歴代誌第二27−29章 「どん底からの復興」


アウトライン

1A つまずきによる反発 27
   1B 民の滅び 1−2
   2B 主の前での自分の道 3−9
2A 最悪の堕落 28
   1B 先住民のならわし 1−4
   2B 敵の攻撃 5−15
      1C 役立たずの軍隊 5−8
      2C 神のあわれみ 9−15
   3B 訳に立たない贈り物 16−27
      1C 大国 16−21
      2C 外国の神々 22−27
3A 反面教師 29
   1B 神殿のきよめ 1−19
      1C 主との契約 1−11
      2C 身の聖別 12−19
   2B 動物のいけにえ 20−36
      1C 罪のためのいけにえ 20−24
      2C 全焼のいけにえ 25−30
      3C 感謝のいけにえ 31−36

本文

 歴代誌第二27章を開いてください、今日は27章から29章までを学びます。ここでのテーマは、「どん底からの復興」です。

 話を少しさかのぼると、ユダの国はアサ王とヨシャパテ王によって大いに栄えましたが、ヨシャパテがアハブと親睦を深めたために、彼の息子がアハブとイゼベルの娘アタルヤと結婚、その結果、北イスラエルのバアル信仰がユダに入ってきました。そのため、ヨラム、アハズヤ、そしてアタルヤの統治の時には、ダビデの末裔が途絶える危機にまで陥りました。しかし祭司エホヤダの尽力によってアタルヤを除去し、ユダの民は主との契約を新たにすることができました。

 ところがヨアシュ、そしてその後のアマルヤ、そしてウジヤは、それぞれ主の目に正しいことを行ないましたが、最後に高慢になり罪を犯しました。中途半端な執政だったわけです。そして今日の内容に入ります。

1A つまずきによる反発 27
1B 民の滅び 1−2
27:1 ヨタムは、二十五歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼の母の名はエルシャといい、ツァドクの娘であった。27:2 彼はすべて、主の目にかなうことを行なった。父ウジヤが行なったとおりである。ただし、彼は、主の神殿にはいるようなことはしなかった。民はなお滅びに向かっていた。

 ウジヤの息子ヨタムは、ウジヤが生きている時から王となっていました。それは前回学びましたが、ウジヤが神殿の中に入って、祭司でないのに香壇で香をたこうとしたからです。祭司たちの戒めにも関わらず、彼が香をたこうとしたところ、彼はらい病にかかり、それから隔離されてしまいました。それでヨタムが父の生前から王の職務を行なっていたのです。

 彼は善い王でしたが、主の神殿にはいるようなことはしませんでした。その理由は、おそらくは父ウジヤが神殿の中でらい病になったので、神殿に入ること自体心が痛んだからでしょう。しかし、その結果、「民はなお滅びに向かっていた」と書かれています。彼は、父親に起こったことの件で神殿についてつまずきを感じて、神殿なしでも信仰を保てたのかもしれませんが、民に神の影響を与えることはできていませんでした。

 イエスさまは、「つまずきが起こることは避けられない(マタイ187」と言われました。教会の中でもつまずきはあります。クリスチャンの間でもつまずきがあります。しかし、だからといって、教会に通うのはよそう、とか、クリスチャンとの付き合いはよそうと考えるのは、非常に残念なことです。神のあわれみと恵みによって、やはり神を礼拝する生活は続けなければいけません。

2B 主の前での自分の道 3−9
27:3 彼は主の宮の上の門を建てた。また、オフェルの城壁上に、多くのものを建てた。

 彼はエルサレムの町をさらに固めました。主の宮の上の門は北側であり、オフェルの城壁は南側です。防衛上、脆弱なところに建物を立てて、防備を固めました。

27:4 彼はユダの山地に町々を建て、森林地帯には城塞とやぐらを築いた。

 ユダ全体にも防備を整えました。

27:5 彼はアモン人の王と戦い、彼らに打ち勝ったので、アモン人は、その年に、銀百タラント、小麦一万コル、大麦一万コルを彼に贈った。アモン人はこれだけのものを彼に納めた。第二年にも第三年にも同様にした。27:6 このように、ヨタムは勢力を増し加えた。彼が、彼の神、主の前に、自分の道を確かなものとしたからである。

 アモン人がユダに従属するようになりました。そして歴代誌の著者はその理由を書き忘れることがありませんでした。「彼が、彼の神、主の前に、自分の道を確かなものとしたからである」とあります。とても大切なことですね。自分が歩んでいるところを、主の前に確かにしていきます。自分の道を、主にあって整えていきます。

