ダニエル書 第三回 (6−8章) 「反キリストの現われ」

 

アウトライン


2B 対象 − 異邦人の時 (神が終了させるのは、異邦人の支配) 2−7

   1C 王を立てる神 2−3

   2C 王を廃す神 4−5

   3C まとめ 6−7

      1D 救い出す神 6

         E 世の迫害 1−9

         E 神への献身 10−24

            F 世への抵抗 10−17

            F 神の守り 18−24

         E 神の証し 25−27

      2D 4つの大国 7

         E 幻 1−14

            F 4頭の獣 1−8

            F 年老いた方 9−14

         E 解き明かし 15−28

            F 4人の王 15−22

            F 10本の角 23−38

3B 目的 − イスラエルの回復 (神が完了させるのは、イスラエルへの約束) 8−12

   1C イスラエルの帰還 8−9

      1D ペルシヤ、ギリシヤ帝国 8

         E 幻 1−14

            F 雄羊と雄やぎ 1−8

            F 一本の小さな角 9−14

         E 解き明かし 15−27

            F 終わりの時 15−26

            F 秘められた真実 27

 

本文

2B 対象 − 異邦人の時 (神が終了させるのは、異邦人の支配) 2−7

1C 王を立てる神 2−3

2C 王を廃す神 4−5

 ダニエル書6章を開いてください。第三回目の学びは、6章から8章までを取り扱います。ここでのメッセージ題は、「反キリストの現われ」です。

3C まとめ 6−7

 私たちは、ずっと「異邦人の時」について学んでいます。神はイスラエルを通して世界を動かされていましたが、イスラエルがバビロンに滅ぼされた今、ご自分で異邦人の王たちを動かして支配を開始されました。その話において、私たちクリスチャンは、自分たちにも当てはまる大切な真理を学んでいます。それは、終わりの時は、悪がはびこり、正しく生きようとする者を迫害し、世界は混乱状態に陥る。けれども、神は、ご自分を信じる者たちを守り、今の悪の世界をことごとくさばいてくださる、と言うことです。そして、6章と7章は、こうした真理のまとめになっています。私たちが1章から5章までまでで学んだ大切な事柄が、ふたたび描かれています。

1D 救い出す神 6

 6章においては、「救い出す神」について描かれています。ダニエルと3人の友人を、王の食べる物から救い出してくださった神、3人のヘブル人を燃える火の炉から救い出してくださった神、この神がふたたびダニエルに働いてくださいます。

E 世の迫害 1−9

 ダリヨスは、全国に任地を持つ百二十人の太守を任命して国を治めさせるのがよいと思った。

 これは、5章の最後の節からの続きになっています。「メディヤ人ダリヨスが、およそ六十二歳でその国を受け継いだ。(31)」とありますね。バビロンが、クロス王の率いるメディヤ・ペルシヤ連合軍によって倒れたあと、メディヤ人ダリヨスが2、3年の間、バビロン帝国を治めました。それから、ペルシヤ人のクロスにこの国を明け渡し、メディヤ・ペルシヤ帝国が始まったのです。ですから、ここでの出来事は、紀元前538年から536年までの間の出来事であると思われます。

 彼はまた、彼らの上に三人の大臣を置いたが、ダニエルは、そのうちのひとりであった。太守たちはこの三人に報告を出すことにして、王が損害を受けないようにした。


 ダニエルは、この時すでに90歳以上の老人になっていました。ダニエルがバビロンの滅亡を預言したこと、また、彼がバビロン帝国で忠実に実務を果たしていたことが知られていたのでしょう、ダリヨスはダニエルを最も高い地位に置いています。3人の大臣の一人になりました。


 ときに、ダニエルは、他の大臣や太守よりも、きわだってすぐれていた。彼のうちにすぐれた霊が宿っていたからである。そこで王は、彼を任命して全国を治めさせようと思った。

 
ふたたび、ダニエルに御霊が宿っておられたことが、証しされています。聖書では、「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。(ガラテヤ5:22-23)」と書かれていますから、これらの特徴に際立っていたのでしょう。

 大臣や太守たちは、国政についてダニエルを訴える口実を見つけようと努めたが、何の口実も欠点も見つけることができなかった。彼は忠実で、彼には何の怠慢も欠点も見つけられなかったからである。

 3人のヘブル人がねたみを買ったように、ここでもねたみを買っています。ダニエルは、非常に勤勉で、落ち度がありませんでした。私たちも、自分の置かれた立場において、勤勉で、忠実な働き手とならなければなりません。会社であれば、サラリーマンとして勤勉に働き、学生であれば、一生懸命勉強をします。これは神に喜ばれることです。


