って、そこに主が何を考えておられるのかという、深い考察がありません。「そういう細かいことはいいから、とにかくやってみようよ。」と、表面的な事柄を前進させることに躍起です。その結果、彼らは彼らのいう常識ではあったのでしょうが、それは実は周りの異教徒と同じ手法を使ったのです。神の箱をお守りのように扱いました。自分で勝手にいろいろやっていくことの危険はここにあります。主と時間を取ることは実に面倒くさいかもしれません。けれども、これがなければ何も始まらないのです。

4:5 主の契約の箱が陣営に着いたとき、全イスラエルは大歓声をあげた。それで地はどよめいた。4:6 ペリシテ人は、その歓声を聞いて、「ヘブル人の陣営の、あの大歓声は何だろう。」と言った。そして、主の箱が陣営に着いたと知ったとき、4:7 ペリシテ人は、「神が陣営に来た。」と言って、恐れた。そして言った。「ああ、困ったことだ。今まで、こんなことはなかった。4:8 ああ、困ったことだ。だれがこの力ある神々の手から、われわれを救い出してくれよう。これらの神々は、荒野で、ありとあらゆる災害をもってエジプトを打った神々だ。

 興味深いことに、ペリシテ人はもちろん異教徒ですから、この方法は心理的に大きな打撃となりました。一見、成功したかにみえます。けれども、あまりにも表面的なことであったかは次の節を見ると分かります。これはちょうど種蒔きの喩えであるならば、二つ目の岩地に蒔く種のようなものです。主がこう説き明かされました。「また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。(マタイ13:20-21」すべてが表面的で根がないのです。

 ここでペリシテ人が、イスラエルの出エジプトの歴史をしっかりと覚えていることに注目してください。ペリシテ人は海洋民族ですから、エジプトにも動いたことがあるのかもしれません。いずれにせよ、エジプトに対して主が災いを下されたことはペリシテ人にとっては、大いに恐れになっていました。以前は、ヨシュア記で、エリコに偵察に入ったイスラエル人二人が、ラハブからエジプトで主が行なったことの話を聞いたのを覚えていますね。主が、このように世界に対してご自分がエジプトで行なわれたことを広げることも意図し、あのことを行なわれたのでした。

4:9 さあ、ペリシテ人よ。奮い立て。男らしくふるまえ。さもないと、ヘブル人がおまえたちに仕えたように、おまえたちがヘブル人に仕えるようになる。男らしくふるまって戦え。」4:10 こうしてペリシテ人は戦ったので、イスラエルは打ち負かされ、おのおの自分たちの天幕に逃げた。そのとき、非常に激しい疫病が起こり、イスラエルの歩兵三万人が倒れた。4:11 神の箱は奪われ、エリのふたり息子、ホフニとピネハスは死んだ。

 ここに、主が深く介入されていることは明らかです。主が戦ってくださっている戦いにおいては、必ず敵陣に恐怖が入ります。同士討ちが始まります。天災また疫病が彼らに襲います。けれども、ここでは反対です。ペリシテ人が士気を上げました。そしてイスラエルが打ち負かされています。この時に疫病が起こっていますから、これは確実に主が関わっているものです。そして、主が神の人を通してエリに語られたように、エリとピネハスが死にました。

 神の箱を持ってくる前は四千人が死んだのに、持って来た後は三万人が死んでいます。皮肉ですが、私たちが表面的に信仰的なこと、宗教的なことを行なうと、その後遺症は多いです。落胆が大きくなりますし、その他の肉の行ないや肉の思いによって、多くの傷を受けます。

2B 去っていった神の栄光 12−21
4:12 その日、ひとりのベニヤミン人が、戦場から走って来て、シロに着いた。その着物は裂け、頭には土をかぶっていた。4:13 彼が着いたとき、エリは道のそばに設けた席にすわって、見張っていた。神の箱のことを気づかっていたからである。この男が町にはいって敗戦を知らせたので、町中こぞって泣き叫んだ。

