エズラ記4−6章 「注がれる神の目」


アウトライン

1A 阻止行動 4
   1B 表面的な一致 1−3
   2B 反逆の民 4−16
   3B 武力行使 17−24
2A 主にある不可抗力 5
   1B 励ましの預言 1−5
   2B 大胆な証し 6−17
3A 神の逆転劇 6
   1B 神の約束 1−15
   2B 祭りの喜び 16−22

本文

 エズラ記4章を開いてください、今日は4章から6章までを学びます。ここでのテーマは、「注がれる神の目」です。前回私たちは、クロス王がユダヤ人のエルサレム帰還と神殿再建の布告を出したところを読みました。それがいかに、神の回復のご計画の中心であり、ダニエルなどの祈りによって実現したものであるかを見ました。

 今日は、その神が約束されたところの神殿建設を阻止する働きが起こるところを読んでいきます。神が始められた業はキリスト・イエスの日までにそれを完成してくださるとう約束がありますが、反対があっても、必ずその働きは完成することを見ていきます。

1A 阻止行動 4
1B 表面的な一致 1−3
4:1 ユダとベニヤミンの敵たちは、捕囚から帰って来た人々が、イスラエルの神、主のために神殿を建てていると聞いて、4:2 ゼルバベルと一族のかしらたちのところに近づいて来て、言った。「私たちも、あなたがたといっしょに建てたい。私たちは、あなたがたと同様、あなたがたの神を求めているのです。アッシリヤの王エサル・ハドンが、私たちをここに連れて来た時以来、私たちは、あなたがたの神に、いけにえをささげてきました。」

 この手前の3章の終わりのところで、イスラエルの民が神殿の礎を据えて、起工式を行なったところを読みました。過去のソロモン神殿の栄華を知っている人は大声で泣き、若い人々は大声で叫んだ、というところです。このように神殿建設が進んでいきましたが、その時に周囲の住民がやって来ました。

 彼らは、アッシリヤの王が自分たちを連れてきて、そしてあなたがたと同じ神を求めていると言っていますが、これは北イスラエルのアッシリヤ捕囚に由来します。アッシリヤは、自分たちが征服した民を他の地域に捕え移すことによって、住み慣れない地で生きることで精一杯にさせることで、国の転覆や反逆をする力を殺ぐようなことをしていました。北イスラエルのイスラエル人はそのようにして捕え移されましたが、一部は残っていました。けれども、また他の地域から別の民族がこの地域に移されてきて、従来のイスラエル人と連れてこられた民が婚姻関係に入りました。その末裔が彼らであり、後にサマリヤ人と呼ばれるようになります。

 それゆえ、ユダヤ人とサマリヤ人の間にはものすごい軋轢が生じて、民族的嫌悪感を互いに抱いていました。新約聖書に、サマリヤ人がよく出てくることを思い出していただけるかと思います。特に、サマリヤの女はユダヤ人であるイエスさまが声をかけたので、あなたと私とは何の関係もない、と突っぱねようとしたのです。

 この彼らが、あなたがたと同じ神を求めている、と言っています。列王記第二17章を見ますと、確かに彼らが形式だけ、ヤハウェ崇拝を行なっていた記述があります。新しく連れてこられた民が獣によって殺されたり、傷を負ったりするので、この地域の神へのきちんとした供養が出来ていないからだと思って、祭司を呼び寄せて彼らに礼拝の形式を教えさせたのです。それで、私たちも同じ神を求めているのだから、いっしょに建てたいと申し出ました。

4:3 しかし、ゼルバベルとヨシュアとその他のイスラエルの一族のかしらたちは、彼らに言った。「私たちの神のために宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない。ペルシヤの王、クロス王が私たちに命じたとおり、私たちだけで、イスラエルの神、主のために宮を建てるつもりだ。」

 総督ゼルバベル、大祭司ヨシュア、そしてその他のイスラエルの指導者たちは、彼らの本当の姿を見抜いていました。彼らは本当にヤハウェを求めているのではありません。儀式的にヤハウェの名前を使っているだけであり、混合宗教を行なっているにしか過ぎません。ですから、「私たちの神のために宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない。」と言っています。

