第一回 ダニエル書1−2章 「主は生きておられる」

 

アウトライン

 

1A 導入 ― ダニエル書のテーマ

     1B キーワード 「終わりの時」

     B 著者 「政治家」ダニエル

     3B アウトライン − イスラエル(へブル語)と異邦人(アラム語)

2A 全体の内容

     1B 土台 − 神の主権 (終わりの時に知らなければならない、神のご性質) 1

        C 異邦人の王 1−7

        C 宦官の長 8−16

        C 4人の少年 17−21

     2B 対象 − 異邦人の時 (神が終了させるのは、異邦人の支配) 2−7

        1C 王を立てる神 2−3

           1D 金の頭 2

              E 人の知恵 1−13

              E 神の知恵 14−30

              E 砕かれる人の像 31−45

              E 浅はかな賛辞 46−49

 

本文

 今回のシリーズのテーマは、「終末に生きるキリスト者」ということですが、みなさんといっしょにダニエル書を通読してみたいと思います。そして、第一回目のメッセージの題は、「主は生きておられる。」です。

 

1A 導入 ― ダニエル書のテーマ

1B キーワード 「終わりの時」

 ダニエル書のテーマは、そのものずばり「終わりの時」です。終わりの時に何が起こるかを、神はダニエルにお示しになりました。この書物には、「終わりの日」という言葉や「終わりの時」という言葉が、日本語で11回使われています。例えば、2章の28節を見ますと、ダニエルがネブカデネザルにこう言っています。「天に秘密をあらわすひとりの神がおられ、この方が終わりの日に起こることをネブカデネザル王に示されたのです。」8章19節では、今度は、御使いガブリエルがダニエルに語っています。「見よ。私は、終わりの憤りの時に起こることを、あなたに知らせる。それは、終わりの定めの時にかかわるからだ。」さらに、主イエス・キリストご自身がダニエルに言われました。12章9節です。「ダニエルよ。行け。このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ。」ですから、「終わりの時」がテーマです。

 もちろん、ダニエル書には、他のテーマも語られています。例えば、神に自分自身をささげることの大切さです。ダニエルの3人の友人は、金の像にひれ伏すのを拒んで、燃える火の炉に投げ入れられました。また、ダニエルは、エルサレムに向かって祈りをささげたので、ライオンの穴に入れられましたね。ですから、神への献身もダニエル書のテーマの一つです。また、霊の戦いもダニエル書のテーマの一つになっています。多くの天使がダニエルのところに来ます。ある天使は、ダニエルに幻を知らせに行こうとするとき、ペルシヤの君がそれを妨げました。私たちの目に見えないところで、戦いが繰り広げられています。そうした、いくつかのテーマがダニエル書にはありますが、その中でも最も大きなテーマが、この「終わりの日」になります。神は、終わりの時について私たちが知ることを望んでおられるのです。

 

B 著者 「政治家」ダニエル

 ダニエル書を書いた人は、もちろんダニエル自身です。彼は、ユダ王国の王族の一人であり、バビロンに捕らえ移されてからは、王の事務をつかさどるようになりました。つまり政治家です。そのためなのでしょうか、彼に与えられた夢や幻は、政治的なものでした。世界の超大国がどのように現われ、また衰退していくのかについて示されています。同じ時代に生きていたエゼキエルと比べると、面白いです。彼は、祭司の子どもでした。そして彼が受けた幻の多くは「霊」に関することであり、イスラエルに御霊が注がれて、新たに生まれることが示されました。同じように、私たちにも神は知らせてくださいます。私たちは、それぞれ、いろいろな立場に置かれていますね。ある人は学生であり、ある人は会社員です。ある人は主婦であり、またある人は牧師や伝道者です。神さまは、その立場にふさわしい知恵や知識を与えてくださいます。その場所にあって、神の栄光を現わすための知恵を与えてくださいます。

 そこでダニエル書には、政治家ダニエルに与えられた幻や夢であり、世界情勢について主に描かれています。けれども、自分たちには関係がないと思ってはいけません。イエスは弟子たちに、こう言われました。「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように)(マタイ24:15」よく読み取れ、という命令です。そして、その後に、「そのように、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。(マルコ13:29」と言われました。よく知りなさいと命じておられます。さらに、ダニエル書のことが解き明かされている黙示録では、「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。(1:3」と勧められています。心を留める人は幸いなのです。ですから、ダニエル書を注意深く読むことは、私たちクリスチャンに課せられた責任です。