 ここでエリが気づかっていたのは、自分の息子のことではなく「神の箱」であることに注目してください。エリは、イスラエルの長老が神の箱を持っていくと言ったのを制止することができずにいたことで、愚かなことをしてしまったと思っていたに違いありません。

4:14 エリが、この泣き叫ぶ声を聞いて、「この騒々しい声は何だ。」と尋ねると、この者は大急ぎでやって来て、エリに知らせた。4:15 エリは九十八歳で、その目はこわばり、何も見えなくなっていた。4:16 その男はエリに言った。「私は戦場から来た者です。私は、きょう、戦場から逃げて来ました。」するとエリは、「状況はどうか。わが子よ。」と聞いた。4:17 この知らせを持って来た者は答えて言った。「イスラエルはペリシテ人の前から逃げ、民のうちに打たれた者が多く出ました。それにあなたのふたりの子息、ホフニとピネハスも死に、神の箱は奪われました。」4:18 彼が神の箱のことを告げたとき、エリはその席から門のそばにあおむけに落ち、首を折って死んだ。年寄りで、からだが重かったからである。彼は四十年間、イスラエルをさばいた。

 ベニヤミン人兵士は、「神の箱」だけでなくエリの子息の死も告げているのに、神の箱のことを聞いて倒れた、とあります。息子のことはすでに神の人から殺されると告げられていたので想定内だったかもしれませんが、神の箱が奪い取られるのは聞いていませんでした。

 神の裁きは厳しいものでした。神よりも息子を重んじた、また神よりも長老たちの言うことを重んじた、神とその命令を第一にしなかった代償は、神ご自身の臨在と栄光が去って行ってしまうことであります。これが次の、祭司の息子の妻にも起こります。

4:19 彼の嫁、ピネハスの妻は身ごもっていて、出産間近であったが、神の箱が奪われ、しゅうとと、夫が死んだという知らせを聞いたとき、陣痛が起こり、身をかがめて子を産んだ。4:20 彼女が死にかけているので、彼女の世話をしていた女たちが、「しっかりしなさい。男の子が生まれましたよ。」と言ったが、彼女は答えもせず、気にも留めなかった。4:21 彼女は、「栄光がイスラエルから去った。」と言って、その子をイ・カボデと名づけた。これは神の箱が奪われたこと、それに、しゅうとと、夫のことをさしたのである。4:22 彼女は、「栄光はイスラエルを去りました。神の箱が奪われたから。」と言った。

 彼女も、エリと同じ正しい反応をしています。夫も舅も死んだこともありますが、神の箱が奪われたことで、「イ・カボデ」という名を子に付けて死にました。「栄光がない」という意味です。

 神の臨在とその栄光がなくなるというのは、極めて深刻です。エゼキエル書においても、同じようなことがエルサレムの神殿で起こる事を、神がエゼキエルに幻の中でお見せになりました。主の栄光を反映するケルビムが、至聖所から外に出てきて、外門にまで動き、オリーブ山にまで動き、そしていなくなったことが記されています。主の栄光が神殿から去ったのです。そして、後に神殿の建物そのものがバビロンによって破壊されます。

 イエス・キリストが神であられるのに人となって現れたことを、ヨハネ114節では、直訳では「幕屋を張った」となっています。そのため、ヨハネは「私たちはこの方の栄光を見た」と言っています。黙示録では、エペソにある教会に対して、「あなたがたは初めの愛から離れてしまった。悔い改めて、どこから落ちたかを思い出し、初めの行ないをしなさい。」と命じておられます(2章)。もし悔い改めなければ、燭台を取り除くと言われているのですが、その燭台とは主が共にいられることを取り除こう、ということであります。栄光が離れてしまうのです。主がおられない教会、主の栄光がない教会は、考えただけで恐ろしいですが、事実ありえることを教えています。

2A ペリシテへの裁き 5
 こうしてイスラエルから神の栄光が離れてしまいました。けれども希望があります。イスラエルは神を証しすることに失敗しました。しかし、それで神の証しがなくなるのではありません。私たちはクリスチャンがキリストの名を汚すようなことをしてしまえば、もうそれで終わりだ、と思ってしまうと思います。けれども、主の証しは、主の恵みで私たちを通して行なうのですが、それは私たちを通してでなければできないということではありません。ご自身で証しをすることができるのです。