 イエスさまが語られた警告を思い出せますか?「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』(マタイ7:21-23」全然知らない、と強く言っておられますが、ここでゼルバベルやヨシュアなどが言っている、「あなたがたと何ら関係ない」と言っているのと同じです。主に献身して、主と個人的な関係を持っている人と、形式だけで何ら心から信じている信仰を持っていない人とでは、天国と地獄の開きがあるのです。

2B 反逆の民 4−16
4:4 すると、その地の民は、建てさせまいとして、ユダの民の気力を失わせ、彼らをおどした。

 彼らの本当の心が表れています。ともに神殿を建てたいというのは建前であり、本当は神の働きに敵対していたのです。一見、彼らのほうが「いっしょに働きましょう」と言って、受容的、寛容的に聞こえ、ゼルバベルたちが排他的に聞こえるのですが、本当は逆です。ねたみにかれらた人にとって、自分につかない人はみな敵だからです。

4:5 さらに、議官を買収して彼らに反対させ、この計画を打ちこわそうとした。このことはペルシヤの王クロスの時代からペルシヤの王ダリヨスの治世の時まで続いた。

 彼らは政治的工作を計りました。議官を買収しています。17節以降に買収された議官たちの名前が連名で出てきます。

 そして、このことがペルシヤのクロスの時代からダリヨスの治世の時まで続いたとありますが、ダリヨスとはバビロンが滅んだ直後に王になった、ダニエルが入った獅子の穴に封印したダリヨスとは別人物です。6章にて神殿の工事再開を命令するダリヨスのことです。つまり、神殿建設が始まってから完成するまで、これらユダヤ人の敵たちによる政治工作活動が継続して行なわれたことを意味します。

4:6 アハシュエロスの治世、すなわちその治世の初めに、彼らはユダとエルサレムの住民を非難する一通の告訴状を書いた。

 ここのアハシュエロスは、エステル記に出てくるアハシュエロス王とは違います。一般の歴史の中では、カンビュセスという名で出てきます。紀元前529年から521年まで治めていた人です。

4:7aまた、アルタシャスタの時代に、ビシュラム、ミテレダテ、タベエルとその他の同僚は、ペルシヤの王アルタシャスタに書き送った。

 ここのアルタシャスタ王もまた、ネヘミヤが献酌官だったころのアルタシャスタ王と異なります。カンビュセスの後にわずか10ヶ月の間だけ王だったスメルデス(Smerdes)のことです。ですから、周囲の住民はカンビュセスに告訴状を一通書いて、スメルデスにも一通書いています。

4:7bその手紙はアラム語の文字で書かれ、アラム語で述べられていた。

 次から実際に聖書でもアラム語で書かれています。ペルシヤの文献がアラム語で書かれていたのでしょう、翻訳することなくそのままここに書き記されているのでしょう。興味深いのは、ダニエル書においても途中からアラム語で書かれており、また途中でヘブル語に戻っていることです。当時、貿易商用語として世界共通だったのがアラム語だったので、イスラエルを飛び越えて国際的に関わることになるとアラム語になっています。

4:8 参事官レフム、書記官シムシャイはエルサレムを非難して、次のような手紙をアルタシャスタ王に書き送った。4:9 すなわち、参事官レフム、書記官シムシャイ、その他の同僚、裁判官、使節、役人、官吏、エレク人、バビロン人、シュシャンの人々、すなわち、エラム人、4:10 その他、名声高い大王オスナパルがサマリヤの町と川向こうのその他の地に引いて行って住まわせた民たちが、書き送った。

 書いたのは参事官レフムと書記官シャムシャイですが、いろいろな名前が連名で載せています。彼らが先の買収された議官たちです。そしてオスナパルという王がサマリヤの町と川向こうのほかの地に引いていって住まわせた、とありますが、この川のユーフラテス川のことでしょう。つまり全国の議官の名と、そして現地の人々が次からのことを訴えているという形式にしています。

さて、4:11 彼らが送ったその手紙の写しは次のとおりである。「川向こうの者、あなたのしもべたちから、アルタシャスタ王へ。さて、4:12 王にお知らせいたします。あなたのところから、こちらに来たユダヤ人たちはエルサレムに行き、あの反抗的で危険な町を再建しています。その城壁を修復し、その礎もすでに据えられています。

