サムエル記第二1−2章 「サウルの死後」


アウトライン

1A ダビデの哀悼
   1B アマレク人による報告 1−16
   2B ダビデの哀歌 17−27
2A ヘブロンでの王位
   1B ユダとイスラエルの家 1−11
   2B 内乱 12−32

本文

 サムエル記第二1章を開いてください。今日からサムエル記第二を読みます。今日は1章から2章までを学びます。ここでのテーマは、「サウルの死後」です。サムエル記第一にて、私たちは士師たちがイスラエルを導いた時代から、人が王として立てられる王政へと移行したことについて学びました。そしてサウルが王として立てられ、また王として神から退けられ、最後に死んだところまで学びました。サムエル記第二は、サウルの死後、ダビデがイスラエルの王となり、統治を始めるところを読みます。

1A ダビデの哀悼
1B アマレク人による報告 1−16
1:1 サウルの死後、ダビデはアマレク人を打ち破って帰り、二日間、ツィケラグに滞在した。

 前回の話を思い出してください、ダビデの信仰が復興しました。ペリシテ人のアキシュのところにいたダビデですが、自分たちが住んでいた町、ツィケラグがアマレク人によって火がつけられ、自分たちのもの、妻たち、子どもまでがみな連れ去られてしまいました。けれどもダビデは主にあって奮い立ち、アマレク人からそれらのものをみな奪還しました。一方サウルは、ペリシテ人との戦いに敗れ、自害しました。

 サムエル記第二は、ダビデがアマレク人を打ち破ってから、ツィケラグに戻ってきてからの話から始まります。

1:2 三日目に、突然、ひとりの男がサウルの陣営からやって来た。その着物は裂け、頭には土をかぶっていた。彼は、ダビデのところに来ると、地にひれ伏して、礼をした。

着物が裂けて、頭に土をかぶっている姿は、悲しむべきことが起こったことのしるしです。

1:3 ダビデは言った。「どこから来たのか。」彼はダビデに言った。「イスラエルの陣営からのがれて来ました。」1:4 ダビデは彼に言った。「状況はどうか、話してくれ。」すると彼は言った。「民は戦場から逃げ、また民の多くは倒れて死に、サウルも、その子ヨナタンも死にました。」1:5 ダビデは、その報告をもたらした若者に言った。「サウルとその子ヨナタンが死んだことを、どうして知ったのか。」

 ダビデはサウルとヨナタンのことを気にかけています。それで、どうして彼らが死んだことを知っているのかを聞いています。

1:6 報告をもたらした若者は言った。「私は、たまたま、ギルボア山にいましたが、ちょうどその時、サウルは槍にもたれ、戦車と騎兵があの方に押し迫っていました。1:7 サウルが振り返って、私を見て呼びました。私が『はい。』と答えると、1:8 サウルは私に、『おまえはだれだ。』と言いましたので、『私はアマレク人です。』と答えますと、1:9 サウルが、『さあ、近寄って、私を殺してくれ。まだ息があるのに、ひどいけいれんが起こった。』と言いました。1:10 そこで私は近寄って、あの方を殺しました。もう倒れて生きのびることができないとわかったからです。私はその頭にあった王冠と、腕についていた腕輪を取って、ここに、あなたさまのところに持ってまいりました。」

 この若者の話は、作り事です。なぜならサムエル記第一の最後のところで、「サウルは自分で剣を取り、その上にうつぶせになって倒れた(31:4)」と書かれているからです。王冠と腕輪を持っているということは、彼はサウルとヨナタンが死んでいたのをたまたま通りかかったか、あるいは殺された場面を見ていたかもしれません。彼は、ダビデの敵を殺すのを幇助したことで、ダビデから報酬を得られるとでも思ったのでしょう。そして彼は注意深く、サウルの願いによって安楽死させたことを言っていることにより、自分が殺人の罪を犯したのではないことを説明しています。

 これまでダビデは、確かにサウルの手から逃れていました。そして神が自分とサウルの間をさばいてくださる、と言いました。そして今、サウルが死んだことを聞いて、彼は喜んだでしょうか?彼にはサウルが死んでくれれば、という思いがあって、神のさばきのことを考えていたのでしょうか?いいえ、次をお読みください。