27:7 ヨタムのその他の業績、彼の戦いと彼の行ないは、イスラエルとユダの王たちの書にまさしくしるされている。27:8 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。27:9 ヨタムは彼の先祖たちとともに眠り、人々は彼をダビデの町に葬った。彼の子アハズが代わって王となった。

 このアハズが、ユダの国の中で彼の曾孫マナセに並んで極悪王です。やはり、ヨシャパテの時と同じように、ヨタムが神殿に行かないという妥協によって、自分自身は大丈夫だったのですが、息子には非常に大きな悪影響を及ぼしたと考えられます。私たちは、「信者の模範になりなさい(1テモテ412」と命じられていますが、自分の歩みが他の人にも影響を与えるという配慮が必要です。

2A 最悪の堕落 28
1B 先住民のならわし 1−4
28:1 アハズは二十歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼はその父祖ダビデとは違って、主の目にかなうことを行なわず、28:2 イスラエルの王たちの道に歩み、そのうえ、バアルのために鋳物の像を造った。

 イスラエルの王たちの道というのは、ヤロブアムが金の子牛を造らせ、アロンの子ではない祭司を祭司として認め行なわせた道のことです。そしてバアルのための像は、アハブが導入し、ユダの王ヨラムも取り入れた信仰です。ここまでなら、これまでのイスラエルの王、ユダの王が行なったことと同じです。

28:3 彼は、ベン・ヒノムの谷で香をたき、主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の、忌みきらうべきならわしをまねて、自分の子どもたちに火の中をくぐらせた。28:4 さらに彼は、高き所、丘の上、青々と茂ったすべての木の下で、いけにえをささげ、香をたいた。

 ここに、彼が忌むべき者ならあらゆるものを貪った様子が描かれています。ベン・ヒノムとはエルサレムの町の南の谷であり、そこには幼児の犠牲がささげられたために火が絶えることなく、またごみを燃やしていた火が絶えることがありませんでした。ここはゲヘナとも呼ばれ、その様子から地獄のことをゲヘナと呼ぶようになりました。

 アハズが行なったのはこのことでした。情欲を燃やして要らぬ赤子が出来たら、その子をそのままモレクやバアルなどの鉄で出来た像に、いけにえとしてささげます。その鉄は火によって熱せられ、真っ赤になったところに赤子を起き、その泣き声をかき消すために太鼓を叩きます。(現在では技術の発展で、火ではなく母親の子宮内で鉗子によって殺しています。)

 そして、このような忌まわしい行ないは、かつて神がイスラエルの前から追い払われた異邦の民が行なっていたことであると、書かれています。これらの忌まわしい行ないのために、先住の民は追い払われたのです。であれば、ユダが同じことを行なえば同じように追い払われる原因となるはずです。事実、ユダは後にバビロンに捕え移されます。神はえこひいきなされない方です。

2B 敵の攻撃 5−15
 そこで主は、ユダの敵によって数々のさばきを行なわれます。

1C 役立たずの軍隊 5−8
28:5 彼の神、主は、彼をアラムの王の手に渡されたので、彼らは彼を打ち、彼のところから多くのとりこを捕えて行き、ダマスコへ帰った。彼はイスラエルの王の手にも渡されたので、イスラエルの王は彼を打って大損害を与えた。

 シリヤに大敗し、また多くの者が捕え移されてしまいました。

28:6 レマルヤの子ペカはユダで一日のうちに十二万人を殺した。みな勇者たちであった。彼らはその父祖の神、主を捨て去っていた。

 今度は、北イスラエルによっても攻撃されます。たとえ勇士であっても、主がともにおられるのではなければ無力です。詩篇には、「王は軍勢の多いことによっては救われない。勇者は力の強いことによっては救い出されない。軍馬も勝利の頼みにはならない。その大きな力も救いにならない。(3316-17」とあります。

28:7 ついで、エフライムの勇士ジクリは、王の子マアセヤ、その家のつかさアズリカム、王の補佐官エルカナを殺した。28:8 さらに、イスラエル人は、自分の同胞の中から女たち、男女の子どもたちを二十万人とりこにし、また、彼らの中から多くの物をかすめ奪って、その分捕り物をサマリヤに持って行った。