 そこでこの人たちは言った。「私たちは、彼の神の律法について口実を見つけるのでなければ、このダニエルを訴えるどんな口実も見つけられない。」それで、この大臣と太守たちは申し合わせて王のもとに来てこう言った。「ダリヨス王。永遠に生きられますように。国中の大臣、長官、太守、顧問、総督はみな、王が一つの法令を制定し、禁令として実施してくださることに同意しました。すなわち今から三十日間、王よ、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれると。王よ。今、その禁令を制定し、変更されることのないようにその文書に署名し、取り消しのできないメディヤとペルシヤの法律のようにしてください。」そこで、ダリヨス王はその禁令の文書に署名した。

 王は、まんまと大臣や太守たちのおせじに乗ってしまいました。彼らは、ダニエルが天の神を拝んでいるので、それを禁じる法令を作りました。ここで大事なのは、ダリヨス王自身が、この禁令を取り消したり、変更したりすることができないという事実です。バビロン国のネブカデネザル王と比べてください。ネブカデネザルは、自分自身が権威であり法律でありました。絶対的権威者だったのですが、メディヤ・ペルシヤ王国では王の権威が劣ったものとなっています。そのため、ネブカデネザルが見た、人の像の夢では、金の頭にかわって銀の胸があったのです。


E 神への献身 10−24

F 世への抵抗 10−17

 そして次に、すばらしい聖句があります。ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。・・彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。・・彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。

 ダニエルは、文書が署名されたことを知りながら、公然とそれに逆らいました。いつものとおり、エルサレムに向かって神に祈り、感謝していました。すばらしい神への献身です。ヘブル人の3人もそうでしたね。ネブカデネザル王の命令に公然と逆らいました。聖書は、「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。(ローマ13:1)」と教えています。私たちは人間の法律を守ることによって、神をあがめ、神に従います。法律を破るようなことを行なってはいけません。けれども、もし人の法律が、神が言われていることと逆のことをさせるのであれば、ダニエルのように抵抗しなければなりません。大祭司が使徒たちに、「イエスの名によって教えてはならない。」と問い出したとき、ペテロは、「人に従うより、神に従うべきです。(使徒5:29)」と言って、今度は彼ら自身にイエスの証しをしました。言われた先から法律を破っています。ですから、ダニエルは、禁令を知りながら神に祈っていたのです。


 すると、この者たちは申し合わせてやって来て、ダニエルが神に祈願し、哀願しているのを見た。そこで、彼らは王の前に進み出て、王の禁令について言った。「王よ。今から三十日間、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれるという禁令にあなたは署名されたではありませんか。」王は答えて言った。「取り消しのできないメディヤとペルシヤの法律のように、そのことは確かである。」そこで、彼らは王に告げて言った。「ユダからの捕虜のひとりダニエルは、王よ、あなたとあなたの署名された禁令とを無視して、日に三度、祈願をささげています。」このことを聞いて、王は非常に憂え、ダニエルを救おうと決心し、日暮れまで彼を助けようと努めた。

 
ダリヨス王は、ダニエルのことを慕っていました。彼を深く信頼していました。「まさかこんなことになるとは、…あいつら、わなにはめたな!」と思ったに違いありません。彼は、ペルシヤの法律を調べて、抜け穴はないか必死になって捜しました。

 そのとき、あの者たちは申し合わせて王のもとに来て言った。「王よ。王が制定したどんな禁令も法令も、決して変更されることはない、ということが、メディヤやペルシヤの法律であることをご承知ください。」

 彼らは、駄目押しをしました。王に圧力をかけています。


 そこで、王が命令を出すと、ダニエルは連れ出され、獅子の穴に投げ込まれた。王はダニエルに話しかけて言った。「あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように。」

 ダリヨスは、ダニエルが仕えていた神のことを知っていました。おそらくダニエル自身が彼にイスラエルの神のことを伝えていたのでしょう。神のことを、「あなたがいつも仕えている神」と言っています。

 一つの石が運ばれて来て、その穴の口に置かれた。王は王自身の印と貴人たちの印でそれを封印し、ダニエルについての処置が変えられないようにした。

F 神の守り 18−24

 こうして王は宮殿に帰り、一晩中断食をして、食事を持って来させなかった。また、眠けも催さなかった。

 ダリヨスは、自責の念で食事が喉を通りませんでした。「おれは、なんて馬鹿なことをしたのだろう。」と思っていたに違いありません。また、眠つくこともできず、夜が明けてきました。

 王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。その穴に近づくと、王は悲痛な声でダニエルに呼びかけ、ダニエルに言った。「生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。」