 彼らは神殿建設を阻止するために、これが王への反逆行為であると主張しています。

4:13 今、王にお知らせいたします。もしこの町が再建され、城壁が修復されたら、彼らはみつぎ、関税、税金を納めなくなるでしょう。そうすれば、王の収入に損害を与えることになりましょう。4:14 さて、私たちは王宮の恩恵を受けておりますから、王のはずかしめを見るのに耐えられません。それゆえ、私たちは人を遣わして、王にお知らせするのです。

 税収入がなくなりますよ、彼らは税金を払いませんよ、と訴えています。そして、自分たちは国からの給与が与えられているから、王さまは私たちにとって給与を与えている人だから、このような事態を大変心配している、ということです。

4:15 あなたの先祖の記録文書をお調べになれば、この町が反抗的な町で、王たちと諸州に損害を与え、また昔からこの町で反逆が行なわれたことを、その記録文書の中に見て、おわかりになるでしょう。この町が滅ぼされたのも、そのためです。

 これは事実です。南ユダがどのようにして滅ぼされたかを思い出してください。バビロンの王ネブカデネザルは何回かに渡ってエルサレムの町を包囲しましたが、エホヤキムは三年目に彼に反逆しました。ゼデキヤが反抗しました。そのために、包囲だけを考えていたネブカデネザルがエルサレムの町を破壊して、神殿から器具をみな持ち出して、神殿もすべて破壊しました。

4:16 私たちは王にお知らせします。もしこの町が再建され、城壁が修復されたら、あなたはこのために川向こうの領土を失ってしまわれるでしょう。」

 このように王の福利を考えているように見せかける内容の手紙です。

3B 武力行使 17−24
4:17 王は参事官レフム、書記官シムシャイ、およびサマリヤと川向こうのその他の地に住んでいる彼らの同僚に返事を送った。「平安があるように。さて、4:18 あなたがたが、私たちに送ったあの書状は、私の前で説明して読まれた。4:19 私は命令を下し、調べさせたところ、その町は昔から王たちに対して謀反を企て、その町で暴動と反逆が行なわれたことがわかった。4:20 またエルサレムにはかつて勢力のある王たちがいて、川向こうの地を全部支配し、みつぎ、関税、税金が彼らに納められていたこともわかった。

 これは、正確な記録がペルシヤに残されていましたね。ダビデとソロモンの時の治世は、ユーフラテス川の近くまで勢力を伸ばし、支配した諸地域から税金を納めさせていました。

4:21 今、あなたがたは命令を下して、その者たちの働くのをやめさせ、私が再び命令を下すまで、この町が再建されないようにせよ。4:22 あなたがたは、よく注意してこのことを怠ってはならない。損害を増して王を傷つけるといけないから。」

 こうして文書で訴えを送り、王もまた文書で返答していきているところは、ペルシヤの国が法律の力が強かったところであることが分かります。ダニエルが獅子の穴に投げ込まれるのも、文書に署名をダリヨスがしたからです。次の次に学ぶエステル記においても、文書によってユダヤ人殺戮の布告が全国に出され、その取り消しも文書にて行なわれました。

4:23 アルタシャスタ王の書状の写しがレフムと、書記官シムシャイと、その同僚の前で読まれると、彼らは急いでエルサレムのユダヤ人のところに行って、武力をもって彼らの働きをやめさせた。4:24 こうして、エルサレムにある神の宮の工事は中止され、ペルシヤの王ダリヨスの治世の第二年まで中止された。

 とうとう工事は中止になりました。ゼルバベルらは武力でもってこの働きを止められてしまいました。けれどもエペソ書6章には、「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(12節)」とあります。このような物理的な妨害でさえも、主の御名によって立てば乗り越えることができます。

2A 主にある不可抗力 5
 工事の中止はダリヨスの治世第二年までとありますがそうすると5章からの出来事は紀元前520年になります。クロスが神殿再建の布告を出してから十六年後のことです。

1B 励ましの預言 1−5
5:1 さて、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの、ふたりの預言者は、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に、彼らとともにおられるイスラエルの神の名によって預言した。