 シリヤだけでなく北イスラエルも、ユダの人々を捕え移しました。けれども、北イスラエルはシリヤとは異なり、イスラエルの民であり神の契約の中にあります。そこで預言者が現れます。

2C 神のあわれみ 9−15
28:9 そこには主の預言者で、その名をオデデという者がいた。この人はサマリヤにはいって来た軍勢の前に出て行って、彼らに言った。「見よ。あなたがたの父祖の神、主がユダに対して憤られたため、主はあなたがたの手に彼らを渡された。ところが、あなたがたは天に達するほどの激しい怒りをもって彼らを殺した。28:10 今、あなたがたはユダとエルサレムの人々を従えて自分たちの男女の奴隷にしようとしている。しかし、実はあなたがた自身にも、あなたがたの神、主に対して罪過があるのではないか。28:11 今、私に聞きなさい。あなたがたが自分の同胞をとりこにしたそのとりこを帰しなさい。主の燃える怒りがあなたがたに臨むからです。」

 イスラエルが同胞のユダを殺し、またユダの民を奴隷にしようとしていることを責めています。イスラエルには、神の律法には、同胞の民を奴隷としては決してならないこと、むしろ奴隷の身である者を解放するために贖わなければいけないことが書かれています(レビ25章など)。

 もしそこまであなたがたがユダの人々を虐げるのであれば、あなたがた自身にもユダが犯しているような罪を犯しているのだから、罰を免れないではないか?と言っています。「さばいてはいけません。さばかれないためです。(マタイ7:1」という主のみことば通りです。

28:12 そのとき、エフライム族のかしらたちの中から、ヨハナンの子アザルヤ、メシレモテの子ベレクヤ、シャルムの子ヒゼキヤ、ハデライの子アマサなどの人々が、いくさから帰って来た者たちに向かって立ち上がり、28:13 彼らに言った。「あなたがたは、とりこをここに連れて来てはならない。私たちを、主に対して罪過のある者とするようなことをあなたがたは考えて、私たちの罪と私たちの罪過に、もう一つを加えようとしている。私たちの罪過は大きい。燃える怒りがイスラエルに下される。」28:14 そこで、武装した者はつかさたちと全集団の前で、とりこと、かすめ奪った物を手放した。28:15 指名された人々が立ち上がって、とりこの世話をし、その中で裸の者にはみな、分捕り物を用いて衣服を着せた。彼らに衣服を着せてから、くつをはかせ、食べさせ、飲ませ、油を塗ってやった。そのうえ、足の弱い者はみな、ろばに乗せて運び、彼らの兄弟たちのもと、なつめやしの町エリコに連れて行った。こうして、彼らはサマリヤに帰った。

 北イスラエルは神のみことばに従いました。皮肉なことに、救われたユダは、なおもかたくななままです。

3B 訳に立たない贈り物 16−27
1C 大国 16−21
28:16 その時、アハズ王はアッシリヤの王たちに人を遣わして、助けを求めた。28:17 エドム人はなおも攻めて来て、ユダを打ち、とりこを捕えて行った。28:18 ペリシテ人は、ユダの低地およびネゲブにある町々に突入し、ベテ・シェメシュとアヤロンとゲデロテ、およびソコとそれに属する村落、ティムナとそれに属する村落、ギムゾとそれに属する村落を取って、そこに住んだ。28:19 これは、主がユダの王アハズのゆえにユダを低くされたためであり、彼がユダでほしいままに事を行ない、主に対して不信の罪を犯したからである。

 アハズ王は、エドム人やペリシテ人に攻められていたので、それでアッシリヤにより頼もうとしました。けれども役に立ちません。

28:20 アッシリヤの王ティグラテ・ピレセルは、彼を攻め、彼を悩ました。彼の力にはならなかった。28:21 アハズは主の宮と王およびつかさたちの家から物を取って、アッシリヤの王に贈ったが、何の助けにもならなかったのである。

 イザヤがアハズに、アッシリヤに拠り頼むことをやめるように警告しました(イザヤ7章)。けれどもアハズは聞き入れませんでした。

2C 外国の神々 22−27
28:22 アッシリヤの王が彼を悩ましたとき、このアハズ王は、ますます主に対して不信の罪を犯した。28:23 彼は自分を打ったダマスコの神々にいけにえをささげて言った。「アラムの王たちの神々は彼らを助けている。この神々に私もいけにえをささげよう。そうすれば私を助けてくれるだろう。」この神々が彼を、また全イスラエルをつまずかせるものとなった。