 ダリヨスは聞いています。悲痛な声です。もしかしたら殺されているかもしれない、という思いでいっぱいでした。すると、ダニエルは王に答えた。「王さま。永遠に生きられますように。私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。」

 すばらしいですね。神はダニエルを獅子から守ってくださいました。ヘブル人3人には、神の御子がともにおられましたが、ここでは御使いがともにいます。神は、火の中でも、水の中でも、私たちともにおり、私たちを救い出してくださいます。

 そこで王は非常に喜び、ダニエルをその穴から出せと命じた。ダニエルは穴から出されたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。

 
神への信頼です。神への信頼が、私たちを救ってくれます。


 王が命じたので、ダニエルを訴えた者たちは、その妻子とともに捕えられ、獅子の穴に投げ込まれた。彼らが穴の底に落ちないうちに、獅子は彼らをわがものにして、その骨をことごとくかみ砕いてしまった。

 神の守りがあるのとないのでは、こんなにも違いが出てきます。穴の底に落ちないうちに、ことごとくかみ砕かれました。これは神のさばきです。ねたみにかられ、人を殺そうとした者たちへの神のさばきです。ベルシャツァルが故意に神に逆らって、ペルシヤに殺されたように、彼らも殺されました。


E 神の証し 25−27

 そのとき、ダリヨス王は、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに次のように書き送った。

 ネブカデネザルがしたように、ダリヨスも全世界の者たちに手紙を書いています。

 「あなたがたに平安が豊かにあるように。私は命令する。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇蹟を行ない、獅子の力からダニエルを救い出された。」

 
ここでも、ダリヨスによって神が証しされています。神の国が永遠に堅く立つというものです。神の国、これが私たちの待ち望んでいる国です。正義と平和が支配している国です。戦争はなくなり、荒野は野原に変えられます。キリストはエルサレムから支配され、そこでみことばを語られます。そして、私たちは復活のからだを持っており、罪を持たず、キリストに似た者とされているのです。私はこれがうれしいです。私には日々、霊と肉の戦いがあります。誘惑があり、それに立ち向かっています。けれども、復活のからだをもったときその戦いは止むのです。ネブカデネザルもダリヨスも、この永遠の御国を証言しました。


2D 4つの大国 7

 こうして6章は、神の守りと救いについて描かれていました。次の7章は、4つの大国と、それに引き続く神の国が幻の中で示されます。これは、2章において、ネブカデネザルが見た夢の中にあった人間の像に匹敵する幻です。

E 幻 1−14

F 4頭の獣 1−8

 バビロンの王ベルシャツァルの元年に、ダニエルは寝床で、一つの夢、頭に浮かんだ幻を見て、その夢を書きしるし、そのあらましを語った。

 
時は、ベルシャツァル王の治世に戻ります。これまでダニエルは、異邦人の王に与えられた幻や夢を解き明かしていましたが、今度は、自分自身がそれを見ています。夢と幻のどちらも見たようですが、おそらく眠っているのか、起きているのか分からないような状況にいたのだと思われます。

 ダニエルは言った。「私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、四頭の大きな獣が海から上がって来た。その四頭はそれぞれ異なっていた。」


 ダニエルが見たのは、四頭の獣です。大海から上がって来ています。嵐の中で荒れ狂う、恐ろしい海から、これまた恐ろしく、どうもうな野獣が登場します。これは人間の世界と、4つの大国を表わしているのですが、ネブカデネザルが夢の中で見た人の像とは、ずいぶん異なりますね。人の像は金属で出来ており、輝いていました。この違いは、一言で言えば、人の見方と神の見方の違いです。人間は、世界の大国の栄光の姿を見て、驚き、感心します。弟子たちが、ヘロデが造った神殿を見て、「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。(マルコ13:1)」と言ったようにです。けれども、イエスは、「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」とお答えになり、戦争、ききん、家族同士の殺し合い、偽預言者など、人間の世界が醜くいこと、暗やみに包まれていることをお話しになりました。同じように、ダニエルが見た夢は、荒れ狂う、恐ろしい人間の世界を表わしています。神は、人間の支配を、不法と悪がはびこる世界として見ておられます。


 第一のものは獅子のようで、鷲の翼をつけていた。見ていると、その翼は抜き取られ、地から起こされ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた。

 第一の獣は獅子でした。これはバビロン帝国のことを表わします。他の預言書には、バビロンが獅子にたとえられており(エレミヤ4:7など)、またバビロンの宮殿の中には、翼のある獅子がいました。そして、人間のように二本足で立ち、人間の心が与えられたのは、ネブカデネザルが獣のように狂ったけれども、また理性が戻ってきたことを表わしています。