1:11 すると、ダビデは自分の衣をつかんで裂いた。そこにいた家来たちもみな、そのようにした。1:12 彼らは、サウルのため、その子ヨナタンのため、また、主の民のため、イスラエルの家のためにいたみ悲しんで泣き、夕方まで断食した。彼らが剣に倒れたからである。

 ダビデは喜ぶどころか、非常に悲しみました。

1:13 ダビデは自分に報告した若者に言った。「おまえはどこの者か。」若者は答えた。「私はアマレク人で、在留異国人の子です。」

 ダビデが三日前まで戦っていた、あのアマレク人です。そして、サムエルがかつてサウルに、聖絶せよとの神からの命令が出ていた、あのアマレク人です。皮肉にも、(作り話ですが)自分が全滅させなかったアマレク人によって、自分が殺されるという結末を招きました。

 アマレク人は出エジプト記にて、モーセたちが荒野を旅しているときに強奪にやってきた、あの人々です。彼らはつねに、イスラエルの敵でした。神はアマレク人を全滅させよ、との命令を出しておられました。全滅させなければ、自分たちが滅びます。したがってアマレク人は、しばしば私たちの肉の欲望と似ていることが言われます。自分の生活の中に、肉が支配する領域を作っていると、やがてその肉によって自分が滅んでしまう、という教訓です。「肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。(ローマ13:14 口語訳)」とパウロは言いました。

1:14 ダビデは言った。「主に油そそがれた方に、手を下して殺すのを恐れなかったとは、どうしたことか。」1:15 ダビデは若者のひとりを呼んで言った。「近寄って、これを打て。」そこで彼を打ち殺した。1:16 そのとき、ダビデは彼に言った。「おまえの血は、おまえの頭にふりかかれ。おまえ自身の口で、『私は主に油そそがれた方を殺した。』と言って証言したからである。」

 ダビデから褒美を得られると思っていたアマレク人ですが、かえって死罪に処せられました。ここに、ダビデによる徹底した、神にゆだねる姿勢があります。神は確かにサウルを王位から退け、自分が王として油注がれたのですが、彼を実際に王とするのも神がしてくださることである、という強い確信があったのです。アブラハムはかつて、この過ちを犯しました。子孫が与えられるとの約束を受けていましたが、サラが一向に妊娠することがなかったので、彼女がアブラハムに女奴隷ハガルによって子を生んでください、と要求されました。神の約束を自分たちの助けによって実現させようとする試みです。けれどもダビデは、決して自分で王位を確立しようという企てを行わなかったのです。ヤコブは手紙の中で、「主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。(4:10」と言ったとおりです。

そしてダビデは、かつてこう歌いました。「わたしの油注がれた者たちに触れるな。わたしの預言者たちに危害を加えるな。(1歴代16:22」サウルがたとえ間違ったことを行なっても、彼を引き倒そうとする試みは間違っていることを彼は知っていました。神が油注がれた者には、神が立て、神が倒してくださいます。他人が関わるべきことではありません。

2B ダビデの哀歌 17−27
1:17 ダビデは、サウルのため、その子ヨナタンのために、この哀歌を作り、1:18 この弓の歌をユダの子らに教えるように命じた。これはヤシャルの書にしるされている。

 ダビデは歌を作りました。そしてこれを、これから後の世代にも歌わせるように命じました。ヤシュルの書はヨシュア記10章13節で、ヨシュアが日よとどまれ、と歌ったものがヤシュルの書にある、ということで出てきます。ヘブル人の詩を編集した書物のようです。

1:19 「イスラエルの誉れは、おまえの高き所で殺された。ああ、勇士たちは倒れた。」

 イスラエルの誉れとは、サウルとヨナタンのこと。そして「おまえの高き所」とはギルボア山のことです。この山はイスラエル人が住んでいるところにある山でした。

1:20 これをガテに告げるな。アシュケロンのちまたに告げ知らせるな。ペリシテ人の娘らを喜ばせないために。割礼のない者の娘らを勝ち誇らせないために。

 ガテもアシュケロンも、ペリシテ人の主要な町です。彼らを喜ばせるな、と歌っています。

1:21 ギルボアの山々よ。おまえたちの上に、露は降りるな。雨も降るな。いけにえがささげられた野の上にも。そこでは勇士たちの盾は汚され、サウルの盾に油も塗られなかった。