 なんとアハズは、今度は、シリヤの神々を拝み始めました。シリヤに自分たちが打ち負かされたから、シリヤの神々は強いに違いないと思ったのです。なんという迷走でしょうか!彼はころころ、ころころすがる対象を変えていきますが、イスラエルの神には寄りすがろうとしないのです。

28:24 ついで、アハズは神の宮の器具を集めた。彼は神の宮の器具を断ち切ってから、主の宮の戸を閉じ、エルサレムの町かどの至る所に祭壇を造った。28:25 ユダの町という町にはすべて、ほかの神々に香をたくため高き所を造り、彼の父祖の神、主の怒りをひき起こした。

 神殿を汚しました。またユダの地を偶像で汚しました。

28:26 彼のその他の業績と彼のすべての行ないは、最初から最後まで、ユダとイスラエルの王たちの書にまさしくしるされている。28:27 アハズは彼の先祖たちとともに眠り、人々は彼をエルサレムの町に葬った。彼をイスラエルの王たちの墓に運び入れなかったからである。彼の子ヒゼキヤが代わって王となった。

 アハズは他の悪王と同じく、王たちの墓には入れられませんでした。

 ここまで堕落してしまうものなのか、と驚きますが、けれども、対照的にユダの国の中でもっともすぐれた霊的な王が、アハブから輩出されます。ヒゼキヤ王です。

3A 反面教師 29
1B 神殿のきよめ 1−19
1C 主との契約 1−11
29:1 ヒゼキヤは二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はアビヤといい、ゼカリヤの娘であった。29:2 彼はすべて父祖ダビデが行なったとおりに、主の目にかなうことを行なった。29:3 彼はその治世の第一年の第一の月に主の宮の戸を開き、これらを修理した。

 王に即位してから第一日目に、さっそく改革を開始しています。そしてこの第一の月とはユダヤの暦の最初の月、十四日目に過越の祭りを行なうところの月であると考えられます。

29:4 さらに、彼は祭司とレビ人を連れて来て、東側の広場に集め、29:5 彼らに言った。「レビ人たち。聞きなさい。今、あなたがたは自分自身を聖別しなさい。あなたがたの父祖の神、主の宮を聖別し、聖所から忌まわしいものを出してしまいなさい。29:6 というのも、私たちの父たちが不信の罪を犯し、私たちの神、主の目の前に悪を行ない、この方を捨て去って、その顔を主の御住まいからそむけ、背を向けたからです。29:7 また、彼らは玄関の戸を閉じ、ともしびの火を消し、聖所でイスラエルの神に香をたかず、全焼のいけにえをささげることをしなかったのです。

 先の章の24節に、父アハズが「神の宮の器具を断ち切ってから、主の宮の戸を閉じ、エルサレムの町かどの至る所に祭壇を造った」とあります。ヒゼキヤはまず、父アハズによって汚された神殿の聖めから始めるよう、祭司とレビ人に命じています。

 ヒゼキヤは分かっていました、自分たちにとってもっとも大切なことは、軍の防備でもなく、土地の収穫でもなく、子沢山でもなく、まさしく神殿における主への礼拝そのものであること、です。新約時代では、私たちキリスト者自身が聖霊の宮であり、私たち自身が神の御霊に主権による、深い罪の自覚と、悔い改めと、聖霊の満たしが、他の周辺的な問題をすべて解決します。

29:8 そこで、主の怒りがユダとエルサレムの上に下り、あなたがたが自分の目で見るとおり、主は彼らを人々のおののき、恐怖、あざけりとされました。29:9 見なさい。私たちの父たちは剣に倒れ、そのため、私たちの息子たち、娘たち、妻たちは、とりこになっています。

 先の章で読んだ、シリヤやエドム、ペリシテ、またアッシリヤによって攻められ、捕え移されたことをヒゼキヤは話しています。彼はある意味、父アハズを反面教師にしていたのだろうと思われます。彼の行ないをずっと観察し、そのためにあらゆる災いがユダに下ったことを知りました。そしてもちろん、その背後にはイザヤのような預言者の助言がありました。

29:10 今、私の願いは、イスラエルの神、主と契約を結ぶことです。そうすれば、主の燃える怒りが私たちから離れるでしょう。29:11 子たちよ。今は、手をこまねいていてはなりません。主はあなたがたを選んでご自分の前に立たせ、ご自分に仕えさせ、ご自分のために、仕える者、香をたく者とされたからです。」