 また突然、熊に似たほかの第二の獣が現われた。その獣は横ざまに寝ていて、その口のきばの間には三本の肋骨があった。するとそれに、『起き上がって、多くの肉を食らえ。』との声がかかった。

 熊は、メディヤ・ペルシヤ帝国です。3本の肋骨とは、その前に出てきた大国である、エジプト、アッシリヤ、バビロン帝国を指しているのかもしれません。そして、「多くの肉を食らえ」という声がかかったとありますが、イザヤ書17章には、メディヤ人が、金や銀にも目がくれず、ことごとく人を殺していくこと、子どもたちも胎児も殺していくことが預言されていました(17−18節)。

 この後、見ていると、また突然、ひょうのようなほかの獣が現われた。その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。そしてそれに主権が与えられた。

 
第三の獣はひょうのようなものです。4つの翼があり、4つの頭があります。これはギリシヤ帝国を表わしています。ペルシヤ帝国を倒したのは、アレキサンダー大王です。彼は若くして死に、4人の総督にその帝国が分割されました。小アジア、シリヤ、エジプト、そしてマケドニアです。


 その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現われた。それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは前に現われたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。

 第四の獣は、自然の中に存在しないようなものです。大きな鉄のきばを持っています。人の像の足は鉄で出来ていましたが、この獣はローマ帝国のことです。食らってかみついた、とありますが、ローマ帝国は、ことごとく世界の諸国を制覇し、服従させました。そして、この獣の大きな特徴は、十本の角を持っていることです。ネブカデネザルの夢では、10本の足の指に相当します。つまり、ローマが10の諸国の連合、あるいは10の諸地域の連合になると考えることができます。そして、これがヨーロッパ連合に匹敵すると多くの聖書学者は言います。あるいは、世界の10の経済圏や政治圏であると言う人たちもいます。けれども、こういう質問を持っておられる方がいらっしゃるかもしれません。「バビロン、ペルシヤ、ギリシヤはそのまま続けて出現したのに、なんでローマ帝国だけが現代にまで飛躍してしまうのですか。ローマ帝国がなくなってからヨーロッパ連合が出来るまで、1500年以上の空白があるではないですか。」そうです、そのとおりなのです。長い空白期間があります。このことについては、第五回目のしめくくりで詳しく話させていただきます。


 私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。

 10本の角の間から、一本の小さな角が出てきました。この角のために、3本が引き抜かれました。そして、人間のような目があり、大きなことを語る口があります。実に変な幻ですが、これこそ反キリストに他なりません。反キリストは、10の諸国から、最初は影響力を持たないで出現します。そのときに、他の3人の支配者を倒します。そして、彼は大きなことを語ります。大言壮語します。このことについては、7章の最後のほうにまた出て来るので、そのとき話しましょう。


F 年老いた方 9−14

 そして、次は天における情景の幻です。ネブカデネザルの夢では、人手によらない一つの石が登場しましたが、ここでは詳しく、父なる神とキリストについて描かれています。

 私が見ていると、幾つかの御座が備えられ、年を経た方が座に着かれた。

 
これが、父なる神です。「年を経た方」というとおじいさんのように聞こえてしまいますが、ここでは「永遠に生きておられる方」という意味です。

 その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりけのない羊の毛のようであった。

 
白さは、神の聖さを表わします。

 御座は火の炎、その車輪は燃える火で、火の流れがこの方の前から流れ出ていた。

 
火も同様に、聖さとさばきを表わします。御座や車輪はエゼキエル書1章に登場しますが、神の周りを取り巻く栄光です。

 幾千のものがこの方に仕え、幾万のものがその前に立っていた。

 天には長老や生き物、さらに何億ともいう御使いが神に仕えています。黙示録4章と5章に天の情景が描かれています。

 さばく方が座に着き、幾つかの文書が開かれた。

 これから父なる神は、さばきを行なわれます。幾つかの文書が開かれました。神は書物を持っておられますが、これは、さばきを行なうとき、人が行なったあらゆることが記された書物です。そして、黙示録19章は、その行ないに応じてさばかれた人が、火と硫黄の池に投げ込まれることを記しています。けれども、私たちはキリストにあって安心です。その記録はすべてキリストの血によって消し去られているからです。代わりに、いのちの書に私たちの名前が記されています。