 バビロン捕囚後の主な預言者に、この二人ハガイとゼカリヤがいます。ぜひエズラ記を読みながら、この二つの書物を読んでみてください。神の名によって預言したとありますが、その内容がハガイ書とゼカリヤ書にあります。

 ハガイは基本的に、そこにいる人々を叱咤激励しました。「あなたがたはなぜ、主の宮を建てるときはまだ来ない、と言っているのか?見なさい、宮は廃墟になっているのに、あなたがたの家は立派に建てられている。でも、よく考えてみなさい。あなたがたは収穫があることを期待しているけれども、わずかしかとれなかったではないか?勤労の実を結んでいないではないか?」という内容のものです。

 非常に大切なメッセージが含まれていますね。私たちが主にあって働いて、妨害にあって、がっかりして、それで主の事柄ではなく自分自身の事をいつの間にか求めるようになって、それで自分は楽をしていると思っているけれども、実は意外に大変な状況にあるということです。私たちは満足したり、途中で前進するのを止めたりしてはいけません。主は、「前に進みなさい、妨げがあってもわたしがともにいる。」とおっしゃっています。

 そしてゼカリヤは、主に回復されたエルサレムの町についての幻と預言をしました。その中にゼルバベルとヨシュア個人に対する預言があります。ゼルバベルには、燭台とそこに油を流し込む二本のオリーブの木の幻が、ヨシュアには汚れた着物を新しいものに着替える幻が与えられました。この神殿の計画は必ず成功する、そしてその向こうには栄光の神殿の姿がある、と励ましたのです。

 ですから神の名による預言は本当に大切です。私たちが目に見える事柄、自分の周りのことだけに目を留めていくことによって心が沈んでくるところを、主がご覧になっているように、主の目で見ていくように、その言葉を聞くことは大事です。

5:2 そこで、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちも彼らといっしょにいて、彼らを助けた。

 ハガイとゼカリヤは、ただ預言しただけでなく一緒に工事を手伝いました。これもすばらしいことですね。自分自身でさえもその基準に達していないのに、高い基準だけ語って、食い逃げならず、語り逃げをする人がたくさんいます。自分の手もよごす必要があります。ともに生きることによって初めて神のみことばを生きたものとして語ることができます。

5:3 そのとき、川向こうの総督タテナイと、シェタル・ボズナイと、その同僚とがやって来て、こう言った。「だれがあなたがたに命令を下して、この宮を建て、この城壁を修復させようとしたのか。」5:4 そしてまた、「この建物を建てている者たちの名は何というのか。」と尋ねた。

 再び反対するような人々が現われました。いかにもお役所的な尋問ですが、「だれの許可でこのような工事を行なっているのか」「ここの責任者はだれか」と聞いています。

5:5 しかし、ユダヤ人の長老たちの上には神の目が注がれていたので、このことがダリヨスに報告され、ついで、このことについての書状が来るまで、この者たちは彼らの働きをやめさせることができなかった。

 すばらしいですね、以前は武力によって止めさせられ、意気消沈していた彼らですが、今は、反対する言葉を聞いても、黙々と工事を継続しました。「神の目」が彼らの上に注がれていたからです。神の目によって、これからどうなるかを彼らは見ることができただけでなく、実際に彼らの仕事を動かす力となっていました。私たちも同じです。私たちが、神の目によって見ている幻は必ず実現しています。信仰をもって前に進むだけです。そうすれば、彼らと同じように神は私たちの上にご自分の目を注いでいてくださいます。

2B 大胆な証し 6−17
5:6 川向こうの総督タテナイと、シェタル・ボズナイと、その同僚の川向こうにいる知事たちが、ダリヨス王に書き送った手紙の写しは次のとおりである。

 以前と同じように、文書による交換によって役人たちは物事を進めていきました。

5:7 すなわち、彼らが王に送った報告には次のように書かれてあった。「ダリヨス王に全き平安がありますように。5:8 王にお知らせいたします。私たちはユダの州に行き、あの大いなる神の宮に行ってみましたが、それは大きな石で建てられており、壁には木材が組まれていました。その工事は彼らの手で着々と進められ、順調にはかどっています。