1B 倒れるダゴン 1−5
5:1 ペリシテ人は神の箱を奪って、それをエベン・エゼルからアシュドデに運んだ。5:2 それからペリシテ人は神の箱を取って、それをダゴンの宮に運び、ダゴンのかたわらに安置した。

 ペリシテ人はダゴンという神を拝んでいました。元々は穀物の神だったようですが、海洋民族である彼らはそれを改良して、体は人間ですが魚の尾のある形を作りました。そして戦いに勝つと、自分たちの神が相手の神に打ち勝ったと信じていますので、このようにして神の箱をダゴンの宮の中に安置したのです。

5:3 アシュドデの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。そこで彼らはダゴンを取り、それをもとの所に戻した。

 不吉な前兆が表れました。

5:4 次の日、朝早く彼らが起きて見ると、やはり、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。ダゴンの頭と両腕は切り離されて敷居のところにあり、ダゴンの胴体だけが、そこに残っていた。5:5 それで、ダゴンの祭司たちや、ダゴンの宮に行く者はだれでも、今日に至るまで、アシュドデにあるダゴンの敷居を踏まない。

 ついに始まりました、神が偶像ダゴンに対して裁きを行なわれました。これはもちろん、ペリシテ人に対して、ペリシテ人が分かるように目に見える形でイスラエルの神が生きていることを示すためでした。そして、ダゴンが単なる偶像であり、ダゴンとご自分を並列したことに対する裁きを示すためでした。

 神は、ご自身が他の神々と一つにされる時に怒りを発せられます。アッシリヤがエルサレムを包囲した時、アッシリヤの王がユダの王ヒゼキヤに対して、「我々は、他の神々を倒してきた。なぜエルサレムの神を倒せないことがあろうか。」ということを言って脅しました。これに対して、神はヒゼキヤに、「わたしはアッシリヤの王の言うことを聞いた。」と言われたのです。

 私たちは礼拝によって、その都度、ヤハウェなる神のみがまことの神であり、主イエス・キリストをよみがえらせたこの方が、全知全能の創造主であることを告白しています。これを神が最も喜ばれています。もし、他の神々と同じように取り扱うならば、あるいはそうさせる者があれば、神の怒りは怠りなく行なわれます。日本は過去にキリスト教会に手を触れました。讃美歌の中に君が代を挿入しなければいけないと命じ、礼拝堂の正面に天皇の写真を掲げさせ、天皇礼拝をキリストと共に行えと命じたのです。結果は良く知っている通りです、悲惨な形の敗戦で終わりました。神は同じように、怒りを発せられたのです。

2B 腫物の恐怖 6−12
5:6 さらに主の手はアシュドデの人たちの上に重くのしかかり、アシュドデとその地域の人々とを腫物で打って脅かした。5:7 アシュドデの人々は、この有様を見て言った。「イスラエルの神の箱を、私たちのもとにとどめておいてはならない。その神の手が私たちと、私たちの神ダゴンを、ひどいめに会わせるから。」

 腫物が広がりました。これは英訳では「痔」の意味になっています。大腸に何かができた病であることは確かです。次の章に、ねずみによる疫病とのことで、ねずみを媒体とした病原菌であるかもしれません。

5:8 それで彼らは人をやり、ペリシテ人の領主を全部そこに集め、「イスラエルの神の箱をどうしたらよいでしょうか。」と尋ねた。彼らは、「イスラエルの神の箱をガテに移したらよかろう。」と答えた。そこで彼らはイスラエルの神の箱を移した。5:9 それがガテに移されて後、主の手はこの町に下り、非常な大恐慌を引き起こし、この町の人々を、上の者も下の者もみな打ったので、彼らに腫物ができた。