3B アウトライン − イスラエル(へブル語)と異邦人(アラム語)

 そして、ダニエル書が大まかにどのような話しの流れになっているか、紹介させていただきます。多くの人は、この書物を2つに分けて読みます。1章から6章の前半部分と、7章から12章までの後半部分です。前半部分には、バビロン王国とペルシャ王国の歴史が書かれていますが、後半部分には、ダニエルが見た幻と預言について書かれています。ですから2つに分けるのですが、私は、3つの部分に分かれるのではないかと思います。ダニエルは、この書物を二つの言語で書きました。ヘブル語とアラム語です。1章はヘブル語で書かれていますが、2章から7章まではアラム語で書かれています。2章4節は、「カルデヤ人たちは王に告げて言った。− アラム語で。」と書かれています。そして、8章からは再びヘブル語で書かれています。ヘブル語は、旧約聖書が書かれた言語であり、ユダヤ人が使っている言語です。そして、アラム語は当時の世界共通語でした。現代の英語に匹敵します。ですから、ダニエルは、おそらく二種類の民族を意識して書いたかもしれません。イスラエルに対してはヘブル語で書き、異邦人に対してはアラム語で書いたかもしれません。したがって、1章はイスラエルに対して、2章から7章は異邦人の国々に対して、そして、8章からふたたびイスラエルに対して書きました。イスラエル、異邦人、イスラエルという順番で書いており、世界はその順番で動いています。今は、長い異邦人の時が終わって、神が、イスラエルを再び取り扱おうとされている時代です。

 

2A 全体の内容

 それでは、実際の中身を読んでいきましょう。第一回目のメッセージの題は、「主は生きておられる。」です。2章まで読んでいきたいと思います。

1B 土台 − 神の主権 (終わりの時に知らなければならない、神のご性質) 1

C 異邦人の王 1−7
 ユダの王エホヤキムの治世の第三年に、バビロンの王ネブカデネザルがエルサレムに来て、これを包囲した。主がユダの王エホヤキムと神の宮の器具の一部とを彼の手に渡されたので、彼はそれをシヌアルの地にある彼の神の宮に持ち帰り、その器具を彼の神の宝物倉に納めた。

 
ここにダニエル書の背景が書かれています。時は紀元前605年のことです。北イスラエル王国は、すでに紀元前723年にアッシリヤによって滅ぼされています。そして南ユダ王国は今、バビロン王国の前に倒れそうになっています。バビロンの王ネブカデネザルがエルサレムを包囲しはじめました。ユダの王エホヤキムは、王になってから三年目にネブカデネザルに反逆しましたが、そのときにバビロンがエルサレムに攻め入ります。そして、エルサレムにある神殿の宝をそのときに奪い取ります。これで第一回目の捕囚が始まりました。合計4回の捕囚がありましたが、これが第一回目です。エルサレムが滅んだのは、その23年後、紀元前586年のことです。


 エルサレムを攻めたのはネブカデネザルですが、2節には、「主が」そのことをなされたとあります。それは、イスラエルが犯した数々の罪のためです(例:U列王24:3−4)。これは、イスラエルの歴史の中で、もっとも屈辱に満ちた出来事でありました。神がイスラエルを選ばれたのは、イスラエルが祝福されて、土地を所有し、子孫がふえて、大いなる国になるためでした。神は、モーセをとおして次のようなことを言われました。「わたしを心を尽くして愛しなさい。わたし以外のものを、神々として拝んではならない。あなたを祝福するのはこのわたしであって、あなたがたがこのわたしを見捨てるなら、それらの祝福はみな取り除かれる。」一回だけなく、何回も言われました。けれども、イスラエルはバアルなどの偶像を拝むようになりました。神は、何度も預言者たちを遣わし、「わたしのところに戻ってきなさい」と警告されました。しかし今、心をかたくなにしたイスラエルは、神によってさばかれて、バビロンにその土地を奪われ、奴隷として連れて行かれます。エジプトの奴隷状態から解放され自由となったのがイスラエルの誕生であったのに、再び同じ状態に戻されてしまったのです。

