歴代誌第二30−33章 「大勝利と大失敗」


アウトライン

1A 宗教改革 30−31
   1B 全イスラエルの祭り 30
      1C 残された者 1−12
      2C 大きな喜び 13−27
   2B 祭司制度の復活 31
      1C 什一献金 1−10
      2C 組ごとの奉仕 11−21
2A 繁栄による腐敗 32−33
   1B 高ぶり 32
              1C 敵への勝利 1−23
      2C 自分に向けられた心 24−33
   2B 堕落 33
      1C 神のあわれみ 1−20
      2C 謀反による死 21−25

本文

 歴代誌第二30章を開いてください、今日は30章から33章までを学びます。ここでのテーマは、「大勝利と大失敗」です。ユダの国の中でもっとも成功したヒゼキヤの治世と、もっとも退廃したマナセの治世の二つを学びます。

1A 宗教改革 30−31
1B 全イスラエルの祭り 30
1C 残された者 1−12
30:1 さて、ヒゼキヤは全イスラエルとユダに使いを遣わし、またエフライムとマナセに手紙を書いて、エルサレムにある主の宮に来て、イスラエルの神、主に過越のいけにえをささげるよう呼びかけた。

 前回の学びで、ヒゼキヤが王となってからすぐに、宗教改革に取り組んだところを学びました。彼はすぐに、父アハズによって汚された神殿の内部をきよめるように祭司とレビ人に命じました。それから一般の人々も交えて、いけにえをささげました。初めは罪のためのいけにえ、その次に献身を表わす全焼のいけにえ、それから感謝を表わす全焼のいけにえと和解のいけにえをささげました。初めに罪の悔い改め、そして献身の表明、それから感謝と交わりです。

 そしてヒゼキヤは次に、過越の祭りを敢行しました。過越の祭りは、イスラエルの初めの祭りであり、もっとも大事な祭りですが、初めのものを初めに持ってくるという、ヒゼキヤの正しい優先順位が示されています。

30:2 王とそのつかさたちとエルサレムの全集団は、第二の月に過越のいけにえをささげようと決議した。30:3 というのは、身を聖別した祭司たちは十分な数に達しておらず、民もエルサレムに集まっていなかったので、そのときには、ささげることができなかったからである。

 過越の祭りは第一の十四日に行なわれます。けれども、死体にふれたり、遠い旅路に出ていたりしてその月に過越のいけにえをささげることができなかったイスラエル人には、第二の月の十四日にささげるようにという主の命令が、民数記9章11節にあります。そこでヒゼキヤは、奉仕する祭司が十分な数に達しておらず、人々もエルサレムに集まっていなかったので、第二の月に過越を守るという主の戒めに準じました。

30:4 こうして、王と、全集団がこれを正しいと見たので、30:5 彼らはベエル・シェバからダンに至るまで、全イスラエルにおふれを出し、上って来て、エルサレムでイスラエルの神、主に過越のいけにえをささげるよう呼びかけることに決定した。しるされているとおりにささげる者が、多くはいなかったからである。

 すごいですね、ヒゼキヤはユダだけでなく北イスラエルを含めたすべての地域に、過越の祭りに参加するよう呼びかけています。この時点で、すでに北イスラエルはアッシリヤによって滅ぼされています。イスラエル人の多くの者はアッシリヤに捕らえ移されましたが、けれどもそこにそのまま残っている人たちもいました。(そしてアッシリヤの政策によって、異国人が北イスラエルのところに住まわされ、イスラエル人と異邦人の混血児が生まれ、それがサマリヤ人でした。)

 すでに滅ぼされた国に対しても、ヒゼキヤはあきらめたり、気落ちしたりせず、神さまがイスラエル全体に対して約束を与えられたのだからその通りにやってみようとする勢いがあります。私たちは、あまりにも以前に比べて変わり果てた人たちに対して、あきらめてしまいますが、けれども、その人たちのために神は御子を遣わし、死に渡されたことを思えば、誰に対してもあきらめてはいけないのです。

30:6 そこで、近衛兵は、王とそのつかさたちの手紙を携えて、イスラエルとユダの全土を行き巡り、王の命令のとおりに言った。「イスラエルの人たちよ。アブラハム、イサク、イスラエルの神、主に立ち返りなさい。そうすれば、主は、あなたがたに残された、アッシリヤの王たちの手をのがれた者たちのところに、帰って来てくださいます。30:7 あなたがたは、父祖の神、主に対して不信の罪を犯したあなたがたの父たち、兄弟たちのようになってはいけません。あなたがたが自分の目で見ているとおり、主は彼らを恐怖に渡されたのです。