 ガテにはダゴンの宮がなかったのでしょうか、ガテなら大丈夫だろうと言いました。ところが腫物がもっと酷い形で広がりました。

5:10 そこで、彼らは神の箱をエクロンに送った。神の箱がエクロンに着いたとき、エクロンの人たちは大声で叫んで言った。「私たちのところにイスラエルの神の箱を回して、私たちと、この民を殺すのか。」

 情報はすでにエクロンに入っています。エクロンの住民のほうで断っています。

5:11 そこで彼らは人をやり、ペリシテ人の領主を全部集めて、「イスラエルの神の箱を送って、もとの所に戻っていただきましょう。私たちと、この民とを殺すことがないように。」と言った。町中に死の恐慌があったからである。神の手は、そこに非常に重くのしかかっていた。5:12 死ななかった者も腫物で打たれ、町の叫び声は天にまで上った。

 彼らは、出エジプトのことを知っていて、その災いを恐れていたのに、まったく同じように災いを受けてしまいました。腫物の災いは、エジプトに下った十の災いの一つでしたね。

3A ペリシテの応答 6
1B 異教の知識の贖い 1−18
6:1 主の箱は七か月もペリシテ人の野にあった。6:2 ペリシテ人は祭司たちと占い師たちを呼び寄せて言った。「主の箱を、どうしたらよいだろう。どのようにして、それをもとの所に送り返せるか、教えてもらいたい。」6:3 すると彼らは答えた。「イスラエルの神の箱を送り返すのなら、何もつけないで送り返してはなりません。それに対して、必ず罪過のためのいけにえを返さなければなりません。そうすれば、あなたがたはいやされましょう。なぜ、神の手があなたがたから去らないかがわかるでしょう。」6:4 人々は言った。「私たちの返す罪過のためのいけにえとは何ですか。」彼らは言った。「ペリシテ人の領主の数によって、五つの金の腫物と、五つの金のねずみです。あなたがたみなと、あなたがたの領主へのわざわいは同じであったからです。6:5 あなたがたの腫物の像と、この地を荒らしたねずみの像を作り、イスラエルの神に栄光を帰するなら、たぶん、あなたがたと、あなたがたの神々と、この国とに下される神の手は、軽くなるでしょう。

 非常に興味深い現象が起こります。ペリシテ人は、神の箱をペリシテ人の野にそのままにしておきました。けれども、腫物が直ったわけではなかったようです。それで、自分たちの宗教の祭司と占い師に尋ねました。そして、興味深いことに、祭司と占い師の命じていることは、全く異なる宗教であるにも関わらず、イスラエルの神がご自分の民に命じている犠牲のいけにえの方法と似ているのです。罪過のためのいけにえを用意しなさい、と言っています。

 自分が行なった罪過に対して、いけにえを供えます。その災いに相応するいけにえを準備します。金という高価なものによって、腫物とねずみの形に型どり供えます。そして、一つではなく、それぞれの町の領主が自分たちの罪の償いとして一つずつ用意するのです。これはもちろん異教ですが、けれどもイスラエルの神が介在されていることは間違いありません。私たちは、自分のしてしまったことに対して、必ずその損害があるのだということを知らなければいけません。日本語に「水に流す」という言葉がありますが、罪過は水には流れないのです。したがって、イエス様が流された血を自分のものとして真実に受け入れなければいけないのです。

6:6 なぜ、あなたがたは、エジプト人とパロが心をかたくなにしたように、心をかたくなにするのですか。神が彼らをひどいめに会わせたときに、彼らは、イスラエルを自由にして、彼らを去らせたではありませんか。

 これも興味深いですね、領主たちは今、祭司と占い師の助言を聞いたのですが、ためらっているのでしょう。それで、祭司と占い師は、出エジプトを引き合いに出しています。腫物もエジプトに下った災いに似ていますが、もしこれを行なわなかったらパロと同じになってしまうと警告しています。確実に、主はこの異教の祭司らを導いておられます。