 けれども、神は、イスラエルをお見捨てになったのではありません。次をご覧ください。王は宦官の長アシュペナズに命じて、イスラエル人の中から、王族か貴族を数人選んで連れて来させた。その少年たちは、身に何の欠陥もなく、容姿は美しく、あらゆる知恵に秀で、知識に富み、思慮深く、王の宮廷に仕えるにふさわしい者であり、また、カルデヤ人の文学とことばとを教えるにふさわしい者であった。王は、王の食べるごちそうと王の飲むぶどう酒から、毎日の分を彼らに割り当て、三年間、彼らを養育することにし、そのあとで彼らが王に仕えるようにした。彼らのうちには、ユダ部族のダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤがいた。宦官の長は彼らにほかの名をつけ、ダニエルにはベルテシャツァル、ハナヌヤにはシャデラク、ミシャエルにはメシャク、アザルヤにはアベデ・ネゴと名をつけた。

 
ダニエルを含む、何人かの少年たちが、捕虜としてバビロンに連れて来られました。神はこれから、彼らをとおして、ご自分のことを証しされます。ダニエルたちは、王族出身でした。ですから彼は、王族に対して語られた預言者エレミヤの言葉を聞いていたはずです。王は、その言葉を無視して、エレミヤを牢獄に入れてしまいましたが、おそらく幼いダニエルの心には、その言葉が焼きついていたでしょう。老年になってダニエルは、エレミヤの預言を調べて、イスラエルの罪を告白し、悔い改めています(9:2)。ですから、子どもたちに、神のみことばを教えることはとても大切です。「子どもをその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。(箴言22:6参照)」と箴言には書かれています。そして、ダニエルたちがバビロンに連れて来られたのは、彼らが王の下で働くようにするためです。おそらく外務省のようなところで働き、ユダの地域を管轄させるためだったのでしょう。バビロンは、彼らにカルデヤのエリート教育を施しました。カルデヤ人のことばと文学を教え、さらに、王が食べるような上等な食事も割り当てられました。その訓練は3年続き、それから王の前で働くようです。

C 宦官の長 8−16

 ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。

 ここから、ダニエルの神への愛、神への献身の姿勢を読むことができます。これは、自分を汚すまいと心に定めました。ユダヤ人には神の律法が与えられていました。レビ記には汚れた動物の名前が記されており、例えば豚はその一つです。また、血が入ったものは決して食べてはならず、今でも、「コーシャー」と呼ばれる食事をユダヤ人は守っています。王が食べていたごちそうの中に、そのような禁じられた食物が含まれていたものと考えられます。そこでダニエルは、それらを食べないようにさせてくれと宦官の長に願い出ました。そして、次が大切な聖句です。

 神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた。

 「神が」、宦官の長にいつくしむ心を与えられました。ダニエルの巧みな言葉ではなく、神によって宦官の長はダニエルに好意を持ったのです。ここから私たちは、神が状況の中に働いてくださることを知ることができます。ダニエルがしたことは、ただ一つ、神のみことばに聞き従うことでした。今の状況を自分で変えることはできませんが、自分のことについては責任を持つことができました。そして、ダニエルが主のみことばに忠実であるとき、神が周囲の状況に働きかけてくださり、ダニエルとその友人を守ってくださるのです。


 それでは、主がどのように生きて働いてくださるか、見てみましょう。宦官の長はダニエルに言った。「私は、あなたがたの食べ物と飲み物とを定めた王さまを恐れている。もし王さまが、あなたがたの顔に、あなたがたと同年輩の少年より元気がないのを見たなら、王さまはきっと私を罰するだろう。」そこで、ダニエルは、宦官の長がダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤのために任命した世話役に言った。「どうか十日間、しもべたちをためしてください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませてください。そのようにして、私たちの顔色と、王さまの食べるごちそうを食べている少年たちの顔色とを見比べて、あなたの見るところに従ってこのしもべたちを扱ってください。」世話役は彼らのこの申し出を聞き入れて、十日間、彼らをためしてみた。十日の終わりになると、彼らの顔色は、王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていた。そこで世話役は、彼らの食べるはずだったごちそうと、飲むはずだったぶどう酒とを取りやめて、彼らに野菜を与えることにした。

 彼らは野菜しか食べなかったのに、ごちそうを食べた少年たちよりも、さらに顔色は良く、からだも肥えていました。こうして、彼らは神さまの言われた食事を取ることができるようになりました。神は、私たちに命令を与えられるだけではなく、その命令を守ることができるように、その力も与えてくださいます。


C 4人の少年 17−21

 そして、ふたたび大切な箇所が出てきます。神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられた。ダニエルは、すべての幻と夢とを解くことができた。