 私は、あの角が語る大きなことばの声がするので、見ていると、そのとき、その獣は殺され、からだはそこなわれて、燃える火に投げ込まれるのを見た。

 反キリストは、神が開いた書物にしたがって、さばかれ、燃える火、つまりゲヘナに投げ込まれます。黙示録19章の最後を見ますと、こう書かれてあります。「すると、獣は捕えられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々を惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕えられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。(20)」反キリストの最後はゲヘナです。残りの獣は、主権を奪われたが、いのちはその時と季節まで延ばされた。幻は、獅子と熊とひょうに戻っています。これらは、大国としての地位は奪われていますが、国としては存在し続けるようです。バビロンは、今イラクとして存在しています。ペルシヤはイランです。そしてギリシヤはそのままギリシヤとして残っていますね。つまり、大国としての地位は奪われましたが、終わりの時まで残る諸国なのです。


 そして再び、天の幻に戻っています。私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。この「人の子」とはだれだか、分かりますか。そうです、私たちの主イエス・キリストです。イエスはご自分のことを、「人の子」と呼んでおられました。さらに、十字架につけられる前に、大祭司の前でこう言われました。「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。(マルコ14:62)」イエスは、まさに私たちが呼んでいるダニエル書の箇所を引用されていたのです。イエスは確かに、昇天されて、神の右の座に着かれました。そして、間もなく地上に戻ってこられて、反キリストと世界中の軍隊をことごとく滅ぼし、世界の王、すべての者の主となってくださるのです。私たちの主であるイエスさまが、個人的な主であるばかりでなく、世界の主、世界の王となってくださいます。

E 解き明かし 15−28

F 4人の王 15−22

 私、ダニエルの心は、私のうちで悩み、頭に浮かんだ幻は、私を脅かした。

 
この幻があまりにも壮絶なので、ダニエルは悩み、おびえました。

 私は、かたわらに立つ者のひとりに近づき、このことのすべてについて、彼に願って確かめようとした。すると彼は、私に答え、そのことの解き明かしを知らせてくれた。


 かたわらに立つ者とは御使いのことです。ダニエルは、今まで人の夢の解き明かしをしましたが、自分が見た夢については御使いが解き明かしています。


 これら四頭の大きな獣は、地から起こる四人の王である。しかし、いと高き方の聖徒たちが、国を受け継ぎ、永遠に、その国を保って世々限りなく続く。

 キリストを王とする神の国では、聖徒たちがともに御国を支配します。ただ、ここでの聖徒は、クリスチャンではなくユダヤ人であります。その理由は、すぐに出てきます。

 それから私は、第四の獣について確かめたいと思った。それは、ほかのすべての獣と異なっていて、非常に恐ろしく、きばは鉄、爪は青銅であって、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。その頭には十本の角があり、もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が倒れた。その角には目があり、大きなことを語る口があった。その角はほかの角よりも大きく見えた。

 
ダニエルは、第四の獣にとくに興味を持ったようです。

 私が見ていると、その角は、聖徒たちに戦いをいどんで、彼らに打ち勝った。

 もう一本の角つまり反キリストは、聖徒たちに戦いをいどんで、打ち勝ちます。ここから、この聖徒たちがクリスチャンでないことが分かります。イエスが弟子たちに、こう言われました。「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。(マタイ16:18)」ハデスの門も、教会には打ち勝ちません。悪魔の力が与えられた反キリストは、教会に打ち勝つことはできません。ですから、ここの聖徒たちとは、後にキリストを信じるユダヤ人であり、大患難時代にイエスを信じるユダヤ人であります。

 しかし、それは年を経た方が来られるまでのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行なわれ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。

 ダニエルは、こういうことだと思うが、第四の獣についてもっと教えてくれと言っています。


F 10本の角 23−38

 彼はこう言った。彼とは、御使いのことです第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。

 
全土を食い尽くします。つまり、世界政府になり、世界帝国になります。経済も政治もグローバル化された今では、このような体制になることは充分可能です。

 十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。

 
先ほど出てきた「大きなことを語る口」は、いと高き方に逆らうことばであります。反キリストは、神を冒涜することばを吐きます。そして、ひと時とふた時と半時の間とありますが、これは3年半の大患難時代のことです。ひと時が1年であることは第二回目のメッセージでお話しました。ですから、1たす2たす0.5で3.5です。この時に、ユダヤ人たちが大迫害に会います。

 しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。

 
キリストが天から来られて、反キリストを殺し、反キリストはゲヘナに投げ込まれます。

 国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。

 大患難が終わった後で、神の国が地上に立てられます。黙示録20章に記されている、千年王国がそれです。


 ここでこの話は終わる。私、ダニエルは、ひどくおびえ、顔色が変わった。しかし、私はこのことを心に留めていた。

 御使いが解き明かしてくれたのですが、ダニエルは分かりませんでした。それでおびえて、顔色が変わりました。でも、心に留めています。このことは、とても大切です。今は分からないけれども、後で悟ることができる時が来ると思って心に留めるのです。ヤコブがヨセフの見た夢がわからなかったとき、心に留めました。マリヤは、少年イエスが言われたことばが分からなかったとき、心に留めた、とあります。ですから、ダニエルも心に留めたのです。


