終わりの時に生きるキリスト者 2002/01/12
第三回 混沌から永遠の御国へ (2章)


以下の文は、リバイバル新聞の連載「終わりの時に生きるキリスト者」の原稿です。


前回は、終わりの時は、キリスト者にとって困難な時代となり、また、裸の自分を認めて、主の前でへりくだる必要があることを学びました。


異邦人の時

そして2章から、全世界に対する預言が始まります。第一回目での学びにあったように、ここから7章まで、原文では当時の世界共通語であるアラム語で書かれています。

神がアブラハムに約束されたイスラエルの地と、また神の都として定められたエルサレムが、バビロン捕囚を機に、異邦人の主権の中に入りました。ユダヤ人は捕囚70年後にエルサレムに帰還しますが、それが二千五百年間近く、近年に至るまで、自治権は認められたものの主権を持つことはありませんでした。主イエスは、この時期を「異邦人の時」と呼ばれ、ユダヤ人が世界中に離散することを預言されたときに、「異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」(ルカ21:24)と言われました。

ダニエル書の預言どおり、バビロンがエルサレムに入ってから、ペルシヤ・メディヤ、ギリシヤ、ローマがそこを支配しました。その後も、ビザンチン、アラブ、十字軍、マルムーク、オスマントルコ、英国という順番で、イスラエルの地を支配しました。そして、1948年にイスラエルが建国し、67年にイスラエルがヨルダンからエルサレムを攻め落とすときまで、エルサレムは主がおっしゃられたように、異邦人に踏み荒らされていたのです。そして現在、エルサレムに対するイスラエルの帰属権が、周辺イスラム諸国と国際圧力によって揺さぶられています。


権力の分散

バビロンの王ネブカデネザルは夢を見ました。さまざまな種類の金属から成り立つ人の像です。頭は金、胸と腕は銀、腹とももが青銅、すねが鉄、そして足が鉄と粘土が混じり合っていました。ダニエルは、ネブカデネザルの夢を解き明かして、これは終わりの時に起こることを、天の神が示されたことを教えました。金の頭はバビロンですが、ダニエル8章やその後の歴史から、銀が銀はメディヤ・ペルシャ、青銅はギリシヤ、鉄は、ローマ帝国が世界を支配することによって成就しました。

最後の鉄と粘土の足の部分ですが、ローマ帝国の影響力があるものの、その権力がばらばらになっており、ゆるくつながっている状態は、歴史をひも解いても出てきません。この状態のときに、7章によると10人の王がいるのですが、これが成就したのを私たちはまだ見ていません。

ただ、ここで注目していただきたいのは、夢の中の人の像が、頭から足に向かって、金属の材質が劣化していることです。金から銀、銀から青銅、青銅から鉄、そして鉄と粘土が行き着くところです。この劣化は何を意味しているのでしょうか?2章では、ネブカデネザルは絶対的な権力を持っていたことが分かります。彼は自分の夢を解き明かすために呪法師などを呼びましたが、夢と解き明かしを言うことができなければ、「あなたがたの手足を切り離させ、あなたがたの家を滅ぼしてごみの山とさせる。(5節)」ことまで出来ました。彼が言ったことがそのまま法律となるような絶対権力でした。ところが、その後のメディヤ・ペルシヤ帝国においては、6章を読むと、王は禁令に署名したら、それを変更することはできず、王の権力は法の下に置かれていました。そうして考えると、鉄と粘土の状態は、世界において、権力が分散し、だれが力を持っているかは分からないような状態、ネットワークで結ばれているような状態であることが考えられます。

ここで、私たちは、終わりの時は、「権力が分散し、混沌とした時代」と考えることができます。世において、現代ほど権力が分散し、横のつながりで動いている時代はありません。政治経済をはじめ、哲学、宗教などの分野において、「平等」や「共生」という言葉をキーワードにして、価値観の相対化が行なわれています。キリスト教界においても、エキュメニズムという標語の下に、福音の真理を証しする代わりに、他宗教への寛容が訴えられています。これはまさに、「鉄と粘土」の状態であるわけです。

そして、今回のテロ事件がきっかけとなり、この分散は急速に加速化しました。米国とロシアが歩み寄り、イスラム諸国とも結びつきを持とうとしました。そして身近な極東地域では、日本が戦地へ自衛隊を派遣しているのに、同じ時期に、日韓中の首相が会って肩を並べて写真にうつっていました。これまでには考えられないことです。また、経済においても、ドルの価値はさがっています。地域共通通貨がヨーロッパで先日の1月1日に導入されました。また、10年のうちに、アジア地域も通貨統合されると予測するエコノミストもいます。


石なるイエス・キリスト

ところが、この夢では、人手によらずに切り出された石がこの像を打ち砕き、これらすべての金属がこなごなに砕け散り、あとかたもなくなり、そしてこの石が大きな山となって全土に満ちることで終わっています。この石はむろん、主イエス・キリストです。主は、「この石の上に落ちれば、だれでも粉々に砕け、またこの石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛び散らしてしまうのです。」(ルカ20:18)と言われました。主が再臨されて、これら異邦の諸国の支配を粉みじんにされます。

そして、この石が大きな山となって全地に満ちる、すなわち全世界を主ご自身が支配されます。権威も支配もすべてが主のものとなり、正義と平和が世界に満ちます。混沌とは対極の、永遠の御国がこの地上に立てられるのです。


神からの啓示

そして、この永遠の御国を受け継ぐために、神は人々を召し出されて、キリストのみもとに引き寄せられます。それゆえ、クリスチャンは、この世界が刻々と混沌と暗やみの中に入っていても、決して揺るぐことのない希望に支えられて、強く生きていくことができます。

私たちの心が動揺し、不信仰になってしまうのは、自分の祈りや献身が足りないからではありません。根本的には、ダニエル書の預言などに啓示されている、神のご計画が現実味をもって示されていないことが原因です。ですから、ご聖霊が、神の知るための知恵と啓示を与えてくださるように、また、神の召しの望みと、聖徒の受け継ぐものがいかに栄光に富んでいるかを知ることができるように、祈りましょう。(エペソ1:17−19)



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