 
彼らに、あらゆる知識と悟りと知恵を与えられたのは、神です。彼ら自身で手に入れたものではなく、神がその能力を備えてくださいました。

 彼らを召し入れるために王が命じておいた日数の終わりになって、宦官の長は彼らをネブカデネザルの前に連れて来た。3年の準備期間が終わりました。王が彼らと話してみると、みなのうちでだれもダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤに並ぶ者はなかった。そこで彼らは王に仕えることになった。王が彼らに尋ねてみると、知恵と悟りのあらゆる面で、彼らは国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさっているということがわかった。

 
彼らは単に知識と知恵にすぐれていただけではなく、並外れにすぐれていたようです。その理由はに出てきますが、彼らのうちに神の御霊がおられたからです。聖書は、神の御霊によって知識と知恵が与えられることを述べています。「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。 御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。(1コリント2:14-15」ですから、御霊によって新たに生まれたみなさんのほうが、神学校でヘブル語を教えている新生していない教授よりも、はるかに霊的洞察力があるのです。これから私たちは、終わりの時についての世界情勢を見てきます。それらは、みなさんには分かっても、今の政治学者や国の指導者には知らされていないことです。はっきりと書かれており、あまりにも単純明解なことなのですが、彼らには理解できないのです。なぜなら、神の御霊をいただいていないからです。


 ダニエルはクロス王の元年までそこにいた。

 クロス王とは、後にバビロンを倒すペルシヤ帝国の王です。その時点からだいたい65年後のことです。その間、ダニエルはずっとバビロンで王の事務をとっていました。


 こうして1章を見てきましたが、大事な言葉が3回出てきました。2節と9節と17節です。バビロンの王がエルサレムを攻めるようにさせたのは主ご自身であり、宦官の長の心を動かしたのも神でした。そして、4人の少年に知恵と知識を与えたのも神でした。つまり、イスラエルが滅ぼされたような悲惨な状況の中でも、生きて働いておられるのです。この方の支配からもれることは、何一つありません。終わりの時の特徴は、悪がはびこることです。パウロが言いました。「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。(2テモテ3:1-5」私たちは、今のこの時代に生きていて、ますます悪がはびこるのを見ます。悪がはびこるのを見て、私たちは、「神さま、あなたはここにおられるのですか?あなたは私たちをお見捨てになったのですか。」と叫びたくなります。けれども、神は生きておられるのです。どんなひどい状況の中でも、神はすべてのことを働かせて、ご自分の栄光を現わそうとされています。

2B 対象 − 異邦人の時 (神が終了させるのは、異邦人の支配) 2−7

 それでは2章を読みましょう。ここからはアラム語で書かれています。つまり、イスラエルが滅んでしまい、異邦人の国々が支配する時代のことが述べられます。聖書ではそれを、「異邦人の時」と呼んでいます。イエスがこう言われました。「人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。(ルカ21:24)」バビロン捕囚からは、ずっとイスラエルはエルサレムを自分のものにすることはできていません。70年後にエルサレムに帰還することはできましたが、それはペルシヤ帝国の支配下にあり、後にギリシヤ帝国、ローマ帝国の支配の下にありました。そして紀元70年、ローマ皇帝ティトスがエルサレムを完全に破壊し、それ以来、ユダヤ人は流浪の民となったのです。しかし、奇蹟が起こりました。1948年にイスラエル国がふたたび出来あがったのです。そして、1967年に、イスラエルはエルサレムを自分のものとして、事実上、異邦人の時は終わりました。けれども、世界では、まだ人間の支配は続いています。神の国は立てられていません。したがって、私たちは、異邦人の時が終わって、キリストが再臨されるまでの短い移行期にいると言えます。ですから、主が来られるのは本当に近いのです。異邦人の時はダニエルのときから始まりました。

1C 王を立てる神 2−3

1D 金の頭 2

E 人の知恵 1−13

 ネブカデネザルの治世の第二年に、ネブカデネザルは、幾つかの夢を見、そのために心が騒ぎ、眠れなかった。

 
これは、ネブカデネザルがエルサレムに攻め入った3年後の出来事です。ダニエルたちが訓練を受けて、高い位に着いた間もなくのことでしょう。その時に夢を見て、心が騒ぎ、眠れなくなってしまいました。