 現在でもギルボア山の北側の山腹は、植林が行なわれず、はげた状態になっています。イスラエルは、荒地に木々を植えていくことによってあの地を豊かにしましたが、そこに植林をしなかった理由は、ダビデのこの哀歌によるものです。

1:22 ただ、殺された者の血、勇士たちのあぶらのほかは。ヨナタンの弓は、退いたことがなく、サウルの剣は、むなしく帰ったことがなかった。1:23 サウルもヨナタンも、愛される、りっぱな人だった。生きているときにも、死ぬときにも離れることなく、わしよりも速く、雄獅子よりも強かった。

 サウルとヨナタンが戦いに巧みであったことを歌っています。

1:24 イスラエルの娘らよ。サウルのために泣け。サウルは紅の薄絹をおまえたちにまとわせ、おまえたちの装いに金の飾りをつけてくれた。

戦いに勝って戻ってくると、女たちは出てきて、喜び踊っていました。その中で彼女たちは、「サウルは千を打ったが、ダビデは万を打った」という言葉が出てきたのですが、サウルはそのようにして出てきた女たちに、略奪品の中から紅の薄絹や金の飾りをつけてあげていたのでしょう。

1:25 ああ、勇士たちは戦いのさなかに倒れた。ヨナタンはおまえの高き所で殺された。1:26 あなたのために私は悲しむ。私の兄弟ヨナタンよ。あなたは私を大いに喜ばせ、あなたの私への愛は、女の愛にもまさって、すばらしかった。

 同性愛を正当化する人が決まって使う箇所がここです。ヨナタンとダビデの間に性的関係があったではないか、と言います。これはとんでもない間違いです。どちらも主を愛している器であり、主は男たちが共に寝れば、二人とも殺されると命じておられます(レビ20:13)。

 ダビデは、自分の妻たちとそれほど関係が深く築くことができなかったのでしょうか、本来あるべき夫婦の深い、人格的、霊的、精神的な絆がさほど結ぶことができなかったのかもしれません。第二サムエル記に妻ミカルが、ダビデが神の前で賛美して踊ったのをさげすむところが出てきますが、心が互いに冷えていたことを伺うことができます。けれども、ヨナタンとの間には、深い友愛がありました。

1:27 ああ、勇士たちは倒れた。戦いの器はうせた。

 こうしてサウルとヨナタンをダビデは悼みましたが、この歌からもダビデは、決してサウルに対して敵意を抱いていなかったことがわかります。彼の詩篇には、激しい怒りや苦しみ、いらだちの感情が表れていますが、けれども彼のすばらしいことは、それを人にぶつけるのではなく、神にぶつけたのです。私たちはとかく、自分の感情を押し殺すか、あるいは人にぶつけるかの間違いを犯します。けれども、神との交わりを深く持っていたダビデは、自分の自然に出てくる感情を主に言い表わしていきながら、なおかつ主に希望を置く姿勢を貫いていました。その結果、彼は、「敵を愛しなさい」という主イエスの言葉を、実践することができたのです。

2A ヘブロンでの王位
1B ユダとイスラエルの家 1−11
2:1 この後、ダビデは主に伺って言った。「ユダの一つの町へ上って行くべきでしょうか。」すると主は彼に、「上って行け。」と仰せられた。ダビデが、「どこへ上るのでしょうか。」と聞くと、主は、「ヘブロンへ。」と仰せられた。

 再びダビデのすぐれた霊性をここに見ることができます。彼は自分で勝手に判断して、動きませんでした。自分が判断する前に、主に伺いを立てていました。イエスさまが、「神の国とその義を第一に求めなさい」と言われましたが、彼は第一に、主がお考えてなっていることを求めたのです。

2:2 そこでダビデは、ふたりの妻、イズレエル人アヒノアムと、ナバルの妻であったカルメル人アビガイルといっしょに、そこへ上って行った。2:3 ダビデは、自分とともにいた人々を、その家族といっしょに連れて上った。こうして彼らはヘブロンの町々に住んだ。

 こうしてダビデは、主が言われるとおりにしてヘブロンに住むことになりました。

2:4 そこへユダの人々がやって来て、ダビデに油をそそいでユダの家の王とした。ヤベシュ・ギルアデの人々がサウルを葬った、ということがダビデに知らされたとき、2:5 ダビデはヤベシュ・ギルアデの人々に使いを送り、彼らに言った。