 主と契約を結ぶというのは、主に立ち返って、主とともに生きる決断をするということです。そして、その責務が、あなたがた神が選ばれた奉仕者にあるのだよ、とヒゼキヤは言っています。

2C 身の聖別 12−19
29:12 そこで、レビ人は立ち上がった。ケハテ族からはアマサイの子マハテとアザルヤの子ヨエル、メラリ族からはアブディの子キシュとエハレルエルの子アザルヤ、ゲルション族からはジマの子ヨアフとヨアフの子エデン、29:13 エリツァファン族からはシムリとエイエル、アサフ族からはゼカリヤとマタヌヤ、29:14 ヘマン族からはエヒエルとシムイ、エドトン族からはシェマヤとウジエルであった。29:15 こうして、彼らは自分の兄弟たちを集め、身を聖別して、主のことばによる王の命令のとおりに、主の宮をきよめに来た。

 王の呼びかけにすぐに応答しています。彼らの中にも神の御霊が働いておられます。

29:16 祭司たちが主の宮の中にはいって、これをきよめ、主の本堂にあった汚れたものをみな、主の宮の庭に出すと、レビ人が受け取って外に持ち出し、キデロン川へ持って行った。

 キデロン川は神殿の丘の東にある、オリーブ山との間にある谷間です。

29:17 彼らは第一の月の一日に聖別し始めた。その月の八日に主の玄関にはいり、八日間にわたって主の宮を聖別した。第一の月の十六日に終わった。

 王が即位してから祭司とレビ人たちは、まず自分自身を聖別するのに七日費やし、そして八日間で汚れたものを宮の外に出して合計十六日かかりました。

29:18 そこで、彼らは中にはいって、ヒゼキヤ王のところに行って言った。「私たちは主の宮を全部きよめました。全焼のいけにえの祭壇とそのすべての器具、並べ供えるパンの机とそのすべての器具をきよめました。29:19 また、アハズ王が、その治世に、不信の罪を犯して取り除いたすべての器具を整えて、聖別しました。ご覧ください。それらは主の祭壇の前にあります。」

 アハズ王が汚したものが、元通りになりました。

2B 動物のいけにえ 20−36
 そこで次に始めたのが、動物のいけにえです。

1C 罪のためのいけにえ 20−24
29:20 そこで、ヒゼキヤ王は朝早く、この町のつかさたちを集め、主の宮に上って行った。29:21 彼らは、王国と聖所とユダのための、罪のためのいけにえとして七頭の雄牛、七頭の雄羊、七頭の子羊、七頭の雄やぎを引いて来たので、彼は祭司であるアロンの子らに命じて、主の祭壇の上でいけにえをささげさせた。29:22 彼らが牛をほふり、祭司たちがその血を受け取って、祭壇に注ぎかけた。ついで雄羊をほふり、その血を祭壇に注ぎかけた。ついで子羊をほふり、その血を祭壇に注ぎかけた。

 彼らが初めにささげたいけにえは、罪のためのいけにえでした。彼らは自分たちの前に罪があるのを知っていました。この罪が取り除かれなければ、主が罪を赦していただかなければ、私たちは契約を結ぶことはできないと考えました。これは正しいことです。神との交わりを持つには、まず罪が取り除かれる必要があります。

29:23 それから、彼らは王および集団の前に、罪のためのいけにえとする雄やぎを引いて来て、それらの上に自分たちの手を置いた。29:24 それから、祭司たちはこれらをほふり、その血を祭壇にささげて、罪のためのいけにえとし、全イスラエルのために贖いをした。全焼のいけにえと罪のためのいけにえを、王が全イスラエルのために命じたからである。

 王とその他の人たちが見ている前で、祭司たちは雄やぎの上に手を置きました。これは、ユダの罪がこの雄やぎに転嫁したことを表わしています。手を置くことによって、雄やぎがユダと一体化し、それによって雄やぎが罪あるものとみなされます。そしてこれをほふり、血を祭壇にささげることによって、ユダの民のために身代わりの死を遂げるのです。私たちには、まことの罪の供え物であられるイエス・キリストがおられます。

2C 全焼のいけにえ 25−30
29:26 こうして、レビ人はダビデの楽器を手にし、祭司はラッパを手にして立った。29:27 そこで、ヒゼキヤは全焼のいけにえを、祭壇でささげるよう命じた。全焼のいけにえをささげ始めた時に、主の歌が始まり、ラッパがイスラエルの王ダビデの楽器とともに鳴り始めた。