 「あの大いなる神」と言っていますが、こういったニックネームがヤハウェの神に付けられていたのでしょう。ユダヤ人たちが、「大いなる神」という言葉を頻繁に使っていたのかもしれません。そして、神殿に大きな石が使われていることを言及していますが、これはエルサレムの城壁のところにあるトンネルからも確認できます。現代の工学でも理解できないほど大きく重い石をそこまで運んで使っていました。

5:9 そこで、私たちはその長老たちに尋ねて、彼らに次のように言いました。『だれがあなたがたに命令を下して、この宮を建て、この城壁を修復させようとしたのか。』5:10 私たちはまた、あなたにお知らせするために彼らにその名を尋ねました。それは、彼らのかしらになっている者の名を書きしるすためでした。

 先ほど彼らがした質問です。

5:11 すると、彼らは次のように私たちに返事をよこして言いました。『私たちは天と地の神のしもべであり、ずっと昔から建てられていた宮を建て直しているのです。それはイスラエルの大王が建てて、完成させたものです。

 ゼルバベルらは、隠し事をせずはっきりと神の名によって返答しました。まず、「私たちは天と地の神のしもべです」と言っています。異教の中にいる信仰者は、このことをはっきりさせないといけません。まことの神の知識がなければ、自分たちが知っている神々と天地創造の神の違いを知ることはできないからです。

 そして、イスラエルの大王が立てて、完成させたものです、と言っています。ソロモンのことですね、前回の手紙では告発の根拠にもなっていた大王の存在ですが、この事実を恐れることなく語りました。

5:12 しかし、私たちの先祖が、天の神を怒らせたので、神は彼らをカルデヤ人であるバビロンの王ネブカデネザルの手に渡されました。そこで、彼はこの宮を破壊し、民を捕えてバビロンに移したのです。

 自分たちがさばかれたことも、包み隠さず話しています。バビロンによって倒されたのは、自分たちが弱かったからではなく実にこの神の主権によるのだ、と言いました。良いことも悪いことも、神から来るということを私たちはどこまで信じることができているでしょうか?もちろん、悪いことは神が創出させたのではありません。けれども、神は意味をもってその悪いことが起こるのを許されています。それを私たちはへりくだって、心砕かれて、その事実を受け入れているでしょうか?ダニエルは、この神の主権を受け入れて、それゆえ祈りが聞かれました。

5:13 しかし、バビロンの王クロスの第一年に、クロス王はこの神の宮を再建するよう命令を下しました。

 ここから、具体的にペルシヤの法律にかなっていることを私たちは行なっている、と訴えています。クロスが「バビロンの王」となっていますが、これはバビロンの国を倒した王、あるいはバビロンの地域を支配した王という意味です。

5:14 クロス王はまた、ネブカデネザルがエルサレムの神殿から取って、バビロンの神殿に運んで来た神の宮の金、銀の器具を、バビロンの神殿から取り出し、自分が総督に任命したシェシュバツァルという名の者にそれを渡しました。

 シェシュバツァルはゼルバベルのことですね。

5:15 そして、シェシュバツァルに、これらの器具を携えて行って、エルサレムの神殿に納め、神の宮をもとの所に再建せよと言いました。5:16 そこで、このシェシュバツァルは来て、エルサレムの神の宮の礎を据えました。その時から今に至るまで、建て続けていますが、まだ完成していません。』

 もうすでに布告から16年経っているのに、完成していません

5:17 ですから今、王さま、もしもよろしければ、あのバビロンにある王の宝物倉を捜させて、エルサレムにあるこの神の宮を建てるためにクロス王からの命令が下されたかどうかをお調べください。そして、このことについての王のご意見を私たちにお伝えください。」

 ということで、ダリヨス王は布告についての文書を探すことになります。

3A 神の逆転劇 6
1B 神の約束 1−15

6:1 それで、ダリヨス王は命令を下し、宝物を納めてあるバビロンの文書保管所を調べさせたところ、6:2a メディヤ州の城の中のアフメタで、一つの巻き物が発見された。

 アフメタはメディヤの首都です。すでにメディヤ・ペルシヤになっていますから首都ではないのですが、おそらくそこでクロスがユダヤ人のエルサレム帰還の布告を出したのでしょう。