6:7 それで今、一台の新しい車を仕立て、くびきをつけたことのない、乳を飲ませている二頭の雌牛を取り、その雌牛を車につなぎ、子牛は引き離して牛小屋に戻しなさい。6:8 また主の箱を取ってその車に載せなさい。罪過のためのいけにえとして返す金の品物を鞍袋に入れ、そのかたわらに置き、それを行くがままにさせなければならない。6:9 あなたがたは、箱がその国への道をベテ・シェメシュに上って行けば、私たちにこの大きなわざわいを起こしたのは、あの箱だと思わなければならない。もし、行かなければ、その手は私たちを打たず、それは私たちに偶然起こったことだと知ろう。」

 雌牛に対する条件が、「くびきをつけたことがない」そして「乳を飲ませている」ということです。したがって通常ならば必ず、雌牛はこの車を運ぶのを嫌います。そして必ず、母性本能によって子牛のところに戻ろうとします。それにも関わらず、イスラエルの国境の町ベテ・シェメシュにまで車を運んで行けば、それは神の手が確かにあることを確認することができます。

6:10 人々はそのようにした。彼らは乳を飲ませている二頭の雌牛を取り、それを車につないだ。子牛は牛小屋に閉じ込めた。6:11 そして主の箱を車に載せ、また金のねずみと腫物の像を入れた鞍袋を載せた。6:12 すると雌牛は、ベテ・シェメシュへの道、一筋の大路をまっすぐに進み、鳴きながら進み続け、右にも左にもそれなかった。ペリシテ人の領主たちは、ベテ・シェメシュの国境まで、そのあとについて行った。

 来年のイスラエル旅行ではベテ・シェメシュに行く予定になっていますが、ベテ・シェメシュから西方に広い谷が広がっているのを見ることができます。そこをまっすぐに進んできました。

6:13 ベテ・シェメシュの人々は、谷間で小麦の刈り入れをしていたが、目を上げたとき、神の箱が見えた。彼らはそれを見て喜んだ。6:14 車はベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑にはいり、そこにとどまった。そこには大きな石があった。その人たちは、その車の木を割り、その雌牛を全焼のいけにえとして主にささげた。6:15 レビ人たちは、主の箱と、そばにあった金の品物のはいっている鞍袋とを降ろし、その大きな石の上に置いた。ベテ・シェメシュの人たちは全焼のいけにえをささげ、その日、ほかのいけにえも主にささげた。6:16 五人のペリシテ人の領主たちは、これを見て、その日のうちにエクロンへ帰った。6:17 ペリシテ人が、罪過のためのいけにえとして主に返した金の腫物は、アシュドデのために一つ、ガザのために一つ、アシュケロンのために一つ、ガテのために一つ、エクロンのために一つであった。6:18 また、金のねずみは、五人の領主のものであるペリシテ人のすべての町・・城壁のある町から城壁のない村まで・・の数によっていた。終わりに主の箱が安置された大きな石は、今日までベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑にある。

 七か月以上経って、神の箱が戻ってきました。その喜びがここに描かれています。そこで、彼らはその牛をほふって全焼のいけにえをささげまたレビ人に主の箱を取り扱ってもらいました。この様子を見届けて、それからペリシテ人の領主はエクロンに帰りました。

2B 心備えのないイスラエル 19−21
 ところが次に悲劇が起こります。

6:19 主はベテ・シェメシュの人たちを打たれた。主の箱の中を見たからである。そのとき主は、その民五万七十人を打たれた。主が民を激しく打たれたので、民は喪に服した。6:20 ベテ・シェメシュの人々は言った。「だれが、この聖なる神、主の前に立ちえよう。私たちのところから、だれのところへ上って行かれるのか。」6:21 そこで、彼らはキルヤテ・エアリムの住民に使者を送って言った。「ペリシテ人が主の箱を返してよこしました。下って来て、それをあなたがたのところに運び上げてください。」

 なんとイスラエルの人たちは、先のペリシテ人と同じように自分たちで神の箱を取り扱うことができなかったのです!五万七十人も死んでしまいました。なんということでしょうか。彼らの過ちはただ一つ、「主の箱の中を見た」からです。これはどんなことがあっても、やってはいけないことです。主の箱そのものが、運ぶ時は幕をかけていなければならず、神の幕屋に安置する時には年に一度、大祭司のみが贖罪の日に入って、血を振りかけることによって前に出ていくことのできるものです。彼らが行なったことは、すなわち、天の御座の神の中に突入していくようなものであります。