 アッシリヤによる捕囚は、本当に恐ろしいものでした。彼らは一度征服した民をものすごい残虐な方法で殺したり、虐げたりすることで、人々を恐怖に陥れて、反抗できなくさせる方法を取っていました。

30:8 今、あなたがたは、自分の父たちのようにうなじのこわい者であってはなりません。主に服従しなさい。主がとこしえに聖別された聖所にはいり、あなたがたの神、主に仕えなさい。そうすれば、主の燃える怒りがあなたがたから離れるでしょう。30:9 あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたの兄弟や子たちは、彼らをとりこにした人々のあわれみを受け、この地に帰って来るでしょう。あなたがたの神、主は、情け深く、あわれみ深い方であり、もし、あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたから御顔をそむけるようなことは決してなさいません。」

 主はあわれみ深い方だから、今、神に立ち返るなら必ず捕え移された人々は帰ってくる、という慰めのメッセージを伝えました。

30:10 こうして、近衛兵は、エフライムとマナセから、ゼブルンの地に至るまで、町から町へと行き巡ったが、人々は彼らを物笑いにし、あざけった。

 アッシリヤという恐怖を通しても、なお彼らは心をかたくなにしていました。黙示録で、大患難において恐怖の悪霊の攻撃を人々が受けました。さそりのような毒を持ち、騎兵の馬のような格好をした悪霊どもが彼らを襲ったにも関わらず、黙示録9章最後のところを読みますと、こうあります。「これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。(黙示録9:20-21」非常にかたくなな心です。

30:11 ただ、アシェル、マナセおよびゼブルンのある人々はへりくだって、エルサレムに上って来た。30:12 また、ユダには、神の御手が臨み、人々は心を一つにして、主のことばのとおりに王とそのつかさたちの命令を行なった。

 すばらしいです大勢の人々は拒んだけれども、神はこのようにご自分を信じる人々を残してくださっています。そしてユダの人々も主の御手によって心を一つにして、王の命令を守りました。

2C 大きな喜び 13−27
30:13 こうして、多くの民が第二の月に、種を入れないパンの祭りを行なおうとエルサレムに集まった。おびただしい大集団であった。

 種を入れないパンは、過越の祭りに続けて行なわれます。しばしば過越の祭りは、種なしパンの祝いと一対で語られます。

30:14 彼らは立ち上がり、エルサレムにあった祭壇を取り除き、すべての香の壇を取り除いて、キデロン川に投げ捨てた。30:15 そして、第二の月の十四日に、過越のいけにえをほふった。祭司とレビ人は恥じて身を聖別し、全焼のいけにえを主の宮に携えて来た。

 祭司とレビ人が恥じたのは、おそらくここまで人々が神さまに立ち返ると思っていなかったからでしょう。自分たちは過越のいけにえを一応用意しておいたが、さてどれだけ来るのか分かりませんでした。けれども、人々がこんなにも主に応答しているので、自分たちの不信仰を恥じたのかもしれません。

30:16 彼らは、神の人モーセの律法に従って、おのおのその定めの場所に立った。祭司はレビ人の手から受け取った血を注いだ。30:17 集団の中には、身を聖別していなかった者が多かったので、レビ人が、きよくないすべての人々のために、過越のいけにえをほふる役目につき、これを聖別して主にささげた。

 きよくないというのは、水洗いなど、きよめの儀式をしていない人々のことです。

30:18 民のうち大ぜいの者、すなわち、エフライムとマナセ、イッサカルとゼブルンの多くの者は、身をきよめておらず、しかも、しるされているのと異なったやり方で、過越のいけにえを食べてしまったので、ヒゼキヤは、彼らのために祈って言った。「いつくしみ深い主よ。このことの贖いをしてください。30:19 彼らは、心を定めて神、彼らの父祖の神、主を求めたのですが、聖なるもののきよめのとおりにはいたしませんでした。」30:20 主はヒゼキヤの願いを聞かれ、民をいやされた。