 そこで王は、呪法師、呪文師、呪術者、カルデヤ人を呼び寄せて、王のためにその夢を解き明かすように命じた。
国中の知者を集めています。彼らが来て王の前に立つと、王は彼らに言った。「私は夢を見たが、その夢を解きたくて私の心は騒いでいる。」カルデヤ人たちは王に告げて言った。・・アラム語で。・・ここからアラム語です。「王よ。永遠に生きられますように。どうぞその夢をしもべたちにお話しください。そうすれば、私たちはその解き明かしをいたしましょう。」王は答えてカルデヤ人たちに言った。「私の言うことにまちがいはない。もし、あなたがたがその夢とその解き明かしとを私に知らせることができなければ、あなたがたの手足を切り離させ、あなたがたの家を滅ぼしてごみの山とさせる。しかし、もし夢と説き明かしとを知らせたら、贈り物と報酬と大きな光栄とを私から受けよう。だから、夢と説き明かしとを私に知らせよ。」

 知者たちは、王にその夢を話してくださるように頼んでいますが、王は、解き明かしだけではなく夢も告げるよう要求しています。王は、この夢について確かなことを知りたかったようです。この夢はとても重要な意味を持っていると感じて、ほんとうに正確な解き明かしがほしいと願ったのでしょう。それで、まやかしの解き明かしではなく、夢も彼らに話させて、確かな解き明しを得ようとしているようです。そして、夢を告げることのできないことへの報いはものすごいですね。手足をバラバラにされて、自分の家がゴミの山とさせられます。また告げることができれば、ものすごい褒美がもらえるようです。ネブカデネザルには、絶対的な権力と権威がありました。


 彼らは再び答えて言った。「王よ。しもべたちにその夢をお話しください。そうすれば、解き明かしてごらんにいれます。」王は答えて言った。「私には、はっきりわかっている。あなたがたは私の言うことにまちがいはないのを見てとって、時をかせごうとしているのだ。もしあなたがたがその夢を私に知らせないなら、あなたがたへの判決はただ一つ。あなたがたは時が移り変わるまで、偽りと欺きのことばを私の前に述べようと決めてかかっている。だから、どんな夢かを私に話せ。そうすれば、あなたがたがその解き明かしを私に示せるかどうか、私にわかるだろう。」カルデヤ人たちは王の前に答えて言った。「この地上には、王の言われることを示すことのできる者はひとりもありません。どんな偉大な権力のある王でも、このようなことを呪法師や呪文師、あるいはカルデヤ人に尋ねたことはかつてありません。」

 彼らは認めています。人間の中でこのようなことをできるものは一人もいない、と言っています。


 王のお尋ねになることは、むずかしいことです。肉なる者とその住まいを共にされない神々以外には、それを王の前に示すことのできる者はいません。

 見てください、示すことができるのは、肉なる者とその住まいを共に去れない神々、つまり天におられる神だと証言しています。すべてのものを超越し、時間と空間を超えて存在されている神です。これは、すばらしい洞察であります。ダニエル書に記されている預言、いや聖書全体に記されている預言は、人間がどのように考えあぐねたとしても、決して思いつくことのでないものばかりです。しかも100パーセント当たっています。だから、私たちが聖書の預言を読むとき、永遠の神が本当に生きておられることを知ることができるのです。イエスは、「
そして今わたしは、そのことの起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったときに、あなたがたが信じるためです。(ヨハネ14:29」と言われました。私たちは、預言を読むことによって、神への信頼と信仰を増し加えることができるのです。私たちは、単に心を静めるまやかしの宗教を信じているのではなく、本当に生きている、真実の神を信じています。

 王は怒り、大いにたけり狂い、バビロンの知者をすべて滅ぼせと命じた。

 
知者たちが王に反論したので、王が怒り狂っています。

 
この命令が発せられたので、知者たちは殺されることになった。また人々はダニエルとその同僚をも捜して殺そうとした。

 なんと、その矛先はダニエルとその友人に及びました。


E 神の知恵 14−30

 そのとき、ダニエルは、バビロンの知者たちを殺すために出て来た王の侍従長アルヨクに、知恵と思慮とをもって応待した。彼は王の全権を受けたアルヨクにこう言った。「どうしてそんなにきびしい命令が王から出たのでしょうか。」それで、アルヨクは事の次第をダニエルに知らせた。ダニエルは王のところに行き、王にその解き明かしをするため、しばらくの時を与えてくれるように願った。

 ダニエルが、知恵と思慮をもって応待しました。混乱することなく冷静に対応しています。


 それから、ダニエルは自分の家に帰り、彼の同僚のハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤにこのことを知らせた。彼らはこの秘密について、天の神のあわれみを請い、ダニエルとその同僚が他のバビロンの知者たちとともに滅ぼされることのないようにと願った。