 ここにも、彼らは未だ霊的な心備えができていなかったことを表しています。全焼のいけにえを捧げるところまでは良かったのです。レビ人に神の箱を動かしてもらうことも正しかったのです。しかし、その後がやはり自分の判断を働かせてしまいました。そうして、つまずいてしまいました。主なる神が共におられても、そのことをイスラエル自身が受け止められないのです。

 キリスト教会の中では、「リバイバルを!」という呼びかけを数多く聞きます。リバイバルというのは「霊的復興」という意味です。たくさんの人が救われて教会に来ることを想像しているのだと思います。けれども、それには霊的備えが必要なのです。数多くの人が救われたとて、教会に霊的備えがなければ、イスラエルが味わったような悲劇は避けられないでしょう。教会史にある霊的復興は、まさに黙示録2章、3章にある栄光のイエス様による裁きを経験します。主が、一つ一つの教会に、「わたしはあなたがたの行ないを知っている。」と言われます。そして、「悔い改めなさい」と呼びかけられます。教会に聖なる方が臨まれる時に私たちは、深い罪の自覚が与えられて、教会の人々が悔い改めに導かれて、それで主に立ち返るというのが通常なのです。そして、主にあって正しく生きるにはどうすればよいのかを真剣に探し求めます。

 そして、彼らはキルヤテ・エアリムの人に主の箱を運んでもらおうとします。そこに、アビナダブというレビ人の家があるからです。

4A イスラエルの応答 7
1B 自分の所にある偶像 1−4
7:1 キルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、それを丘の上のアビナダブの家に運び、彼の子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた。7:2 その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。

 彼らの中に主への恐れが出てきました。アビナダブの家に運び入れる時に、主の箱を守らせるためにエルアザルを聖別しています。正しいことです。少しずつですが、神の知識が彼らに与えられている姿を見ることができます。初めのペリシテ人との戦いの時とは少し違います。霊的に成長したのです。

 そして何と、そこに箱が二十年安置されていました。けれどもその二十年が必要だったのです。その二十年間の中で、彼らの心が主を慕い求めるように変えられていったのです。彼らは、「なぜペリシテ人に負けたのだろう。」「どうやって、聖なる主の前に立つことができるのだろう。」と、「なぜ?」と叫んでいましたが、その問いへの答えは実はとても簡単なことで、ただ主を自分たちの心で追い求めることだったのです。けれども、それを知るのに二十年かかったということです。

 私たちにとっての最も大きな課題は、何にか自分がすることではなく、まさに私たちの心であります。この心は、私たちの表面的な感情や知性よりも、もっと下のところにある部分です。私たちの思いや行動を支配している部分です。表面的な行動ではなく、主の御霊が私たちの心に働いて、私たちの心が神の御心に沿うように変えられて、それで神がご自分の事を、私たちを通しておできになるのです。「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。(歴代誌第二16:9

 この二十年の間に、サムエルによる忍耐強い預言活動があったことを覚えてください。彼らに主への渇望が心の奥底からできるまで、サムエルは忍耐強く神の御言葉を教え続けたのです。ですから話しました、私たちの霊的成長は「即席ではなく熟成」なのです。

7:3 そのころ、サムエルはイスラエルの全家に次のように言った。「もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、心を主に向け、主にのみ仕えるなら、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます。」7:4 そこでイスラエル人は、バアルやアシュタロテを取り除き、主にのみ仕えた。

 ここでついに、士師時代からの悪循環の解放が与えられました!覚えていますか、彼らは周囲の民を聖絶することなく、むしろ生かしていたために、その民の持っている神々を自分のものとして、バアルやアシュタロテに仕えるようになりました。それで周囲の敵に虐げられますが、彼らが助けを神に求めると、神は士師を遣わしてくださったのです。士師が生きている間は彼らは平穏でしたが、その士師が死ぬと、彼らは再び偶像礼拝を始めました。その悪循環から、今、ようやく彼らは脱却できたのです。真の勝利です。