 ユダの人たち以上に、北イスラエルから来た人々は身のきよめを行なっていませんでした。彼らは神の知識もほとんど与えられないままずっと生きていましたから、間違ったことを行なったのです。そのためヒゼキヤがとりなしをしています。そしてその祈りは聞かれました。

 私たちが、主の寛容さをもって人々に接するときに、似たような問題が起こります。神の知識を持っている自分たちだけの仲間でいるなら、何かやり方を間違える問題は起こりませんが、主はあらゆる人々を、特に失われた人々がご自分のところに来ることを強く願っておられます。だから、人々が救われてキリストに従いはじめるとき、主についての詳しい知識を知らないので、本来ならやってはいけないこともやってしまうことがあるでしょう。けれども、主は、ヒゼキヤのような祈りを聞かれます。細々した規則よりも、主に応答する心を神は重んじておられるからです。

30:21 こうして、エルサレムにいたイスラエル人は、大きな喜びをもって七日の間、種を入れないパンの祭りを行なった。レビ人と祭司は、毎日、主に向かって強い調べの楽器をかなで、主をほめたたえた。30:22 ヒゼキヤは、主の務めによく通じているすべてのレビ人の心に語りかけた。そこで彼らは、和解のいけにえをささげ、彼らの父祖の神、主に告白をしつつ、七日間、祝いの食物にあずかった。

 種なしパンの祝いが、本当に喜ばしい祝い事になりました。罪を悔い改めて、主に立ち返るところに、真の喜びがあります。これまで悩ましていた罪を取り除くことによって、真心から神を喜べる心が与えられます。

30:23 それから、全集団は、あと七日間祭りを行なうことを決議し、喜びをもって七日間、祭りを行なった。

 集まった人々は、あまりにも嬉しかったので、さらに七日間祭りを行なおうと言いだしました。本当に喜び、燃え上がっています。

30:24 ユダの王ヒゼキヤは集団に一千頭の雄牛と七千頭の羊を贈り、つかさたちは集団に雄牛一千頭と羊一万頭を贈り、多くの祭司は身を聖別した。

 王とつかさたちは、自腹を切っていけにえのための費用を捻出しました。

30:25 こうして、ユダの全集団と祭司とレビ人、およびイスラエルから来た全集団、イスラエルの地から来た在留異国人、ユダに在住している者たちは、喜んだ。30:26 エルサレムには大きな喜びがあった。イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの時代からこのかた、こうしたことはエルサレムになかった。

 ダビデの子ソロモンの時にまさる、ユダにおける最大の霊的復興が起こりました。

30:27 それから、レビ人の祭司たちが立ち上がって民を祝福した。彼らの声は聞き届けられ、彼らの祈りは、主の聖なる御住まい、天に届いた。

 彼らは神殿に集まっていましたが、まことの聖所は天にあります。彼らが神殿で行なっていたことは、天におられる神をも喜ばせていました。

2B 祭司制度の復活 31
 リバイバルはさらに続きます。

1C 什一献金 1−10
31:1 これらすべてのことが終わると、そこにいた全イスラエルは、ユダの町々に出て行き、石の柱を打ちこわし、アシェラ像を切り落とし、全ユダとベニヤミンの中から、エフライムとマナセの中から、高き所と祭壇を取りこわして、絶ち滅ぼした。そして、イスラエル人はみな、おのおのその所有地、それぞれの町へ帰って行った。

 祭りの後に、さらに偶像とその祭壇を絶ち滅ぼして家に帰りました。

31:2 ヒゼキヤは、祭司とレビ人の組を定め、祭司とレビ人に、それぞれその奉仕に応じて、おのおのの組ごとに、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげさせ、さらに、主の宿営の門で仕え、感謝し、ほめたたえさせた。31:3 また、主の律法にしるされているとおりに、朝夕の全焼のいけにえ、安息日、新月の祭り、例祭ごとにささげる全焼のいけにえのため、王の分は王の財産から出した。

 ダビデが定めた祭司の組ごとの奉仕を復活させています。

31:4 さらに彼は、エルサレムに住む民に、祭司とレビ人の分を与えるように命じた。祭司とレビ人が主の律法に専念するためであった。31:5 この命令が広まるとともに、イスラエルの人たちは、穀物、新しいぶどう酒、油、蜜など、すべての野の収穫の初物をたくさん持って来た。彼らはすべてのものの十分の一を豊富に携えて来た。31:6 ユダの町々に住むイスラエルと、ユダの人たちもまた、牛や羊の十分の一と、彼らの神、主に聖別した聖なるささげ物の十分の一を携えて来て、あちらこちらに山と積んだ。31:7 第三の月に、彼らは積み始め、第七の月に終わった。