3B 目的 − イスラエルの回復 (神が完了させるのは、イスラエルへの約束) 8−12

 そして8章に入ります。ここからは、イスラエルについての預言です。2章からはアラム語で書かれていましたが、8章からはヘブル語に戻っています。終わりの時とは、人間の支配が終わるときあるいは異邦人の国の支配が終わる時であることを私たちは学びました。そして、それと同時に、終わりの時とは、神がイスラエルに約束してくださったことがすべて成就する時でもあります。神はアブラハムにすばらしい祝福の約束を下さいました。土地を所有し、子孫がふえて、また大いなる国になります。この約束がみな完了するとき、終わりの時が訪れるのです。ですから、1948年にイスラエルの国が再建されたこと、また1967年に彼らがエルサレムを自分たちのものとしたことは、キリストが来られる前ぶれに他なりません。神はふたたびイスラエルに働きかけてくださり、まだ実現していない預言を成就させてくださいます。

1C イスラエルの帰還 8−9

1D ペルシヤ、ギリシヤ帝国 8

E 幻 1−14

F 雄羊と雄やぎ 1−8

 ベルシャツァル王の治世の第三年、初めに私に幻が現われて後、私、ダニエルにまた、一つの幻が現われた。

 第三年です。7章の幻はベルシャツァルの治世の元年でしたから、この幻は二年後ということになります。

 私は一つの幻を見たが、見ていると、私がエラム州にあるシュシャンの城にいた。なお幻を見ていると、私はウライ川のほとりにいた。

 
シュシャンは、バビロンの首都から150キロメートルぐらい離れた都市です。ここは後に、ペルシヤ帝国のアルタシャスタ王が宮殿を建てたところであり、そこでネヘミヤは献酌官として王に仕えていました。また、エステル記の舞台もペルシヤ帝国のシュシャンです。ですから、ダニエルは、もう間もなくペルシヤ帝国の中心地となる場所で、バビロン国の執務を行なっていたことがわかります。

 私が目を上げて見ると、なんと一頭の雄羊が川岸に立っていた。それには二本の角があって、この二本の角は長かったが、一つはほかの角よりも長かった。その長いほうは、あとに出て来たのであった。

 この雄羊は、メディヤ・ペルシヤ帝国のことを表わしています。長い角がペルシヤであり、もう一本はメディヤです。なぜなら、最初にメディヤが勢力を持ち、ペルシヤがそれに連合して、ペルシヤがさらに強くなったからです。


 ところで、ベルシャツァルの治世の元年には、バビロン国が獣の一つとして幻の中に現れていたのに対し、第三年の幻には登場しないことに注目してください。それはバビロン国がもう間もなく崩壊するからです。クロス王は、ユダヤ人のエルサレム帰還の布告を出しました。ですから、ダニエルは、イスラエルがユダヤに戻ってから先のことを、幻によって示されたのです。むろん、帰還したあとに自分たちがどうなるかは、ユダヤ人の興味の的でした。これは、そのことについての幻だったのです。

 私はその雄羊が、西や、北や、南の方へ突き進んでいるのを見た。どんな獣もそれに立ち向かうことができず、また、その手から救い出すことのできるものもいなかった。それは思いのままにふるまって、高ぶっていた。


 西や、北や、南のほうに突き進むとあります。このとおり、メディヤ・ペルシヤ王国は国々を征服しました。まず西を征服し、その次に北へ向かい、それから南のエジプトを倒しました。


 私が注意して見ていると、見よ、一頭の雄やぎが、地には触れずに、全土を飛び回って、西からやって来た。その雄やぎには、目と目の間に、著しく目だつ一本の角があった。この雄やぎは、川岸に立っているのを私が見たあの二本の角を持つ雄羊に向かって来て、勢い激しく、これに走り寄った。見ていると、これは雄羊に近づき、怒り狂って、この雄羊を打ち殺し、その二本の角をへし折ったが、雄羊には、これに立ち向かう力がなかった。雄やぎは雄羊を地に打ち倒し、踏みにじった。雄羊を雄やぎの手から救い出すものは、いなかった。

 雄羊の次に、雄やぎが登場しています。雄やぎは、全土を飛びまわって、西からやってきました。目と目の間には、著しく目立つ角が一本あります。この雄やぎが雄羊を打ち殺します。これはギリシヤ帝国の姿です。ギリシヤからアレキサンダー大王が出てきました。彼は私ぐらいの年齢の青年でしたが、たった11年間で、世界の4分の1を征服しました。こうしてペルシヤ・メディヤ帝国はギリシヤ帝国の前に倒れました。