 これまでもヤハウェなる神に仕えていました。けれども、同時にバアルとアシュタロテにも仕えていたのです。二心だったのです。私たちはキリストに仕えるのは容易にできます。けれども、キリストのみに仕えるのは、心の清めが必要です。真の悔い改めが必要です。「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。あなたがたは、苦しみなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。(ヤコブ4:8-10

 サムエルは初めに、「あなたがたの間から」神々を取り除きなさいと言いました。霊的復興は、まさに自分のど真ん中にある生活から始まります。私たちが最も取り組みにくい領域です。その周辺のことはいくらでも変えられるのですが、一番変えられないのは自分自身であります。そして次に、「心を主に向け」ることです。これが今話しました、心からの罪の悔悛です。じっくりと時間をとって、表面的なものに終わることなく、罪を悔い改める時が必要であります。そして、「主にのみ」仕えます。今話したように、主に仕えることは簡単ですが、主にのみ仕えるのは難しいです。

2B 必死の祈り 5−11
7:5 それで、サムエルは言った。「イスラエル人をみな、ミツパに集めなさい。私はあなたがたのために主に祈りましょう。」7:6 彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。そうして、その所で言った。「私たちは主に対して罪を犯しました。」こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。

 「ミツパ」は「見張り台」という意味です。以前、全イスラエルの民がベニヤミンと戦う時に集結したのが、ここミツパでした。そして、サムエルの後に王サウルが任ぜられるのもミツパになります。主の民が集まり、主の前で大きな決意や決断をする時に集まった場所でした。

 そしてサムエルのすばらしい働きがあります。それは「執り成しの祈り」です。イスラエルのために祈りましょう、とサムエルは言っています。イスラエルの弱さのために、サムエルが神の前に進み行き、彼らに代わって願いを捧げます。以前私たちは、アブラハムが主の使いの前で、ソドムにいるロトのために、その町を滅ぼさないでほしいと願い出たことを読みました。執り成しには愛が必要です。相手を愛する愛が必要です。またここには、へりくだりが必要です。自分のことではないのに、あたかも自分のことのようにして、王なる神の前に出なければいけません。そして労力が必要です。自分ではない人のために、ひざをかがめて願い出るという労力になります。

 そしてイスラエルは、「私たちは主に対して罪を犯しました」と言いました。これは、とても簡単な告白であると同時に、最も難しい告白です。彼らはこれができなかったので、二十年以上苦しんでいました。まず、「私たちは」という言葉です。他のせいにしなかったのです。自分自身に責任がある事を認めました。そして、「主に対して」であります。私たちは他の人に対して罪を犯したことには敏感です。悪い、すまないという思いになります。あるいは罪によって自分自身を傷つけていることにも敏感です。ところが、目に見えない神であるため、神に対して罪を犯したという意識が薄いのです。人に対して犯しても、自分自身に対して犯しても、本質的、究極的には、罪を犯すということは、神と自分の一対一の関係になります。そしてもちろん、「罪を犯しました」と言える勇気です。自分の性格の弱さでやってしまった、など、心理学的な説明ではなく、神ご自身に対する背き、あるいは反逆であることをしっかり認めることであります。

7:7 イスラエル人がミツパに集まったことをペリシテ人が聞いたとき、ペリシテ人の領主たちはイスラエルに攻め上った。イスラエル人はこれを聞いて、ペリシテ人を恐れた。

 集まると、敵は敏感になります。これによって自分たちの支配を覆すのではないかと思います。けれども、主に立ち返った時に敵が戦ってくる、ということは霊的によくおこることです。自分が心から悔い改めて、主に立ち返ったのであるから、その後はバラ色の人生になる、のではありません。悪魔が、私たちの悔い改めを心から憎んでいます。私たちが主に対していい加減でいてほしいと強く願っているのです。したがって、私たちが本当に主に立ち上がる時に、このような邪魔がしばしば入るのです。