 律法には、祭司とレビ人が決められたとおりに奉仕し主への礼拝に専念するため、神は一般のイスラエル人が十分の一の収穫をもって彼らの生活を支えるようにと命令しています。そこでヒゼキヤは醵金をすることを呼びかけました。そうしたら、次々と収穫物が運ばれてきました。

31:8 ヒゼキヤとつかさたちは、はいって来て、積んだ山を見、主とその民イスラエルをほめたたえ、祝福した。31:9 それから、ヒゼキヤは、その積んだ山について、祭司とレビ人に説明を求めた。31:10 すると、ツァドクの家のかしら、祭司アザルヤが彼に答えて言った。「人々が奉納物を主の宮に携えて来始めてから、食べて、満ち足り、たくさん残りました。主が御民を祝福されたからです。その残りがこんなにたくさんあるのです。」

 ものすごいですね、献金があまりにも集まって、彼らの生活の費用にあり余るほどになりました。

2C 組ごとの奉仕 11−21
31:11 そこで、ヒゼキヤが主の宮の脇部屋を整えるよう命じたので、彼らは整えて、31:12 その奉納物と十分の一と聖なるささげ物を忠実に携え入れた。彼らを指図したつかさは、レビ人カナヌヤであり、その兄弟シムイは、副指揮者であった。31:13 エヒエル、アザズヤ、ナハテ、アサエル、エリモテ、エホザバデ、エリエル、イスマクヤ、マハテ、ベナヤは、ヒゼキヤ王と神の宮のつかさアザルヤの任命によって、カナヌヤとその兄弟シムイを助けて、管理者となった。

 彼らは、あり余るほどの祝福を乱用することなく、忠実に分配できるよう手配を具体的に行ないました。

31:14 また、レビ人イムナの子コレは東の門の門衛であったが、神に進んでささげるささげ物をつかさどり、主の奉納物と最も聖なるささげ物を分配した。31:15 彼の下には、エデン、ミヌヤミン、ヨシュア、シェマヤ、アマルヤ、シェカヌヤがいて、忠実に祭司の町々にとどまり、彼らの兄弟たちに、各組にしたがい、上の者にも下の者にも分配した。

 祭司の町々はイスラエルの土地に分散していましたが、すべての人に分配できるように整えられました。

31:16 ただし、三歳以上の男子で、すべて毎日の日課として、組ごとに任務につき奉仕に当たるために、主の宮にはいる者として系図に載せられた人々は、別であった。31:17 父祖の家ごとに祭司として系図に載せられた者、および、二十歳以上のレビ人で系図に載せられた者で、組別にその任務につく人々も別であった。

 現代奉仕している祭司、レビ人だけでなく、将来奉仕につく三歳以上の祭司の子、また二十歳以上のレビ人も分配を受けました。将来の奉仕にためにも、その生活の支えを与えました。

31:18 また、全集団のうち、すべて系図に載せられた幼児、妻たち、息子たち、娘たちに分配した。彼らは、聖なるささげ物を、忠実に、聖なる物として扱ったからである。

 祭司やレビ人の家族もまた生活の支えを受けます。

31:19 おのおのの町の放牧地の野にいたアロンの子らである祭司たちのためには、どの町にも、その名の示された者たちがいて、祭司たちのすべての男子、および、レビ人ですべて系図に載せられている者に、その受ける分を与えた。31:20 ヒゼキヤはユダ全国にこのように行ない、その神、主の目の前に、良いこと、正しいこと、誠実なことを行なった。31:21 彼は、彼が始めたすべてのわざにおいて、すなわち、神の宮の奉仕、律法、命令において神に求め、心を尽くして行ない、その目的を果たした。

 こうしてヒゼキヤの宗教改革を読みましたが、列王記の同じヒゼキヤの治世の記述、さらに祭司やレビ人が行なう奉仕について述べられていました。今、歴代誌を編纂しているのはバビロン捕囚後のレビ人です。ヒゼキヤを模範にした改革が必要であることを強調したかったのでしょう。霊的力、特に礼拝における力がすべてを左右します。