6:2bその中に次のように書かれていた。「記録。6:3 クロス王の第一年に、クロス王は命令を下した。エルサレムにある神の宮、いけにえがささげられる宮を建て、その礎を定めよ。宮の高さは六十キュビト、その幅も六十キュビト。6:4 大きな石の層は三段。木材の層は一段にする。その費用は王家から支払う。

 クロスの布告の内容には、このような神殿の構造についての詳しい指示、またその予算も記録されていました。

6:5 また、ネブカデネザルがエルサレムの神殿から取って、バビロンに運んで来た神の宮の金、銀の器具は返し、エルサレムの神殿に運び、一つ一つもとの所に戻す。こうして、それらを神の宮に納める。」6:6 「それゆえ、今、川向こうの総督タテナイと、シェタル・ボズナイと、その同僚で川向こうにいる知事たちよ。そこから遠ざかれ。6:7 この神の宮の工事をそのままやらせておけ。ユダヤ人の総督とユダヤ人の長老たちにこの神の宮をもとの所に建てさせよ。

 逆転しています。役人たちは止めさせなければいけないと思って文書を送ったのですが、このことによってかえって、建設を続行させるための命令をダリヨスは出しています。私たちは、決して大きな山を大きな山のままで見てはいけません。自分たちを邪魔する山だと思っていたものが、実は自分たちを助ける山になるかもしれないのです。これが神の摂理です。その時には私たちは理解できないでしょう、けれどもあらゆることを統合させて、調和させて、すべてご自分の栄光のために働かせるのが、神の知恵です。私たちはただ、だまって主を仰ぎ見るのです。

6:8 私は、さらに、この神の宮を建てるために、あなたがたがこれらユダヤ人の長老たちにどうすべきか、命令を下す。王の収益としての川向こうの地のみつぎの中から、その費用をまちがいなくそれらの者たちに支払って、滞らぬようにせよ。

 建設を続行させておくだけでなく、手伝わなければいけない、と命じています。以前は、王の国家予算が疎外されることを懸念して神殿建設を止めさせたわけですが、今はむしろ、税金を使って神殿建設に取り掛かりなさいと命じています。

6:9 また、その必要とする物、すなわち、天の神にささげる全焼のいけにえのための子牛、雄羊、子羊、また、小麦、塩、ぶどう酒、油を、エルサレムにいる祭司たちの求めに応じて、毎日怠りなく彼らに与えよ。

 神殿の建物だけでなく、いけにえや日常の糧も支援します。

6:10 こうして彼らが天の神になだめのかおりをささげ、王と王子たちの長寿を祈るようにせよ。

 これは異教徒であるダリヨスが言った言葉ですから、多くある神の中の一つとして祈ってくれと言っているのですが、それでも大事なことです。パウロはテモテに、王や支配者たちのために祈りなさいと勧めています(1テモテ2:1)。

6:11 私は命令を下す。だれであれ、この法令を犯す者があれば、その家から梁を引き抜き、その者をその上にはりつけにしなければならない。このことのため、その家はごみの山としなければならない。

 バビロンの時もそうでしたが、ペルシヤの法律も違反したときの罰則はこのようなものでした。

6:12 エルサレムに御名を住まわせられた神は、この命令をあえて犯しエルサレムにあるこの神の宮を破壊しようとして手を出す王や民をみな、くつがえされますように。私ダリヨスは命令を下す。まちがいなくこれを守れ。」

 バビロンのネブカデネザルも、メディヤのダリヨスも、ペルシヤのクロスも、そしてここのペルシヤのダリヨスもみな、イスラエルの神に対するある程度の信仰を持っていました。自分のすべてをもってこの神を信じたかどうかは不確かですが、確かに神は超大国の指導者の心に働きかけておられました。

6:13 このように、ダリヨス王が書き送ったので、川向こうの総督タテナイと、シェタル・ボズナイと、その同僚たちとは、これをまちがいなく行なった。

 止めさせようとした役人たちは、今度は助けるために働きました。その理由が次にあります。

6:14 ユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言によって、これを建てて成功した。彼らはイスラエルの神の命令により、また、クロスと、ダリヨスと、ペルシヤの王アルタシャスタの命令によって、これを建て終えた。