 これから、彼らの祈り会が始まりました。時間がありません。その間に、夢についての幻が与えられなければいけません。熱心に祈ったことでしょう。このようにダニエルは、自分を神にささげ、志を立てただけではなく、祈る人でした。彼は、知恵は神から来ることをよく知っていたからです。ヤコブの手紙にはこう書いてあります。「
あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(1:5」知恵が欠けていたら祈るのです。

 そのとき、夜の幻のうちにこの秘密がダニエルに啓示されたので、ダニエルは天の神をほめたたえた。

 祈りが聞かれました。幻の中で、夢とその解き明かしが示されました。ところで、夢と幻の違いは、夢が寝ているときに見るものに対して、幻は起きているときに見るものです。みなさんの中で幻を見たことがある人はいますか?私の妻は見たことがありますが、イエスが十字架につけられた影を見たそうです。ヨエル書には、「
その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。(2:28-31」と書かれています。神は、今でも夢や幻によって語られることがあります。

 そして、次からダニエルの賛美が始まります。この賛美は、ダニエル書の中における神のご性質や特徴が、実に上手に表現されています。

 ダニエルはこう言った。「神の御名はとこしえからとこしえまでほむべきかな。知恵と力は神のもの。


 神は永遠の方です。だから前もって、先のことを告げることがおできになります。

 
神は季節と時を変え、王を廃し、王を立て、知者には知恵を、理性のある者には知識を授けられる。

 神は、すべてのものの上におられる方です。王を支配し、知者には知恵を与え、知識人には知識を与えられます。自分ですべてを支配していたと思っていたネブカデネザルも、実は神の操り人形にしか過ぎなかったのです。

 
神は、深くて測り知れないことも、隠されていることもあらわし、暗黒にあるものを知り、ご自身に光を宿す。

 
神に知られていないことはありません。4章でネブカデネザルは、バビロンの威光は自分のためにあると口走った瞬間、天から声があって獣のようになってしまいました。

 
私の先祖の神。私はあなたに感謝し、あなたを賛美します。

 
ダニエルは、この神が、アブラハム、イサク、ヤコブの神であることを知っていました。神が彼らに良くしてくださったように、自分にもしてくださると信じていました。私たちも、彼らが信じていた神と同じ神を信じています。

 あなたは私に知恵と力とを賜い、今、私たちがあなたにこいねがったことを私に知らせ、王のことを私たちに知らせてくださいました。


 こうして賛美が終わりましたが、ダニエルの賛美には、もう一つの大きな特徴があります。それは、みことばです。この賛美には、他の旧約聖書からの引用が15を下らないと言われています。ダニエルは聖書にものずごく精通している人でした。ですから、ダニエルは、志を持ち、祈る人だけではなく、みことばの人でした。


 それからダニエルは、王がバビロンの知者たちを滅ぼすように命じておいたアルヨクのもとに行き、彼にこう言った。「バビロンの知者たちを滅ぼしてはなりません。私を王の前に連れて行ってください。私が王に解き明かしを示します。」そこで、アルヨクは急いでダニエルを王の前に連れて行き、王にこう言った。「ユダからの捕虜の中に、王に解き明かしのできるひとりの男を見つけました。」それで王は、ベルテシャツァルという名のダニエルに言った。「あなたは私が見た夢と、その解き明かしを私に示すことができるのか。」ダニエルは王に答えて言った。「王が求められる秘密は、知者、呪文師、呪法師、星占いも王に示すことはできません。しかし、天に秘密をあらわすひとりの神がおられ、この方が終わりの日に起こることをネブカデネザル王に示されたのです。あなたの夢と、寝床であなたの頭に浮かんだ幻はこれです。」

 ダニエルが、ネブカデネザルに証しをしています。天の神がひとりおられ、この方が秘密を知らせることがおできになると言っています。


 王さま。あなたは寝床で、この後、何が起こるのかと思い巡らされましたが、秘密をあらわされる方が、後に起こることをあなたにお示しになったのです。


 ネブカデネザルは、王になってから一年ちょっとしかたっていないのですから、これからどうなるのだろうと、思いあぐねていたのでしょう。そのときに、それから2、3年先の話しではなく、なんと終わりの時まで事柄を示されたのです。彼が見た夢は、彼が生きていた時から、私たちが生きている現在を越えて、将来に至るまでの世界の姿です。