2A 繁栄による腐敗 32−33
 そこで、ヒゼキヤのために主がご自分の力を現わす部分を次に読みます。

1B 高ぶり 32
1C 敵への勝利 1−23
32:1 これらの誠実なことが示されて後、アッシリヤの王セナケリブが来て、ユダにはいり、城壁のある町々に対して陣を敷いた。そこに攻め入ろうと思ったのである。

 誠実なことを起こって後に敵が攻め入ろうとしています。これまでイスラエルが敵に攻められるとき、イスラエルが神の前に悪を行なっていた時でしたが、確かに私たちが肉の働きに従事すると、悪魔の攻撃にさらされます。けれども、それだけでなく霊の戦いがあります。御霊に導かれて歩むと、敵は何とかして自分の領域を守り、拡大しようとして躍起になります。ヒゼキヤの場合がそうでした。

32:2 ヒゼキヤは、セナケリブが攻め入って、エルサレムに向かって戦おうとしているのを見たので、32:3 彼のつかさたち、勇士たちと相談し、この町の外にある泉の水をふさごうとした。彼らは王を支持した。32:4 そこで、多くの民が集まり、すべての泉と、この地を流れている川をふさいで言った。「アッシリヤの王たちに、攻め入らせ、豊富な水を見つけさせてたまるものか。」

 エルサレムやイスラエルの地域は、水が不足している乾燥地域です。アッシリヤがエルサレムを包囲しても、彼らに水がなければ長続きしません。そこで、泉や川をふさぐことをヒゼキヤは考えました。現在、観光要所になっているところで「ヒゼキヤのトンネル」というのがあります。ギホンの泉から地下水道をつくりました。シロアムの池の側からもトンネルを掘っていき、途中でかち合うようにして両方から掘りました。現在も水が流れており、その中を通り抜けることもできます。

32:5 それから、彼は奮い立って、くずれていた城壁を全部建て直し、さらに、やぐらを上に上げ、外側にもう一つの城壁を築き、ダビデの町ミロを強固にした。そのうえ、彼は大量の投げ槍と盾を作った。32:6 彼は、民の上に戦時の隊長たちを立て、彼らを町の門の広場に召集し、彼らに励ましのことばを与えて言った。32:7 「強くあれ。雄々しくあれ。アッシリヤの王に、彼とともにいるすべての大軍に、恐れをなしてはならない。おびえてはならない。彼とともにいる者よりも大いなる方が私たちとともにおられるからである。32:8 彼とともにいる者は肉の腕であり、私たちとともにおられる方は、私たちの神、主、私たちを助け、私たちの戦いを戦ってくださる方である。」民はユダの王ヒゼキヤのことばによって奮い立った。

 先に説明しましたように、ヒゼキヤはこれが霊の戦いであることを知っていました。霊的存在であられる神に対して、肉の武器をもってアッシリヤが立ち向かっていることを認識していました。だから、自分たちは最善の準備をしましたが、私たちが肉の武器で戦うのではなく主が戦ってくださいます。

32:9 この後、アッシリヤの王セナケリブは、その家来たちをエルサレムに遣わして、・・彼自身はその全軍を率いてラキシュを攻めていた。・・ユダの王ヒゼキヤとエルサレムにいたすべてのユダの人々に向かって言わせた。32:10 「アッシリヤの王セナケリブはこう言っておられる。おまえたちは何に拠り頼んで、エルサレムの包囲の中でじっとしているのか。32:11 ヒゼキヤは、『私たちの神、主は、アッシリヤの王の手から私たちを救い出される。』と言って、おまえたちをそそのかし、飢えと渇きで、おまえたちを死なせようとしているではないか。32:12 あの主ではないのか。その高き所と祭壇をヒゼキヤは取り除いておいて、ユダとエルサレムに向かい、『あなたがたは、ただ一つの祭壇の前で拝み、その上で香をたかなければならない。』と言ったのだ。

 セナケリブの家来が、エルサレムの住民に対して脅しの文句を垂れ始めました。彼らの文句は、実に異教徒らしいです。ヒゼキヤが教えている主は、非常に排他的な神だ。高き所や祭壇を取り除いておいて、ヤハウェ神だけ拝めと命じている、という文句です。日本の中で、一神教がいかに排他的であるかが今も昔も語られていましたが、まさしくアッシリヤの高ぶりの言葉と同一であります。