 神の預言によって、これを建て終え、そして歴代の王たちの命令だけれどもそれは神が王たちに命じたことによるものであると、はっきりとエズラは書き記しています。神の命令はその通りになるのです。大事なのは私たちが、その命令の中にとどまっているかどうかです。すばらしい神の御業を見ることができるかどうかも、神の命令にとどまっているかどうかに掛かってきます。

6:15 こうして、この宮はダリヨス王の治世の第六年、アダルの月の三日に完成した。

 紀元前515年の三月あたりです。この70年と半年前つまり586年8月ごろに、ネブカデネザルがエルサレムの神殿を破壊しました。ここでもエレミヤの七十年の預言は成就しています。第一回目の捕囚からクロス王のエルサレム帰還の間を計算しても七十年、神殿破壊から神殿建設完成の期間も七十年です。神の預言は本当に確かです!

2B 祭りの喜び 16−22
6:16 そこで、イスラエル人、すなわち、祭司、レビ人、その他、捕囚から帰って来た人々は、この神の宮の奉献式を喜んで祝った。6:17 彼らはこの神の宮の奉献式のために、牛百頭、雄羊二百頭、子羊四百頭をささげた。また、イスラエルの部族の数にしたがって、イスラエル人全体の罪のためのいけにえとして、雄やぎ十二頭もささげた。6:18 また彼らは、エルサレムでの神への奉仕のため、祭司をその区分にしたがって、レビ人をその組にしたがってそれぞれ任命した。モーセの書にしるされているとおりである。

 彼らは奉献式を行ないました。ささげられた動物のいけにえの数はソロモンの時と比べたら、圧倒的に少ないです(1列王8:63)。牛2万2千頭、羊12万頭でした。なるほど、過去の神殿の栄華を知っていた人が悲しみで泣いたわけです。

6:19 捕囚から帰って来た人々は、第一の月の十四日に過越のいけにえをささげた。

 もしかしたら、彼らはこの過越の祭りを目標にして、神殿建設を行なっていたかもしれません。終わったのが三月ごろで、この第一の十四日は三月の下旬か四月の上旬ですから、過越の祭りを目標にしていたのかもしれません。

6:20 祭司とレビ人たちは、ひとり残らず身をきよめて、みなきよくなっていたので、彼らは捕囚から帰って来たすべての人々のため、また、彼らの兄弟の祭司たちのため、また、彼ら自身のために、過越のいけにえをほふった。

 覚えていますね、戻ってきたとき祭司たちは、その系図が定かでないものは奉仕につくことはできなかったのですが、そのようにして前々から祭司の務めを果たせるように準備していました。

6:21 捕囚から戻って来たイスラエル人と、イスラエルの神、主を求めて、この国の異邦人の汚れから縁を絶って彼らに加わったすべての者たちとは、これを食べた。

 捕囚から戻ってきたイスラエル人はすでに神の律法を知っていましたが、そこにわずかに残っていたイスラエル人は、多くの異教の影響を受けていました。その大きいのが異教徒との婚姻関係ですが、すべての縁を絶ちました。彼らは、過去にイスラエルが犯した過ちを二度と犯さないことで固い決意を持っていたのです

6:22a そして、彼らは七日間、種を入れないパンの祭りを喜んで守った。

 過越の祭りのすぐ後が種なしパンの祝いです。

6:22bこれは、主が彼らを喜ばせ、また、アッシリヤの王の心を彼らに向かわせて(アッシリヤの王とありますが、かつてのアッシリヤ帝国は今はペルシヤのものになっていますから、これも間違っていません。)、イスラエルの神である神の宮の工事にあたって、彼らを力づけるようにされたからである。

 著者エズラは再び、すべての工事の成功と祭り時の喜びを主から来たものであることを銘記しています。主が事を始めてくださったのだから、それを完成させてくださいます。有名なピリピ書の聖句がありますね。「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。(ピリピ1:6」私たちは、これを信じているでしょうか?何度も何度も聞いたみことばかもしれませんが、けれども本当に信じているでしょうか?神は必ず完成させてくださいます。その為にはまず、ハガイとゼカリヤが預言によって励ましたように、私たちも神のみことばによって、また信仰の言葉によって互いに励まし、慰め、仕えていく必要があります。その時に、反対者がいてもどうすることもできません。


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