 覚えていますか、サウルが死んだ後、ペリシテ人が彼の死体をベテ・シャンの城壁にさらしていましたが、ヤベシュ・ギルアデの人々が長い距離を歩き、勇気をもってその地域に入り、サウルの死体を取って、丁重に火葬によってほうむりました。

「あなたがたの主君サウルに、このような真実を尽くして、彼を葬ったあなたがたに、主の祝福があるように。2:6 今、主があなたがたに恵みとまことを施してくださるように。この私も、あなたがたがこのようなことをしたので、善をもって報いよう。2:7 さあ、強くあれ。勇気のある者となれ。あなたがたの主君サウルは死んだが、ユダの家は私に油をそそいで、彼らの王としたのだ。」

ダビデは、この時点でユダの人々の王でしかありません。けれどもダビデは、彼らのその勇気を見て、彼らが自分のもとに忠誠を尽くしてくれることを期待したようです。

2:8 一方、サウルの将軍であったネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテをマハナイムに連れて行き、2:9 彼をギルアデ、アシュル人、イズレエル、エフライム、ベニヤミン、全イスラエルの王とした。

 アブネルは、サウルのいとこでした。そしてサウルの将軍として働いていました。ダビデがサウルが寝ているところから、槍と水差しをこっそり持っていったことを思い出してください。そのときにダビデが、王をきちんと守っていなかったことをアブネルに揶揄しています。そのアブネルが、サウルの子で、おそらくは妾か何かの子でイシュ・ボシェテがいましたが、彼を王としました。イシュ・ボシェテの意味は、「バアルの男」ですが、サウルは後年、バアルを拝んでいたのかもしれません。

 そしてマハナイムは、ヨルダン川の東にある町です。彼らはペリシテ人との戦いで、自分の領地を奪われたため、こうして本拠地を移動させて、イスラエルを支配しようと考えました。

2:10 サウルの子イシュ・ボシェテは、四十歳でイスラエルの王となり、二年間、王であった。ただ、ユダの家だけはダビデに従った。2:11 ダビデがヘブロンでユダの家の王であった期間は、七年六か月であった。

 ダビデのユダと、イシュ・ボシェテのイスラエルの二国になっていた時期が二年ありました。この間、ダビデはイシュ・ボシェテを倒そうと思えば、いくらでも倒すことはできたでしょうか、彼はあえて行いませんでした。先ほどの原則です、主がお立てになるなら、主が引き上げてくださる、という信仰です。

 そしてダビデは、ヘブロンに七年間6ヶ月いました。その間に3章によりますと、七人の妻がおり、息子もそれぞれ生まれたようです。

2B 内乱 12−32
2:12 ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテの家来たちといっしょにマハナイムを出て、ギブオンへ向かった。

 ギブオンはベニヤミンの領地にあります。サウルの生まれ故郷です。

2:13 一方、ツェルヤの子ヨアブも、ダビデの家来たちといっしょに出て行った。こうして彼らはギブオンの池のそばで出会った。一方は池のこちら側に、他方は池の向こう側にとどまった。2:14 アブネルはヨアブに言った。「さあ、若い者たちを出して、われわれの前で闘技をさせよう。」ヨアブは言った。「出そう。」2:15 そこで、ベニヤミンとサウルの子イシュ・ボシェテの側から十二人、ダビデの家来たちから十二人が順番に出て行った。

 アブネルがイスラエルの国を立てたため、内乱のような状態に入りました。彼らは半ば遊びで、半ば真剣な戦いとして、若い者たちによる戦いを行ないました。

2:16 彼らは互いに相手の頭をつかみ、相手のわき腹に剣を刺し、一つになって倒れた。それでその所はヘルカテ・ハツリムと呼ばれた。それはギブオンにある。2:17 その日、戦いは激しさをきわめ、アブネルとイスラエルの兵士たちは、ダビデの家来たちに打ち負かされた。