32:13 おまえたちは、私と私の先祖たちが地のすべての国々の民に対して、何をしてきたかを知らないのか。地の国々の神々が彼らの国を私の手から救い出すことができたか。32:14 私の先祖たちが聖絶したこれらの国々の神々のうち、どの神が私の手からその民を救い出すことができたか。おまえたちの神が私の手からおまえたちを救い出すことができるというのか。32:15 今、おまえたちは、ヒゼキヤにごまかされるな。このようにそそのかされてはならない。彼を信じてはならない。どのような国、どのような王国のどのような神も、その民を私の手から、私の先祖たちの手から救い出すことはできない。まして、お前たちの神は、おまえたちを私の手から救い出すことはできない。」

 他の神々はその国の者たちを救うことができたのか?という文句も、彼がまことの創造主と偶像との違いを混同しているからですね。私たちも同じようなプレッシャーを周囲から受けます。私たちが主イエス・キリストを信じていると、単なる他の宗教の神頼みと変わらないとします。

32:16 彼の家来たちは、なおも、神である主とそのしもべヒゼキヤに逆らって弁舌をふるった。32:17 彼は手紙を書いて、イスラエルの神、主をそしり、主に逆らって言った。「私の手から自分たちの民を救い出さなかった地の国々の神々と同じように、ヒゼキヤの神も、その民を私の手から救い出せない。」32:18 さらに、彼らは城壁の上にいたエルサレムの民に向かい、ユダのことばで大声に呼ばわり、彼らを恐れさせ、おじけさせて、この町を取ろうとした。32:19 このように、彼らは、エルサレムの神について、人の手で造ったこの地の民の神々についてと同じように、語ったのである。

 セナケリブの家来たちは、さらに追い討ちをかけて、手紙を送り、またエルサレムの住民に対してヘブル語で語りました。

32:20 そこで、ヒゼキヤ王とアモツの子預言者イザヤは、このことのゆえに、祈りをささげ、天に叫び求めた。

 ヒゼキヤにとってイザヤは教師のような存在でした。彼に自分のつらさをイザヤに持っていき、イザヤはヒゼキヤとともに主に祈ったのです。

32:21 すると、主はひとりの御使いを遣わし、アッシリヤの王の陣営にいたすべての勇士、隊長、首長を全滅させた。そこで、彼は恥じて国へ帰り、彼の神の宮にはいったが、自分の身から出た子どもたちが、その所で、彼を剣にかけて倒した。

 列王記第二とイザヤ書に、この話が少し詳しく載っています。ひとりの御使いによって、アッシリヤの陣営から18万5千人の死者が出ました。またセナケリブの息子二人が、彼が自分の神を礼拝している最中に殺しました。確かに、神々は彼を救いませんでした。

32:22 こうして、主は、アッシリヤの王セナケリブの手、および、すべての者の手から、ヒゼキヤとエルサレムの住民とを救い、四方から彼らを守り導かれた。32:23 多くの人々が主への贈り物を携え、ユダの王ヒゼキヤに贈るえりすぐりの品々を持って、エルサレムに来るようになり、この時以来、彼はすべての国々から尊敬の目で見られるようになった。

 アッシリヤの圧制はイスラエルだけでなく、他の周辺諸国も悩まされていたので、ヒゼキヤが勝利したので、彼らは喜んでヒゼキヤに贈り物を持ってきました。そしてヒゼキヤを尊敬しました。このような中で、次の悲しむべき出来事が起こります。

2C 自分に向けられた心 24−33
32:24 そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかったが、彼が主に祈ったとき、主は彼に答え、しるしを与えられた。

 列王記の中にこの内容が詳しく書かれています。自分の命がなくなるとイザヤに宣言されたとき、主を思うことなく、自分の命が延びることだけを祈りました。それでも主はその祈りに答えてくださいました。ここの「しるし」とは、日時計が十度だけ戻ったしるしです。

32:25 ところが、ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みにしたがって報いようとせず、かえってその心を高ぶらせた。そこで、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った。32:26 しかしヒゼキヤが、その心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼およびエルサレムの住民もそうしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった。

 この高ぶりは具体的に何をさしているのか分かりませんが、もしかしたら、後に出てくるバビロンに自分の富をすべてひけらかせたことなのかもしれません。いずれにしても、ここまで主を求めユダを神に立ち返らせたヒゼキヤが、高ぶりの前で滅びかけたのですから、人がいかに弱い存在かを知らされます。