7:8 そこでイスラエル人はサムエルに言った。「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。私たちをペリシテ人の手から救ってくださるように。」

 イスラエルは正しく反応しました。ペリシテ人を恐れました。軍事的には、圧倒的にペリシテ人が優勢です。普通であればここで彼らに虐殺されます。けれども、彼らは神の箱を持って来ようではなくて、何と言っていますか?「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。」であります。何かを行なうのではなく、主との人格的な関係がかなり成熟していることの現れです。そして、「主よ、助けてください。」と優しく、小さな声で、冷静に祈るのではありません。「主よー!」と、本当に叫んで祈ってくれ、と頼んだのです。

7:9 サムエルは乳離れしていない子羊一頭を取り、焼き尽くす全焼のいけにえとして主にささげた。サムエルはイスラエルのために主に叫んだ。それで主は彼に答えられた。

 全焼のいけにえを捧げるとは、犠牲を捧げること、礼拝を捧げることと考えてください。じっくりと主との時間を取り、それから主に叫びました。

7:10 サムエルが全焼のいけにえをささげていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来たが、主はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。7:11 イスラエルの人々は、ミツパから出て、ペリシテ人を追い、彼らを打って、ベテ・カルの下にまで行った。

 かつての力強い主の働きを見ることができました。ヨシュア記にあるような、主ご自身の戦いを見ることができます。そしてイスラエルが行なうのは、敗残兵の掃討戦のみです。これが霊の戦いです。私たちが行なう主な務めは祈ることです。そしてその他の奉仕の働きは、掃討戦です。祈りをそれだけ中心に持って来ているでしょうか?

3B 預言の奉仕 12−17
7:12 そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった。」と言った。

 「エベン・エゼル」は、かつてイスラエルが神の箱を持って来て、けれども四万人が倒れたところと同じです。主は、かつて敗北し、かつて傷を受けたまさにそのところに助けを与えてくださいました。彼らの内にあった屈辱を回復し、癒してくださいました。

7:13 こうしてペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領内に、はいって来なかった。サムエルの生きている間、主の手がペリシテ人を防いでいた。7:14 ペリシテ人がイスラエルから奪った町々は、エクロンからガテまで、イスラエルに戻った。イスラエルはペリシテ人の手から、領土を解放した。そのころ、イスラエル人とエモリ人の間には平和があった。

 これでサムソンもできなかったペリシテ人の制圧に成功しました。そしてすばらしいですね、「主の手」そのものがペリシテ人をふさいでいました。それはサムエルが生きていたからだ、とありますが、言い換えれば、サムエルがイスラエルの民を神に立ち返るように指導できていたからだ、ということであります。主なる神を王とする時に、主が彼らの領土を守ってくださいます。

 そして「エモリ人」でありますが、彼らはエルサレムに住んでいました。エモリ人との戦いは、ダビデが王となり、そこを攻め取る時に起こります。

7:15 サムエルは、一生の間、イスラエルをさばいた。7:16 彼は毎年、ベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、それらの地でイスラエルをさばき、7:17 ラマに帰った。そこに自分の家があったからである。彼はそこでイスラエルをさばいた。彼はまた、そこに主のために一つの祭壇を築いた。

 サムエルは、忠実に預言を行なうことによってイスラエルを治めていました。いつも同じ町を巡回しながら、そこにイスラエルの人々が集まって、神の御言葉を聞いていました。そしてラマに帰っています。父エルカナの家もラマにありましたが、それはエフライムの山地にありましたが、ここのラマはベニヤミン領のラマです。同じラマなのかどうか私には分かりません。そして、そこにサムエルが祭壇を築いています。実に霊的に安定した働きを行なっていました。このような霊的指導者のいるイスラエルは幸せです。

 これがサムエルの士師としての、また預言者としての働きのまとめでした。次回8章からは、彼の息子が後を継ごうとするところを、イスラエルの民が待ったをかけるところから始まります。そこから再び、イスラエルの民の中に大きな変動が起こります。

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