 ダビデの家来たちのほうが優勢でした。

2:18 そこに、ツェルヤの三人の息子、ヨアブ、アビシャイ、アサエルが居合わせた。アサエルは野にいるかもしかのように、足が早かった。

 ツェルヤは、ダビデの姉妹です(1歴代2:16)。ですからヨアブとアビシャイとアサエルは、ダビデの甥になります。けれどもダビデは末っ子でしたから、もしかしたら彼らはダビデと同年代か、もっと歳を取っていたのかもしれません。

2:19 アサエルはアブネルのあとを追った。右にも左にもそれずに、アブネルを追った。

 ダビデの軍のほうが優勢だったので、勢いづいてアサエルがアブネルを狙っていきました。

2:20 アブネルは振り向いて言った。「おまえはアサエルか。」彼は答えた。「そうだ。」2:21 アブネルは彼に言った。「右か左にそれて、若者のひとりを捕え、その者からはぎ取れ。」しかしアサエルは、アブネルを追うのをやめず、ほかへ行こうともしなかった。2:22 アブネルはもう一度アサエルに言った。「私を追うのをやめて、ほかへ行け。なんでおまえを地に打ち倒すことができよう。どうしておまえの兄弟ヨアブに顔向けができよう。」

 アブネルは、冷静になれ、お前は将軍ヨアブの兄弟だ、殺したくない、と訴えています。けれどもアサエルはあまりにも一途になっており、彼の言うことを聞こうとしません。

2:23 それでもアサエルは、ほかへ行こうとはしなかった。それでアブネルは、槍の石突きで彼の下腹を突き刺した。槍はアサエルを突き抜けた。アサエルはその場に倒れて、そこで死んだ。アサエルが倒れて死んだ場所に来た者はみな、立ち止まった。アサエルが死んでしまいました。2:24 しかしヨアブとアビシャイは、アブネルのあとを追った。彼らがアマの丘に来たとき太陽が沈んだ。アマはギブオンの荒野の道沿いにあるギアハの手前にあった。

 アサエルが殺されたことを知って、兄弟ヨアブとアビシャイは必死になってアブネルを追いました。

2:25 ベニヤミン人はアブネルに従って集まり、一団となって、そこの丘の頂上に立った。2:26 アブネルはヨアブに呼びかけて言った。「いつまでも剣が人を滅ぼしてよいものか。その果ては、ひどいことになるのを知らないのか。いつになったら、兵士たちに、自分の兄弟たちを追うのをやめて帰れ、と命じるつもりか。」2:27 ヨアブは言った。「神は生きておられる。もし、おまえが言いださなかったなら、確かに兵士たちは、あしたの朝まで、自分の兄弟たちを追うのをやめなかっただろう。」

 これ以上、兄弟どおしの戦いが続いて、どうするのか?とアブネルは問いかけています。ヨアブは、確かにそのとおりである、もう止めようと合意しました。

2:28 ヨアブが角笛を吹いたので、兵士たちはみな、立ち止まり、もうイスラエルのあとを追わず、戦いもしなかった。2:29 アブネルとその部下たちは、一晩中アラバを通って行き、ヨルダン川を渡り、午前中、歩き続けて、マハナイムに着いた。2:30 一方、ヨアブはアブネルを追うのをやめて帰った。兵士たちを全部集めてみると、ダビデの家来十九人とアサエルがいなかった。2:31 ダビデの家来たちは、アブネルの部下であるベニヤミン人のうち三百六十人を打ち殺していた。

 圧倒的に、ダビデの軍のほうが勝っていました。さらにダビデのほうが優勢になると、3章1節に書かれています。

2:32 彼らはアサエルを運んで、ベツレヘムにある彼の父の墓に葬った。ヨアブとその部下たちは、一晩中歩いて、夜明けごろ、ヘブロンに着いた。

 ヨアブは停戦に応じましたが、彼はアサエルがアブネルに殺されたことを根に持ちます。そして次の3章で彼を殺してしまいます。それは次回学びたいと思います。

 サムエル記第一にて、ダビデは逃げていたけれども、自分の手でサウルを殺すことは決してありませんでしたが、サムエル記第二においても、彼のその姿はずっと変わりません。サウルが死んだことで、彼の思いは変わらなかったのです。私たちはどうでしょうか?ある難しい状況の中に置かれて、状況が変われば自分の立場も変わるでしょうか?それとも、神の前にいる自分として、どのような状況の中でも、変わらないでいることができるでしょうか?


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