32:27 さて、ヒゼキヤは、富と誉れに非常に恵まれた。彼は銀、金、宝石、バルサム油、盾、すべての尊い器を納める宝物倉、32:28 穀物、新しいぶどう酒、油の収穫のための倉庫、および、すべての家畜のそれぞれの小屋、群れの小屋を造った。32:29 彼は町々を建て、羊や牛の家畜もおびただしいものであった。神が、非常に多くの財産を彼に与えられたからである。

 この富が彼を迷わせました。

32:30 このヒゼキヤこそ、ギホンの上流の水の源をふさいで、これをダビデの町の西側に向けて、まっすぐに流した人である。こうして、ヒゼキヤはそのすべての仕事をみごとに成し遂げた。32:31 バビロンのつかさたちが彼のもとに代言者を遣わし、この地に示されたしるしについて説明を求めたとき、神は彼を試みて、その心にあることをことごとく知るために彼を捨て置かれた。

 高ぶったヒゼキヤが、バビロンにすべてのものを見せるようにさせましたが、それは神が彼を試みて、その心のあることをことごとく知るために捨て置かれたからだ、とあります。非常に厳粛な言葉です。私たちの心の高ぶりは、時に他人に知られないままでいることができるでしょう。けれども、一体何を考え、何を持っているのかを露にすることによって、その高ぶりを砕かれようと神がなさる時があります。普段は隠し覆うことができても、自分の財産はこれだけあるのだと見栄を張ることによって、自分は金や富を求めていることが露にされたのです。

32:32 ヒゼキヤのその他の業績、その忠実な行ないは、アモツの子預言者イザヤの幻、すなわちユダとイスラエルの王たちの書に、まさしくしるされている。32:33 こうして、ヒゼキヤは彼の先祖たちとともに眠り、人々は彼をダビデの子らの墓地の上り坂に葬った。ユダのすべての人々とエルサレムの住民は、彼が死んだとき、彼に栄光を与えた。彼の子マナセが代わって王となった。

 ヒゼキヤは本当にすばらしい王様でした。けれども、晩年の失敗によって、ユダの歴史において致命的な外傷を与える結果となりました。それはマナセです。ヒゼキヤが寿命をのばしてほしいと願って、15年延びましたが、その間に生まれたのがマナセです。彼が祖父アハズが行なったこととまったく同じことをしでかします。

2B 堕落 33
1C 神のあわれみ 1−20
33:1 マナセは十二歳で王となり、エルサレムで五十五年間、王であった。33:2 彼は、主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の忌みきらうべきならわしをまねて、主の目の前に悪を行なった。33:3 彼は、父ヒゼキヤが取りこわした高き所を築き直し、バアルのために祭壇を立て、アシェラ像を造り、天の万象を拝み、これに仕えた。33:4 彼は、主がかつて、「エルサレムにわたしの名がとこしえにあるように。」と言われた主の宮に、祭壇を築いたのである。33:5 こうして、彼は、主の宮の二つの庭に、天の万象のために、祭壇を築いた。33:6 また、彼はベン・ヒノムの谷で、自分の子どもたちに火の中をくぐらせ、卜占をし、まじないをし、呪術を行ない、霊媒や口寄せをして、主の目の前に悪を行ない、主の怒りを引き起こした。

 彼はアハズが行なったことと同じことをしました。アシェラ像とバアルの祭壇を立て、また自分の子らを火にくぐらせることを行ないました。さらに、天の万象を拝んでいます。太陽や月、星を拝む宗教はバビロンを起源としていますが、もしかしたらヒゼキヤのところにバビロンの使者たちがやってきたときに、これらの占いのような資料をユダに置いていったのかもしれません。そしてこれらのことを、こともあろうに神殿の敷地の中で行ないました。

33:7 さらに、彼は自分が造った偶像の彫像を神の宮に安置した。神はかつてこの宮について、ダビデとその子ソロモンに言われた。「わたしは、この宮に、わたしがイスラエルの全部族の中から選んだエルサレムに、わたしの名をとこしえに置く。33:8 もし彼らが、わたしの命じたすべてのこと、わたしがモーセを通して与えたすべての律法とおきてと定めとを、守り行ないさえするなら、わたしは、もう二度と、わたしがあなたがたの先祖たちのものと定めた地から、イスラエルを取り除かない。」