 この雄やぎは、非常に高ぶったが、その強くなったときに、あの大きな角が折れた。そしてその代わりに、天の四方に向かって、著しく目だつ四本の角が生え出た。

 アレキサンダー大王は、インドまで征服したとき、「もう征服する土地はないのか!」と言って嘆いたそうです。彼はバビロンの宮殿を本拠地としていましたが、そこで宴会を設けました。外は雨でした。ぐてんぐてんに酔っ払って、家に帰りましたが、酔っ払っていたので服も着替えないで寝てしまいました。それで肺炎にかかり、32歳で死んでしまったのです。だから、この角が強くなったときに、折れてしまったのです。それで、4人の総督によってギリシヤ帝国は分割されました。


F 一本の小さな角 9−14

 そのうちの一本の角から、また一本の小さな角が芽を出して、南と、東と、麗しい国とに向かって、非常に大きくなっていった。

 
ここから、アンティオコス・エピファネスが登場します。4つの分割領の一つにシリヤがありましたが、そこからセレウコス朝が始まりました。その王朝の王の一人がアンティオコス・エピファネスであり、紀元前175年から治世を開始しました。この男が、南と東と麗しい国に向かって大きくなります。麗しい国とはイスラエルです。ですから、ユダヤ人がバビロンから帰還して、イスラエルに住んでから起こることは、なんと、このアンティオコス・エピファネスからの攻撃だったのです

 それは大きくなって、天の軍勢に達し、星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、これを踏みにじり、軍勢の長にまでのし上がった。それによって、常供のささげ物は取り上げられ、その聖所の基はくつがえされる。

 
ここの天の軍勢、星の軍勢はユダヤ人であろうと思われます。なぜなら、軍勢の長にまでのしあがったあとに、神殿が荒らされるからです。イスラエルは、バビロンから帰ったあと、神殿と城壁を再建しました。神殿再建についてはエズラ記に、城壁再建についてはネヘミヤ記に記されています。ですから、常供のささげもの、つまり毎日、牛や羊をささげて神を礼拝していたのです。アンティオコス・エピファネスは、当時の大祭司オリアスを除いて、神殿を自分の思うままにしました。

 軍勢は渡され、常供のささげ物に代えてそむきの罪がささげられた。その角は真理を地に投げ捨て、ほしいままにふるまって、それを成し遂げた。

 そむきの罪とは、アンティオコス・エピファネスが偶像を立てたり、豚をささげたりしたことを言っています。レビ記では、豚は汚れた動物の一つですから、これは神への冒涜であります。


 私は、ひとりの聖なる者が語っているのを聞いた。すると、もうひとりの聖なる者が、その語っている者に言った。「常供のささげ物や、あの荒らす者のするそむきの罪、および、聖所と軍勢が踏みにじられるという幻は、いつまでのことだろう。」

 ひとりの御使いが、もうひとりの御使いに聞きました。この荒らすそむきの罪は、いつまで続くのであろうか、と。

 すると彼は答えて言った。「二千三百の夕と朝が過ぎるまで。そのとき聖所はその権利を取り戻す。」


 この預言は、一日もくるわずに成就しました。大祭司オニアスが殺されてから、2300日後に、マカベア家の勇敢なユダヤ人たちによって宮がきよめられ、常供のささげ物が再開しました。紀元前165年12月25日のことです。神殿が汚されることに対抗して、勇敢に戦い抜いたユダヤ人たちの記録は、外典の「マカベア記」に記されています。新共同訳の一部には、この書物が加えられています。そして、この12月25日は、「宮きよめの祭り」とか、「神殿奉献祭」とか、ハヌカーとして知られています。ヨハネの福音書10章22節に、宮きよめの祭りのときにイエスがエルサレムの神殿の中を歩いておられた、とあります。そして今もユダヤ人はハヌカーを祝っており、ユダヤ人の多いアメリカでは、クリスマスとハヌカーがそれぞれ同時に祝われています。


E 解き明かし 15−27

F 終わりの時 15−26

 私、ダニエルは、この幻を見ていて、その意味を悟りたいと願っていた。ちょうどそのとき、人間のように見える者が私の前に立った。私は、ウライ川の中ほどから、「ガブリエルよ。この人に、その幻を悟らせよ。」と呼びかけて言っている人の声を聞いた。彼は私の立っている所に来た。