 
この秘密が私にあらわされたのは、ほかのどの人よりも私に知恵があるからではなく、その解き明かしが王に知らされることによって、あなたの心の思いをあなたがお知りになるためです。

 ダニエルは、神が自分を用いてくださったことについて、自分の手柄とせず、神に栄光を帰しました。これは無理してへりくだっているのではなく、本当に神からいただいたことを素直に証ししているからです。私たち日本人は、神のことを話すのが苦手ですね。照れくさいのでしょうか、「イエスさまが大好きです。」とか、「イエスさまって、すごい!」とか、自然に会話の中から出にくいものです。けれども、ダニエルのように、神に感謝し、神に賛美し、心からあふれることを口に出すことは、神が喜ばれることです。パウロは、「
あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。(コロサイ3:17」と勧めました。

E 砕かれる人の像 31−45

 そして、その夢と解き明かしを読んでいきます。王さま。あなたは一つの大きな像をご覧になりました。見よ。その像は巨大で、その輝きは常ならず、それがあなたの前に立っていました。その姿は恐ろしいものでした。その像は、頭は純金、胸と両腕とは銀、腹とももとは青銅、すねは鉄、足は一部が鉄、一部が粘土でした。あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。これがその夢でした。

 
ここまでが夢です。この夢の特徴をいくつか指摘したいと思います。一つは人の像であることです。神でもなく動物でもなく、人間の像です。次に、これが輝く金属で出来ていることです。輝いています。そして、3つめは、金属は上から下に向かうにつれて、劣ったものになっています。純金から銀、青銅、鉄、そして鉄と粘土になっています。そして4つめは、切り出された石は人手によるものではありませんでした。人手によりません。さらに5つめは、この石は足を打ち砕き、足だけでなくすべてを粉々にしました。そして最後に、この石は大きな山となって全土に満ちています。それぞれの点に深い意味があります。

 私たちはその解き明かしを王さまの前に申し上げましょう。王の王である王さま。天の神はあなたに国と権威と力と光栄とを賜い、また人の子ら、野の獣、空の鳥がどこに住んでいても、これをことごとく治めるようにあなたの手に与えられました。あなたはあの金の頭です。

 
金の頭はバビロン国を表わしています。つまり、この人の像は、イスラエルが倒されてから出て来る世界の超大国の姿でした。それまでは、イスラエルをとおして神が統治されていましたが、今度は人間の支配が続きます。そして、金属で輝いていますが人の栄光を映し出しています。バビロンは金の頭ですが、ものすごく巨大な城壁を持ち、豪華な宮殿を持ち、空中庭園と呼ばれる世界の七不思議に数えられる優雅な庭を持っていました。野の獣や空の鳥は、周辺諸国のことであろうと思われます。イエスが、からし種のたとえで、種が大きな木になって鳥が巣をつくるとおっしゃられましたが、この箇所と関連があるのかもしれません。

 あなたの後に、あなたより劣るもう一つの国が起こります。次に青銅の第三の国が起こって、全土を治めるようになります。

 
ダニエルは、銀のことを「あなたよりも劣る」と言っています。材質が衰えていたのは、世界の超大国はしだいに権力を失っていくことを表わしているようです。銀はペルシヤ帝国です。紀元前538年にバビロンはペルシヤの前に倒れました。けれども、ペルシヤの王はバビロンほどの権力を持っていませんでした。ネブカデネザルは、彼が言ったことが法律になるほどの絶対的権威者でした。しかし、ペルシヤでは、王でさえも変えることのできない法令を持っていました。そして青銅はギリシヤ帝国です。紀元前330年にアレキサンダー大王がメディヤ・ペルシヤ帝国を破りました。

 第四の国は鉄のように強い国です。鉄はすべてのものを打ち砕いて粉々にするからです。その国は鉄が打ち砕くように、先の国々を粉々に打ち砕いてしまいます。

 
この鉄はローマ帝国です。紀元前63年に、ローマ帝国がギリシヤを倒しました。イエスが生きておられた時の帝国は、このローマ帝国です。そして、次に不思議な状態があります。

 
あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土、一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです。その国には鉄の強さがあるでしょうが、あなたがご覧になったように、その鉄はどろどろの粘土と混じり合っているのです。その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。鉄とどろどろの粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは人間の種によって、互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。