 けれども、彼らは約束の土地から取り除かれました。その理由は、主がご自分の名を置くと言われたところを汚し、モーセの律法をないがしろにしたからです。

33:9 しかし、マナセはユダとエルサレムの住民を迷わせて、主がイスラエル人の前で根絶やしにされた異邦人よりも、さらに悪いことを行なわせた。

 異邦人よりも悪いことをしました。最近、信者の少女に暴行を働いていた牧師が逮捕されましたが、一般社会常識以下のことをマナセは行なっていました。

33:10 主はマナセとその民に語られたが、彼らは聞こうともしなかった。33:11 そこで、主はアッシリヤの王の配下にある将軍たちを彼らのところに連れて来られた。彼らはマナセを鉤で捕え、青銅の足かせにつないで、バビロンへ引いて行った。

 この記述は列王記にはありませんが、起こりました。一時的にマナセはアッシリヤによって、バビロンの地域に捕え移されました。

33:12 しかし、悩みを身に受けたとき、彼はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大いにへりくだって、33:13 神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうして、マナセは、主こそ神であることを知った。

 神のあわれみはどこまで深いのでしょうか!一般社会常識以下の、悪いことを行なっていたマナセを神は見捨てておられなかったのです。私たちには、霊的に立ち返る余地を残さないような制裁は許されていません。どんなに悪いことをした人でも、第二の機会は用意されているのです。

33:14 その後、彼はダビデの町に外側の城壁を築いた。それはギホンの西側の谷の中に、さらには、魚の門の入口に達し、オフェルを取り巻いた。彼はこれを非常に高く築き上げた。そして、彼はすべてのユダの城壁のある町々に将校を置いた。33:15 さらに、彼は主の宮から外国の神々と偶像、および、彼が主の宮のある山とエルサレムに築いたすべての祭壇を取り除いて、町の外に投げ捨てた。33:16 そして、主の祭壇を築き、その上で和解のいけにえと感謝のいけにえをささげ、ユダに命じてイスラエルの神、主に仕えさせた。

 これも列王記に書かれていませんでしたが、マナセは悔い改めにふさわしい実を結んでいました。自分が行なったことをみな精算しています。

33:17 しかし、民は、彼らの神、主にではあったが、高き所でなおいけにえをささげていた。

 神殿ではないところでいけにえをささげていました。主を知っていましたが、その方法がこの世的でした。

33:18 マナセのその他の業績、彼が神にささげたその祈り、イスラエルの神、主の名によって彼に語った先見者たちのことばは、まさしくイスラエルの王たちの言行録にある。33:19 彼の祈り、その願いが聞き入れられたこと、および、彼がへりくだる前に犯したその罪、その不信の罪、高き所を築き、アシェラ像と刻んだ像を立てた場所については、ホザイの言行録にまさしくしるされている。33:20 マナセは彼の先祖たちとともに眠り、人々は彼をその家に葬った。彼の子アモンが代わって王となった。

 そして次にアモンのことについて書いてあります。

2C 謀反による死 21−25
33:21 アモンは二十二歳で王となり、エルサレムで二年間、王であった。33:22 彼は、その父マナセが行なったように、主の目の前に悪を行なった。彼は、その父マナセが造ったすべての刻んだ像にいけにえをささげ、これに仕えた。33:23 彼はその父マナセがへりくだったようには、主の前にへりくだらず、かえって、彼アモンは罪過を大きくした。

 マナセのようには悔い改めませんでした。

33:24 彼の家来たちは彼に謀反を起こし、その宮殿の中で彼を殺した。33:25 しかし、民衆はアモン王に謀反を起こした者をみな打ち殺した。民衆はアモンの子ヨシヤを代わりに王とした。

 これまでの歴史の繰り返しです。主に逆らっている王は謀反の死を遂げることがほとんどでした。そして謀反を起こした者たちも後で制裁の死を遂げています。

 こうして一気に引き上げられたユダの国が、一気に引き下げられるところを読みました。ここから私たちが教えられることは、何にもまして自分の心を守らなければいけない、高ぶりの罪から守らなければいけないことです。ヒゼキヤの最後の高ぶりが、ユダの国を致命的にしてしまいました。最後に詩篇の言葉を読んで終わりにします。「あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。(詩篇19:13


「聖書の学び 旧約」に戻る
HOME