 
人間のように見える者はガブリエルだったようです。思い出せますか、ザカリヤにバプテスマのヨハネの誕生を告げて、マリヤにイエスの誕生を告げる役目を果たしたのが、ガブリエルです。ですから、ガブリエルは、ふたりの誕生を知らせる前に、ダニエルに幻を解き明かすお仕事をしたようです。

 彼が来たとき、私は恐れて、ひれ伏した。すると彼は私に言った。「悟れ。人の子よ。その幻は、終わりの時のことである。」彼が私に語りかけたとき、私は意識を失って、地に倒れた。

 御使いは、たいてい神の栄光を反映させています。ですから、ダニエルはその聖さと輝きによって、ショックを受け、倒れてしまいました。

 しかし、彼は私に手をかけて、その場に立ち上がらせ、そして言った。「見よ。私は、終わりの憤りの時に起こることを、あなたに知らせる。それは、終わりの定めの時にかかわるからだ。

 
ガブリエルは、繰り返し、これが終わりの時のことであると言っています。また終わりの憤りのことであると言っていますが、大患難時代のことです。大患難は、キリストを受け入れず、罪を悔い改めない世に対し、神の怒りが注がれることであります。けれども、この幻は、ペルシヤ帝国とギリシヤ帝国で起こるはずのことでした。そのあとでローマ帝国が出現するばずです。なぜ終わりの時なのでしょうか?ガブリエルが続けて説明していますので、聞いてみましょう。


 あなたが見た雄羊の持つあの二本の角は、メディヤとぺルシヤの王である。毛深い雄やぎはギリシヤの王であって、その目と目の間にある大きな角は、その第一の王である。

 アレキサンダー大王のことです。

 その角が折れて、代わりに四本の角が生えたが、それは、その国から四つの国が起こることである。しかし、第一の王のような勢力はない。彼らの治世の終わりに、彼らのそむきが窮まるとき、横柄で狡猾なひとりの王が立つ。

 これがアンティオコス・エピファネスのことですね。

 彼の力は強くなるが、彼自身の力によるのではない。彼は、あきれ果てるような破壊を行ない、事をなして成功し、有力者たちと聖徒の民を滅ぼす。彼は悪巧みによって欺きをその手で成功させ、心は高ぶり、不意に多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる。しかし、人手によらずに、彼は砕かれる。


 これらの描写の中には、必ずしもアンティオコス・エピファネスの合致しない部分があります。確かに彼は、悪魔にとりつかれていたと言うことができるかもしれませんが、「彼自身の力によるのではない」とまで言い切ることはできません。また、「君の君に向かって立ち上がる」とありますが、確かにイスラエルを滅ぼそうとすることで、神に逆らっていたということはできましょうが、その表現としては大げさ過ぎます。そして、「人手によらずに、砕かれる。」とありますが、これも大げさです。ですから、アンティオコス・エピファネスの生涯に当てはまりながらも、さらに大きなことを語っているようです。そこで、ガブリエルの「終わりの時」という言葉を思い出します。


 つまり、アンティオコス・エピファネスの行なったことは、終わりの時に現れる反キリストの姿を予め指し示したものだったのです。私たちが学んだところによると、反キリストはローマ帝国から出現するのですが、反キリストの具体的な活動は、ギリシヤ帝国で起こったことと類似して起こるのです。テサロニケ人への第二の手紙によると、反キリストは、神の宮の中に座をもうけ、自分こそ神であると宣言します。そして、この不法の人は、サタンの働きによるもので、あらゆる偽りの力、しるし、不思議が彼にともないます。そして、君の君、つまり私たちの主イエス・キリストに向かって、ののしります。しかし、再臨されたキリストの一言によって殺され、火と硫黄の池の中に投げ込まれるのです。異邦人の時は、混沌と混乱へと向かっている人間の世界でありますが、反キリストは、これにとどめをかけるように荒らして、荒廃させるのです。人間の不法と悪が極致にまで達するように仕向けます。

 先に告げられた夕と朝の幻、それは真実である。しかし、あなたはこの幻を秘めておけ。これはまだ、多くの日の後のことだから。

F 秘められた真実 27

 私、ダニエルは、幾日かの間、病気になったままでいた。その後、起きて王の事務をとった。しかし、私はこの幻のことで、驚きすくんでいた。それを悟れなかったのである。

 ダニエルにとって、この幻は秘められたものであり、悟ることができませんでした。ガブリエルが言うように、それは多くの日の後のことだからです。こうして、「反キリストの現われ」という題で話させていただきましたが、使徒ヨハネによると、反キリストの霊はすでに働いている、ということです。社会の中に、そして教会の中に働いてます。ですから、私たちは、見張っていなければいけません。ヨハネが言いました。「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。(ヨハネ第一4:1)


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