 この鉄と粘土は、今までの超大国の中でもっとも権力的にもろい状態を表わしています。権力がいくつかの指導者に分散し、互いに団結しているのですが、どこかに権力が集中しているわけではありません。ダニエル書では、この諸国の連合、あるいは諸地域の連合に焦点が当てられています。そこから反キリストが出現し、世界を牛耳り、ユダヤ人を迫害し、彼を取り巻く西と東の諸国が世界大戦を起こします。


 ところで、この鉄と粘土の連合体を現在のヨーロッパ連合と見ることができます。鉄と粘土が混じり合っているように、それは一つの国ではなく連合になっています。そして、ローマ帝国と同じ地域から出現しました。彼らはちょうど今年の元旦にユーロ通貨統合を成し遂げ、次は政治統合へと向かっています。1948年にイスラエルが建国されたのは、終わりの時のしるしの始まりですが、その後ヨーロッパ共同体が起こり、さらに今、この連合体はイスラエルを敵視しています。ですから、ここから反キリストが出現する可能性は大です。ただ、ネブカデネザルが見たこの夢においてもっと大事なことがあります。それは、人間の支配はしだいに劣ったものとなり、分散化し、だれが権力を握っているのかわからない状態になるということです。世界が混沌と混乱の中に入っていくということです。今の状態を見てください。グローバル化、国際化が叫ばれていますね。経済の国際化、国連の活躍、そしてインターネット。一つの国に権力が集中しているのではなく、何か一つの糸でいろいろな国が連結されているようになっています。超大国と言われるアメリカでも、この混乱が起こっています。ある国家議員が、国会の中でこう叫びました。”Where is the power?”どこに権力が存在しているのか、ということです。自分が議員なのに、だれが政策を握っているのか分からない、何か目に見えないものが操っている、と感じているのです。ですから、反キリストが現れて、そして一気に世界を牛耳る舞台は、すでに出来あがっています。つまり、異邦人の時は、権力がしだいに分散して、混沌とし、最後は破滅へと向かう時代なのです。

 けれども、次を見てください。この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。あなたがご覧になったとおり、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのは、大いなる神が、これから後に起こることを王に知らされたのです。その夢は正夢で、その解き明かしも確かです。

 先ほどの一つの石とはキリストのことでした。聖書の至るところで、キリストが岩とか石にたとえられています。イエスが祭司長などに言われたことばを思い出せるでしょうか。「
では、『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石となった。』と書いてあるのは、何のことでしょう。この石の上に落ちれば、だれでも粉々に砕け、またこの石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛び散らしてしまうのです。(ルカ20:27−28)」石が落ちて、粉みじんになってしまいます。そして、石が「人手によらない」のは、キリストは神から来られた方、神の御子であるからです。さらに、最後の足とその指だけを打ち砕くことによって、すべての国々が粉々になりますが、人間の支配をいっさい終わりにしてしまうのです。大きな山とは神の国です。私たちの主イエス・キリストがふたたび地上に来られます。そして、人間の支配を終わらせてくださいます。争いと悪がはびこる世界ではなく、正義と平和が満ちる世界を始めてくださるのです。

E 浅はかな賛辞 46−49

 それで、ネブカデネザル王はひれ伏してダニエルに礼をし、彼に、穀物のささげ物となだめのかおりとをささげるように命じた。王はダニエルに答えて言った。「あなたがこの秘密をあらわすことができたからには、まことにあなたの神は、神々の神、王たちの主、また秘密をあらわす方だ。」

 ネブカデネザルはダニエルをほめたたえ、神を賛美していますが、表面的なものであることは確かです。なぜなら、次の3章において、自分の金の像をつくって、それを拝ませているからです。感情的に、このような行動に出たものと考えられます。

 
そこで王は、ダニエルを高い位につけ、彼に多くのすばらしい贈り物を与えて、彼にバビロン全州を治めさせ、また、バビロンのすべての知者たちをつかさどる長官とした。王は、ダニエルの願いによって、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに、バビロン州の事務をつかさどらせた。しかしダニエルは王の宮廷にとどまった。

 
ダニエルの願いによって、3人の友人も昇進しました。そこで次の3章に話しが続きます。バビロン州の官僚たちを集めて、金の像を拝ませるようにしむけますが、この3人は拒みます。

 このように、神は、ダニエルをとおして、どのような暗い世の中にあっても生きて働いておられることをお示しになりました。そして、この世の中は長く続かないこと、罪と不法を神がいっさい終わりにしてくださることも分かりました。ですから、希望を持ちましょう。ダビデは言いました。「主を待ち望め。」お祈りします。



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