 罪のためのいけにえがささげられた後に、全焼のいけにえをささげました。全焼のいけにえは、自分のからだを主にささげる、献身の意味を持っています。罪の赦しをいただいたユダの民は今、自分たちが主にすべてをささげる決意をしたのです。

29:28 全集団は伏し拝み、歌うたいは歌い、ラッパ手はラッパを吹き鳴らした。これらはみな、全焼のいけにえが終わるまで、続いた。29:29 ささげ終わると、王および彼とともにいたすべての者はひざをかがめ、伏し拝んだ。29:30 ヒゼキヤ王とつかさたちが、ダビデおよび先見者アサフのことばをもって主をほめたたえるようにレビ人に命じると、彼らは喜びつつほめたたえた。そして、一同はひざまずき、伏し拝んだ。

 全焼のいけにえとともに歌をうたいましたが、これは前にも学んだように、ダビデが神殿礼拝に導入したものです。歌をうたって、全焼のいけにえをささげて、彼らは喜びにみたされ、主を賛美し、また伏し拝みました。

3C 感謝のいけにえ 31−36
29:31 そのようなことのあとで、ヒゼキヤは言った。「今、あなたがたは主に身をささげました。近寄って来て、感謝のいけにえを主の宮に携えて来なさい。」そこで集団は感謝のいけにえを携えて来た。心から進んでささげる者がみな、全焼のいけにえを携えて来た。29:32 集団が携えて来た全焼のいけにえの数は、牛七十頭、雄羊百頭、子羊二百頭であり、これらはみな、主への全焼のいけにえであった。29:33 また、聖なるささげ物は、牛六百頭、羊三千頭であった。

 罪の赦しを得るためのいけにえをささげ、献身のためのいけにえをささげ、そして今は、感謝のためのいけにえをささげています。この順番は大切ですね。神との関係を持つためには、まず罪を処理していただかなければいけません。そして次に献身が伴わなければいけません。罪だけ赦してもらって、全然自分の生活を変えないのであれば、それは主との契約ではありません。それから、感謝します。神の民とされていることを感謝するのです。

 29:34 ただ、祭司たちは、少なかったので、すべての全焼のいけにえの皮をはぎ尽くすことができなかった。そこで、彼らの兄弟に当たるレビ人が、その仕事を終え、祭司たちが身を聖別し終わるまで、彼らに加勢した。レビ人は、祭司たちよりも直ぐな心をもって、身を聖別したからである。

 あまりにも数多くの人たちが喜んでいけにえをささげて、たくさんささげるので、祭司だけでは手が足りなくなりました。そして興味深いことに、アロンの家系以外のレビ人がアロンの家系の祭司たち以上に主にあって燃やされて、主にますます自分自身をささげています。

29:35 また、多くの全焼のいけにえ、その全焼のいけにえに添える和解のいけにえの脂肪、注ぎのぶどう酒。こうして、主の宮の奉仕の用意ができた。

 全焼にいけにえのほかに、和解のいけにえと注ぎの供え物をささげています。和解のいけにえは、神との交わりのためのいけにえで、注ぎの供え物は主に自分の命を注ぐことを意味しています。

29:36 ヒゼキヤとすべての民は、神が民のために整えてくださったことを喜んだ。このことが即座に行なわれたからである。

 そうですね、ヒゼキヤが王位を得てから一月もたたないうちに、いけにえをささげることができました。彼らはこのことが自分でやったなどとは誇らずに、主の恵みによってすべてを成し遂げられたことを喜んでいます。ものすごい勢いで、アハズの治世でどん底にまで陥ったユダが回復しています。

 けれども、ユダの国、またエルサレムが滅びようとしている時が実は近づいています。近づくにつれて、アハズのような悪王が現われ、近づくにつれてヒゼキヤのような善王も現われます。光と暗やみ、正義と不義がはっきりと区別できるような時代になったのです。

 私たちも同じような時代に生きています。私たちは、主が戻って来られる前夜にいます。悪がますますはびこります。誘惑が多くなります。そして、神の家からさばきが行なわれます。私たちは目を覚ましていなければいけませんが、同時に、主の御霊によって力強く前進することもできます。主はご自分の仕事を完了させたいと願われているからです。私たちはどっちにつかなければいけません、主につくか、それとも世の流れに自分の身を任せるか、のどちらかです。


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